夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

終戦と軍歌

2015年08月08日 | クラフト


日本を代表するサッカー選手が、幼少期を過ごした長崎を訪れる。
海外にいて自身のバックグラウンドを確認したい欲求に駆られたという。

それも戦争の被害者、長崎の原爆投下による生き残った人の「生の声」を聞きたいという。
広島に先に投下された原爆、知事たちが対策を立てていたその長崎にも投下され、防空壕を爆風が襲ったという。

別の方は弟妹二人を亡くし、坂道を駈けてくる弟に会い、生きていることを喜んだ。
しかし喜んだのも束の間、弟さんが「兄ちゃん、生きろ!」と言い残し被曝のため数日後死に至った。

人間の運命とはどのようにして神様が決めるのだろうか?
「兄ちゃん、生きろ!」と言われて弟を思いながら生き続ける兄の辛いことよ。

TVの報道で集団的自衛権を反対する若者を指して「自分が戦争に行きたくないからそういうのだろう。利己的だ」とする若い自民党議員がいて驚いた。
ならばあなたが率先して戦争に行きなさい、そういう政治家や軍人たちの過ちで日本国が取り返しのつかない犠牲を払ったのだから。

戦争の体験は、生の声を聞け。
亡くなった父は捕虜となって中央アジアに収容された、部下を引き連れて。

同じ大学に進んだ旧制中学の同窓が歌った「異国の丘」は、彼にはどのように聴こえていたのだろうか。
ずいぶん遅れて帰国した父は、郷里で竹山逸郎氏の公演に奔走したらしい。

軍歌は「戦争を鼓舞するもの」として色眼鏡で見ていた。
が、父の歌う軍歌を聴いているとやるせない悲しみを表現する手段としての役割を感じざるを得ない。

あの時代、誰も戦争が正しいとは思っていなかった。
お上に従う、御国のため、天皇のため、日本人の良くもあり悲しい性が、見事に新天地開拓、富国強兵、経済対策、正義といった美辞麗句に変換された時代であったと思う。

広島の平和記念式典での知事の言葉は重かった。
そこに日本国総理と旧日本軍と戦ったケネディ元大統領の娘キャロラインさんが同席して、核兵器の根絶を話題にしたことは意義深い。

父が生きていたら、今の与党にも野党にも言いたいことがあったろう。
軍刀を下げて右翼で向かった戦争から、共産国の洗礼を受けて帰国し、また晩年は資本主義経済の悲喜こもごもを味わうことになる。

経済学の基本を父から学んでおけば良かった。
戦争の話と。



竹山逸郎1969 異国の丘

軍歌 戦友 鶴田浩二