前回、摂津鉄道のことをかいた時、駅のセクションの展示表記が間違っていると言ってしまいました。今日は、それを訂正したいと思います。
こういう風に、「倉本駅」と書いてありました。摂津鉄道の村は蔵本村で間違いありませんので、この表示は間違いだと、断じてしまいました。でも、昨日の投稿のあと、駅の写真を見直して気がついたのです。
拡大してお見せしますが、間違いなく「倉本駅」と書かれています。何と、表記は正しかったのです。謹んでお詫びして、訂正します。JAMの関係者のみなさん申し訳ありません。
でも…
なんで「蔵本駅」と思い込んでいたのだろうと、引っかかりました。そこでレイアウトモデリングを引っ張り出してみると、
これは巻頭のカラーグラフのページです。これにははっきりと「蔵本駅」と書いてあります。
でも、写真をよくみると「倉本駅」と読めます。JAMでみた本物ともちろん同じ。これが原因だったのです。では、TMSが間違えたのか?そうとも言えますが、すこし事情が違う様です。
本文の方を読むと、「停車場の製作」の本文には駅名が一切でてきません。レイアウトモデリングは再録なので、念のため掲載されたTMSの199号(1965年新年特別号)もみましたが、同じです。記事の発表当時は駅名は明らかにされていなかったのです。
では「蔵本」の名前はいつからか、と、記事を追うと、209号(1965年11月号)の「農業倉庫の引き込み線」の記事の第1図には「倉本駅」の文字が見えます。
そして次の記事は223号(1967年1月号)。ずばり「晩秋の蔵本村」。この2年の間に坂本さんは村の名前を変えたのです。
で、レイアウトモデリングはそのあと、1972年に出たので、「蔵本駅」になってしまったようです。
考えると、坂本さんは「倉本駅」としてから、一度もご自身で変更は表明していないようです。
あの日にちゃんと気付けば、ご本人に確かめられたのにと、迂闊な自分を悔やんでいます。
とは、いえ、伺っても、あの気さくでやさしいお人柄、「どっちでもいいですやろ」なんて言われそうですね。
というわけで、なんとなくすっきりしました。いや、ベテランの方々はすでにご存じのことだったでしょうか?ひとりで勝手に騒いでいる気もしてきました…
お騒がせしました。
バタバタやってると、なにか本業をやってる気分になってきました。気分転換のための趣味なんですけどね。性分ですね。