「新兵器の使用を禁止する国際条約」を!原爆を落とされるのはさけられたけど.. 経過を整理

2009-08-19 00:33:21 | Weblog
だれが悪いかというのはさておき原爆投下への経過を検討すると

1 日本は天皇制がなくなることが心配でドイツのように無条件降伏しなかった。アメリカへ原爆投下のチャンスを与えた。
2 ソ連参戦のあとでアメリカは日本の天皇制を保存した降伏を認めた。(米ソの対立が日本に有利に働いた?)
3 日本は落とされる前から科学誌やアメリカの新聞から原爆存在の可能性を知ることができる状況だった。

などがわかります。

原爆投下関連年表
1937.7 日中戦争始まる。
1938.1 アメリカが中国を支援。
1939.5 日米通商航海条約が破棄。
1938.12ナチスドイツのベルリンで核分裂発見(オットー、フリッツ)巨大エネルギー放出の可能性。
1939フランスからはキュリー夫妻の論文 2次中性子の確認(連鎖反応の可能性)掲載中止希望がまにあわず。
9月 ナチスドイツがポーランド侵攻
10月 アインシュタインを代表にアメリカの科学者たちが、大統領ルーズベルトへ原爆開発を頼む。(アメリカとドイツの原爆開発競争)
1940.1 ドイツ軍が中性子減速剤の重水(原爆材料)をノルウェーに発注。
1940.5.5 ニューヨークタイムズ記事 原爆の実現可能性について。
1940.6 ドイツがフランスのパリを占領。
7月 近衛内閣 「大東亜共栄圏」構想
9月 日独伊軍事同盟
1941.4 日ソ中立条約(1941-1946.4まで有効)
6月 ドイツがソ連へ侵攻。
7月 日本 南部インドシナ半島へ進駐。
8月 米英が大西洋憲章を発表 (民族自決と領土主権の尊重のスローガン)、アメリカが対日禁輸。
12月 日米開戦
1942.11アメリカ軍、北アフリカへ上陸(ソ連がヨーロッパ上陸を頼んだのに)
1943.2月 日本敗退、始まる(ガダルカナル)。
8月 マンハッタン秘密計画で原爆開発が本格的に始まる。
12月 ワシントンポスト記事アメリカ議会で使途不明金5億ドル追及(原爆総開発費20億、戦争全兵器の費用120億)
1944.9 米英がハイドパーク覚書で原爆の独占と日本に対してよく考えた上で使うことを決める。
10月 日本本土爆撃はじまる。フィリピンのルソン島をアメリカが奪回(アメリカ軍の死傷者3万、日本軍は死者、行方不明だけでも16万。)特攻はじまる。
1945.2 米英ソがヤルタで会談(ついでにソ連参戦とソ連の北方領土獲得を秘密で約束)
4月 ソ連が日ソ中立条約を更新せず。米軍が沖縄上陸。ルーズベルト急死。トルーマン大統領に。日本国内の原爆投下場所の検討はじまる。
5月 ドイツ無条件降伏
6月 米軍が沖縄占領。(死者、行方不明;アメリカ軍4万、日本軍 8万)、国際連合発足準備50か国。
716am5 アメリカ原爆実験成功
717 和平をソ連へ頼むよう、東郷外相がソ連の日本大使館へ暗号で指示。無条件降伏するぐらいなら最後まで戦うとも。(米ソとも解読していた。)
ポツダムで米英ソが会談をはじめる。主題は戦後ヨーロッパの復興。アメリカがソ連へ原爆実験成功を非公式に伝える。ソ連のスターリン、原爆開発を厳命。ソ連参戦の約束日は8/15に決まる。
718 米ソは日本の和平要求をはぐらかすことで一致。この日のトルーマン日記「マンハッタンが日本の頭の上にあらわれたとき、日本はソ連が入る前に手をあげると信じる。」ソ連抜きのポツダム宣言をラジオだけで対日放送:つまり非公式(ソ連は日本と戦争していないから)。スターリン激怒。
ポツダム宣言内容より:
'given an opportunity to end this war' 日本に降伏のチャンスを与える
'strike the final blows upon Japan' 最後の数発を覚悟せよ
'immeasurably greater than that' ドイツをやっつけた時とくらべてはかり知れないほど大きな力で
725 トルーマンが原爆投下を命令。8月3日から後に天候次第で2つ投下(ソ連には秘密)
728 鈴木首相が記者会見でポツダム宣言を黙殺と発表。
802 ポツダム会談を強引に終了。トルーマン帰路急ぐ。
806am8 広島原爆 ポツダムからの帰り大西洋上で報告を受けたトルーマン「われわれが家に帰れるときがきた。」 広島で「新兵器」と流言(同盟通信記者の手記 毎日新聞1990.6.6)
808pm11 ソ連、満州へ侵攻。
809am11  長崎原爆 長崎の記者「新型爆弾」と本社へ報告(同盟通信記者の手記 共同通信2001.8.2 )
810天皇、降伏決意。君主としての大権を損なうことを意味するものではないとの理解のもとで。
811米英が日本降伏を承認。
905 ロンドンデイリーエクスプレス記事「爆発で傷を負わなかった人たちが死をむかえている。」バーチェット記者(9/3広島潜入 9/9 米軍病院で白血球減少診断。)
10月 国連発足
1946.5 イラン危機。アメリカがソ連をイランからおどして撤退させた。
1949.8 ソ連、原爆完成。
1950 アメリカが水爆開発をはじめる。

アメリカ大統領は「大きい爆弾1ぱつ」と「今までの小さい爆弾たくさん」は同じようなものと思っていたかもしれない。放射能のことはあまり検討されてなかったのだろう。大統領周辺の反対論も原爆の破壊力の大きさの非倫理性に基づいていたようだ。日本敗退とともに米軍捕虜に対する虐待が明らかとなり、パールハーバーをふくめた報復へのアメリカ世論も無視できなかっただろう。米軍とて徴兵された父親、婚約者を含めた市民なのだから、1兵とて犠牲をなくしたかったのは当然だろう。江戸おわりの戊辰戦争のような国内戦になれば米軍死者5万ではすまない。しかし、新兵器を十分検討しないで使うのは問題で「新兵器の使用を禁止する国際条約」が必要だと思う。さもないとベトナム戦争のダイオキシン、イラク戦争のウラン弾と今後もくり返されるだろう。


参考書
金子敦郎『世界を不幸にする原爆カード』2007.7 明石書店
原爆投下に関わった人達のことよくわかります。

太陽光発電、夢物語

2009-08-03 22:00:42 | Weblog
1.発電装置を作るのに放出したCO2は2-5年で取り戻せて寿命は20年以上(3).ただ電気代のもとはとれない。

2. 電力消費ピークの緩和としては有効だけど、それ以上は期待できないと思う。環境のためと思って自腹を切るのは賢明かどうかわからない。

3.電気をCO2なしで作ろうとするより、節約する技術を開発するほうがかんたん。

2.について
日本のすべての屋根にのせると1年の発電1000億KWhとなり(2)、年間電気需要10000億KWhの10%。
ゴビ砂漠(130万Km2)の半分に敷き詰めると現在の世界の全てエネルギーを供給できる。(3)
これ、じつは日本国土の倍の面積。電池寿命30年として毎年その面積の30分の1の電池を作らなければメンテナンスできない。100カ国で平等に分担して日本国内に1000工場をつくったとしても1工場当たり1日1万個の1丁豆腐をつくるペースになる。(1日1工場30m四方の電池を出荷)豆腐1万個でも大工場だ。しかも豆腐のようなペースではとてもつくれない。生きるために電気を作るのか、電気を作るために生きるのか、わからなくなってしまいそうだ。そんな苦労をするくらいなら、3両連結の座れる安い路面電車を郊外まではりめぐらし、市内は全アーケード、自転車もただで借りて、乗り捨てできるようにすれば、マイカー利用はずっとへるはず。
会議などもわざわざ出掛けないでテレビ会議にすれば、飛行機の便もうんとへらせる。


一方 原子力は50年先のことだけ考えればCO2をてっとり早くへらし、今ある資源を活用できる、周辺国からの核の脅威に対してすくなくともいざとなれば対抗するという意思表示として(伝家の宝刀のような)価値がある。
しかし、廃棄物の処理を次の世代におしつけ、何万年も近付くだけで危ないゴミを管理していかなければならない。
30回のヒヤリにたいし1回の小事故、30回の小事故に対し1回の大事故とはよくいったもので現在しばしば小事故を起こしている原発が100年以内に大事故を起こす危険は小さくないはずだ。



参考書
(1)自然エネルギー推進市民フォーラム編
    『だれでもできるベランダ太陽光発電』1995.10
(2)合同出版ソーラーシステム振興協会編
  『太陽光発電を我が家に』1993.8通商産業調査会 
(3)産業技術総合研究所編 『太陽電池の本』 2007.1 日刊工業新聞社