goo blog サービス終了のお知らせ 

夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

引き潮

2016年01月06日 | クラフト


学生時代のバンドの売りは、何でもできること
当時まだ盛んだったダンス・パーティのニーズは踊るためのバンドであり、リズムパターンが多ければ多いほど良かった

いい気持ちで踊っているカップルは、勝手なもので「ここでジルバ」とか「次ワルツ」とか要求する
終わる頃には「スロー」をリクエストしてチーク・ダンスを踊る

バンドマンを引き受ける者は、傍目で見て演奏するだけ
踊れる先輩諸氏はバンドを任せて踊りに入ってしまったり

今思えば社交ダンスは健全な男女の出会いの場であって、見知らぬ異性を誘うことができる
わずか3分足らずの演奏の間、ときめきを覚えながら次のパートナーを品定めする

映画「バック・トゥー・ザ・フューチュア」のシーンに出てくるような派手なパーティではなかったが、出会いの場であった
当時のハワイアン・バンドはそうしたダンスパーティ向けには都合が良かった

スティール・ギターでメロディを取り、「マンボ」と言われれば「真珠貝の唄」を演奏する
さらにスタンダードジャズを期待される場合は、ビッグバンドのコンボ編成と対バンで出かけた

「引き潮」はインストルメンタル曲として知られており、ドラマチックな構成が好きだった
Kくんの弾くビブラフォンのメロディから始まってスティールギターにチェンジする

ロバート・マックスウェルの作ったこの名曲、本当に潮が引いていくような後半が素晴らしい
ライチャス・ブラザースのボーカルものもまた良い

この曲、落ち着いたリズムをキープするのが難しい
スローでノリがあって雰囲気があってと

学生時代が懐かしい



Righteous Brothers - Unchained Melody [Live - Best Quality] (1965)

Righteous Brothers - Ebb Tide live

You've Lost That Lovin' Feeling - The Righteous Brothers 2002

イン・ハワイ

2015年12月31日 | クラフト



カントリーといえばタミー・ウィネットの「Stand by your man」が衝撃だった
ハスキーな声に魅力があったし、落ち着いた演奏をバックに歌う楽曲が素晴らしい

なおかつ彼女がこの曲を作ったと聞いて驚いたものだ
シンガーソングライターはカントリー界にも多いようで、あのドリー・パートンも然りだった

ホイットニー・ヒューストンで知られる「I always love you」が彼女の作品と知って驚いた
プレスリーがカバーしたり、何回もヒットしてきた名曲だそうな

印象的なフレーズは「G Em Am D7」といった循環コードに聴こえるが、そこに哀愁というのか、いつまでも愛しているという情感が表現されている
こういう曲を書ける人ってどういう生活をしてきたのかしら

ウィキによれば貧しい家庭に生まれて若くしてギターに触れて歌ったらしい
ナッシュビルに移り住んでジョニー・キャッシュなどと出会い音楽活動を続ける

ヒットに恵まれて事業や教育など社会的な活動も旺盛にこなしてきたようだ
ハワイでの事業活動やTV番組制作などの映像を見れば、古き良き時代の活躍を垣間見ることができる

ジェリー・バードとのセッションも、カントリー、ナッシュビルのキーワードで繋がる
ハワイ・カイにレストランを経営していたというエピソードも想像がつくというもの

精力的に活動していた頃のパラニ・ヴォーンとのデュエットはお宝映像だ
ハワイ音楽とポップスとの掛け合いアレンジは、ひょっとすると彼女のアイデアかしら

学生の頃カントリー、ハワイアン、タンゴ、ジャズなど軽音楽は明確にジャンル分けされていた
ラジオ番組然り、レコードショップの商品区分然り、大学の音楽サークルまで綺麗に分かれていたように思う

そしてそれらの垣根はそんなに高くなくて、いい曲やヒットがあればジャンルを超えて純粋に楽しんだものだ
しかし70年代以降、夥しい音楽ジャンルが林立した結果、我々一般視聴者はマニアの仲間入りを強制された感もある

丁度その頃「Hawaiian culture renaissance 」のムーヴメントに触発されて花開いたハワイ音楽、ダカインサウンドにどっぷり浸かってきた
それは人生の大きな時間を費やして没頭した幸せな出来事であり、大切な宝になっている

今思うのは、細かくセグメント分けされた世界の専門的な話でなくジャンルを超えた音楽世界へのノスタルジーかもしれない
自分がどう踏ん張ったところで自分でしかないように、道はある程度用意されているのだろう

そこに新たなる出会いが待っている





Jerry Byrd Steel Guitar w/ Dolly Parton in Hawaii

Dolly Parton & Kenny Rogers - I Will Always Love You - Celebrating 25 Years Of Dollywood


UNCHAINED MELODY - DOLLY PARTON - LIVE IN HAWAII

Dolly Parton in Hawaii on Dolly Show 1987/88 (Ep 16, Pt 3)

Dolly Parton Show -My Hawaii 1988

話すように弾く

2015年12月18日 | クラフト




聴衆が総立ちになって我を忘れる、くらいのノリを出している
いやそれ以上にバンドメンバーがノリにノリまくっている

こういうステージを実現したいものだ
自制的なドラムスとノリを作るワインレッドのプレシジョンベース、一音一音が正確に出ていて気持ちが良い

カントリーなのか、ロックンロールなのか、はたまたジャズなのか
よくわからないがこのシンガーソングライター氏、ノリを創出することに長けている

チェット・アトキンスに感化されて育った人は数多い
子供の頃から尊敬してきたミュージシャンとセッションできる幸せを誰に伝えようか

音楽は人を介して伝わる
紙や媒体ではない、人の心を通じて



Country Instrumental Showcases


Chet Atkins Special

バンドのグルーヴ

2015年12月16日 | クラフト


ドラムスとベースが良ければバンドの音空間が伸び伸びとしてくる
ではベースとドラムが良ければそれで全てが解決するかというとそういうわけでもない

1965年の「Bo Diddley」の演奏を見れば彼がリズムにかなりこだわっていることがわかる
ボ・ディドレーといえばシガー・ボックス風のユニークな形のギターを思い浮かべる

しかも押さえ方を見ているとオープンチューニングであることがわかる
1987年の「Crackin' Up」ライブ映像を見るとドラムスとベースが実にいいグルーヴを繰り出している

こんな音場の上でならご機嫌なプレイが出ないはずがない
さすが本家本元カッティングだけでアドリブになっているどころか会話になっている

アップテンポにすればノッていると勘違いする方がいるが、そうではない
ミディウムテンポでもグルーヴを出すことができるし、そうありたい

簡単なことのようだが、これがなかなか難しい
認めたくないが、自分ができていないことを認識すべきで日々これ精進ということ

初心に戻ることか  

Ron Wood & Bo Diddley - Crackin' Up - 11/20/1987 - Ritz (Official)

Ron Wood & Bo Diddley - Ooh La La - 11/20/1987 - Ritz (Official)

Ron Wood & Bo Diddley - Road Runner - 11/20/1987 - Ritz (Official)

BO DIDDLEY 1965



ユイユイ

2015年12月15日 | クラフト


ポンキッキーズの子供向け音楽には佳曲がある
ユイユイシスターズの「ユイユイ ユイマール」はのちにカセットテープを入手してしまったほどインパクトがあった

「ユイ」は「結」、助け合いの精神とでもいうのか
茅葺の屋根を葺く時に周辺の住人がみんなで協力して手伝うという慣習は本土でも行われてきた

一人でお仕事大変ね、みんなでやれば楽しいよ、と言った歌詞が明るいリズムの上でさらりと歌われる
聴いただけで沖縄を感じるモダンなメロディを山川という女の子が歌う、作曲した知名定男さんという人を認識した曲だった


沖縄本島の北部に「共同店」という生協のような共同仕入、販売のシステムがあるという
生協やスーパーと大きく異なる点は、売り上げの一部が町に還元されるようだが、「組織として利益を目的としていない」点だ

終戦後、沖縄に資本主義社会がやってきて金儲け一辺倒のビジネスに住民は戸惑いを隠せなかったという
金儲けが第一の商売はもともと助け合いの精神で生活してきた人々の心をつかめず成立しなかった

そこで「よろず屋」機能を持つお店が必要となり、沖縄各地で「共同店」ができたようだ
生活に必要な商品を仕入れ販売する、少々高くても一軒しかないその店で人々は買っていく

本土における「よろず屋」も元来そういう地域のニーズから生まれたのであろう、少なくとも利益至上主義の経営を目指したわけではなかった
資本主義のメカニズムは、今や旧共産圏の外貨獲得とバブル経済の恩恵を与えて「爆買い」現象を引き起こしている

事業経営に成功した経営者が地域に貢献しようとすることがある
事業が成功したのは地域のおかげであり、地域に向けて何らかの貢献、お返しをしたいというものだ

いつも例にあげる太平洋諸国への大戦までの日本の接し方、それまでの植民地政策を推進してきた欧米先進国は伐採し収穫して持ち帰るだけで現地は荒れ放題
日本人は現地の人々の将来を考えて林業なり農業、漁業なりを指導し自立できるように手助けしてきた


今、外交官杉原千畝さんの映画が興行されているらしい
大戦中の日独伊三国同盟の中にあってリトアニアでの難民救済のためのビザを自らの責任で発給し6000人の人々を救った史実だ

医者になれという父に反発して早大に進んだが、仕送りがないため中退して外務省の官費留学生の道を選んだという
ロシア語など語学に強く事情通であったこと、キリスト教の洗礼を受けたなど、日本軍部からの要請と自らの信念との板挟みにあった

しかし本国からの指示に反して自らの責任でビザを発給して人の命を救う
救われた人々が礼を尽くすため日本に来ようとしたら、命令に反した外交官は冷遇されていた

河野洋平氏によって後年杉原氏の名誉は回復されたらしいが、日本人の叡智と愚かさ、正義への信念と事なかれ主義が史実として残った
先日久しぶりに耳にした「徳を積む」という言葉が、対岸の宗教世界の話ではなくて、生きるか死ぬか目の前のことであることを思い知る

「結」沖縄に行ってみたくなってきた

ユイユイ

普久原メロディー 四ない三とる節

普久原メロディー 娘シ?ントヨー

夏川りみ 『アメージング・グレース』amazing grace

「杉原千畝 スギハラチウネ」予告

ユダヤ人の記憶に生きる日本人 杉原千畝