https://news.yahoo.co.jp/articles/fce2fce13aebf6c2688e6083cd6cd9bf2c596d7b
両陛下、熱海市土石流災害の犠牲者追悼式へ生花一対を贈られる 7/1(金) 13:03配信
宮内庁は、天皇皇后両陛下が去年7月に静岡県熱海市で発生した土石流災害による犠牲者の追悼式が3日に営まれるにあたって生花一対を贈られたと発表しました。
1日午前11時に宮内庁の総務課長から熱海市に伝達されました。
・・・ここまで・・・一部転載
https://news.yahoo.co.jp/articles/481774f9f1e7ba18e5e9540b2bb073d5eaf448a4
両陛下、記念式典に出席 フルブライト交流70周年 7/1(金) 17:39配信
天皇、皇后両陛下は1日、東京都千代田区の帝国ホテルを訪れ、交換留学制度の「日米フルブライト交流計画」70周年記念式典に出席された。天皇陛下はあいさつで「今後とも、交流計画を通じて、日米の人々の相互理解が一層深まるとともに、世界の平和と発展に寄与していくことを希望する」と述べた。
両陛下はいずれも留学経験があり「若い時の海外への留学は、とても貴重な経験となる。留学先の国の社会や文化などについてじかに知る経験ができたのみならず、自分の国を見つめ直す良い機会になった」と振り返った。
交流計画はフルブライト元米上院議員の提唱で、1946年に発足した。
・・・ここまで・・・
フルブライトは70周年ということは、昭和27年、この年の4月に日本はアメリカから独立したと言われています。1946年の発足で交流計画は、今年で76年です。
敗戦後、この交流制度は日本を親米に育てるのに役に立ったことでしょう。
今上と雅子さまも留学経験があり、と書いてありますが、フルブライトではなかったと思います。
1ヶ月くらいも前の画像です
パソコン復旧、万歳!
フルブライト留学生からはノーベル賞受賞者が輩出していますし、貧しかった日本からアメリカ留学の機会を得た優秀な学生にとって、大きな意味があったと思います。
日本はアメリカの奴隷になったかも知れませんが、ソ連の奴隷になるよりは遥かに幸せでした。ソ連なら、あからさまに非人道的で、反発を誘う、わかりやすい圧政を敷いたでしょうね。ただ、アメリカへの信仰にも似た長い追随の中で、反発も忘れ、見失っていることも多いかと。
ところで、浩宮殿下と同時期にオックスフォードに留学していた人の話があって。特に親しかったわけでもなさそうですが、帰国して一度だけ、留学生仲間にお招きがあったそうです。御所では、「フツーのサンドウィッチが出ただけ」とのことでした (´艸`*)
外が明るいから、迷います。
KDDIが調子悪いでしょ、あれと関連していたのでしょうか。
でも、復旧してくれてホッとしました。ブログを書くことが唯一のストレス発散! 万歳!ありがとございます。
ご指摘の通り、ソ連の奴隷になっていたらと思うとゾッとします。
半分に分割させられていたかもしれませんよね。
>反発も忘れ、見失っていることも多いかと
…ご指摘の通りと思います。アメリカも、そこまで面倒見れなくなっているのにね。
普通のサンドイッチだけ? それだけ? その話初耳です。
質素倹約と聞いていますが、後々の風のうわさを考慮してコース料理くらい出せなかったんですかねぇ。
サンドウィッチ云々は、私の身内夫婦の昔のテニス仲間とかの男性の実話です。清貧を旨とする、までは行かないにしても、贅沢はしない日常だったのじゃないでしょうか。浩宮殿下の留学は昭和60年までなので、当時の東宮御所の方針だったのでしょう。
昭和天皇が崩御されたのを機に、ご一家から独立されたということで、雅子さまを招いてご馳走で釣ったのは、その後の話。愛子さまのご学友を招いて屋台を仕立てて云々とか、ご静養先に招くとか、成金風になるのは、ご結婚後の価値観大変動によるものかと。
日本全体も大きく変化しましたし。昭和時代の、気のきかない若い男性の主催する昼食会? だとそんなところかも。
贅沢はしない日常、昭和天皇がご健在でいらしたころなら納得です。実話ということで更に納得です。
一般人からしたら、きっと豪華なと思ってしまいますよね。
確かに、成金風味になったのはご成婚後でしたね。
その方が、楽しく感じられたのでしょう。