令和元年は韓国独立運動大弾圧100周年ーー日韓の歴史から学ぶ。

2019-09-20 19:52:34 | Weblog

最近の、韓国を嫌う雰囲気のなかで、日本による植民地支配を正当化したり、従軍慰安婦の存在を否定する考えが広がっているようだ。
 史実を調べてみたところ、日本による支配は貧困や反発をおこしたこと、慰安婦は日本政府が計画したことで、公文書館に文書が残っていることがわかった。慰安婦制度は日本の医師が加担していたことに気づき、医師が行ったその他の戦争犯罪についても調べた。
 今年2019年は、日本の支配に朝鮮の民衆が反発したデモ、三・一運動から100周年にあたる。この独立運動は、朝鮮全土へ広がり、日本政府によって数千人が殺害され、5万人が逮捕されたとされる(高校教科書 山川出版)。今(2019年夏)話題の香港の抗議デモはもちろんのこと、天安門事件でさえ小さく見える大弾圧だ。
 この韓国にとって特別な年に、日本に求められるのは、反省に根ざした誠意ある外交だ。 東アジアで商売していく上でも、次世代に残すべきは、つぐないの心で積み上げる名誉ある地位だ。


朝鮮支配の歴史
1876年 鎖国していた朝鮮を軍艦でおどして開国させ、日朝修好条規を結んだ。朝鮮で日本人が犯した罪は朝鮮で裁判できないなど、朝鮮に不利な不平等条約だった。

1894年 日清戦争で李氏朝鮮を中国と切り離した。 中国が名付けた「朝鮮」は「大韓帝国」へ改名した。

1895年 朝鮮は皇后(閔妃、びんひ)が実権をにぎり、ロシア寄りの外交を行なおうとした。 日本にとってロシアは脅威だった。 そこで、在朝鮮公使、軍顧問ら日本人が指揮する集団が王宮へ乱入し、国王(高租)の前で皇后を殺害した(乙未事変、明成皇后殺害事件)。

1904年 日本軍は日露戦争を口実に朝鮮半島を侵略し、実効支配した。
その後、日本は朝鮮に、何度か新しい条約を押しつけ、まずは外交権を、ついで、内政権を奪い、ついに朝鮮を日本領とした。

1910年 韓国を支配した日本は、所得税の無料化(10年限定)、身分差別解放などの人気取り政策を行って大衆の支持を得ようとした。

その一方で、土地調査を行い、明確な所有権を持たない小作農を追い出したり、学校の授業は日本語で行うものとし、朝鮮語は特設の一科目として追いやった。 食べるのに困った小作農のなかには、職を求めて、日本をめざす者も多かった。 プランテーション政策として、日本で不足していた米の生産をすすめた。米は七割が日本へ輸出され、朝鮮の食糧事情はかえって悪くなった。(ウィキ 日本統治時代の朝鮮より)
中学歴史教科書記載(要約):土地調査で土地を奪い、生活に困った多くの朝鮮人が日本へ移住した。

生物指標としての韓国人身長ーー日本支配が与えた影響 (Insong Gill 1997)

 図1(上図)は、韓国の公務員・教員とその扶養者の生まれ年に対する、1990と94年の身長を健康保険が調査した統計である。

 図1 は一見、1929年からの身長が伸びており、日本の支配の恩恵であるように見える。 ところが、高齢者ほど身長は縮む、という生物的事実についての考察が必要である。 
 Gill による考察の方法は、4年あけて、同じ年の人同士の身長をくらべて、生まれた年が4年違う影響を見るというものだ。 たとえば1990年に60になった人(1930生)の身長と、1994年に60になった人(1934生)の身長をくらべれば、年齢による身長のちぢみの影響を排除して、生まれ年4年のずれの影響を知ることができる。
 図1 で、男性の場合、自由に選んだの □ (四角)と、右方へ4年分進んだところにある ◇ (ひしがた)を比較すると、当時、状況がどんどん悪くなっていたのか、よくなっていたのかが、明らかになる。 

 それをグラフにしたのが図2(上図) で、1927年を最後に、状況がどんどん悪くなっていたことが明らかとなる。 1928年生まれの身長(1994年60才時に調査)から1924年生まれの身長(1990年60才時に調査)を引いた値が1928年の □ (四角)にプロットされている。 □ (四角)はマイナス値なので、1928年生まれは、1924年生まれより成長が悪くなったことがわかる。 以降1929年生まれは、1925年生まれより成長が悪く、 1930年生まれは、1926年生まれより成長が悪く、、、、と、子どもにとってどんどん厳しい環境になることがわかる。 日本支配下の朝鮮の困窮ぶり、食糧事情の悪化がうかがわれる。


従軍慰安婦
1937年7月 日中戦争がはじまり、泥沼化し、大衆を召集した素人軍隊を大量投入するようになると、中国各地で日本軍による略奪・暴行が横行した。

1937年12月 南京の実態を海外新聞が報道(The New York Times 12月18日 ,1937)。 頭を悩ませた内務省は、倫理・法的な問題を知りながら、軍隊内部に公設の慰安所を設けることにし、朝鮮を含む日本全国へ募集の依頼をかけた。
 ところが多くの県の警察は、銃後を守る出征兵士の家族へ不安を与えること、国外への人身売買を伴う点で明らかに違法であることから、内務省の依頼による求人活動にもかかわらず徹底的に取り締まった(永井2014、歴史資料センター資料)。結果として、朝鮮など植民地出身者が慰安婦の多数を占めることになった(西山 2009)。

国立公文書史料より
「慰安所設置のため、内地においてこれが従業婦を募集するにあたり、.....募集の方法、誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受けるものある。」  陸軍省兵務課 昭和13年3月4日 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi     国立公文書館アジア歴史資料センター 資料C04120263400
コメント:
給与全額前払い契約による拘束や、本土との地理的な隔絶という条件では、だまされたと気がついたり、途中からやめたくなってもかなわず、自由意志というよりは奴隷奉仕の名がふさわしい労働環境であった。
軍医による検診などの協力があって成り立つ公営事業であり、日本の医師による戦争犯罪の1つ(西山 2009)であるといえる。

陸軍省兵務課 昭和13年3月4日 軍慰安所従業婦等募集に関する件


医師による戦争犯罪(中国で)
日本の医学者の戦争犯罪(詳しくは 西山 2009)
 おぞましい人体実験や生体解剖は有名だが、指を零下の塩水につけるような危険な凍傷人体実験を行った医学者が戦後、医科大学の学長となり、勲章までもらっている。 また、北里研究所などから派遣された、731部隊の医学者らは、論文上で「猿」と称して、出血熱や森林ダニ脳炎の人体感染実験を行い論文発表したという(西山 2009、吉村1941、北野1944)。
 戦後、薬害エイズをおこしたミドリ十字は、731部隊軍医学校教官や、上述の猿と称して人体感染実験を行った医学者らによって作られた会社で、現在は田辺三菱製薬に吸収されている。

上図 零下10度塩水中に中指浸漬時の皮膚温変化 25分間 (吉村 1941)

日本の医学界ができること
 上述の勲章が象徴するように、日本の医師の戦争犯罪は精算も反省もされないままである。医学部の倫理教育での扱いも皆無に等しいと思われる(筆者の出身校では扱われなかった)。それどころか、有事に医師を徴用する法律の成立を許し、再び戦争協力をくりかえそうとしている。
 もし軍医たちが慰安所の実態を知って怒って総ボイコットすれば、日本政府はあきらめただろうし、徴兵のための検診をふくめ、戦争自体、医師がボイコットすれば、戦争を止められるかもしれない。 戦争における医師の役割の大きさを、 歴史から学ぶべきだ。


参考資料:
北野政次 「流行性出血熱に關する研究」日本傳染病學會雜誌, 1944 - jstage.jst.go.jp で閲覧可
ネズミをつかまえて寄生するダニから乳剤を作り、猿に注射。とあった
コメント:西山 (2009)によると、本物の猿は発熱しないので、「猿」は「捕虜」ということである。
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/doshisha/1-13.html (研究、人体実験 - 大阪市立大学文学研究科)にも同様の記載があったが、根拠引用が一般向けの書籍。

佐藤次高 著 詳説世界史 2004年 山川出版 高校教科書、 

中学社会 歴史 未来をみつめて h15.1 教育出版 文科省検定済み教科書

永井和 「軍・警察史料からみた日本陸軍の慰安所システム」
図書:歴史学研究会『「慰安婦」問題を/から考える 』2014年 岩波書店 p81より
 国立公文書館アジア歴史資料センター 資料を引用
A05032040800 支那渡航婦女の取扱に関する件(庁府県)
A05032044800  支那渡航婦女に関する件

西山勝夫。「15年戦争への日本の医学医療の荷担の解明について」社会医学研究 2009;26:11-26
avic.doc-net.or.jp › AVICJRHCPW › Nishiyama_09_26-2-011

吉村寿人 「凍傷ニ就テ」、昭和16年10月26日、第一五回満州医学会哈爾浜支部特別講演 
国立公文書 返赤08012000
零下10度塩水中に中指浸漬時の皮膚温変化 25分間 (吉村 1941)のグラフを含む。
コメント: これはマル秘の印が押されている。
史料では、被験者が15才以上であるように見受ける。 0度に指をつける実験記録もあるので、未成年に零下の実験を行ったかは史料からは、わからない。 公表論文は以下。
・ YOSHIMURA and IIDA ”Studies on the reactivity of skin vessels to extreme cold.” The Japanese Journal of Physiology 1951 年 2 巻 p. 177-185
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjphysiol/2/0/_contents/-char/ja
10歳未満9名を含む未成年37人と生後3日の赤ちゃん1名に手を氷水に30分つけさせて表面温度の変化を観察。乳児については生後1ヶ月までくりかえし実験。ほか成人83人(最高74才)。日本人の14才以下74名にも行ったという。
コメント;一つ上の満州医学会と被験者は重複していると考えられるが、未成年に零下の実験を行ったとの記録はない。 どのようにして、このような実験に子どもを付き合わせたか不審に感じた。
http://yu77799.g1.xrea.com/siryoushuu/731/kiji4.html に吉村氏の抗弁。
「毎日新聞 1982年11月4日(金) 23面 当時氷点下四度にならないと凍傷にならないことが関東軍の調査でわかっていたので、零度で実験した。しかも、マルタを使ったのではなく、現地人の協力を得て調査した。生体実験などというものではない。」(マルタとは捕虜のこと)
 しかし上述マル秘公文書、零下10度のグラフの著者は吉村氏である。

Insong Gill  ”Stature, consumption, and the standard of living in colonial Korea”
図書Komlos and Baten “The Biological Standard of Living in Comparative Perspective: Contributions to the Conference Held in Munich January 18-22, 1997, for the XIIth Congress of the International Economic History Assoc.“ Jan 1998 Stuttgart,  Franz Steiner Verlag
の p122より
無料閲覧可:https://books.google.co.jp/
コメント:植民地下の韓国人身長に関する論文は他に
・ Choi and Schwekendiek.The biological standard of living in colonial Korea, 1910-1945.Econ Hum Biol. 2009 Jul;7(2):259-64.
・  Kim and Park. Measuring living standards from the lowest: Height of the male Hangryu deceased in colonial Korea.  Explorations in Economic History, 2011;48:590
などがあったが、Gillのデータを、加齢萎縮を考慮せず、誤引用している。  Kim and Parkは、当時の行き倒れ人の身長統計を利用。1881年から1920年生まれまでしかデータがないが、この間は身長は伸びており、Gillのデータと矛盾しない。
 
The New York Times 12月18日 ,1937 (由太郎訳)
http://www.history.gr.jp/nanking/nyt_1937dec18.pdf
Two days of Japanese occupation changed the whole outlook. Wholesale looting, the violation of women, the murder of civilians ...  turned Nanking into a city of terror.
日本による2日間の占領で、とんでもない状況となった。  ありとあらゆる略奪、強姦、民間人の殺害...南京は恐怖の都市と化した。
The Japanese looting amounted almost to plundering of the entire city. Nearly every building was entered by Japanese soldiers, often under the eyes of their officers, and the men took whatever they wanted.
日本兵による略奪は、都市全体の狼藉に及んだ。 ほぼすべての建物に、憲兵の黙認下、日本兵が立ち入り、好き放題持って行った。


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