ミラクルな日常

ゆんゆん2号の日常、野球、韓流、旅日記!

携帯電話

2004年11月17日 | 思い出
「携帯は不可欠」20代の3割 本社世論調査 (朝日新聞) - goo ニュース

何年か前に、海外旅行で成田空港に行った時の事。
飛行機に乗り込む前に、携帯電話の電源を切ろうと思ったが、携帯が見つからない。
『あれ?さっき確かに使ったのにな…』
どこかに入っているはずだ!落ち着いて探せ。
ポケットも、かばんも全部ひっくり返して探したが、全く見当たらない…。
ないっ!

しかし、飛行機の搭乗時間はもうすぐ…。
空港の案内所に遺失物の届けがなかったか尋ねてみたが『届いてない』との事。
誰かに悪用されたりしないだろうか…?でも探している時間も無い…。
えぇ…どうしよう…。
どうしようもない。
不安な気持ちのまま旅立ったのだった。

さて、帰国後。
成田に着いて空港の警察署の遺失物係りに電話をしてみたが、時間外なので確認が出来ないと言う。
『そこをなんとかぁ…』と粘ったがダメだった。
もし届いていれば、すぐに取りに行けるのに…。
翌日、もう一度警察に電話をすると、ちゃんと届いていた!
とりあえずホッとした。
でも、成田まで取りに行くのはちょっと…。
郵送してもらえないだろうか?
お願いをしたところ、郵送は出来るが書類のやり取りがあって結構時間がかかるそうだ。
でも私も、いつ成田に取りに行けるかわからないから同じだ。
郵送でお願いすることにした。
しばらく携帯のない生活が始まった。

別になきゃないで、なんの問題もなかった。
だって、昔は携帯なんてなくても生活に支障はなかったんだから。
『だから、今は携帯がないんだ~。』
そんな経緯を友人に話すと、
『携帯がない生活なんて考えられない!1日でもなかったら不安でどうしたらいいかわからない…1週間もなくて平気だなんてスゴイ!』
と言われてしまった。
それは単に私に友達がいないからじゃないのか!?
まぁいいや。
でも、そう言っていたのが男子だったから、
『男ってさびしがり屋なのね…』なんて思ったりした。

出会えない①

2004年11月08日 | 思い出
高校時代、あるメルヘン系バンドが大好きだった。
もう夢中だった。もちろんファンクラブにも入っていた。
彼らの所属事務所にも、よく遊びに行った。
時々彼らも来ていたようだが、大好きなヴォーカルのKくんに会うことはなかった。
彼らが好きで好きでその事務所で働きたくて、就職を志望していた私は、その会社の募集要項を満たしていないにも拘わらず、無理やり頼み込んで面接をしてもらった。
当然、結果は×だった。
音楽関係の仕事以外やりたい仕事なんてなかった。
両親に『音楽関係の専門学校に行きたい』と頼んだが、
『ウチには専門学校に行かせるようなお金はない!行きたかったら自分で働いて通え!』とあっさり断られてしまった…。
入学金を支払う貯金も、働きながら学校に通う根性もない私は、あきらめて、学校に来ていた求人の中から適当な会社を選び就職した。
それも、行きたいところがないのに『早く決めろ!』と先生にしつこく迫られて、仕方なく無理無理選んだ会社に。
そうこうしているうちに、彼らは活動を休止した。

数年後、また彼らが活動を開始した。
私はとっくに会社を辞めて、アルバイト生活を送っていた。
もうすぐ彼らのライブが行われる、そんなある日の夜。
バイト先から帰宅すると、私宛てに彼らの所属事務所のさんという人から電話があったという。
『なんだろ?電話くれとか、なんか言ってなかったの?』
『別に何も言ってなかったよ。まだ帰ってきてませんって言ったら、そうですか…って。』
う~ん、なんだなんだ?おいしい話だったら、すごーく残念だぞ。
結局なんだかわからず終いだった。

さて、待ちに待ったライブの日がやってきた!
『生』の彼らに会えると思うとドキドキだった。
バイトを早退し、川崎のライブ会場へ向かった。

『ゆんゆん2号さん?』
突然、会場入口で関係者受付にいたお姉さんに呼びかけられた。
だ、誰なんだ?全然知らない顔だ。なぜ私の名前を知っている…?
よくわからないが、呼ばれたのでそちらへ近づくと
『覚えてませんか~?です!中学の時一緒だった。』
『…?ああー!!!え~!?久しぶり~!』
『私、変わったから、わかんなかったでしょ~。』
本当に!
あんなに小さくてガリガリだった中学時代の彼女の面影は、全くない。
よくぞここまで大きくたくましく育ったもんだ。
しかしなぜさんがここにいるのだろうか?
『私ね、今○○のファンクラブ担当してるんだ~。』

彼女は、ファンクラブ名簿の中に偶然私の名前を見つけて思わず電話をしてしまった、と告白した。
それで先日の電話のなぞが解けた。
あんなに入りたかったあの会社で、中学時代の同級生が働いている。
しかも、大好きな彼らのファンクラブ担当。
ちょっぴり悔しいけど、知り合いが働いていると思うとなんだか鼻が高かった。
しかし、知り合いがいるからといって特別な恩恵が受けられるわけはなく、時々彼らや所属事務所のアーティストの差し障りのない話を聞かせてもらうくらいだった。

彼らのバンド生命は短かった。
復帰した!と喜んだのも束の間、あっという間に解散。
ものすごくガッカリしたが、私はすでにメルヘンな音楽を求めてはいなかった。
仕方がない…それが時代の流れだ。
解散ライブ終了後、ライブ会場内で関係者の軽い打ち上げがあった。
全く関係ないのだが、その時はさんにこっそり入れてもらった。
しかし、居場所はなく、部外者であることに居た堪れずすぐに退散した。
結局最後まで彼らと出会うことはなかった。