2018年度、地村さんは福井県小浜市内の全14小中学校で啓発講座を開き、579人の児童生徒に自身の経験を伝えた。
「今の中高校生は拉致を知らない世代」
17年前に帰国を果たした福井県小浜市の拉致被害者、地村保志さん(63)が、講演のたびに口にする言葉だ。
地村さんは「拉致が昔の悲しい歴史になってしまう」という危機感がある。
(拝借)
横田めぐみさんの拉致とは違って、
地村さん夫婦の場合は、現実に戻られてきているので、
具体的に何が起こったのか分かっているわけであります。
先日、小浜に行った際、この拉致事件が起きた現場に行ってきました。
その時何が起こったのか、どのように拉致が行われたのか確認したいと思います。
その展望台はあの岬の高台にあります。
今から40年以上前の出来事です。
福井新聞ONLINE「地村さん夫妻、拉致された夜」より
星空がきれいな1978年7月7日夜、福井県小浜市のレストランで食事を終えた同市の地村保志さん=当時(23)=と浜本富貴恵さん=同(23)=は、地村さんの軽トラックで標高67・2メートルの小浜公園展望台に向かった。七夕のデート。2人は1週間前に結納を交わし、秋に結婚することが決まっていた。
海沿いの通りから山にあがる道が出てくる、
その狭い道を通って、
展望台へ向かう。
対向車とすれ違うのが難しい細い道です。
途中で、頂上近くの道を、男4人が歩いて登っていくのが、窓越しに見えた。保志さんは関係者に「半袖のワイシャツみたいな服で、夏場の観光客のようだった」と話している。当時、展望台近くにはユースホステルがあったため、不自然な光景ではなかった。
ということは、あらかじめ地村さんと浜本さんを狙ったのではなく、
偶然に地村さんアベックが被害を受けたということになる。
展望台に到着。
展望台付近に車を止めて、階段を上り、展望台の2階に行った。
眺めがいい。
結婚直前の二人は、この時まで幸せだった。
柵にもたれ下をのぞくと、外のベンチに座っているアベックが、さっきの4人に取り囲まれていた。追い払われるように、アベックは車に乗って去って行った。
「様子がおかしい」と思った保志さんは、下の様子を確認するため、たばこを取りに車に戻った。
悲劇はすぐそこに迫っていたんだ・・・。
展望台1階のベンチに座り、たばこを吸っている4人が見えた。
保志さんはたばこを持って2階に戻ったが、嫌な予感がした。立ち上がって帰ろうとすると、4人が後ろに立っていた。階段を上る音など、近づく気配はまったく感じなかったという。
その瞬間、後ろに倒されうつぶせにされた。猿ぐつわのようなものを口にはめられ、保志さんは手錠、富貴恵さんは後ろ手に縛られた。足も縛られた。
保志さんは頭を振って抵抗したため、地面に顔を擦った。そして、2人はそれぞれ麻のような袋をかぶせられた。うつぶせの状態で、男の肩に担がれて、斜面を下ろされた。
保志さんは関係者に「動くたびに男の肩がみぞおちに入り苦しかった。自分が動こうとすると、手錠が締まっていく感覚があった」と打ち明けている。
音と男たちの動きから推測すると、車道に出て、
1台の車が通り過ぎるのを待って、
浜まで下ろされた。
ここだ。
息苦しそうにしている保志さんを見かねたらしく、口元付近の袋の布がナイフで切られた。そのすき間からわずかに見えた風景を保志さんは覚えているという。両端には岩、正面には真っ黒な海と、奥にはいさり火が光っていた。
この岩を見たのだろうか。
襲われてからここまでの間、2人は男たちの声を一言も聞いていない。まさに無言の犯行だった。
そして二人は連れていかれた・・・・。
怖ろしい・・・・。
こんなに恐ろしいことが起こるなんて夢にも思わなかったでしょう。
40年前の暑い夜に、この展望台で、
とても怖ろしい事件があったんです。
軽トラックだけが、
残されて・・・、
地村さん夫婦が後にこう語っている。
「人生の最も大事な時期を日本で過ごすことができなかったことは、悔やんでも悔やみきれない」
夫妻は婚約後の1978年7月7日に行方不明となり、2002年10月に帰国、24年の歳月が経過していた。
新潟市拉致現場⇒横田めぐみさん拉致現場
宇出津拉致現場⇒久米裕さん拉致現場
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
金沢市ランキング
「今の中高校生は拉致を知らない世代」
17年前に帰国を果たした福井県小浜市の拉致被害者、地村保志さん(63)が、講演のたびに口にする言葉だ。
地村さんは「拉致が昔の悲しい歴史になってしまう」という危機感がある。
(拝借)
横田めぐみさんの拉致とは違って、
地村さん夫婦の場合は、現実に戻られてきているので、
具体的に何が起こったのか分かっているわけであります。
先日、小浜に行った際、この拉致事件が起きた現場に行ってきました。
その時何が起こったのか、どのように拉致が行われたのか確認したいと思います。
その展望台はあの岬の高台にあります。
今から40年以上前の出来事です。
福井新聞ONLINE「地村さん夫妻、拉致された夜」より
星空がきれいな1978年7月7日夜、福井県小浜市のレストランで食事を終えた同市の地村保志さん=当時(23)=と浜本富貴恵さん=同(23)=は、地村さんの軽トラックで標高67・2メートルの小浜公園展望台に向かった。七夕のデート。2人は1週間前に結納を交わし、秋に結婚することが決まっていた。
海沿いの通りから山にあがる道が出てくる、
その狭い道を通って、
展望台へ向かう。
対向車とすれ違うのが難しい細い道です。
途中で、頂上近くの道を、男4人が歩いて登っていくのが、窓越しに見えた。保志さんは関係者に「半袖のワイシャツみたいな服で、夏場の観光客のようだった」と話している。当時、展望台近くにはユースホステルがあったため、不自然な光景ではなかった。
ということは、あらかじめ地村さんと浜本さんを狙ったのではなく、
偶然に地村さんアベックが被害を受けたということになる。
展望台に到着。
展望台付近に車を止めて、階段を上り、展望台の2階に行った。
眺めがいい。
結婚直前の二人は、この時まで幸せだった。
柵にもたれ下をのぞくと、外のベンチに座っているアベックが、さっきの4人に取り囲まれていた。追い払われるように、アベックは車に乗って去って行った。
「様子がおかしい」と思った保志さんは、下の様子を確認するため、たばこを取りに車に戻った。
悲劇はすぐそこに迫っていたんだ・・・。
展望台1階のベンチに座り、たばこを吸っている4人が見えた。
保志さんはたばこを持って2階に戻ったが、嫌な予感がした。立ち上がって帰ろうとすると、4人が後ろに立っていた。階段を上る音など、近づく気配はまったく感じなかったという。
その瞬間、後ろに倒されうつぶせにされた。猿ぐつわのようなものを口にはめられ、保志さんは手錠、富貴恵さんは後ろ手に縛られた。足も縛られた。
保志さんは頭を振って抵抗したため、地面に顔を擦った。そして、2人はそれぞれ麻のような袋をかぶせられた。うつぶせの状態で、男の肩に担がれて、斜面を下ろされた。
保志さんは関係者に「動くたびに男の肩がみぞおちに入り苦しかった。自分が動こうとすると、手錠が締まっていく感覚があった」と打ち明けている。
音と男たちの動きから推測すると、車道に出て、
1台の車が通り過ぎるのを待って、
浜まで下ろされた。
ここだ。
息苦しそうにしている保志さんを見かねたらしく、口元付近の袋の布がナイフで切られた。そのすき間からわずかに見えた風景を保志さんは覚えているという。両端には岩、正面には真っ黒な海と、奥にはいさり火が光っていた。
この岩を見たのだろうか。
襲われてからここまでの間、2人は男たちの声を一言も聞いていない。まさに無言の犯行だった。
そして二人は連れていかれた・・・・。
怖ろしい・・・・。
こんなに恐ろしいことが起こるなんて夢にも思わなかったでしょう。
40年前の暑い夜に、この展望台で、
とても怖ろしい事件があったんです。
軽トラックだけが、
残されて・・・、
地村さん夫婦が後にこう語っている。
「人生の最も大事な時期を日本で過ごすことができなかったことは、悔やんでも悔やみきれない」
夫妻は婚約後の1978年7月7日に行方不明となり、2002年10月に帰国、24年の歳月が経過していた。
新潟市拉致現場⇒横田めぐみさん拉致現場
宇出津拉致現場⇒久米裕さん拉致現場
【ヒゲ親父】
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
金沢市ランキング
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます