終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

遠隔操作?で、何度トライしてもup出来なかった記事

2014-11-20 21:32:34 | 亡国
http://s.ameblo.jp/z777x888/entry-11802648653.html

トンデモ本を出版する人達はヘッセン陣営の手下

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-173.html


フルフォード氏、副島氏、コシミズ氏、中丸氏、等々、本を出すくらい有名な専門家と称する人達は、真実を歪曲させ、ヘッセン陣営お得意の、人に罪をなすり付ける役者さん達、もしくは、洗脳され、本当にそうだと信じている信者達なのです。

そうでなければ、とっくの昔にヘッセン陣営(カラス)に殺されています。

講演会まで開き、ネットでも無数の動画を流し、それが真実であれば生きているハズが無いのです。

東日本大地震はアメリカ・ロック爺ちゃんが起こしたというウソを流し、本当の犯人から目を逸らさせる。
911もロック爺ちゃんのせいにして、真犯人は絶対に書かない。
今に始まった話ではありません。

広島・長崎の原爆は、戦争中であったことを良い事に、アメリカの仕業にしたのです。

犯人は国じゃないんですよ、国をまたいだショッカーみたいな組織なのです。
それも一つではないのです。

名無し先生はこうもおっしゃられます。

もし次の世界大戦が起きる処まで、彼らが世界を誘導したならば、 日本は「ネオ満州国」を作り、イスラエルの民と協調し「ネオふぐ計画」を推し進める派閥と、 米国モンロー主義派閥(北軍派閥)と組んで、日本国内の国体を守る派閥に分裂するでしょう。 

引用ここまで

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裏天皇の正体14 ~明治維新は、倒幕(金貸し)V.S.佐幕(裏天皇)の対立構造によって引き起こされた。~


http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/03/002713.html


●高杉晋作らによる長州藩内部でのクーデター→倒幕一色となった長州藩



○1864年 元治の内乱(維新前夜)
第一次長州征伐によって壊滅的打撃を与えられた高杉晋作や伊藤博文、公家三条実美たち過激派テログループが再び決起し「功山寺挙兵」でクーデターを起こし、椋梨藤太を中心とした保守派を排斥してしまう。それが維新前夜「元治の内乱」である。

ここからが「明治維新」の幕開けである。
このクーデターによって長州藩は完全に反日倒幕テロ組織、「新長州藩」となる。
すっかり国際金融資本の手先となっていた高杉晋作は藩政を掌握すると「開国」、これまで攘夷派が封鎖していた下関港を開港し外国船をどんどん迎え入れ、武器弾薬、外国製品で下関港は溢れかえった。
この辺りから今まですっこんでいた極悪人岩倉具視や武器密売人坂本龍馬、そして薩摩の売国奴たちが一斉に動き出し、時代は風雲急を告げる。



○1865年 米国、南北戦争終結。
○1866年 第二次長州征伐、薩長同盟

ここでまた不思議な事に米国では、頃合を見計らってたかのように南北戦争が終結する。
後にその南北戦争で使われた武器を二束三文で買い叩き、薩長に高値で売りさばいていたのが英国の金融資本ジャーディンマセソン系列のグラバー商会である。麻薬貿易で暴利を貪った連中である。
そのパシリとなって暗躍した男こそ死の商人・坂本龍馬である。
その頃、薩摩のテロリストたちも動き出していた。
もともと薩摩藩論の主体は「佐幕」であり、「攘夷」ではない。
つまり、「開国」という悲願を内に秘めている。

そもそも薩摩は地理的に本土の末端であるということから、欧米との密貿易で藩政を賄い利益を上げていた。
薩英戦争などの遺恨は色々あったように見えるが、実は薩摩は初めから英国と手を結んでいたようなものである。
だから長州が「攘夷」から「開国」へ転身したところで利害が一致、それなら同盟を

結んで自分たちに有利な新政権を立てることも出来ると考えた。
ここで薩摩は「開国」の為「佐幕」を捨て、「倒幕」に変節した。
長州と並ぶ二大反日藩、「新薩摩藩」の誕生である。
つまり薩摩も結局は日本の行く末よりも、自分たちの利益が大切であったのである。
その急進派の代表が、大久保利通と西郷隆盛である。
そして薩摩は長州の武器調達のため英国を紹介した。これを「薩長同盟」と言う。
一般的には「坂本龍馬が、薩摩と長州を結びつけた」と言われているがそれは間違いで、正確には「薩摩が、英国の商社お抱えの武器密売商人坂本龍馬を長州に紹介した」と云うのが正しい。



1862年(秋)の文久(倒幕)テロリズムの直前に上海から高杉晋作(金貸しの手先)が帰国。高杉晋作は倒幕テロリズムの陣頭役となる。(この段階では長州上層部は倒幕ではない。)
→裏天皇と幕府は、倒幕テロリズムを鎮圧する実働部隊として会津藩と新撰組を決起し、1863年8月18日の政変・1864年の禁門の変が起こる。(この段階では薩摩藩は幕府側の会津藩と組んで長州を攻撃)
これで挙国一致が実現されると思いきや、1864年高杉晋作(金貸しの手先)がクーデターを起こし、長州の実権を握り、長州は藩をあげて倒幕に向けう。
→それを見た薩摩もこれまでの佐幕(公武合体論)を捨てて、一気に倒幕へと変節した。おそら

く薩摩は前々から英・ロスチャイルドと手を組んでおり、倒幕への変節機会を伺っていた可能性が高い。それほど薩摩の倒幕転向は急に起こった。
やはり倒幕テロリズム金貸しの差し金であり、それに対抗して裏天皇が会津藩・新撰組といった佐幕勢力を決起した。
◎以上より明治維新は、『金貸しVS裏天皇』を背景に起こった出来事であることが鮮明になった。


引用ここまで





 


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