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「何か」をするから生きている

社会人の気ままな日記
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平等とはなんだろうか

2021年04月12日 22時22分33秒 | 世間話
こんばんは

特別何か思想めいたものを思いついたわけではないのですが、仕事も早く終わってまったりしていたので書いてみようと思い立ちました。
最近はコロナショックともいうべき時代の変化によりさまざまなものが変化してきていますね。
そんな中で就活生や個人事業主などのお店や女性の社会進出・平等なんて言葉を最近よく耳にするなぁと思っているのです。
それぞれいつも思うことがあるので、暇ですし語ってみようかなと思います。

まずは就活生ですね。
というか大学生のことですね。
リモート授業がつまらないから休学したいとか退学するだとかいうのは目的を見失っているだけだと思います。
大学は高校生とは違って割とガチなバイトができたり、酒が飲めるようになったり、危ない遊びができるようになったり、女性と大人なことができたりして人生の中でも発見の多い瞬間なのではないでしょうか。
その後の何十年かは、結婚して次の世代を育てるだけの作業ゲーですからね。せいぜいこの瞬間を楽しむべきだと心底思うわけです。
で、楽しむのはいいのですが、縛りがないと案外その自由もつまらないものになってしまうというのがなかなかに面白いと俺は思います。
どういうことかというと、何か目的があるなら大学なんてどうでもいいはずです。何も目的がなく、上記のようないろんな偶発的発見を体験経験してみたいと思う人が大半ですから、そういった偶発的事由が起こりそうなイベントが起こらなくては始まりません。
そして、偶発的な事由を求めている人は、自らイベントを起こす気力はあまりないのです(体感)
ですから、大学のダラダラ授業でもちゃんとした意味があるのです。高い金を出して偶発的なイベントを求めていっているのです。
誰が好き好んで飲んだ翌日の1限にあくびをしながら行くのでしょうか。それは義務感だけではなく、「昨日酒飲んでまじつれーわー」と仲間に言いたいからですね。
たったそれだけのことで社会の一員になった気がして、自分のすべてが肯定されたような気がして、あぁ俺って生きていると実感するというわけなんですよ。
そういう観点からしたらリモート授業はつまらないかもしれないですね。すみません。
でもまぁ大学生という肩書でいる間は本当に遊んでいてもわからないのですから、大いに遊んでいればいいんじゃないかと思うんですよね。
金がないからそんなことは無理よというのも十分理解できるのですが、それは外的要因なのであって学生自らが休学退学するというのとは別問題ですよね。
とにかく肩書がある間はリモート授業の間ずっと株をやっていてもいいし、オナニーしていてもいいし、ゲームしていてもいいし、バイトしていてもいいのです。
社会人かフリーターという身分になったら、そんな気軽にあれこれできるほど余裕はなくなりますからね。フリーターであっても任される仕事の内容によってはそれに集中しないといけなくなりますからね。
それに、やっと就活生の話になりますが、大学なんて「大卒」の肩書を手に入れるためのイベントでしかなく、私立で4年制なら400万円くらい出して「大卒」という称号をもらうイベントなわけですよ。
超有名大学でもない限り大卒なんてみんなどんぐりの背比べですよ。でもそんな当たり前の称号すら持っていないとしたらどれだけこの社会で微妙な目にあうのか想像できるのでしょうか。
何度も言いますが、金がないから高卒でもしょうがないじゃないかというのはごもっともです。それは今回の問題の例外になります。しょうがないものはしょうがないのです。来世で頑張りましょう。
で、結局何が問題なのかというと、就活なわけですよ。
大学生が自分のやりたいことをやるというだけで就活に失敗しているという特集を最近よく目にするのですよ。
俺はこれをみていつも不思議になります。就活なんて面接で演技するだけの簡単なお仕事じゃないですか。
人事が欲している言葉を出して、グループディスカッションでは必要な態度を取り、他と差別化できるようなエピソード(嘘)を用意して披露するだけでいいのですよ。裏取りなんてコスパ悪いことしませんよ。
それで落とされる企業は自分の能力では入れない企業。セリフや演技で通用しない企業や特殊な採用方法をしてくる企業は、もはや普通の人が採用されるのは難しい企業。
それこそ一部の秀才や企業が求める特定の技能を図るためのもので、普通に普通のことができる普通の人間が欲しい企業は、そんな普通の演技をする大学生がいれば採用してくれるのですよ。
そして、そういう企業を探さないのが問題なのです。面接で言うセリフや演技、エピソードなんてみんな似たようなものですよ。自分のキャラに合わせて楽しい系かじっくり系かみたいな差しかないですよ。
そんなほぼ同じレベルの奴らが同じステータスで殴り合う戦場では、より戦いやすいフィールドを選ぶべきだということは明白だと思います。
この時点で超有名企業は候補から外れますよね。記念受験くらいはいいかもしれないですが、ほぼ間違いなく筆記か書類審査で落ちますよ。落ちないとしたら遊ばれているだけです。それかあなたがハイパー可愛いかです。まぁ可愛い時点でレアキャラですがね。
でも就職してすぐにブラックだったり倒産したりするような会社は嫌ですよね。男ならどうせ営業職みたいなものしかないでしょうし、辛いのは最初から分かっていますよね。
何せ我々は普通の人ですから、体を張るくらいしか取り柄というかできることがないわけで、技術があったらそっちで就職できるわけですからね。
そうなってきたら腹を決めて「売りやすいものを売りたい」となるはずです。誰もが欲しがるものほど売りやすいし、自分の能力や運に左右されにくいと考えるはずです。
とくれば、選ぶべきは業界No1ですよ。言うまでもなく引く手あまたで売りやすいでしょ。何の興味もなくたっていいじゃないですか。どうせ売ることに変わりはないんですから。
熱意で売るなんて「売れないから」やっているだけですよ。押し売りのさわやかバージョンみたいなものです。
売れるというぁ業界No1の営業には余裕があります。何せ商材がみんな欲しがっているものだからです。
四季報でしたっけ?それを開いて探すのは業界No1、これだけです。後は勤務地と給料そのた諸々でしょうかね。あまり高望みしないのがいいと思いますよ。どうせそういうところには入れないですからね。
ですから、就活に失敗するなんてほとんどの場合あり得ないと思うわけですよ。一つも内定が無いなんてありえないのです。
もしもそうなるとしたら、必要な演技ができていないだけです。受けるべき企業を受けていないだけです。
社会に出たら演技なんてレベルではなく、社会人という皮というかキャラを被って生きていくのですよ。その予行演習みたいなものです。人事の採用担当に精一杯の演技を披露してやりましょう。
そこで得た経験がその後の社会人生活の糧になりますからね。そういった経験もなく、もしくは不十分な経験しかせず、結果内定もなく非正規労働者に落ち着くとなれば、自然と微妙な人になっていってしまうのはもはやしょうがないことなのではないでしょうか。
目的をもって長い間準備をして羽ばたくような人以外は、みんなどこかの企業の歯車の一つですからね。その中にも入れず、働き盛りにパートのおばちゃん達と同じ仕事をしているのだとすれば、それは仕事ではなくバイトの延長なのだと考えてもらいたいものです。


1つの話題に時間をかけすぎていますが久々に語っていきましょう。本当にこの手の話題が多いし、特集するだけして投げっぱなしなのは問題提起というのではなくやけ酒して叫んでいるようなものですよねまったく。
次は事業主というかこのコロナ禍で被害を受けているお店ですね。
大変だと思いますよ。お客さんが来ない、出歩かないというのは、そもそも金を落としてくれる人が来ないわけですからね。
もはや不況ともいうべき状態でしょうね。というかみんなそう言ってますね。
で、感染が拡大して今巷を騒がせているような変異ウイルスなんて目じゃないくらいの凶悪変異ウイルスが発生するのは怖いのですが、これも時代の流れなのではないでしょうか?
どうみたってコロナに関係なく倒産や閉店している店がありますよね?これは緩やかな死を迎えるはずだったお店が、急な逆風でたちまちお陀仏になっただけではないでしょうか。当然の帰結というものでしょう。
当然事業主からすればたまったものではないでしょうから、援助しろしろとうるさいわけですが、もはや焼石に水状態なわけで、どうにもならないでしょうということなんですよ。
政府も緊急で対策を打たなくてはならないから、そんな酒だかギャンブルだかに消えるような金を事業主と言われる人たちに配りまくるわけですね。
俺も仕事柄いろんな事業主の方と話をしますが、本気で生き残りをかけている人はそうでない人とは全然違いますよ、雰囲気から違います。
ネットでもなんでも自分の能力を最大限使おうとして奮闘しておられますよ。そういう人にこそ金を配分するべきですよ。
寝て起きて困ったーというだけの個人事業主の価値なんてどこにあるのでしょうか。この効率化が叫ばれる時代に中途半端な事業を行う事業主と呼ばれる人たちは一体何なのでしょうか。
あんなに頑張っている本物の事業主を見た後では、なんちゃって事業主にしか見えず、もっと言えばサラリーマンにもなれないような中途半端な人間なのではないかとすら思えます。
もう還暦を迎えたような人は年金の積み立てがなければ辛い老後を送るだけですから自業自得ですが、40代くらいで行き詰っているおじさん達は何がしたいのかよくわかりません。早めに見切りをつけてサラリーマンにでもなればいいのにと心底思います。
まぁでもそれは田舎だからなのかもしれませんね。都会で一旗あげようと思えば、ロマンもあるかもしれませんしね。散ればそれだけいい思い出かもしれません。どうせ20代以降は一種の作業ゲーですからね。
そんなわけで事業主と呼ばれる人たちのピンキリぐらいを目の当たりにすると、本当に救う価値があるのか?死ぬ気でやっているのか?と考えないわけにはいかない今日この頃なわけですよ。


それでは最後に男女の平等について。そろそろ手が疲れてきたので手短に。ほんとはこの話題が主だった気がするけどね。
男女平等というのは究極的な理想だといつも思います。感覚的な分かりそうなものですが、現実的ななかなか難しいですし、思想的な面からもいろんな平等があってバランスが難しいのだなといつも思います。
世が世ならそんな自由な議論なんてできなかったかもしれませんし、思想信条の自由で頭の中だけで展開されていればよかったような思想もちらほら散見されるくらい今は自由な世の中です。
アホも秀才も同じ話題で同じ土俵(SNS)で議論というか意見を叫びまくるというカオスが日々繰り返されているわけですね。
俺が思うにどれも正しいですよ。ネットで叫ばれているポリコレ思想や過激なフェミニストたちの意見にだって一定の正しさがあると思っていますよ。
でもね、俺の考え方はより消極的だと思っています。結論を言えば、そんなん無理じゃねってことです。本質的にも実質的にも平等なんてないのですよ。
俺が思うに人間は脳が発達した動物ですよ。生まれて大きくなってつがいを見つけて交尾して子をなして育てて死ぬ、ただそれだけの動物ですよ。
その輪廻の中でたまたま今はつがい同士がちょっと発達した頭で死ぬまでの一時をどのように過ごすのか考えてみているだけのことですよ。
一部の過激なポリコレ思想やフェミニストたちが言う差別された女性というのは一体どのような場面の誰のことなのでしょうかね。
俺は人間皆動物という思想ですから女性がーとか男性がーという議論はどうせ平行線だろうから遊びでやっているんだろうと思っているのですが、少し真面目に考えてみようと思います。
まず、家事育児を女性に押し付けがちというのは男性のよくないところです。子供から好かれるのはお母さんと決まったわけではないでしょう?育児は死ぬまでに行うべき動物としての使命ですよ。
ですから、仕事が忙しいと言っても育児や家事に積極的に参加することには意義があります。疲れすぎて体調を崩すようではおかしな話ですが、動物としての使命の前では趣味だのなんだのに費やす時間なんて究極的には意味がないと思うのです。
それは同時に女性にも当てはまります。育児をするために子を孕み産むというのは女性にのみ与えられた使命というか技能です。未だ人類は機械の中で人間を培養することは倫理的に許されていませんからね。
となれば、その大事な動物的使命の前では、男性がどうだのこうだのというのは些細な問題なのです。
よってお互いの主張は甘えに他なりません。どちらかがどちらかに寄りかかろうとすればするほど議論はこじれるのです。
とはいえ子を産み育てるのは男性の精子と女性の卵子なしでは成り立ちません。となれば、肉体的にも有利な男性が仕事をして金を稼ぎ、女性がうまくそれを使うことで子育てを行うという構図は効率的な構図ではないでしょうか。
そしてこれは男女を逆転させても同じなのです。結局のところ子を産み育てることに意味があるのであって、男性と女性が社会においてどちらが活躍し金を稼ぐかなど些細な問題なのです。
もっと言えば男性と女性がケースバイケースにおいてお互いの役割を理解し、子を育てるという共通目標に向けて、お互いがお互いの利益を考えるべきなのです。
そういった動きを考えれば、思想家の皆さんがなんとかパターン化しようとしているこの男女平等という問題はあまりにもケースバイケース過ぎてパターン化したそれが誰にでも当てはまりそうで当てはまらないものになってしまうのです。
1つの場面はどのような切り口から論じても同時に別の切り口から補うことで解決してしまうというのが人間なのです。
そう考えれば、男性社会であれ女性社会であれ能力は正当に評価されるべきですね。活躍しようとして能力を示せば当然に評価され、その機会が与えられる。それが正しい世の中ですよね。
というか、俺の究極的な思想である人間皆動物の考え方からしたら、どう気持ちよく生きるかなんてことを考えだしてしまっている時点でなかなか収拾は難しいと思いますよ。
何せ傲慢になってしまった人は、実は自ら機会を捨てていたにも関わらず、自分が欲しいと思ったときに機会が与えられないことに不平不満言い出すのですからね。
例えばよくある例として、もっと自分のことを評価して欲しいと願う女性がいたが、女性だからと軽視されて評価されなかった選ばれなかったということがあったとします。
これを見てフェミニストたちは「女性蔑視」だとか「不平等だ」とか言いますが、すべてにおいて上記なようなことが起きているのでしょうか?自分はそうは思いません。ケースバイケースです。
なぜならその前後の文脈がないからです。なぜ軽視されたのでしょうか?1つしか選ばれないとしたら、なぜその1つになれなかったのでしょうか?
それは女性だからという理由だけなのでしょうか?自分のプレゼンに問題はなかったか?成果物が誰もが称賛するほど優れたものであったのか?
世の中において評価されるというのは一概に言えないことが多いと思います。自分の会社もそうです。明らかに有能な人よりも会社の在籍年数が長いだけの無能が上司になることが多いです。
つまり、評価されるだけの要素を積み重ねなければ、他者との競合に勝てないということなのです。女性だから勝てないというのではありません。男性だから勝てないこともあるのです。
求められるその「1つ」にはどれだけの要素が詰まっているでしょうか?それを正しく見定めていますか?性別の問題だけで片付くような問題ではないのです。選ばれなかったのはきっと勝てるだけの要素が足りなかったのです。
あなたが普通に仕事に行って業務時間内で仕上げた成果物よりも、目の下にくまを作りながら寝る間も惜しんでその「1つ」について考え続けた末にできたフラフラの相手の成果物とどちらがよりその「1つ」に対して熱意を込めているでしょうか。その熱意の時点で要素の一つに劣っています。
もしくは、時間内で成果物を仕上げたこと自体が評価される場合もあるでしょう。今後もコンスタントに良案を持ってくる可能性があると思われれば残業している相手よりも要素の1つで勝っています。
もしくはどうしても評価して欲しいから権力者に実力以外の部分で要素を勝ち取ろうとする輩もいるかもしれません。色仕掛け、賄賂、七光り、考えただけでも裏の要素はいっぱいあります。
しかしながら、どれもこれもケースバイケースです。自分が入った会社の評価に携わる人たちがどのような要素を求めているかに対し、自分がどれだけ応えられるかによってどれだけ素晴らしいと自分が考える良案も凡案になってしまいます。それは「合っていない」だけなのです。
それを「女性だから」「女性蔑視だ」と声高に叫ぶことがどれだけ愚かで滑稽なことか分かるはずです。差別されるような職場は論外です。自分から辞めるべきなのです。そういった職場では男女に関係なく誰かが誰かに虐げられているはずです。健全ではありません。
そうはいってもこの世の中簡単に職を変えられるものではありません。先ほども言いましたが、訓練した演技でようやく入れた会社なのです。まぁまぁの待遇だしどうしたものかと考えて、個々が折り合いをつけていくものでしょう。外野がギャーギャー騒ぐものではないのです。
ましてや自分の能力が足りないことは棚に上げて女性蔑視だなんだと叫ぶようではあなたが害悪になってしまいます。
どのような状況であれ、抑圧された環境でなければ、ほんの些細なことであっても評価される機会はあったのです。その時の自分が関係ないことを考えていたか何かでそれに応えていなかったことを今更後悔しても遅いのです。
それに、本当に実力がある人は人から持ち上げられなくても頭角を現すものです。誰でも容易に想像できるはず。あなたにそれがありますか?
今の環境では無理だと思うのであれば、頭角を現せる環境へ行くべきですし、そこまでのやる気がないのなら素直に平凡でいるべきです。
ただ、平凡であれば何かで評価されるために他とは違う要素が必要になります。それは女性だ男性だという話以前の問題だというのは明白なのです。
最近実によく思います。女性を起用しようとする流れは本当に女性側が求めているものなのかと。政治家にしろそこらへんの上司にしろです。
ですが、周りから持ち上げられただけだとしても、信念をもってその企業の利益を追求したりする実際に実績を作れればそれは能力があるということになります。
きっかけは些細なことなのかもしれません。能力さえあればきっかけは何でもよくて、結局は評価されるということなのでしょう。
ですから、平凡な人がさも能力があるかのような立ち振る舞いをするのは限界があります。過激な思想にまみれても中身は平凡。当たり前の体格差やセンスの違いで吹き飛ばされてしまうような個性なのです。
もっと分をわきまえるべきですね。自由な世の中になって誇大妄想を現実だと誤認識してしまっているのでしょう。
所詮は人間も動物です。できることには限りがあります。普通のことを普通にやるのが人間の一生です。そこに+α人間の社会をよりよくする働きができるのは長い長い人の世にあっていつも一握りの人間たちなのです。
能力があるなどと、評価されるはずなどと過信しないことです。自分が逆の立場だったらどうでしょうか。逆に女性を優遇したら男性蔑視にあたらないのでしょうか?やはり優れているであろう要素を探すものではないでしょうか。
その時相手が男性だろうと女性だろうとより多くの要素を積み上げてきた方に仕事を任せるものではないでしょうか。それが普通でしょう。
言ってしまえば今の男性たちが担っている社会的責任を女性の皆さん全員が負いたいと思っているのか甚だ疑問だと思います。
一部の野心家女性はそれこそが生きがいで楽しみであると答えるかもしれません。ですがそれは男性の側にしたって同じこと。野心家以外は普通を望んでいるのです。
お互いに普通を望み合う男女は自然とお互いのことを考えるはずです。きれいごとで終わらせておくべきなのです。体格差において女性は男性の性のはけ口にされやすく被害に合いやすいです。
しかしそれはDVに出た男性を厳罰に処せばいいだけのこと。女性の立場を優遇しすぎることとは根本的に考え方が違うのです。
弱きものを守るというのは古い考えでありながら、今の男女が本質的に持っている思想であると言えます。
それは体格差からおのずと明らかなのですが、極端なケースバイケースに心を痛めすぎた過激なフェミニズムやポリコレ思想は一種の病気ではないかと思います。
この社会の裏の顔。人間の良くない部分がたまった吹き溜まりのような部分を長く見つめすぎてしまったのです。もはや嫌うことでしかコミュニケーションが取れないかまってちゃんかもしれません。
俺が思うに病気の一種とされる性同一性障害はどういったメカニズムなのでしょうか。女性ホルモンが分泌されている男性だとかそういうことでしょうか。憶測でものを語るべきではありません。
しかし、物理的に女性とされるものや男性とされるものが分泌されているから女性だ男性だというのならまだしも、ゲイやレズはただの変態性の一種ですし、本来口外せず自分の中だけで楽しむべきものだったはずです。
男性だと勘違いした女性、女性だと勘違いした男性というのは、生まれてきた後の思想形成において何らかの要因があるのではないでしょうか。
それを病気だなんだと言ってしまえばそれまでですが、男性だと勘違いしてしまった女性はどうすればいいのでしょうか。
しかしそれは悲観することではないと思いますし、口外して理解を求めるというのもおかしな話だと思います。
それは「変態」だからです。おっぱいが好きーとかおしりが好きーとか言っているのと同じです。
オナニーのおかずを教えられて「どう?」って言われても返答に困りますよね?そりゃあなたがいいと思うならそれでいいよって思いますよね。
それと同じですよ。「俺は男性が好き」「私は女性が好き」「俺は女性だと思うわ」「私は男性だ思っている」これらはすべてその手のオナニーをしていますと言っているようなものです。
オナニーのネタを教えて「気持ち悪い」と言われてもやっぱり~と思うのに、ゲイだレズだを自分からカミングアウトして理解されないから傷つくなんていい迷惑です。
もっといえば自分の性癖を明かして相手を困らせた挙句自分が望む答えを出してこないからお前が悪いと言ってくる姿勢は、さながら露出狂が急に飛び出してきて全裸を披露して去っていくような気持ち悪さを感じます。
相手が見たいと思っていないものを無理矢理見せて、社会的な勢いをかさに着て、相手に同情やそれらしい発言を求めるのがやりたかったことなのでしょうか?
そんなオナニーで興奮しているのなら今すぐやめるべきです。そんなやり方は不健全ですし、オープンな変態と変わりない、露出狂のそれと同じだと思います。



いやーすっきりしました。
自分の考えだって偏っていますからね。やっぱり誰かしらから批判されるのは当たり前の持論だと思います。
でもまぁこういった持論を頭の中ではなくてこうしてブログに書き込めるなんて日本はいい国ですよね。
誰かに伝えたくて書いているわけではないので、偶然ここにきてしまったひとがいたら、ここで読んだことは忘れてもらいたいと切に願っています。


それではまた次回。


改めて考えてみる

2020年11月15日 01時20分59秒 | 世間話
こんばんは

今日は同期の結婚式でした。
俺はなぜ呼ばれたのか、それは同級生で同期だからです。
条件が他の人よりも重なってしまったから、優先順位が上がってしまったのだなと内心複雑な心境でした。
式自体は最高でしたね。お料理お酒もよかった。素直に末永く幸せになってほしいと思いました。他意はありません。
なんかこう幸せオーラというか、何かを決断した決意のようなものがやはりこういう儀式的なものにはあると思います。
別に婚姻届を役所に提出しさえすれば夫婦として扱われるわけですから、儀式的なものにどれだけの意味があるのかというのが現代的な考え方でしょうか。
それでもこうして若者が結婚式を行うのは、いろんな意味があるのではないかと式を見て感動しながら考えていました。
そもそもは対外的に「これは俺(私)の妻(夫)だ」と示す行為であるし、一種のイベントですよね。
みんなでイベントを盛り上げてくれよって感じですかね軽い感じで言えば。一緒に楽しもうぜって感じ。
でもまぁそんな軽いノリ者年長者を引っ張れないし、関係性が薄い人を呼ぶ大義名分もありません。
やはり若者が集まってわちゃわちゃするだけではたむろしているだけだと思われてしまいます。
そうならないためには肩書のある年長者だかなんだかを引っ張ってきてスピーチでもさせればよいのですよね。
で、そうなってくると職場の上司やらなんやらが来るわけですから、年長者への意思表示としては感謝の気持ちというものが使いやすいツールです。
実際感謝している場面が多々あると思いますし、イベントに花を添えるコンテンツとして感謝の気持ちアピールというものがありますよね。
で、ただ感謝の気持ちを述べるだけなら、なんかまぁ取ってつけたようなものになってしまいます。
儀式は一つの意味じゃないわけですし、親族方からお願いされて渋々やっている人もいるのではないでしょうか。
そんな儀礼的な意味で結婚式をやるのだとしても、職場とつなげるのであれば、よい動機付けがあります。
それは「今後もよろしくね」ということです。実際俺も「今後二人に何かあって困っていたら助けてあげよう」と思いましたしね。
まぁお二人が困っていて俺に相談が来ることは稀だと思いますが、味方は一人でも多い方がいいというのは政治的な判断でしょうか。敵じゃなきゃいいってことですからね。
式に招かれてイベントに参加して非日常を味わってなんか感動するコンテンツがある。これってテーマパークに行くような感覚でしょうか。なんか特別感ありますよね。
そして出席者の一人としてしか見られていないとわかっていながらも、出席したことに感謝されて新郎新婦の父母があいさつ回りをしてくる。挨拶を返す。
ただそんなことがあるだけなんですが、やはり袖振り合うも他生の縁というやつでしょうかね。何もないよりは見方が変わります。
こうして儀式的な結婚式を行うだけでも、そこに参加した人からは今後自分たちの助けになるかもしれない思い出として残せるわけです。
俺のようにふわっと生きている人間には特にこの非日常感というか特別感が刺さりますね。
自分の仕事としてもプラスになりそうなこのイベントはやはり誰かの助けなしには仕事ができないと思う人にとってなかなか面白いイベントだと思いますね。
俺も誰かの助けを借りながら仕事をしているタイプですからね。うまく活用したいものです。相手がいませんけどね…
とはいえ、普通のテーマパークに行けば入場料とか諸々で1万は確実にかかるわけですが、結婚式ではご祝儀を何万か包まなくてはなりません。
参加者は感謝のされぐらいに違いはあれど、一定のレベルで同じ待遇を受けることとなります。
それはコース料理、飲み放題のドリンク、引き出物、そして会場でのイベント演出です。
この内容を自分なりに計算すると、コース料理は飲み放題込みでおそらく7000円くらい、引き出物は3000円くらい、そしてイベント演出はプライスレスです。
つまり飯と酒とお土産で1万円という見込みです。後の数万はイベント参加費として主催者(新郎新婦)へ納入されます。
それでいいのか?数万払う価値があるか?そのように考え始めたらきりがありませんね。
つまりは、数万納入しながらも新郎新婦から今後も助けてくれよとイベントを通してお願いされるわけですね。まぁそれでいいような気がします。
そこで重要なのが冒頭の幸せオーラですよ。男と女のただの契約行為なんて言葉では片付けられない人間模様が見て取れるわけですよ。
それに会場内で流すムービーも、交際中の画像とか他人に見せるわけですから、恥部を見せてなんとなく親近感を湧かせる演出もにくいですね☆
とまぁこれまでの結婚式文化の中で育まれた感動演出により、俺も助けてあげちゃう☆側に立ったということですね。
不思議と数万納入しているのに嫌な気がしません。何か「生」を感じる。生きるというものを感じるよい機会になったと思います。



さて、自分は結婚式でどのようなことをしましょうかとも考えてみました。
答えとしては、気の進まない仕事をするときのような気が重い感じが心の奥からにじみ出てくる感覚がしました。
別に当たり障りのない内容にすればよいのでしょうけども、うーんまぁ固い内容になりそうです(笑)
エピソードでも盛ってやればいいのですからね。画像がないから信ぴょう性が薄いし、証人もいませんから、あの会場の雰囲気で漫談するのはどうかなぁという気がします。
それでも無いよりはいいかなという感じですかね。
一番の問題は余興ですね。俺側で余興やりそうな知り合いはいませんね・・・
というか式にお招きする人がいません。職場の同僚や同期くらいでしょうか。昔の友人というものをもっと大切にしていればよかったと思う瞬間ですね。
今はコロナがあるし、県外に出たであろう人を呼ばないという大義名分がありますが、それでも地元だと誰か呼ぶことになります。
うーん職場関係以外では誰もいない。大学の友人とやらもどうかなぁ。わざわざ呼ぶほどのものだろうか?
さっきまでの結婚式をやるメリットが、今現在何も関係がない職場ですらない昔友人だった人というのはどれほどの意味があるのでしょうかね。
そうなるとお相手が結婚式をしたいというかどうかですね。でもまぁやってみたいのではないでしょうか。なんかこう面白そうなイベントですしね。
たとえ陰キャだろうとも、人生で何度かしかないイベントで、他人を巻き込んでやるなんて不安半分期待半分のイベントです。博打を打つ感覚に近いでしょうか。震えますね。
というわけで親族のみという結婚式もあるわけですが、よく考えたら親類縁者だってどこまで親しいかと言われるとどうなんだろうか・・・
まぁ家のことですから、ある種他人ではないわけで、それだけでも儀式的なものをやる意義はあるのだとは思いますね。
てことはどうせ他人同然の親類に対して感謝の意を示さなくてはならないのならば、いっそのこと親類ですらない他人を呼んでも結果同じ感じになりますね。
そう考えると何か虚しさが残りますが、イベント自体にはわくわくするわけで、自分にどこまでの演出ができるのかという点では挑戦に近いものがあります。
いっそのこと余興という「友人力」を試される試練はなしにして、固く儀礼的なものを華やかに演出するというのも疲れなくていいのではないでしょうか。
お行儀よく楽しむというのは意外と難しいものですね。


さてそろそろ終了といたします。
最近はPS5抽選情報や結果情報の収集のためにツイッターを多用するようになりました。
そうするとアメリカの大統領選挙の話題も目にするわけですが、俺としては本当に他意はありませんが、これは広告合戦なのではないでしょうか。
要するにメディア、ここでは特にテレビの力を借りれば借りるほど印象操作はしやすく、政治に疎い連中を抱き込むことができ、結果として選挙に勝つわけですね。
今回はトランプ大統領でなければいい、という安直な流れの選挙だったようですし、なんだかバイデン氏の存在意義とは、バイデン氏でなくてはならない理由などはないのでしょうかね。
そのせいか、実際にバイデン大統領が誕生する流れになっても、これといってバイデン氏の政策を取り上げるテレビもなく、相変わらずトランプ大統領が権限を移譲しないから変だと報道するばかりですからね。
まぁ俺の見立てで言えば、広告合戦に敗北し、マスコミにネガキャンされ、印象操作されて負けたという展開ですし、なまじ民主主義なんですからしょうがない部分がありますよね。
バイデン陣営はそれが分かっていて「チェンジトランプ」なんて流れを作ったわけですしね。いろいろと大人の事情もあるのでしょう。
俺としてはどちらの政権がよかったのかという意見を言いたいのではありません。ただ、特別何も前情報がない状態でテレビだけを見ていたなら、きっとバイデン氏に投票することが「正義」となるのでしょうね。
これは現政権に対する多少の不満がそのまま悪印象につながるわけですし、テレビもそういう必ずある負の部分をつつけばよいとわかっているわけですからね。
そりゃ対立候補は現政権ではないわけですし、よほど有名人ということでなければ政治家であるということ以外は一般民衆は知りません。能力など図りようもないのです。
そうしたら対立候補の方がクリーンなイメージを持ちやすいですよね。
まぁこれは現政権の難しいところというのか、多少なりともある不満をどのようにそれ以外のことで好印象に持っていくのかということですよね。
考えてみれば、中国のような言論統制思想統制が現に行われているところですら民主主義の話があるわけで、それ自体が中国においてはそのまま一般市民の不満なわけですよね。
であれば、統制しない世の中というのは不満がなくならない世の中ということになります。皆がそれぞれ自由な考え方でいるのであれば、それぞれの不満があるわけですからね。
それを否定したら民主主義じゃないですし、うまく泳がせつつ、優れた指導者が国家をよりよい方向へ導くという理想論なわけなんですね。
とまぁそのように考えてくると、今回のトランプ大統領は正直可哀そうではあるけれど、そういう性質のゲームに敗れてしまったのだなと思うわけです。
こんな簡単に考えてよいのかと思うのですが、かつて日本で自民党じゃなければなんでもいい、だったら第2勢力の民主党でいいか、という時代がありましたね。
で、いざ民主党になったらあれよあれよという間に支持率が下がって次回の選挙でぼろ負け。民主党はなくなってしまい、自民党の対抗馬としては民主〇〇という政党だとあまり良くないイメージがついてしまいました。
これはまぁ一般的には経験不足ですよね。急に仕事のポジション変わって以前の担当者と同じ満足度を違ったアプローチで生み出していくなんてなかなか初年度からは難しいですよ。
とはいえチェンジ〇〇と銘打って宣伝し勝ったわけですから、前政権のやり方をそのまま使うわけにもいかず、結果として穴がある微妙な仕事ぶりになったのでしょうね。
なんだか一概に民主党が無能だと言えないなぁと思うのですが、長らく2番手の勢力だったわけですからね。一体その間どのような能力を磨いていたのか不思議なものです。
だからと言って返り咲いた自民党への文句は今も昔も変わりません。なんだか歴史は繰り返すようで、それが大国アメリカで巻き起こるのではないかと不安に思っています。
まぁ新人に仕事を振るときの、なんだか嫌な気分に似ていますかね(笑)
そうならなければいいですね。

さて、アメリカといえば人種差別問題ですね。
黒人への差別感情はかなり根が深そうですね。
でもまぁこれって悪口だいじめだ差別だと問題になるときって、すでに上辺では「よくないこと」として認識されている案件が多くないですか?
人種差別している人たちだって頭の中では良くないと思っているのはほぼ確実です。
それがなぜか良くないフィルターを通ったはずの感情が口から言葉で出たり、態度に出たりするわけなんですね。
これってどうすればいいのでしょうか?どうやって抑制すればいいのでしょうか?
俺がなんでそう考えるのかというと、最近ポリコレ問題というか、LGBT問題というのが俺みたいなやつのところにまで影響がきているからです。
その最たる例はゲーム「ラスアス2」ですね。
新作が出るからやってみようかなーと思ってレビュー動画を見たら、思わず笑ってしまったのをよく覚えています。
なんですかあのムキムキの女は。体は男じゃないですか(笑)
そんなキャラデザでストーリーまで改変して楽しいのでしょうか。
そりゃ現実問題、華奢な女がショットガンぶっ放すなんて肩が外れそうで危ないですが、そういう問題でないところに原因がありますよね?
そうですポリコレ問題です。
何を血迷ったのかプロデューサーがポリコレ信者だとか?
強い女がいてもいいじゃないか、か弱い女ばかりを見せられるのは差別だと訴えている頭のおかしい方がいらっしゃるらしいですね。
俺からしたらちゃんちゃらおかしな話ですよ。そんなものオナニーでもしながら自宅でぶつぶつ言っていればいいんですよ。恥ずかしくないんですかね。
思想信条に対して文句を言っているわけではないんですよ。どのような思想を持っていてもいいんです。
ですから、今回の結果だってうまいことプロデューサーの思想を変えられたからゲームの中身を改変するに至ったわけですし、ある意味で正規の手続きが踏まれているような気がします。
しかしながら、俺はあえて言いたい。それはニーズにマッチしていない。つまり金にならない。現に俺は買っていない。プレイしていない。
もうこの時点で機会損失ですよ。俺のように財布の紐がゆるい客ですらディスカウント中でも買わない事態になっているわけですからね。
要は思想的な活動をする、布教活動をするというのはさきほども言ったように民主主義の世の中では否定されるものではありません。
俺は差別だと思う、不快に思って傷ついている人がいると思う、と主張することは尊い行為だと言えます。声をあげられるだけ大したものです。
ですが、そこは金もうけと違う理論というものです。残念ながら今回問題になった思想は否定されるべきではありませんが、ニーズにはマッチしていませんでした。
すでに前作がある作品ですし、流れというものがあるのですから、そこに強い一方的な思想を取り入れたら、そりゃおかしな内容になりますよね。新規でゲーム出すならまだしも既存の人気にあやかるなんておかしな話です。
俺が一番不思議なのはそれで商品化することになったことなんですが、まぁ大人の世界にはいろいろあるということで納得しておきましょう。買っていないしね。
商品化までの権力的な経緯は置いておくとして、思想というものが世の中のスタンダードになるためには長い時間がかかると考えるわけです。
いろんな思想があってもいいのです。明日隕石が降ってきて地球が滅亡すると思うから、みんな好きなもの同士お外でセックスするのが正しい生物としての在り方だと主張することもギリギリおかしくはないです(笑)
もしかしたら、それが一般的な意識として定着してきたら、本当に地球滅亡が迫った時、全世界の国民に降りかかる多大なストレスを払しょくするよい方法になるやもしれません。
しかしおそらくそんな考え方がたとえ定着する未来があったとしても、俺が生きている間はないだろうと思います、なんとなく。
この話は冗談に聞こえるかもしれませんが、そのままポリコレ問題、LGBT問題に置き換えられます。
要は現在はマイノリティーだということです。多勢に無勢。ビジネス界隈ではまだまだこれまでと同じ思想で社会構造が出来上がっているのです。
ですから、ゲーム作りに特定の思想を無理矢理入れ込むことはニーズを無視しているようで腹が立ちます。
これは一般的な思想を裏切る行為だからです。反発は避けられないのです。未来においてスタンダードになるとしても、今は受け入れられないのです。
でも、きっと今回問題になった思想家の皆さんは自分の代で世の中を変えたい、もしくは私たちの理想とする社会こそが正しいと信じて疑わないでしょうね。
でもね、すでに人類何千年という歴史の中で育まれてきた一般的な思考というものは黒人問題が「良くないこと」だと頭では分かっていても行動に現れないようになかなか変わらないのですよ。
だからこそ当事者一人一人に訴えかけて少しずつ世の中を変えようとする中で、今回たまたまラスアス2のプロデューサーが引っかかってしまったのもある意味しょうがないと俺は考えます。確率論てきな話ですからね。
でも腹が立つ。俺は財布から出した金をもう一度しまうことになった。俺の気持ちはどうなるんだ。少女とおっさんが荒廃した世界で旅をするという設定が否定されるというのは、逆に思想家側に少女がおっさんと旅をするなんておかしいという偏った考え方があるのではないだろうか。
折衷案として少女とおっさんとムキムキ女さんで仲良く旅をしたらよかったのではないだろうか、なぜ既存の思想を否定するような観点で話をしてしまうのか。
このように、既存の考え方がたとえ女性が常に弱い立場にあって、強い男に助けられて媚びているような雰囲気こそヒロインという考え方があったとしても、それは確実におかしいとは言えないはずなのです。
女性が非力なのは体の構造上しょうがないことです。その事実を思想で覆すことはできません。現代における人間には体格差があるのは当たり前で明示的な事実です。
そして、そのような体格的な差があるために、より適した労働環境や人間関係が育まれてきました。これは効率を求めてのことなのです。文明レベルがある程度発展しないと、効率よりも優先される思想なんて出てこないのです。
効率を求めることがすでにビジネス的だというのなら、今の世の中が女性に優しくすることで女性の好感度を上げ、女性もまた優しくされることを望み、それがお互い気持ちのいいレベルでマッチしたら生物的なつがいとして子をなし育て、次の世代を作ってきている事実は変わりません。
つまり、民主主義の世の中ではこうだああだと自分の考えがあるのは良いことですが、自分の考えにより否定されるものがあるならば、それが否定されることにより傷つく人がいるのです。
しかしそれは一般的には問題になりません。なぜなら一般的な考え方があるからです。過激な思想はむしろ表に出ないことで解決されています。
この頃話題に上がってくるポリコレ問題やLGBT問題はそのまま男性蔑視、特定の思想を強制することに他ならないのです。強力に主張しすぎなのです。
女性を強くするために既存の男性を皆殺しにする必要はありません。既存の男性が強い女性を認めればよいのです。認め方は人それぞれ、決まりなどありません。決めてはならないのですよ?
同じようにLGBTだからと他とは違うねーと言われることに傷つくというのは、俺がイケメンではないだの運動があまりできないだのと言われて傷ついていますというのと同じレベルの話なのです。気が付いていますか?
イケメンではない、運動ができないなどの明示的な事実以外の、人の内面に関わる部分は本来自分でカバーするところなのです。他人に理解されようというのは万人受けしません、甘えなのです。
俺外見は男だけど中身は女だと思うの、だから女湯に入っていいかな?
=いけません。
だって中身は女なんだから男のアレとか見ると不快だし男と一緒に風呂に入るとかおかしいよね?
=あなたが女であることをどのように証明するつもりですか?男が女湯に入ることで性器を見せつける犯罪になるのですよ?女湯にいる全員の了承が取れなければ、逆にあなたが女湯の利用者全員から心無い言葉をかけられるかもしれないのですよ?
このように、すでにある常識に対して果敢に挑戦しようともがいているところは、さすが思想的な活動家だと感心するばかりですが、現代においては受け入れられるものではありません。
ですから、ゲイでもレズでもバイでもトランスジェンダーでもいいのです。誰も頭の中では「否定すべきものではないもの」として認識されています。
一般的な啓発活動というのは、そういった人を傷つけるようなことをしてはだめだよーという考え方を認識してもらうことに意味があります。
よってLGBTのような人が実際に存在し、そういった人に対して「おかしい」とか「変だ」とかいうことを「言うこと自体が良くない」というのはすでに常識なのです。
それでよいではありませんか?
俺からしたら、先ほどの例は極端ですが、自分の思想に対して過度に優遇を求めすぎです。傷つけられたくないことと優遇を求めることは全くの別のものですから。
俺にイケメンではないねーと言う人がいて、傷つくのでやめてくださいと言っているのと同じレベルの話なんですから、そんな話は日常茶飯事でしょう?
もしかしたらLGBTの方々だって冗談でそういう話をしているかもしれません。それぐらいよくある話で、よくある話だからこそそこまで深刻にならないのが今の常識でしょう?
イケメンでなかったらどうしようかと考えて、自分なりの答えにたどり着いていつか死ぬというだけのことではないですか。
ですからLGBTなんだねーと言われて過度に傷つくその認識を改めてください。
優遇されることを社会に強制する行為は、逆に強制させられたと感じたあなた以外の人にとって逆に傷つき不快だと感じることになるのですよ。
それに、そんな性の変化なんてものは人類がこれからも発展していく中における小さな変化に過ぎないのかもしれませんよ。
その内体は同じで女(オス)×女(メス)や男(メス)×男(オス)で生殖行為を行い、子が生まれるような、そんな人体の構造が変わる進化が人類に訪れるかもしれませんしね。
LGBTだからと不利益を被るのは良くないことなのですから、当事者同士がお互いの思想信条に照らして解決するしかないのです。解決できないならそれはよくある話だということです。別に活躍する場を探してみてはいかがでしょうか?あなたの人生は町1つで完結するようなものではないでしょう?
ヒステリックと同じで何でも過敏に反応するのはお互い疲れるでやめてくださいね。


それではまた。

久々にタイピングの練習とか

2020年10月11日 04時10分20秒 | 世間話
こんばんは。いや、早朝だからおはようございます?

昼間に昼寝して、夕飯で酒を飲んで寝たのでこんな時間です(笑)

何で起きたかと言えば、ホラーゲーム実況の音で起きました(寝覚めが悪い)

まぁそれはいいとして、たまにはタイピングの練習がてらブログでも書こうかと戻ってきました。

取り留めないのことを書いていこうと思います。


最近は新しい職場も安定してきました。

特別面白いこともないけれど、窓口業務と事務仕事で暇はありません。暇がないから一日が早いです。

人によってはこれが嫌だと感じるかもしれません。確かに、気が休まらないし客はみんな自分勝手なので困ります。

今日やろうと思った仕事ができないことも多々あります。午前中でやることなくなるかもと思った日ほど業務終了ギリギリまでその仕事が終わらないことも多いです。

そんな他人に振り回される仕事にウンザリしたことなんて何度もあります。他人が嫌いで客はみんな知的障害者か何かだと思っている時もあります。

たまに人格者みたいな客が来ると何か嬉しくなりますね。そういう人は話が分かる人が多いです。電話で終わることも多いしこっちが心配してあげることが少なくて素晴らしいです。

思うに、どのような場面であっても「甘える側」と「迷惑する側」がいると思います。

そしてどちらの立場にもなりながら俺だって誰だって生きているんじゃないかと思うのです。

窓口であれはどうすればいいかどうした方がいいかと聞いてくるご老人や腑抜けた若者がいますが、このような人たちは「甘える側」でしょう。

本来手続きが済みさえすればいいというのが窓口というものです。必要な書類や印鑑、身分証など通常必要とされるものをただ用意して持ってくればいいだけなのです。

ですから選択的な場面になって「どうしたらいいか」なんて聞いてくるのは本来間違いですし、それを聞いてどうするのかこちらが聞きたいくらいです。

参考にしたいというのならざっくりで話すこともできるでしょう。一応その内容で仕事していますからね。

ただし、本当にその人にとって有意義な選択であるか、後悔しない選択であるかは自分で決めなくてはなりません。

自分がいいと思ったから、周りがそれは悪手だと言っていてもやる、というのが本当の選択です。

そうはいっても誰だってより良い選択をして幸福になりたいと思うはず。俺だってそうです。

俺だっていろんな場面で相手に質問をします。その答えを聞いて考えて、答えを出します。時には聞いた答えそのままを自分の答えにすることだってあります。

ただし、それは自分の選択です。発生するリスクも自分が背負わなくてはなりません。当たり前のことです。

とはいえ、発生する大きなリスクは大抵事前にわかるものです。考えればわかるものです。だからある程度予測して回避したり耐えたりできます。

というもの、相手に質問をするのは「自分にないものを知りたいと思うから」です。漠然と「どうしたらいいか」なんてアホな質問をしたいのではありません。

自分が理解したいと思い、理解するには自分で調べ切れないほど知識が足りないから、申し訳ないけど知らない部分を教えて欲しいということです。

となれば質問の仕方や中身も変わってきます。「どうしたらいいか」ではなく「〇〇はできるか」と具体的な質問になるはずなのです。

それにズバリお答えするのが窓口の担当者です。その仕事をきちんと行えないなら3流の担当者にあたってしまったのだと思います。若いお姉ちゃんなら大目に見てやってください。

さらに、選択の結果幸福になれるというのも幻想です。選択は次の選択につながるのです。生きるか死ぬかと同じ。死ぬという選択をしたくないから生きる中で新たな選択をしているだけです。

我々のような窓口担当者は必ず幸福にしてくれる神様ではありません。言ってしまえば窓口に来た人をルールに収めるように導くだけです。幸福などではありません。

窓口に来るにあたって自分をルールに収めたいが、収め方が分からないという人のために我々窓口はあるのです。オンライン化したらBot化してしまうかもしれませんよ。

それぐらいドライでやることも決まっているところなのです。どのような内容であれ、そのための窓口とは本来そういうものなのですよ。

ですからまぁ世間話や世の中の愚痴を言いにくるところではありません。それは何も生み出さない無駄な時間です。

無駄な話を仕事中にされるのは「迷惑」です。「甘える」だけに飽き足らず「無駄な時間」まで強いてくるなんて「迷惑」以外の何物でもありません。

義理人情と言いますが、それはお互いのリスペクトがあってこそ。我々が挙動の遅いご老人に合わせてゆったり対応したり大声で話してあげるのも我々なりの敬いです。

ただしそれに驕って不遜な態度を取るのは一番みっともないです。みっともないし、我々からしたらゴミみたいな奴だなとしか思われないですよ。

先ほども書きましたが、窓口は手続きをするところです。手続きをしたいから来ているのであって「やらされている」という態度はそもそも間違っているのです。

国や企業が決めたルールだから従わなくてはいけない、でも面倒だ、窓口までは来てやった、書類をそろえろとは何事だ、というのは典型的なゴミ野郎です。

来てやったとは何事ですか。ルールに収まりたくないならそれでもいいですよ。どこへなりと行って鳥の餌にでもなったらいいのです。

ルールに収まることが嫌だけど、社会に反抗する気概はないから、駄々をこねて窓口で騒ぐというのは、本当にゴミと同じ価値しかないと思います。

ルールそれ自体がよくない、俺にここまでさせるのは世の中が悪い、そういう人もいます。偉い人になって世の中を変えてください。世の中が変わったら窓口も変わります。

そんな力はないでしょう?できるとも思わないでしょう?だったら潔くルールに収まるのです。なんか嫌だなんて言っていいのは子供の間だけですよ。社会に出て学ばなかったのでしょうか?

もしもそんな常識は知らんというのであれば、そんな当たり前の一般常識を教えてやる義理もないので、用が無いなら帰ってください。

窓口の人間が下手に出て「やってください」という態度に出るのは何も心から「やってほしい」と思っているわけではありません。

どうせルールに収まるしかないのですから、窓口の人間からしたら「ほら、やれよ」でもいいですし、「よろしくお願いしますね」と丁寧にやっても結果は変わらないのです。

結果は変わらないけど、仕事の仕方は評価されますから、接客態度がいいのは客のためではなく上司や同僚のためにやっているのです。

というわけで、窓口に来るときはネットでも駆使して何をやるか調べてきてください。ネットが使えないというのなら図書館にでも言って本を読んだらどうでしょうか。

そんな時間もないというのなら、せめて「教えてください」という態度で来てください。不遜な態度で成立する関係なんて本来無いのです。甘えた態度を取るのはやめましょう。



いや~時間が時間なだけに穏やかな文章になりましたね(笑)

他にもLGBTとかいろいろ書きたいことはありますが、肩が疲れたので寝ようと思います。

今週は月曜日が平日ということでちょっと損した気分ですが、すでにその分休んでいるわけですから文句は言えませんね。それが「ルール」ですからね。


それではまた次回です。

職場環境は大事だよね

2019年12月17日 22時44分44秒 | 世間話
こんばんは


今日は外作業だと決まっていたのですが、運悪く雨が降り無駄に濡れることになりました…
ただまぁ事務仕事ばかりをやっているので、たまにこうして肉体労働をするのも悪くないかなと思いましたね^^


さて、今日は仕事と職場環境についてです。
労働者ですからね。職場環境、とりわけ労働環境についてはいろいろと考えさせられる現場にいます。
また、若いからと組合の活動に従事させられることもあり、いろんな意見があることを知って面白い世の中だなぁと思っている今日この頃です。

つい先日組合の活動があり参加してきました。
しかし、驚いたことに内容は中立ではなく、左寄り…
「あなたは戦争をしようとする憲法改正は必要ないと思いますか?」なんていう誘導尋問が出される始末です。
俺も一応組合員として参加させられていますから、所属組合の意見を知らないのに個人的な意見を出すわけにはいかず、渋々「分かりません」という頭の悪い回答をしてきました。
なんだかお偉い方の熱気が安倍政権批判で始まり安倍政権批判で終わるところを見ると、それを糧に生きている人たちなんだなぁとしみじみ思います。哀れです。
「戦争をしようとする憲法改正」?ちゃんちゃらおかしいですね。被害妄想も大概にしてもらいたいものです。
これで人心を操れるとでも思っているのでしょうか?憂さ晴らしならオナニーでもしててください。と言いたいです。
これは「分からない」が正解でしょうが、個人的な意見はここで述べさせていただきます。
まず、俺も一介の国民です。政府の考えなど分かりませんし、表立って述べられている政府見解を鵜吞みにするわけでもありません。
ただ、だからといって左寄りの意見を真に受けるわけもありません。
ただ、すべてがおかしい主張でもなかったところが面白いと思いました。
それは労働環境についての主張ですが、それはおいといて先に憲法改正について。
憲法改正は、個人的には、やってもいいと思います。戦争をしたいのではありませんし、武器かっけーってなっているわけでもありません。
これは国政なのです。民草の意見など関係ありません。国としてどうするかを考えるのです、左寄りの意見がのさばっているのは政府の説明が足りない気がします。
民草はそりゃ家族という小単位で生きていて、労働力を失えば生活が立ち行かなくなる危険性があるのだから、それにつながるようなものには嫌悪感を抱くのは当たり前です。
それは変わりません。代わりにAIで戦争をしますとでもいえば、他国の人間がいくら死のうが関係ないとかいう人も出てきそうですが、そんな未来は俺が生きている間に実現するかどうかも怪しいです。
今もまだ人と人が戦っています。だからややこしい。
俺も戦争は嫌です。戦争体験の話を聞くと胸が苦しいです。
ですが、憲法改正=戦争ではないと思っています。これは政治なのですから、戦争をしようなどというところなどありません。
面白半分に戦争するなどということは通常あり得ません。それは器の小さい戦国大名か何かです。
だから、憲法を改正することで必ず戦争が発生するかのような左寄りの言葉は逆に国民に対して不安を抱かせる害悪なのです。
ただ、いくら言葉を並べても、憲法を改正した結果、「戦争ができる状態」になることは間違いありません。
しかし、「戦争できる状態」なのであって「戦争する状態」ではないのです。キャンとマストは全然違いますよね。
ですから、私たちが考えることは、なぜそうしなくてはならないのか。安倍首相の気まぐれなのか、本当の意味で日本が危険なのかを知るべきなのです。
そして自分の頭で考えて答えを出すべきです。誰かが答えを出してきたら疑うべきです。自分の答えは自分だけのものですから。
そして憲法改正が必要だと思ったのならば、「いかに戦争をしないか」を考えるべきです。平和的な交渉は、何も憲法を改正したらできなくなるわけではありません。
だから俺は「憲法改正=戦争」という左寄りの意見は論外だと思います。それは国のことを考えていません。
ただ、「戦争をしたくない気持ち」に対して政府が「日本がいかに危険な状態にあるのか」を説明しない間は憲法改正に賛成することもできないのです。
このまま憲法改正論議を続けることは、結局安倍政権の批判を強めることになると思います。大半の国民は俺を含め世界情勢など分かりませんからね。
憲法改正の必要性について考える情報が足りないのです。そこにきて左寄りの意見が多数入ってくれば、うまく政府批判に扇動されることは容易に想像できます。
その政府批判への扇動が割と露骨に行われていたのが、先ほどの組合活動だったので、驚いてしまったという話です。


さて、戦争についての議論は感情的になる人がいるのであまりしたくないものですね。大局を見るか個人を見るかというだけのことなのにね。
それはそうと労働環境についても語りたいと思います。
先ほどの組合活動に参加し、素直に「その通りだ」と思ったことも多くあります。
政治的な思想を出してこなければ、労働者として、組合活動を通じ企業や政府に要求をしていくべきだと思うことはたくさんあります。
その最たるものが「賃金」と「労働時間(環境)」ではないでしょうか。
「賃金」は言わずもがな、金がなくては生きていけませんから欲しいです。
「労働時間(環境)」はそのままプライベートの時間に直結します。働く時間が長ければ長いほど、プライベートはなくなるわけです。
個人でものを考えた時、金と時間があるかないかで行動の選択肢が決まることもあると思います。
例えば「婚活」です。婚活は金と時間がかかります。見てくれを良くしたり、出会いの場に参加したり、コンスタントに金と時間がかかります。
少子化を嘆くのであれば、若者が”生殖行為”を行える時間を増やすべきです。
確かに働き盛りです。体力もあります。しかしながら、俺よりもひどい労働環境の話を聞くと、それでよくち〇こが立つな、疲れマラというやつか?と心配になります。
1日は24時間しかないのです。その中で仕事とプライベートを両立させ、さらに国の新しい礎を生み出せというのはデイリーミッションが多すぎやしないでしょうか?
昨今は人件費を削減するつもりで非正規労働者が増えてきて、現場の正規は正直困っています。
有能な非正規は正規に格上げされるなどということもありますが、労働時間と責任の違いが正規にとっては重荷なのです。
無能が無能と言われるのは当たり前なので、非正規にしかなれないような人たちはどこかで何かを失敗しているのかもしれません。
ただ、非正規はパートではないのです。主婦がお手伝いしているのとは意味が違います。正規未満の給料で働く準正規なのです。
そこにきて責任ある仕事を非正規がやらない場合、その重い仕事はすべて正規がやることとなり、結果そこまで優秀ではない正規は残業することとなるのです。
俺は非正規を増やして責任ある重い仕事を正規がやった結果、1.25倍の残業代を付けなくてならないのなら、非正規を雇うことにメリットがあるのか疑問です。
非正規程度の仕事しかできないのなら、非正規などと言わずにアルバイトと言えばよいのです。仕事ができていないことについては本人が一番よく理解しているでしょう。
パートは主婦やらなんやらのお手伝いさんです。アルバイトとパートの線引きはここでは語りません。ややこしいです。
とにかく、正規を潤沢に用意して仕事に備える構えを見せないと安定などしません。安定がないところに余裕のある思考は生み出されません。
そのギリギリを狙って日夜考えるのが総務や人事や社長の仕事だと思います。
そこにきて「残業は20時からだ」とか「残業代は上司がつけてよいという時だけつけるもの」という誤った認識を植え付けて乗り切ろうとするのは詐欺と同じです。
このSNSが発達した世の中で↑のような労働環境に甘んじている人たちは知ってて働いているのか知らずに働いているのか分かりません。知らずに働いているのなら石器時代の人なのでしょうか。
大半は知っていてその状況に苦しんでいます。だから徒党を組んで要求を出すのです。この姿勢というかやり方は歴史が長くてなかなかに感動しました。
労働者一人一人は弱い存在ですからね。クビにされて終わりだと思うと声を上げ辛いものです。


さてさて、徒党を組んで要求しようとする姿勢に感動したところなのですが、何か違和感がありました。政治的なものではありません。
ここからは俺の個人的な意見ですが、労働者は「要求」するばかりなように見えるのです。
確かに要求をする立場からすれば、「無能な経営者が無理を強いている。直せ!金を寄越せ!」という構図なのでしょう。
しかしながら、労働者一人一人は「最大限の努力」をしているのでしょうか?
業務時間内に業務を終わらせられるようにマニュアル化や効率化を図っていますか?段取りよく計画していますか?これ以上ないほど努力していますか?
今の日本は「なぜ人件費の高い日本人を雇用しなくてはならないのか」という背筋も凍るような思想が出てきています。
どうせ物を作って売って金にするというだけであれば、言葉など通じなくてもよいのです。マシンのように動いてくれればよい。
そうした「脳死状態」で仕事をする人たちを「非正規」と呼ぶのなら、(アルバイトと呼んでもいいと個人的には思いますが)まぁ納得です。
しかし今はそこも曖昧です!日本の経営者は機械的な作業しかできない人間に何を求めているのでしょうか!考えることは正規にしかできないのですよ!責任取れないんだから!
つまり、今正規として雇用されている日本人は「脳死状態」ではいけないのです。「生み出す側」でいなくてはいけないのです。
「高い人件費」に見合うだけの「成果」を出しているでしょうか?「成果」とは何もとびっきりクリエイティブな発想をしろとは言っていません。ケースバイケースです。
常に「高い人件費」に見合うだけの仕事をしようとしているのであれば、傲慢な経営者でもない限り、社員に還元しようとしてくれるはずです。
中小企業の特集で「この社長思いやりがあるなぁ」と思うのは、小さい会社だから成果が見えやすいだけです。それかパフォーマンス。
いずれにしても最大限努力していると思っている人は要求を出すだけの価値があるのではないでしょうか?
それか、実力がないことを自覚して唇を噛みしめながら毎日を生きているという人も、生活苦を訴えることができると思います。
要は、クレクレと言うだけで「どうするのか」を考えているのか疑問に思ったのです。それが違和感の正体です。愚痴を言うだけならわざわざ組合活動になんて参加しません。
どちらかというと俺は唇を噛みしめて生きている派ですが、職場環境として人が足りないという問題に対しこのような意見を出してみました。
「職場に人が足りないのに、これまで通りの仕事に加えて新たな仕事も被さってくるのなら、仕事の質を落とすしかないのではないでしょうか?」
「お客さんに「前はここまでやってくれた」と言われても「現在はそこまでできないこととなりました」となれば経営者として対処しないわけにはいかないですよね。」
「それに、今は過剰サービスの時代でもあるので、お客さんが自分で自分のすることをある程度理解することが必要なのではないかと思います。」
「そういったお客さんも主体的に考える姿勢を促すことで、結果的に自分たちの仕事を減らすことになるのではないでしょうか。」
「これは便利削減というのではなく、それはクレームの一種であって、本来は自分でもなんとかするという世の中を作っていかなくてならないのではないでしょうか。」
会場「シーン…」
俺「あ…(的外れなことを言ってしまったか)」
と正直言ったことを後悔しました。俺の意見は「大変だよね~」で軽く流されてしまったので、聞いてもらった尺が無駄になっただけでした。
もっと大人な意見があるのかもしれませんが、俺としてはもうそういうことでしかやれないとすら思っています。
客もまたただのクレクレなのです。自分でできないことを他人に任せることは契約をして成立するものです。それは仕事になります。
しかしながらよく考えもせず必要なものも調べず、自分が今どのようなサービスを受けているのかも考えない姿勢はサービスを受ける資格があるのでしょうか。
自分で理解できない、理解しようとしないサービスについては、客が積極的に利用しない方向にするべきです。
そうすることで、生活の質が落ちるとしても、理解できない人はそのことに触れないという意識があればクレームは減ります。
クレームは甘えなのです。「自分でどうにかしよう」と思って「こうしたいけどもどうか」という問いに対し「そこまでするのはやめてください。ついていけません」と回答されたら「俺についてこれないだけか」と妙に納得すると思います。
そういう人は電話で話していても話が早いです。自分でどうにかしようとする姿勢があるかどうかで話の展開が違うのです。
これがクレームの場合は「こうするべきじゃないか(自分ではできないけど)」と突然電話してみて「そうですか」と言われて「そうですかじゃないだろ!どうにかしろ!(俺は何もしないけど)」と自分がその物事に参加しない構図で話を進められると、着地点は「こちらが何かする」か「落ち着いてもらう」しかなくなります。
「こちらが何かをする」ことを期待している人たちは「何か」をしてもらってもそれが「どういう意味なのか」すら説明されないと分かりません。なぜなら頭から理解していないからです。
希望を伝えるだけ、相手に動いてもらうだけ、この姿勢では印象も悪いし良くないと思います。
だから俺は組合活動の中身がもっと「こうしよう」とか「ああしよう」とか「そのためにこうしよう」とかいう場になるかと思っていたのですが、結果は「ああして欲しいこうして欲しい」という愚痴を言い合うだけの現場になってしまったのはガッカリでした。
クレクレだけで活動した気になっている人は、その内左寄りの人たちにうまく扇動されるのではないでしょうか。自分以外の何かを標的にする思想が似通っていますからね。


そんなところでおしまいにします。
憲法の問題は国を考える問題なので、まだ若いとはいえ俺のようなたかだか100年も生きられない生物に答えが出せるようなものではないような気もします。
政府を批判したいわけではないですが、今は介護士と保育士にもっとお金を出してあげて欲しいですね。
幼保無償化したのはいいけど保育士が過酷な労働環境で人が集まらないという昔からある問題を最近見て、まだ解決していないのかと思いました。
それをビジネスにして保育士を確保するところもありますが、税金を財源にした保育士の給料は低すぎます。もっと上げるべきです。
俺の個人的な意見は介護士よりも保育士に金を回すべきです。国の礎は子供ですから。生産力を無くした老人に未来はありません。
何も生産できない老人に金をつぎ込むことは無駄です。有権者で扇動しやすいからと安易に金を使うべきではありません。
彼らはすでに年金で暮らしています。年金で医療費が賄えない人たちのことを考えるよりも、未来の労働力の担い手を養う若い親(労働力)の確保に金を向けるべきです。
未来の労働力は保育士が面倒を見る、今の労働力(若い親世代)は子供を預けて仕事をする。これで誰も困らないですよね?
国のこれからを考えたら簡単な話だと思うのですが、増えていくであろう生産力のない老人たちの問題で頭がいっぱいなのでしょうか。
俺に何かできることがあればよいのですがね。一介の国民にはなかなか難しいですね。


それではまた次回です

最近思うこと(政治)

2019年11月17日 10時36分53秒 | 世間話
こんにちは

今日は晴れると予報があったので、午前中から洗濯物を干しております^^
こんな感じで土日は休み、平日は仕事をするという一般的といえば一般的な生活がこれからも続くといいですね(願望)


さて、今日はちょっと難しい、というか実際のところ誰も答えを知らないのではないかという「政治」について考えてみたいと思います。
別に、今日いきなり書きたいと思ったわけではありません。
以前からなんだか変だな~と思っていて、今回「桜を見る会」問題で追及を受けている与党の様子を見ていろいろ思うことがあっただけです。
ちなみに俺は自民党員ではないですし、特定の政党を支持している信者でもありません。ただ、基本的には実際に政治を動かしている人たちに任せればいいんじゃない?ってことで自民党でいいかな~と思っているくらいです。
てわけで政治の知識は皆無に等しいです。この記事を読んでそれは違うよと思った方はそっとページを閉じてください。

さて、まずは結論から。
俺は結局のところ自民党、もしくは安倍首相のイメージを低下させたいだけの野党やマスコミの政治活動なんだと感じています。

自民党が、というか安倍首相がこの度「桜を見る会」の中止を決定したわけですが、発表されているその理由うんぬんはどうでもいいのです。
問題は今野党とマスコミから桜を見る会を「私物化」しているという、この「私物化」というワードだけが独り歩きし始めているということです。
野党の目的は政権の奪取、もしくは自政党の議席の確保にあると思います。
そしてマスコミはスポンサーの意向に沿って、現在は時の政権を批判する報道が多くみられます。
その中で巻き起こった、というか野党が巻き起こした今回の「桜を見る会」問題、皆さんはどのように感じているでしょうか?
与党である安倍首相が自分の支持者を増やすために「桜を見る会」でいろんな「接待」をしていた、なんてこれはもう「私物化」じゃないか!って思いますか?
それとも俺と同じように重箱の隅をつつくような問題だと思っているのでしょうか?
ネット上では「民主党時代にお前らもやっていたじゃないか!」という批判が飛んでいますが、俺はいまいちそれも違うなと思います。
この問題のややこしいところは、おそらく「桜を見る会」のような「催し」において「接待」が行われたという事実が「あったかもしれないし、なかったかもしれない」ということです。証拠がないのです。
間接的な証拠はあるかもしれません。リストやら領収書やら急に出てきた証言者やら何かしら野党は出してくるでしょう。
しかし、それを「あった」とみなすのは一体誰なのでしょうか?野党ですか?マスコミですか?ネットですか?
いいえ、誰にも答えなど出せないのです。強いて言うなら各個人、我々有権者なのです。
野党の目的、マスコミの姿勢、ネットの意見、どれも「特定の目的」をもって行われています。
誰も「どうするべきか」なんて考えてはいません。すべてが「自分の目的のために情報発信している」のです。
だとしたら、特定の誰かを信じる信者でもない限り、自分で考える以外に「答え」など出るわけがありません。
それなのになぜ国会で大きな声を出してアピールしている野党やそれを報道するマスコミの意見が「国民の意見」かのように感じてしまうのでしょうか?
それは私たち各個人が持つ情報があまりにも少ないからです。そして判断した経験がないからです。
判断する経験など普通誰もしたことはないでしょう。政治判断は政治家の仕事なのですから。
では、情報が少ないとはどういうことでしょうか。我々は政治に興味がないのです。
結局のところどの政権でも同じ生活をするということです。急に出兵したりしなかったりなんてことにはならないのですから。
政治に興味がないため情報を集めることをしません。そこにきてテレビやラジオ、お父さん方が毎日読む新聞などには興味がなくても政治のことが書かれていて、嫌でもその情報が入ってきます。
そうして情報を得るツールがテレビや新聞に限定されてくると、「情報の真意」を確認したり疑ったりすることが少なくなり、テレビやマスコミの「意見」が「刷り込まれる」のです。
だからマスコミの力は偉大だとかなんとか言われる世の中になるわけですね。
ですが、もしもテレビや新聞等のマスコミが存在しないとなれば、時代劇のような世界になってしまうので、それはナンセンスです。
マスコミは情報を伝えてくれる大切な存在なのです。無くなっていいわけではない。
しかし、気を付けなくてはならないのは、マスコミは何も「善良な市民」ではないということです。
先ほども言ったように、マスコミも会社ですから、スポンサーの意向に沿って情報発信をしています。
「誰が〇〇した」という単純な事実も、スポンサーの意向次第で「誰が〇〇した。これは私物化か?」なんて報道になってしまうのです。
これは事実をありのまま伝えているのとは違いますよね?何か特定の「意向」が加わって何かしらの「方向性」が示された「意見」になっているのです。
テレビや新聞ではその「意見」が垂れ流されている。この事実を念頭に置いて今回の問題を考えなくてはならないと思います。
そうでなければ、「意見」が我々に与えたいこと、すなわち「与党のイメージ低下」「安倍首相のイメージ低下」をそのまま真に受けてしまうことになるからです。
それでいいのですか?マスコミが言っていることが真実だと思っていいのですか?マスコミが報道する野党のあの追及だけを見て安倍首相や与党が「ダメな奴らだ」と批判してよいのでしょうか?
それは早計ではないでしょうか?自分でそう感じていますか?誰かが言っていたからとか適当に思っていませんか?
俺はこう思います。
野党やマスコミの「意見」には、ある程度の信ぴょう性があるのです。ですから間違ったことを言っているわけではないのです。
ですが、そのままその「意見」を真に受けてはなりません。それはマスコミや野党の思う壺です。
とはいえ、自分で今回の問題を調べるすべもないし、興味もそこまでないし、時間もありません。
だから、「答えなんかない」と思うのが一番です。
これならマスコミに踊らされている感が薄れると思います。
俺はいつもテレビで与党批判の報道が出るたびに、「マスコミや野党はそういう意見なんだな~」と思うことにしています。
そう考えなければ、簡単に「自分の意見=マスコミや野党の意見」に刷り込まれてしまうからです。
ですが、そんなことを言っていると「自分の意見がない軟弱者!」と批判をどこかで受けるかもしれません。
では、どのように自分の意見を持つか。
俺の答えは冒頭で書いているように「与党のイメージを低下させたいだけの野党やマスコミの政治活動だと思う」です。
なぜその答えにたどり着くのか。割と簡単です。俺がそんな難しいことを考えられるわけがありません。
俺が思うにどこが政権を取っていても俺の生活にあまり大きな影響があるとは思えません。
まぁカジノができたり、風俗がもっとオープンになったり、そんなことがあれば日本が変わるかもしれませんが。
であれば、これまでの実績で判断するのがよいでしょう。
自民党が長らく政権を維持してきました。その長い政権下において、今の俺の生活が築かれています。
であれば、自民党でよいでしょう。違いますか?
前に民主党に政権が移った時、あれよあれよという間に選挙で敗れてやっぱり自民党に戻ってきました。
そして、その後「民主党」という看板を下ろして分裂分裂の後に、今のような勢力図になっています。
そして、俺がまだ子供の頃は「政権奪取!」と叫んでいた野党も、今そのようなワードを大っぴらに聞くことはなくなりました。
昔は与党の批判をした後、「やはり政権を変わっていただいた方がよいのではないかと」とか冗談交じりに言っていたのをよく覚えています。
今そのような言葉が聞こえてこないのは、議席数も足りないのでしょうが、自分たちに「政権を運営する能力」がないと分かってしまったからではないでしょうか。
何も自民党に優秀な人ばかりいるわけではないと思いますが、「政権を運営する」とは「無能も有能もそれなりに仕事をすることで社会が回る状態」を持続的に維持することだと思います。
政治家だけで世の中を「創る」ことなどできはしません。
自民党の政権が長く続いているのは、国民もどこかで「自民党政権下を想定した生き方」をしているからです。
だから、野党やマスコミが与党を批判するのを生きがいにしているのは、そんな「圧倒的優位にある与党」が「傲慢」にならないようにするため、という考え方もできるわけです。
「政治は腐敗する」とどこかの教科書で見た気がしますし、自民党万歳の姿勢では、本当に催しを「私物化」することがあるかもしれません。
なので、我々も自分が政治について「どう感じるか」について「なぜそう感じるのか」ということをよく考える必要があると思います。
野党の仕事が「政権の奪取」から「与党批判」に変わり、それでおまんまが食えているのであれば、世の中の仕事としてはまぁありなんじゃないかと思います。
「世の中を作り、運営する仕事」と「その仕事を監視(本当にしているかは誰にもわからないけど)し批判する仕事」、そして「その批判する仕事を(スポンサーの意向を加味して)国民に伝える仕事」、いろんな仕事で世の中回っているんだなと思います。
誰が有能で誰が無能かなんてわかりませんが、みんな有能無能を区別せずに仕事をしているわけですから、それで世の中が回っているのならそれでいいのではないでしょうか?
結論、自民党でいいんじゃないか?ってことです^^



ずいぶん長くなり、洗濯機が先ほど回り終わったので急いで干さなくてはなりません。
何度も言いますが、俺は特定の政党を支持したいわけではありません。
でも結局のところ今の現状で選べる政党なんて自民党くらいだと思うだけです。
この社会にあって「消費税は増税しません!」とか言っていても、「は?無理っしょ」って感じです。
低所得者には受けがいいのかもしれませんが、それは単に低所得者が考えることを放棄している、もしくは考える時間もないほど大変な生活をしているだけだと思ってしまいます。
それよりか現実を見て、「高齢者医療はすべてロボット管理された社会を目指します」とかにした方がまだ期待できると思います。
要は人間が新しい世界に合わせていかなくてはならないのです。それができない人はお荷物になります。
一般的にはそれが高齢者です。敬いながらもお荷物だということです。それは金を生み出せないからです。
日本という国からすれば、個人的な敬いの感情だけで社会が回るわけがありません。
だからこれからの社会は、担い手の少ない介護職や建設業、運送業などにロボットを投入し、ロボットありきの生活に人間が合わせていかなくてはならないのです。
「まごころ」とは直接人間が触れなくては実現できないものではありません。人間の脳がロボットを介していても、その先に人間の優しさを感じることができれば、それは「まごころ」なのです。
同じことが少子化にも言えると思います。子供を作るのに恋愛に任せているのは非効率です。
遺伝子レベルで親族でない他人と交配することに意味は大いにあるのですが、それを自由恋愛に求めるには無理がある時代が来た気がします。
日本は恵まれすぎているのです。発展途上国で育てられないのに子供を産むのは貧しいからです。
でも日本は恵まれていていいと思います。過ごしやすいの大賛成です。
単に子供が生まれないからと言って日本を貧しい国にしてはいけません。その考え方は間違っています。
じゃあ、子供は国で産めばよいのです。要は卵子と精子を提供して子供を産めばよいのです。
子供を産む産業なんてものができてもいいかもしれません。女性にしかできない仕事です。
子供を産むことに意識を集中すると↑のような偏った意見になりがちですが、俺としては国レベルで考えれば有効だと思います。
これが各個人にまで下りてくると、自由恋愛して子供を産んでもいいし、精子だけ提供して後は風俗でも恋愛でもなんでもしていればいい。
それが「今は」おかしいと思いますが、人間の意識が変わればそれが「普通」になると思います。
しかし、こういった意識の変化は時の権力者にいいように使われやすいとも思います。
力がなくてはなしえないだろうけど、みんなが幸せな世の中になって欲しいなと思うのです。



極論ばかりで気分を害した方がいたら申し訳ありません。
しかしそういった偏った考えもありながら、その間の「ちょうどいい」を探すのがよいのではないでしょうか。
そういった考えを持とうとせず、昔は~とか言っている人を見るとそれが何?って思います。
生い先短いから考えることを放棄しているのだとしたらそれは大きな間違いです。静かにしていて欲しいです。
皆さんはどのような考えをお持ちでしょうか?
俺の考えはクレイジーだと思ったでしょうか?そういう意見があってもいいかもしれません。
それとももっと偏った意見をお持ちでしょうか?
こういったことは職場や家族であっても話す機会がないので、実際のところその人がどんな思想を持っているかなんてわかりませんよね。
それが逆に面白い時もありますが、大抵は怖くて聞けない案件だと思います^^;


長くなりすぎました。
それではまた次回

週末お掃除(仮)

2019年11月13日 23時07分52秒 | 世間話
こんばんは

寒い日が続きますね。
そんな中でもプレミア12は熱いですね。
野球はもともと好きで、特に横浜ベイスターズが好きですので、今日の今永やヤスアキの活躍は嬉しいです^^
アメリカに負けてしまったのが後々響きそうですが、今度の土曜の韓国戦は全力でやってほしいですね。そうじゃないと決勝はメキシコと韓国になってしまいます(´・ω・`)
そして明日はサッカー!今週は帰宅後のテレビが飽きさせませんね。酒が進みます!

さてさて、そろそろタイトルに戻ります。
このところ「金がないから何もできない!」という状況が続いておりまして、何か変化が欲しいのです。
しかし相変わらず金はない。先日貯蓄について考えてしまったので、さらに金が使えない(´・ω・`)
今年のコミケは行けないかもしれません…
と、それはさておき「金がなくてもできる“意味のあること”」というところで出てきたのが、そうです掃除です!
きっかけは部屋で洗濯物を干そうと思ったからです。洗濯物を部屋干しするための器具(Xに開く物掛け?)はあるためスペースさえあれば実行できます。
ついにコインランドリー代すら惜しくなってしまった自分に虚しさを覚えていますが、こういうときこだわってしまうのが俺です。
しかしスペースがない。もともと1Kですからそんなにスペースがあるわけではありませんが、田舎の1Kは都会のそれより倍ぐらい広いです。
そこにもう何年も住んでいますから大体の物が固定のポジションを取っています。これを打開したい!改革じゃ!
というわけでやるわけですが、大きく3工程に別れるかと思います。
まず、ゴミを捨てます。
決してゴミ屋敷ではないのですが、捨てにくいからと酒瓶が立っていてスペースを取っています。これを捨てます。
加えて、可能であれば粗大ごみになりそうなものも業者に持ち込みます。
そして、次は固定ポジを取っている家具たちをどかします。
具体的にはタンスです。実はこのタンス服が入っているのに、その目の前に段ボールを山積みしているので機能していないのです(笑)
そのタンスの上に適当な物を積み上げて全体が一つの物体になってしまっている。
俺は、この状況を、変えだい!(記者会見で号泣しながら)
段ボールは畳んで捨てる。しばらく使っていないものは捨てる。タンスの中の服は使えそうなもの以外は実家に持ち込む。
タンスについては、現状でこのタンス抜きでも生活が成り立っているので、可能であれば実家に持ち込みます。
とにかく部屋から物を減らすのです。改革です!
そして最後の工程、見える範囲の“必要なもの”をしまう、です。
最近1Rのこじゃれた部屋を見るのがなんとなく好きなのですが、そもそもアイテム一つ一つが我が家にはないので比べようもないのですが、とにかくごちゃごちゃしている!
これまでは使いやすさ重視できましたが、これからはここに誰か()を呼ぶかもしれない!
そうなったとき、単に掃除していないだけとは違う不潔さを感じさせたくない!
てわけで、具体的にはベット下収納とかクローゼットとかにしまいます。どうしても手元に置いておきたいもの以外は実家に移します。
これで物が減ってだいぶましになるはずです。これを土日に実行したい。


最終的には物を地べたに置かないように設計したいものです。
こたつ生活ですから地べたに座らないとかではないのですが、地べたの物が多いと片付いていない印象になりますよね。
床を這うコードとか、バッグとか、諸々細かいものをしまって壁にかけていろいろしたいです。
まずはその準備から!てわけで週末お掃除です!(`・ω・´)


それではまた次回です

次は何をやろうかな

2019年11月10日 13時17分00秒 | 世間話
こんにちは

いい天気ですね。
休日ということで、ちょっと遅めに起床しました。
休日ですからね。少し気の抜けた感じでいいと思います。

さて、昨日ツタヤでブルーレイを借りてきました。
しかもなぜか5本。多すぎです。
3本でよかったのですが、店員さんが5本パックの方がお得とか言い出して渋々選んできたのです。
とりあえず昨日の内に3本は見ました。残りは後2本。
万引き家族とアラジンです。なんか有名な作品ですよね。
既に見終わった3本はMIBインターナショナルと名探偵ピカチュウとケサリです。
ケサリ?と思った方は「21人の勇者たち」で検索してください。インド映画です。最後の戦闘シーンだけ見れば大体満足できます^^
インド映画って何となく好きで、大ヒットしたというバーフバリはインド映画らしく歌って踊ってアクションして面白かったです。
なので今作もそういう感じかと思ったら、歌はよかったですが、踊りとか一切なくて普通にアクション映画でした。
まぁ日本やアメリカみたいに最後抱き合って終わるとかではなく、宗教的な、信仰心があれば!みたいな感じが日本でいうところの大和魂的なものを感じてなぜか感動します。
そんなところです。たまに映画が見たくなる気持ちわかりますよね^^

さて、万引き家族とアラジンですが、できたら日が高い内に見ておきたい。
というわけで洗濯ものとかはこの陽気に任せて外干ししようかと思います(普通か)
普通じゃん!て思った方にご説明いたします。俺は普段コインランドリーなのです。
それはなぜか?干すのと虫が嫌だから!特に虫が嫌だから!
子どものころに黒いズボンに蜂が潜んでいるのを知らずに履いて刺されたのがトラウマなのです!それにちっちゃい虫とか入ってくるし!
意外とそこらへんは繊細なのです。蟻さんが歩いているのはなぜか許せるのですがね^^;
まぁでも寒くなってくると虫も少なくなるし、いっちょやろうと思います(`・ω・´)

そんなこんなで今日も終わっていきそうですが、最近どうしても成功しない料理があります。
ズバリ「オムレツ」です。
なぜかボソボソになります。解説動画をちゃんと見たのに!
難しいのはバター溶かして卵を入れてかきまぜた後の状態です。動画と同じ動作しても同じ状況にならない!
詳しく言うと、動画ではかきまぜてある程度まで固まったら(上半熟下固まってる)クレープの皮みたいに折りたたんでいたのですが、俺はそこでうまくたためる状態になっていない!
なぜだ?卵が多すぎるからか?2個で作ってもやっぱり変わらん。
というわけでお手上げです/(^o^)\
材料費もばかになりません。俺は金欠なのです。卵を2個も3個も使っていたら金が持ちません。
こんな時地元に戻ってきているのは良いことがあります。ズバリ母から教わればよいのです。
真面目に頼めば教えてくれるはず。先人に学べ。実力者に学べです。
あわよくば材料は実家のものを使えばいいですしね!(それが狙い)
早速お願いしましょう。善は急げ、です!(`・ω・´)


それではまた次回

PS. 日記を毎日更新するのは更新することがないので諦めました。以後は不定期にします。

婚活について考える

2019年11月04日 11時31分47秒 | 世間話
こんにちは


結局職場旅行中は日記投稿できませんでした(´・ω・`)
まぁずっと飲んでいたからなんですけどね(笑)
職場旅行中の詳細はあまり書きませんが、参考になることがあったので書き残しておこうと思います。


内容は、最近自分の中で話題の「婚活」についてです。
ちょっとエグイ話もありますから、あまり見ない方がいいかもしれませんね^^;


さて、俺のこれまでの婚活具合は前回かそこらの日記で書いた通りです。
今のところ婚活初めてまだ数か月程度なので、急によい結果はでないかと思います。
しかし、ほとんど恋愛経験もない俺からすれば、さらにその先を見据える婚活はなかなかイメージができないものでした。
現に今も自分ならどうなのかという点ではあまりイメージを持てているわけではありません。
しかし、今回既婚者である諸先輩方からいろいろと話を聞いてきました。
まず、俺の疑問を整理します。ちょっとエグイから見ない方がよいかもですよ。
1、奥さんと今もHをしているか(していないならなぜしていないのか)
2、彼女を作る際には、どのタイミングでHに持ち込んでいるのか。
3、結婚のタイミングは?
4、俺ってEDじゃね?
とまぁこんな感じですかね。
結局のところ俺は「Hを満足にできる自信がない」にも関わらず「恋愛を進展させる過程ではHに持ち込む必要がある」という、まさに「苦手に挑む」という精神が必要になると思っているわけです。
しかして仕事のように1度うまくやれれば後はなんとかなるなんて簡単なものではないとも思っています。
Hに持ち込んだタイミングでは成功するかもしれません。しかしそれが毎日とかになれば話は別。俺の息子がそんなに元気だとは思えないのです。
さて、そんな感じの心境で話を聞いてみると、面白いことがわかりました。
まず、「1」については、
「毎日するなんてことはしてないよ」「子供を作るタイミングで“作業”的にやった感じ」
というリアルなご意見を賜り、「なぜしていないのです?それで奥さんもいいんですかね?」と聞くと、
「奥さんがどうかはわからない。自分の中では“そういう存在”ではなく“家族”だからね」とのこと。
ふむ、「家族」ですか。例えがアレですが、母親に欲情しないような思考回路と同じでしょうかね?
家族以前に彼女をそういう存在だと思っている内は会えばHもするしいろいろと考えるけど、それも長く付き合うとそうでもなくなり、さらに長くなると結婚にいたるらしい。
ふむふむ非常に興味深い。こちらが女性にもてなす姿勢は持ちつつも、自然と一緒にいるのが当たり前になり、そういうことを日常的に考えるような間柄ではなくなってくるということか。
確かに、これは例えが悪いですが、風俗嬢と1日中一緒に生活するとなれば、最初はエロいことばかり考えるだろうけど、それをずっと続けるのは疲れるし、見慣れてくるとちょっとやそっとじゃ欲情しなくなるかもしれない。なんとなくイメージができた。例えはよくないけども^^;
では「2」についてはどうか。そもそも俺は結婚以前に長く女性と付き合った経験がない。
その理由は生活をはじめる前からいろいろ考えすぎて疲れてしまうということと、どこまで相手にもてなせばいいのかわからないこと、そして唐突に時間がもったいないと思ってしまうことだ。
それで結婚を考えるのか?と思われるかもしれないが、人間年を重ねると意見が変わるものだと思う。
ちょうど2年位前まではそう思っていたけど、今はそうでもない。仕事をするだけの人生に飽きてきている。
自分の趣味も大体やったし、今の所得水準で手を出せる範囲では創意工夫でいろいろやってきた。楽しかった。
しかしふと考えてみれば、この歳で婚活を始めなければ30代ではより難易度が高くなるだろう。
結婚することが目的となり、子作りも難しくなるだろう。
そうなれば家のためにも子孫を残すという人生全体での目標の一つが達成されないこととなり、死ぬまで後悔すると思う。
大したことはできないのだから、せめて子孫を残すくらいのことはしないとダメかなという精神ですね。
ただまぁ冒頭でも言ったみたいに「恋愛」は「人付き合い」ですから、俺にとっては一番時間もかかって結果が見えにくく、金もかかるし考えることも多くて、それなのに仕事は全力でやらないといけないという状況。
昨今は恋愛を義務的に考えつつも、趣味であると定義することが多いですが、俺はこれに大いに賛成です。
ゲームやスポーツなんかの趣味と恋愛は根本的には違うものだけれども、日常生活において行う行為としては趣味と変わらない。
趣味をするだろう時間に恋愛をして、趣味に使うであろうお金を恋愛に使う。これで趣味とは違うというのは難しいだろう。
ただ、少子化と言いつつも恋愛が消えないのは三大欲求的な側面もありながら、やはり普通の趣味とは根本が違うと本能的に分かっているからだと思う。
趣味みたいなものだけど、その成功の先には子孫を残すことができるという生物として当たり前の目的を達成できる未来がある。
ただし、やっぱり結果が見えにくく時間がかかることに、俺も含めて現代人がその趣味を続けられるかどうか。
昔のように何もないから悶々と彼女のことを考えるとかそういう時代じゃないからこそ、どのようにして生身の女と関係を続けられるかが課題だと思う。
……
…………
………………え?
途中が長くなりましたすみません(´・ω・`)
さて「2」についてです。
女性と知り合うことは結婚相談所を駆使すれば簡単に出会うことができますが、食事等に行くだけで彼女にできるわけではありません。
こちらないしあちらから「彼氏彼女」の関係になろうと打診しなくてはならないのです。
その過程において、何度か食事等に行ってから「付き合ってください」的なことを言うだけでも事は成立します。
しかし、俺としては個人的にそこら辺でHに持ち込みたい(`・ω・´)
というわけで諸先輩方に聞いてみると、そもそも持ち込むタイミングで「キスしていいか」とか聞いてみるのがよいらしい。
それで「嫌です」とか返ってこなければまぁよいということらしい。
後はキスしてちょいちょいしていれば自然とする方向になるらしい。よし、なんかわかっていたのにやらなかったような心境だ。
恥ずかしいことだし、一歩踏み込むことは判断を相手に委ねてしまい、自分が不利になる可能性があるからあまりしたくないのが常だと思う。仕事は大抵先に手を出した方が裏を取られる。
しかしながら仕事もそうだが手を出さないと事業が進まない。恋愛においては「聞いてみること」をしないと相手の意向を聞くことができない。
よく考えれば、聞いてダメならその先もダメなのだ。そうすれば余計な経費をかけずに済むだろう。
なんか分かっているようで、周りも同じようにしているかどうかを気にしてしまう典型的な日本人なんだなと改めて実感した。
今後の婚活はもっとそこら辺を意識して、食事をして楽しく、少ししたら聞いてみる、という流れでやってみようと思います。
「4」についは、現状の自家発電談義をしていたら「間違いなくEDじゃない」と言われました。



ざっとこんな感じです。
職場の女性にアタックするのはやはり抵抗感があるので、今回のことがあっても手を出そうとは思わないですね。
それよか結婚相談所で知り合った女性たちともっと仲良くなろうという気持ちがわいてきました。
なんか迷っていたと思います。結局ここまで自分で進んでおきながら、その先どうするか迷っていて、判断できなかった。
自分の気持ち通りに動くことが、相手にとって不快であるなら、それを受け止めるしかない。
恋愛経験が不足しているとどこまで好感度を上げればよいのかと考えてしまいますが、好感度なんて見えないものなのです。言い訳です。
ある程度の作法があるにせよ、何度か会えばいくらか答えが出ているものだそうですから、聞いてみてダメならそれっきりでよいと思います。
丁度別の人ともマッチングしてもらって結果連絡待ちですし、今後はもっと頑張ろうと思いますね(`・ω・´)
今これぐらいの時期に恋愛という趣味をしっかりやっておこうと思います。


それではまた次回

お久しぶりです。

2019年10月27日 23時43分40秒 | 世間話
こんばんは。
お久しぶりです。

最後の投稿が「テレビを買う」で終わっていたことに今更気が付きました。
思えばテレビ購入からレビューを書こうと思っていた矢先にプロジェクトの長に就任してしまい、繁忙期までヒーヒー言いながら今日まで生きてきたので、俺の中では前回の投稿からこれまでの記憶がはっきりしません(笑)

とはいえ、久しぶりにブログに戻ってきて、過去の記事とか読んでみると、当時を思い出すようでなんだか懐かしいです。
正に自分の半生がここに綴られているんですね。主にゲームの記憶についてのみですが(笑)

あれからいろいろとありました。昔を懐かしむようになったわけです。
時代も変わりましたね。令和になってもゲームはやっていますが、PS4とスマホが半々くらいになっています。
今の現状を当時の自分は思いもしなかったでしょうね。当時はスマホゲーのことを金を搾取する悪だ!とかって思っていましたから。人は変わるものです。
今も金を搾取されている感覚はあります。が、新しいもの好きを自称している俺はスマホゲーの新キャラに胸がときめく時があるわけです(笑)
10連回すだけで3000円。3回やったらフルプライスか…ってなもんですね。
FGOとか年末になるたび回していますから、それを考えればFGOというゲームのフルプライス版を何回購入したことになるのか今更考えたくないものです(笑)


さてさて、今日はそろそろ時間もいいのでここら辺でやめますが、今後は日記形式でも書いていこうかなと思っています。
実はアメブロで別のブログを立ち上げてみたのですが、なんかしっくりこなくてここに戻ってきたら、やっぱりここがいいじゃない?ってなったわけです。
てなわけであっちのブログは休止することとして、再びこちらを再開します。
これからはゲーム記事ばかりではないので、非常に個人的なブログになるかもしれませんが、社会人も5年目を迎えていますからいろいろと思うところを書いていこうかなと思っています。

よろしくお願いいたします。

PS タイトルを心機一転変えてみました。

テレビ購入を検討しています。其の1 ヨドバシさんでの周辺機器購入の巻

2017年06月04日 10時25分07秒 | 世間話
こんにちは

今日も晴れていますね。

仕事の方はそろそろ繁忙期を過ぎて落ち着いてくる頃です。まぁ繁忙期の後始末的な仕事が散発的に続くので、平日忙しいことに変わりはないですけどね。

まぁ日中やることがないとなんだか仕事を回されていない無能みたいに思えるので、ちょうどやりきれるくらい、土日は出てこなくてもいいかなくらいの方が1日が終わるのが早くて仕事した気がします。

元々安月給なのもあって残業代が遊び代という感じが強いので、残業しない月は正直生活するだけって感じになります。

まぁよく考えるとそんな給料だから同期たちは「金がない」と口々に言うのかもしれません。俺だって遊びや衣服に金を使っていないとはいえ残業代が貯金とイコールですからね。

仮に残業をあまりしなくてよい恵まれた職場であるならば、それこそ大きな買い物は難しいのかもしれませんね。



さて、前置きが長くなりました。仕事の話は愚痴愚痴と長くなることが多くて困ります。

標記の件について、そのままの意味でこの夏テレビ購入を検討しています。というか検討段階はすでに過ぎ、購入段階にあります。(タイトルと違う…)まぁまだ買っていないですから。

というのも、テレビ購入自体にはもともと興味がありました。電化製品への興味関心は人一倍なものですから、最近流行りの4K・HDRというものが気になって仕方がなかったのです。

しかしいざ購入するとなるとどこのメーカーのなんてものを買うのか、テレビだけ買えばよいのか、アパートの一人暮らしで買えるようなものなのか…といろんな不安があるものです。

それら不安をこの半年間自問自答してきました。そして出した答えは「買ってみれば分かるでしょ」ってことです(笑)

俺の部屋は一般的な1Kですから広いわけではありません。しかし狭いわけではないのです。ですから置こうと思えば置けます。

そしてリア充さんの部屋みたいにいっぱいオシャレ小物が置いてあるわけではなく、部屋にはデスクトップPCと机、既存の小型テレビ、コタツ、カラーボックス、イス、ベッド、くらいのものしかないのです。

まぁ配置を大胆に変えることは容易では無いのですが、主にデスクトップPCの配置だけなんとかすれば問題ありません。

価格に関しても、今回購入予定の4K9000Eシリーズは30万程で買えます。ちょうどボーナス時期ですしガッツリ貯金が削られてもある程度は補填されます。

これをボーナスと同時に購入するのでは品薄の危険を伴うため、時期的には今月くらいがちょうどよいと判断します。

そして9000Eシリーズは今月10日発売。ここが狙い目であると判断しました。

とまぁこんな感じでテレビ購入に積極的な姿勢を見せているわけなのですが、まぁ気がはやって発売してもいないのに取り置きなんてことはしません。

家電製品は初期の段階で問題を抱えていることが多いですからね。それに実物を見ないと最終判断できませんし、ものを見ないで判断できるような軽い買い物でもありませんからね。


さて、テレビを買うのはよいとして同時に発売する9500Eを購入しない理由は、別途サウンドバーを購入するからです。

今回はこのサウンドバーの話をするのがメインです。ここまでは導入の話だったのです(長い…)

さて、サウンドバーは「HT-NT5」の購入をすでにしました。しかしまだ物は届いていません。

というのも今回ポイントが多少あったこともあり、またポイント使用後にまたポイントが付与されることから、ヨドバシカメラでの購入に踏み切ったのです。

しかし私は地方在住、本土は本土ですし離島というわけでもなく東京からすれば関東近郊の仲間だと思うのですが、ヨドバシさん的にここは遠隔地だそうです。

というわけで大体『出荷』から1週間『以上』かかることがわかりました。ここが俺の盲点、今回勉強になったところです。

そうです、ヨドバシさんの場合は大型家電(箱が大きい場合を含む)+地方(遠隔地)の場合「当社専用便」という配送方式に自動でなってしまうのです。

配送業者を有料で指定することは荷物の大きさから出来ないことを確認し、大体出荷から1週間以上の日取りで予定を入れておく必要があるとのこと。

今回は出荷が29日でしたが当初の注文段階で6/7が最短日とされ、平日に受け取る時間など無い私は迷わず6/10を指定しました。

しかしその時の私はまだ事態を把握していなかったのです。「商品確保に時間がかかるのかな?」とかのんきに考えていました。

これがアマゾンの場合、アマゾンが配送を担当して68,000円ほどで3~5日あれば配達される予定です。つまりこの土日で配送されているはずでした。

しかしヨドバシさんは予定通りとはいえ6/10の配送になるそうです。当初の予定通りといえばそれまでですが、29日に出荷して1週間以上かかった6/10に配送するというのもなんだかなぁという話です。

当然俺は出荷日に問い合わせをしました。「6/2か6/3で配達できませんか?」と。

そうしたら「通常1週間ほどいただいているので6/2,6/3は難しいかもしれませんね。業者に確認してみます。」とのこと。

ここで俺は当社専用便というものをやっと認識し、地方の場合は遅くなることがネット上で書かれていることを知ったのでした。とはいえ後の祭りというやつです。

そして昨日、こちらの希望としてはこの土日で配達される予定だが業者からの連絡もヨドバシからの連絡もないな~と思って再度問い合わせをしてみました。

「この土日で配達をお願いしたのですが、現在どのような状況ですか?」「業者に確認して連絡するようにしますね。」とのこと。

俺は正直土日での配達によって納期を短縮するよう「お願い」をした立場ですから強く言うことなど不可能なのですが、連絡しますねと言っておいて当日の連絡はありませんでした。

そして今日先程「連絡をいただけるとのことでしたが、どのような状況でしょうか」と確認したところ、「業者から連絡するようになっていますね。」とのこと。

「土日の配送は可能なのか折り返しをもらえませんか」と折り返しの電話を要望し、その後すぐに「まだ配送業者のところへ荷物が届いていないので今日は無理ですね」と回答がありました。

さらに「10日の配達は確実なのでしょうか?」「はい、午前中に業者から電話することになっています」「時間指定はできますか?」「いえ、配送ルートが決まってからの連絡なので時間はおおよそ決まってしまいます」とのこと。

…まぁもともと6/10の配送で注文を出しておきながら出荷が早かったというだけで納期を短縮するよう要望を出すという困った客ですよ俺は。

とはいえこの土日で配達されるかどうかの期待を胸に一応のお願いを29日の段階で出したのです。通常配達までには出荷から1週間程度必要であるならば、その電話の時点で6/2,6/3は不可能であるともいえます。

不可能なら不可能でよいのです。6/10で注文しているんだから6/10になりますよ、当然でしょ!って感じで言ってもらえれば納得しました。こちらの落ち度ですから。

それが社会の常識なのかもしれませんが、困った客であるとはいえ「業者に確認します」という回答で数日引っ張るのは無理があります。

そして「業者に確認します=業者から連絡します」というのはなかなかに無責任な話です。俺は業者の連絡先を知らされていないのです。というか大手運送業者でないことはなんとなくネット情報から分かっていました。

出荷完了をもってヨドバシさんの中では配達済みというカテゴリに入ってしまっていますが、こちらとしては荷物の追跡も出来ないしお願いした回答は業者任せになっていて業者からはお願いした予定日に連絡が来ないし挙句にこちらから確認のTELをしないと結果がわかりませんでした。

何度も言いますが俺は「配達予定日を前倒して配達するようにお願いする面倒な客」です。きっとヨドバシさんも面倒だなぁと思ったでしょう。

しかし、この土日での配送が可能かどうかの確認をしたかっただけでこのまま俺が何もしなければ6/10までヨドバシさんから連絡はなく、業者も予定通りの連絡をしただけになっていたかもしれません。

加えて、土日の配送が可能かどうか折り返しをくださいという要望にはすぐに対応してくれました。ということは業者に確認を取ることは可能だということです。

業者に確認を取って荷物がまだ届いていないから土日の配達なんて到底不可能であるなんてことは言ってしまうと昨日の夜でわかっているはずです。

業者の連絡先をみだりに教えない、もしくはバレないために業者からの連絡は配達段階のみとなっているのかもしれませんが、こちらとしては回答を得られないまま悶々とすることになり大変効率が悪いです。

まぁ俺も焦っていて、今考えてみると10日の予定を入れすぎたなぁと思ったのがことの発端ですから俺も悪いんですよ。

確かに自分が業者側なら「10日の予定で注文したんだからこちとら10日に配達する予定じゃボケェ!」って感じだと思います。

がしかしであるならば、「配達日を前倒しすることはできません。」というだけで済んだ話です。それこそ29日のTELで解決していました。

どうせ大手運送業者でないことからして時間がかかっているのでしょう。関東近郊で荷物の運送に5日以上かかるなど大手からしたらあり得ない話です。

がしかし、それはあくまで大手だからという話。今回は大手ではないのです。

総轄して、地方在住者がヨドバシで買い物をする際には配達業者を指定できるかどうかを確認すること。出来なければおそらく「当社専用便」になります。

そして当社専用便の場合はおとなしく配達希望日まで待っていること。電話で確認しなければならないことがあったら必ず「折り返しをください」と要望すること。

上記の点に気をつけていれば後は自分の予定と相談してください。アマゾンの方が早いけど、ポイントがヨドバシなら付くし、時間かかるのはしょうがないかな~と考えればヨドバシを選ぶ理由だってあります。

俺もここまで遅くなることは最短配達日が7日となっていることからして察することは出来たのですが、まさか大手運送業者を使わずに家具やテレフォンショッピングみたいな遅さでの配達だとは考えてもいませんでした。

俺も情報弱者というか何も知らない立場の恐怖というものを久々に仕事以外で感じることが出来ましたよ。荷物の追跡も出来ないなんてあり得ないとすら思いました。

電話対応については今回俺のわがままもありますし、聞きたいことをストレートに聞けない俺の性格にも問題があることは認識しています。今後はこちら側が気をつけるということにしましょう。会社の対応がすぐに改善されることはないのですから。

とはいえ、もしかしたらヨドバシさんの中で面倒な客リストに名を連ねることになってしまったかもしれませんが、知らないままにヨドバシさんへの不満を募らせるのもどうかと思いますし今回連絡してよかったと思います。

ヨドバシさんを使うメリットとデメリットを身をもって体験したと思えば、まぁこんなものかなって感じです。(ヨドバシさんにはご迷惑をおかけしましたけどね)

俺も客としての立場に甘えていたのかもしれません。俺だって接客業従事者です。いるよなこんな面倒な客(笑)

まぁこれで初期不良があったら泣いてしまいそうですが、それはそれということで。

最後に、実際にヨドバシさんの店舗で購入する場合は時間指定がある程度できるらしいことがネットに書かれていました。

関東にお住いでヨドバシさんの店舗へサッと行ける方は行ったほうが楽です。半日で解決してポイントももらえるわけですからね。

あぁ大型家電量販店がヤマダ電気やエディオンしかないという地方民は、やはりヤマダやエディオンで買うしかないのでしょうかねぇ。。。

都会はいいですねぇ。なんだかんだ言っても便利な都市の方が俺は好きです。


次回はテレビ購入後のレビューでも書ければと思います。誰かに自慢話するよりもここで書いた方が迷惑になりませんからね(笑)

それでは