屋根を葺きます。
屋根の写真は残っていません。でもきっとトタンぶきなどちゃんとしたものではなかったろうと思われます。そこで、簡単に板を貼りあわせて、雨水をなんとなくよけた程度と考えて、STウッドを縦に並べて貼り付けました。おそらく雨漏りするようなものでしょうが、こんな粗末な感じがいいのでは?
スロープ内をのぞきます。う~んボロイ!
裏手はこんな感じ。ちなみに手は私です。
本当はスロープの支えは3つあったらしいことが、あとでわかりました。もう作っちゃった後です。まあいいや… (調子に乗りましたね…(涙))
こちら側から石炭を放り込んで、スロープで落とすのです。
スロープの前端は、もう少し前へ出した方がいいですね。あとで継ぎ足しましょう。
泥縄のヤッツケ仕事的になってきました。
本業では子供たちの指導に時間を取られています。仕方ありません。
セクションは楽しいディテールアップに入っています。
今回のアイテムは、正式になんというのか分からないものです。
夕張鉄道11形明細図面集の裏表紙に写っている、掘立小屋のような建物です。給炭塔の裏手、石炭置き場の上屋の手前に写ってます。
写真を拡大します。何かスロープになっているのがお分かりでしょうか。実は、この位置は、給炭塔の後ろの昇降式のバケットが下りてくる場所で、昭和20年代の写真では、石炭を貯めるピットがあった場所であることが分かります。ピットに貯めた石炭をバケットに入れて、上に運び、給炭塔の中に石炭を納めるという仕掛けです。
昭和20年代の写真では、ここまで引き込み線が来ていて、貨車から直接石炭をピットに落としていたようなのですが、昭和30年代にその方式をやめて、手前に石炭置き場の上屋をたてて、そこに石炭を一時貯めて、そこからピットに入れるようにしたようです。その際、ピット内の石炭を雨から守るために上屋を作ったようなのですが、その上屋にスロープをつけて、石炭置き場からベルトコンベヤーで石炭を運び、このスロープに出して、ピット内でまっているバケットに直接石炭をすべり込ませていたようなのです。
以上は、私の推測なのですが、ちゃんとした写真が手元になく、色々な写真にチョコット一部が写っているだけなのです。一番良く分かる写真が、この明細図面集の裏表紙の写真なのです。
とにかく、このいかにもあり合わせで作った木製の建物を建てないと、気が済まないので、エイヤッと設計してしまいました。
骨組みは1.5ミリ角材です。またしてもチョッパーの登場。これがなかったら、こんなにやたらとストラクチャー工作していなかったかもしれません。材料を切ってるだけで、とにかく楽し~(病気だね…)
とりあえず、前後の枠を作りました。後に見えるのは、自分で作った設計図をコピーしたもので、これに角材を現物合わせにして、スパスパ組み立てます。
というわけで、全体の大まかな形を作りました。側面の板は、STウッドを1.5ミリ幅に切り出して使いました。これでいいのかもわかりません。どうなる事やら。
そのうち、趣味誌なんかにいい写真が出てくるんだろうな~。いつもそういう目に会うんです。
覚悟の上です。
いよいよ塗装です
塗装は、マッハのメタルシールプライマーを下塗りしてから、エコーの艶消し黒を吹きつけました。増炭塀の木目が埋まらないよう、プライマーはうすめにしてあります。
実は、資料がなくて不明なのですが、国鉄のセキに習って、炭庫内は錆止め塗料の錆鉄色(艦底色)を塗ります。
インレタは、資料の写真を参考に、イラストレーターで原画を作り、くろま屋さんにインレタを特注しました。なかなかいいできでしょう!
でも、実は、まだ足りないのです。白枠で囲った北海道内限定(黄色帯ではありません)の旧式の表記があるのですが、全体の単語が不明なので、原画を起こせません。どなたかご存じないでしょうか?
グレーのパステルでウェザリングして完成です。北炭マークがいいですね。
セキ1000(アダチのキット)と比べます。背の低さがよくわかりますね。
4両並ぶと、それなりに壮観です。(自己満足…)
もっと貨車作らなきゃ!