リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

狭義の人格変化に挑む ②

2010年04月09日 | 本音と実情
久しぶりに会った中学の同窓生たちは
当時私が必死に演出していた私しか知らないので、
どれが本当の私か分からずかなり混乱したようです。

父も、母も、私という存在には相当ふりまわされ、
心配をかけてしまったことと思います。

とはいえ。
どれも本来の私なのですと言っても、理解しがたいのはよくわかります。
だって私自身にだってまだわかってないとこたくさんあるくらいですから。

本音を話していこう、少しずつでも理解してもらおうとしようとしても、
最初っから話にならない人もいる。
「リカちゃんは、リカちゃんじゃない」ってことらしい。
その人の中にある私というキャラから想定外のことを言ったりやったりすると
怒ったり、失望したり、逆に羨望されたり、わけわからないと放棄したり
馬鹿にしたり、なかったことにしたりする。
その度私も混乱する。
そして昔からある性格的癖、「私の努力が足りないせい」と
思い込んで悩みすぎたりするわけです。


なので、本音を話す、わかりやすく実情を語るという行為が非常に億劫です。
心許していろいろ話できるのは異性だけでした。
彼らは異物を異物として受け入れてくれるからです。
共感も求めないし、細かいとこ気にしないでいてくれるし、
彼氏となってくれると甘えさせてもくれた。

旦那様でもある拓さんはその最たるもので、
奔放で突飛な私をどれもにこにこ受け入れてくれます。
それどころか、そんな私という未解明な方程式を見つける苦労を一緒に背負ってくれる。
彼に出会ってなかったら私はどうなっていたろうかと思うとちょっと怖いです。

彼に出会って、結婚できてから
精神的余裕がだいぶ出てきたように思います。
以前と比べるとずっと冷静に自分を見つめられるようになってきたので
次の段階に行きたいのです。



怖がらず、本音を話す。
話す努力をする、ということを。



いや、やってみたら案外すんなり行くのかもしれませんし。
もうとにかく、やってみるしかない。



なんでこんな決意表明をしたのかというと。

もう、ほんと、しんどいのです。
本音を隠すあまり、自分でも意識しない本音がたまりたまってある日突然ふきだすのが。
また、それを避けようとしてボロ出さないように笑い続けることも。
「ちゃんと」していよう!と願い続けてしまうことも。
ほころびを別の何かで埋めようとすることも。

穏やかで余裕に見えるらしい私を、「いいご身分よね」って姫様扱いされることも。
そして「いつかきっとわかってくれる」と希望的観測を持ち続けることも。
「説明するより、実現させて認めてもらおう」って壮大な計画を練ることも。
人生そんなにながくねーよ、ってわかってきた。



まずは、怒ったら怒ったことを伝えてみることから。



中学の同窓生たちにやってしまったことを繰り返さないために。
本音が言えない、ってだけで、抱え込まなくていい罪悪感や怒りとか
相手にも与えてしまう嫌な感情はそのまましこりとして残ってしまう。
そういう場所がこれ以上増えないように。

つたない言葉だけれど、ちょいちょいつづっていけたらと思います。



狭義の人格変化に挑む ①

2010年04月09日 | 本音と実情
ずっと超えられなかった壁の端っこを掴んだような、そんな感覚が最近ありまして。
私の人格構造に関することです。
これまで自分の過去のことを語るのはあまり好きではなかったので避けてきたことなのですが、
今回あえて語ってみようと思います。



一年ほど前。
中学時代の同級生たちからSexRexのHPづてで連絡をもらうという、
なんとも印象的な出来事が二回ほどありました。

でも再会が新しい友情をつむぐことはなく、
友人たちに嫌な思いをさせて終わってしまっただけでした。

正直に話すと、私には地元への愛着とか故郷への帰依心などがほとんど、ない。
なぜなら田舎で過ごした18年間は私にとってつらい思い出が多いから。
不器用な私をそこで形成してしまったのかもしれないと思っています。

同窓生たちは郷土愛が私の中にも存在していると信じて疑わずに、無邪気に連絡をとってくれた。
私も最初はうれしかった。
でも彼女たちの中にある「同じ地元民だから」
という安心感が土台となった友情は私の中には育ちませんでした。
私が歌ってたり鑑定師やってたりすることで、
同窓生たちからはお願いされることは少なくなかった。
私もその思いに応えたかったのだけれど、応えつづけるには難しい距離感がそこにあって。
もっともっと慎重な問題としてかかわればよかったのだけれど。
結局失敗に終わってしまった。

私の父も、私の中にそういった感情があるはずだと信じて疑わなかった。
だからいずれ故郷に帰ってくるのだろうと思っていたみたい。
苦しい都会でこれ以上頑張るなと言われていました。
でも父の中でそれは長い時間をかけて絶望に変わり、変形した結果、
故郷を、父親を捨てたとさえ認識されてしまって
結婚を許してもらえるには思っていた以上の時間がかかったのでした。


全ては、私が本音を上手に伝えられないという欠点を持っているがゆえに起こったものだと思っています。


私は自分の感情や本音よりも、どうやって他人に受け入れられるか、
どうやったら認めてもらえるかを優先して考えてしまうようです。

中学のときは、「人畜無害になりたい」と思っていました。
空気のようにやさしく、穏やかで人格者でありたい。
思春期の多感な同級生たちを誰一人傷つけない存在でいたいと。
家でも特に母親に認めてもらえる子でいようとしましたが、学校でも家でもそんなのはムリで。
それでも、そうなれないのは自分の努力が足りないせいだと。
自分がトラブルメーカーであるとどこかでわかっていたので、押し殺すのに必死でした。
でも、そんな努力、穴だらけ。結局家で爆発をくりかえしては罪悪感。劣等感。
そのたび認めてもらえない悔しさを自分で貯金していってしまったように思います。

田舎特有の閉塞感の中、私のような目立ちたがり屋は母にとって悩みの種だったでしょう。
勉強も運動もそこそこ出来てしまうから注目されてしまうし、
他人から「優秀なお嬢さんね」と言われる度、母はそれを皮肉に受け取ってしまっていたようです。


どうにもならない私が選んだのは、お芝居の世界でした。
ここなら、思いっきり自分を叫べる!だってバーチャルだもの!
誰も本当には傷つけないし、でも全力で感情を表現できる!

それは、そーとー、甘い考えでした。。。
私の異様さはその世界に入ることでさらに浮き立ち、
世間からも家族からもますます気色悪がられていました。
でも、自分で知らなかった自分自身を発見できるような感覚はまるでトレジャーハンティングのようで、
私のお芝居でお客さんに笑ったり感動したりしてもらえた日は、
生きてていいんだって全身で思える、最高の快感。
その瞬間のためならどんなにしんどくても親に隠れてでも続けてしまってたのでした。

じゃー、高校の演劇部の仲間とは仲良しかというとそうでもなくて。
私にとっては部活が唯一の活力。部活の先輩後輩にとってはただの部活動。
熱量が違いすぎて、うざったい存在になってしまってました。
芝居のために全身鍛えまくって、当時は女子でありながら背筋力160ありました。
私を面白がるクラスの男子に体力測定のとき大爆笑されましたから、よく覚えてます。
だから腹筋20回で「もうだめー」って甘える演劇部の子を理解できなかった。
そのくせ。おおっぴらに部活動のために帰りが遅くなることは許されなかったので
本番当日でも大道具片付けもろくに手伝わず帰らなきゃならなかった。
これは反感を買わないわけないです。後輩たちにも示しがつかなかった。
両親と大喧嘩した次の日には断腸の思いで退部すると言い、でも翌日には耐え切れず復活、
でもまた親にバレて退部。もうめちゃくちゃです。
でも、どうやってわかってもらったらよかったのか、
どうやって当時の私の感情をコントロールしたらよかったか、今でもわからないです。