日本で最悪の原子力事故、東海村JCO臨界事故(1999)サマリー

2009-11-19 01:21:05 | Weblog
プルサ-マルの原料を作る目的でつくられた会社JCO(住友金属鉱山の子会社)が 1999年東海村JCO臨界事故をおこし日本最悪の原子力事故となった。2人死亡、住民8人に放射線障害。

政府は...
1 JCO転換試験棟をつくるとき臨界事故は起こりえないとして許可した。
2 放射線が居住地に届いているのに8時間対応がおくれた。
3 事故現場から放射能がもれていたのにJCOによる事故現場へのマスコミ呼び込みを認めた。国民は事故が解決したと誤解した。

1999.9.30 AM1035 大内さん(35歳)20Gyを被曝(8Gy以上で死亡100%)83日後死亡。篠原さん(40歳)は 211日後死亡。
PM1時JCOから2kmはなれた日本原子力研究所測定器が感知。科学技術庁へ報告。
PM5時 東海村役場の判断で350m以内に避難勧告。
PM9時 小渕首相が政府対策本部を設置。
9/31 AM6時 に放射能放出が終わる。それまでの間320m以内の住民、年間許容量をこえた被曝。
10/2 読売新聞 科学技術庁がJCO転換試験棟を防災措置なしでみとめていた
10/2以降 フライデー記者 窪田氏 他のマスコミ記者とともに事故現場へJCOより招待される。(その間、実は法令濃度を超える放射性物質が排気塔からもれていた。)
10/8 赤旗新聞 科学技術庁が9/30pm1時に報告をうけていた事実(政府はpm9時の8時間後に対応したことになる。)
10/11 JCOは転換試験棟を密閉
11/8 毎日新聞 住人8人に被曝によるDNA損傷
2002.5.23 週刊金曜日JCO正門に奇形の桜の花の写真を発表。

参考書
窪田順生(まさき) 『スピンドクター』2009 講談社
(マスコミを利用した情報操作についてよくわかる)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿