松居一代 食育 和歌山編はこちら
松居一代 食育沖縄編 の記事は こちら
前回は隆一くんのアトピー闘病記でした。
救ったのは 中国にいらっしゃる漢方薬の先生でした。
それを治した記事はこちら
なんとね、隆一くんの アトピーが良くなってきて、安心した松居さんを
襲ったのは、 夫の借金。
元夫はアパレル社長。 誰もが知ってるブランド。
女遊びも激しかったらしい。 松居さんは隆一君のアトピーが心配で
借金の ”借” の字もうかばなかったらしいが、
実は、借金まみれだった。
そして、離婚と同時に、連帯保証人になっていた松居さんに1億7千万もの負債が。
実は私はこのころの 松居一代さんが嫌いだった。
派手にアパレル社長と結婚して、 毎日料理の写真を 撮っていると
バラエティに 出ていたことがあって、
今のようにデジカメもない時代に 毎日の料理をポラロイドで撮って
それを 保存してあった。
” なんだか いやな女! ”
ずっと そんな印象のまま離婚騒動や、 欠陥マンション騒動を見て
” やっぱり 嫌な女! ” の ままだった。
ところが、 あんな 顔面麻痺になっていたなんて・・
多額な借金! 顔面麻痺!
松居さんの母が 病室に来て 松居さんのひどい顔を一目見て
泣き崩れたと言うのに
幼い隆一君は 松居さんのベットに
「これ、僕の宝物だから なくさないでね」と
グリーンのリボンを結んでくれた。
しかし 入院した病院では、治療はするが 完治はしないだろうと言われ
女優の仕事もあきらめて、毎日、 幼い隆一くんを
どうやって 食べさせていこうか、 考えていた。
口が利けないので、実家に預かってもらっている 隆一君に
毎日毎日 手紙を書いた。
そんな松居さんを 見舞いに来てくれたのが
当時 中国語を習っていた 中国人の先生。
その先生は、ちょうど中国から日本に来ていた
自分のお母さんを 連れてきていた。
秦 漢昆先生である。
秦 漢昆先生は 鍼灸師で 先生の夫が ひどい顔面麻痺になったときも
鍼灸で 治した経験があるという。
秦 漢昆先生の顔を見て 松居さんは この人に 私の運命を託そうと
思ったそうだ。
入院から2ヶ月、完治しないと言われていた 松居さんの顔面麻痺は
秦 漢昆先生の針治療で 完治した。
しかし その2年後、秦 漢昆先生は 脳梗塞で亡くなってしまう。
まるで わざわざ、亡くなる2年前に、松居さんの顔面麻痺を治すために
日本に来たかのように 思える。
しかもこの秦 漢昆先生、隆一くんのアトピーを治した漢方の先生と
同じ病院だった。
中国4千年の歴史は すごい。
やはり 中医学は すごい。
私も昨年はひどかった。
春から 風邪を引いたかと思っていたのが
夏になっても よくならず、真夏にブルブル震えていた。
その時は、 人と会うのが嫌で、マンションの人と合うのさえ苦痛だった。
いつもお世話になっている針の先生の治療も受けられず
大学病院で随分、検査をしたが、 原因がわからず、重度の鬱と診断。
毎週 山のように 抗鬱剤、安定剤などを処方された。
しかし、一向によくならず
私はまた 針の先生を訪ねた。
先生は、 今はとても 針治療できる状態じゃないから
台湾人の 漢方の先生を紹介するけど
行ってみるかい? とおっしゃった。
漢一診療所である。
先生は 脈を診、 舌を見、 おなかをさわったり 足のむくみを見たり
そしてさらに 大学病院より詳しい血液検査もやった。
すると 甲状腺に少し異常が見られるとの結果。
大学病院であんなに検査してもわからなかったのに・・・
それから 私の漢方治療が始まった。
まずは2日分。 様子を見て、薬で好転していれば また4日分、
どこか悪ければ また違う薬で2日分、
そうやって通ううちに だんだんと 悪寒がとれてきた。
そして 先生の顔を見ると 笑えるようになったのだ。
そして、 半年後 悪寒は完全にとれた。
お礼も兼ねて、針の先生に また治療をお願いしに 行った。
私の顔色が随分よくなったのをみて また針治療を 始めてくださった。
おかげで、一年中風邪を引いていた私が、風邪を引かなくなった。
頭痛薬が手放せなかったのが、 要らなくなった。
私も病気に関しては松居さんと同じ意見である。
ほんとに いいお医者様もいらっしゃるが
そうでない お医者様もいらっしゃる。
私が膵炎になったときも 風邪、胃炎、腸炎、疲れでしょう!
など どこへ行ってもわからなかった。
だから やはり 病気になったときは セカンドオピニオン、サードオピニオンを
求めて 『気』 で がんばらなければ 病気とは闘えない。
松居さんは 最愛の夫船越さんが重度のヘルニアで倒れたときも
治療の記録を 全部ノートに取っている。
松居さんも偉いと思ったが、 それを 許可してくださった先生も
信頼できる。
普通は 治療の記録を取らせてと言うと、 絶対に嫌がられる。
だけど、こういう先生もいらっしゃるのだと 関心しました。
名医のいる病院でも紹介している 大和成和病院の南淵先生は、随分前から
ご自分の手術を 患者さんの ご家族に公開されています。
公開できないような手術はしない! これが 心情です。
ありがたいことに 今はネットの時代。
良いお医者様を選びましょう。
そして、 重度のヘルニアで 要手術と言われた松居さん。
なんとか 夫の体にメスを入れたくない!!
その一心で レントゲン写真を借りて、あちこちの病院を訪ね歩き
(やはりいい病院です。普通はレントゲン写真かしてくれません。
また よその病院で撮った写真で 意見を聞かせてくれた
お医者様もいい病院です。 普通は自分のところで検査しないと
意見なんて 言えない! と 叱られます)
でも、どこの病院も 結論は同じ。 要手術!!
ここからが 松居さんのすごいところ。
お掃除パワー全開! そうしたら 全国からいろいろな人が心配して
ヘルニアの情報を寄せてくれたそうです。
船越さんも涙しながら 感激されたそうです。
すると不思議なことが起こりました。
船越さんのレントゲン写真に 異変が!!
なんと 良くなっていたのです。
それで 手術もせずに また
2時間ドラマの帝王として 返り咲いた 船越英一郎さん
そんな松居さんを見て 中居くんが
「頼もしい!」 と 言いました。
なんと 船越さんが 松居さんと結婚したのも
「頼もしい!」 と 思ったからだそうです。
恐るべし、お掃除パワー。 今はとってもいい顔をされていますよね。
船越さんと結婚してからの松居さんは 大好きです。
なんとか あのパワーにあやかりたいと 思っているのですが
我が家には、 約一名 物を全く捨てられない人がいるので・・・
前々回の松居一代さんのお話はこちら
松居一代 食育沖縄編 の記事は こちら
前回は隆一くんのアトピー闘病記でした。
救ったのは 中国にいらっしゃる漢方薬の先生でした。
それを治した記事はこちら
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なんとね、隆一くんの アトピーが良くなってきて、安心した松居さんを
襲ったのは、 夫の借金。
元夫はアパレル社長。 誰もが知ってるブランド。
女遊びも激しかったらしい。 松居さんは隆一君のアトピーが心配で
借金の ”借” の字もうかばなかったらしいが、
実は、借金まみれだった。
そして、離婚と同時に、連帯保証人になっていた松居さんに1億7千万もの負債が。
実は私はこのころの 松居一代さんが嫌いだった。
派手にアパレル社長と結婚して、 毎日料理の写真を 撮っていると
バラエティに 出ていたことがあって、
今のようにデジカメもない時代に 毎日の料理をポラロイドで撮って
それを 保存してあった。
” なんだか いやな女! ”
ずっと そんな印象のまま離婚騒動や、 欠陥マンション騒動を見て
” やっぱり 嫌な女! ” の ままだった。
ところが、 あんな 顔面麻痺になっていたなんて・・
多額な借金! 顔面麻痺!
松居さんの母が 病室に来て 松居さんのひどい顔を一目見て
泣き崩れたと言うのに
幼い隆一君は 松居さんのベットに
「これ、僕の宝物だから なくさないでね」と
グリーンのリボンを結んでくれた。
しかし 入院した病院では、治療はするが 完治はしないだろうと言われ
女優の仕事もあきらめて、毎日、 幼い隆一くんを
どうやって 食べさせていこうか、 考えていた。
口が利けないので、実家に預かってもらっている 隆一君に
毎日毎日 手紙を書いた。
そんな松居さんを 見舞いに来てくれたのが
当時 中国語を習っていた 中国人の先生。
その先生は、ちょうど中国から日本に来ていた
自分のお母さんを 連れてきていた。
秦 漢昆先生である。
秦 漢昆先生は 鍼灸師で 先生の夫が ひどい顔面麻痺になったときも
鍼灸で 治した経験があるという。
秦 漢昆先生の顔を見て 松居さんは この人に 私の運命を託そうと
思ったそうだ。
入院から2ヶ月、完治しないと言われていた 松居さんの顔面麻痺は
秦 漢昆先生の針治療で 完治した。
しかし その2年後、秦 漢昆先生は 脳梗塞で亡くなってしまう。
まるで わざわざ、亡くなる2年前に、松居さんの顔面麻痺を治すために
日本に来たかのように 思える。
しかもこの秦 漢昆先生、隆一くんのアトピーを治した漢方の先生と
同じ病院だった。
中国4千年の歴史は すごい。
やはり 中医学は すごい。
私も昨年はひどかった。
春から 風邪を引いたかと思っていたのが
夏になっても よくならず、真夏にブルブル震えていた。
その時は、 人と会うのが嫌で、マンションの人と合うのさえ苦痛だった。
いつもお世話になっている針の先生の治療も受けられず
大学病院で随分、検査をしたが、 原因がわからず、重度の鬱と診断。
毎週 山のように 抗鬱剤、安定剤などを処方された。
しかし、一向によくならず
私はまた 針の先生を訪ねた。
先生は、 今はとても 針治療できる状態じゃないから
台湾人の 漢方の先生を紹介するけど
行ってみるかい? とおっしゃった。
漢一診療所である。
先生は 脈を診、 舌を見、 おなかをさわったり 足のむくみを見たり
そしてさらに 大学病院より詳しい血液検査もやった。
すると 甲状腺に少し異常が見られるとの結果。
大学病院であんなに検査してもわからなかったのに・・・
それから 私の漢方治療が始まった。
まずは2日分。 様子を見て、薬で好転していれば また4日分、
どこか悪ければ また違う薬で2日分、
そうやって通ううちに だんだんと 悪寒がとれてきた。
そして 先生の顔を見ると 笑えるようになったのだ。
そして、 半年後 悪寒は完全にとれた。
お礼も兼ねて、針の先生に また治療をお願いしに 行った。
私の顔色が随分よくなったのをみて また針治療を 始めてくださった。
おかげで、一年中風邪を引いていた私が、風邪を引かなくなった。
頭痛薬が手放せなかったのが、 要らなくなった。
私も病気に関しては松居さんと同じ意見である。
ほんとに いいお医者様もいらっしゃるが
そうでない お医者様もいらっしゃる。
私が膵炎になったときも 風邪、胃炎、腸炎、疲れでしょう!
など どこへ行ってもわからなかった。
だから やはり 病気になったときは セカンドオピニオン、サードオピニオンを
求めて 『気』 で がんばらなければ 病気とは闘えない。
松居さんは 最愛の夫船越さんが重度のヘルニアで倒れたときも
治療の記録を 全部ノートに取っている。
松居さんも偉いと思ったが、 それを 許可してくださった先生も
信頼できる。
普通は 治療の記録を取らせてと言うと、 絶対に嫌がられる。
だけど、こういう先生もいらっしゃるのだと 関心しました。
名医のいる病院でも紹介している 大和成和病院の南淵先生は、随分前から
ご自分の手術を 患者さんの ご家族に公開されています。
公開できないような手術はしない! これが 心情です。
ありがたいことに 今はネットの時代。
良いお医者様を選びましょう。
そして、 重度のヘルニアで 要手術と言われた松居さん。
なんとか 夫の体にメスを入れたくない!!
その一心で レントゲン写真を借りて、あちこちの病院を訪ね歩き
(やはりいい病院です。普通はレントゲン写真かしてくれません。
また よその病院で撮った写真で 意見を聞かせてくれた
お医者様もいい病院です。 普通は自分のところで検査しないと
意見なんて 言えない! と 叱られます)
でも、どこの病院も 結論は同じ。 要手術!!
ここからが 松居さんのすごいところ。
お掃除パワー全開! そうしたら 全国からいろいろな人が心配して
ヘルニアの情報を寄せてくれたそうです。
船越さんも涙しながら 感激されたそうです。
すると不思議なことが起こりました。
船越さんのレントゲン写真に 異変が!!
なんと 良くなっていたのです。
それで 手術もせずに また
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そんな松居さんを見て 中居くんが
「頼もしい!」 と 言いました。
なんと 船越さんが 松居さんと結婚したのも
「頼もしい!」 と 思ったからだそうです。
恐るべし、お掃除パワー。 今はとってもいい顔をされていますよね。
船越さんと結婚してからの松居さんは 大好きです。
なんとか あのパワーにあやかりたいと 思っているのですが
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