リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

人に救われることのありがたさ

2009年01月20日 | Weblog
「ほんと、ああいう人たちの手の早さにはびっくりしますよね。」


そういって柔らかく笑う彼女。
私の新橋での体験を話したところ、彼女は歌舞伎町で似たような仕事をしていたらしい。
しかも、私よりも過酷な状況で数年働いていたんだっていうから度肝抜かれた。

今はその職場を辞めて、探しに探しぬいたお仕事を楽しんでいる。
確かに当時よりもずっと肌がきれいになった。
ずっとやわらかくわらうようになったなぁと思う。


その子の歌舞伎町での体験を聞かせてもらって、なんだかとても気分がラクになった。
私よりずっと年下の彼女がこうやって笑って過去を話しているんだから、
新橋でのたった一日の経験を嘆いていられない。


人に傷つけられて、そして人に救われる。
本当にこの世の関わり合いは面白く、ありがたい。




ずっと、いえなかったことがあった。
私は本当によく仕事を変える。
ひどいときには3日でダメになったこともあった。
朝起きて、目は覚めているのに起き上がれない。
休みますの連絡すらも入れられない。
携帯に仕事先の電話番号を表示しているのに、発信ボタンだけが押せない。

もちろん、こんな状態で社会で成り立つわけがない。
社会人なら休むには絶対に理由が要る。
理由がわかっていればもっとラクになれる。
そこで嘘をつかなきゃならないのが更に苦痛を増す。
自己嫌悪のループにどっぷりつかってゆく。
同時に企業や職場ってものに対してどんどんうんざりしてゆく。

そのクセを、6年かけてじっくりと体にしみこませて来てしまった。

原因は散々探ってきた。
けれどどれもこれも効果をなさなかった。
その結果、職場の人に対して厚い壁を作るようになり、
借金がいつまでたっても減らなかった。


そうやって。
ある日また、欠勤をしてしまった。
飲食店でのバイトだった。
インフルエンザだと偽った。

そこの店長は「分かりました、よくなったらまた連絡ください。」と
優しく対応してくださった。



なんでだかわからない。
なんとなく、その店長には今まで職場で会って来た人たちと違うものがあったんだと思う。

後日改めて仕事じゃない日に会いに行き、
告白してしまった。

実はインフルエンザなんかじゃなかったんです、ってことを打ち明けた。



「僕も同じ心理で仕事辞めたことがあったんだよ」


と、店長も打ち明けてくださった。


店長はうつだったんだと言っていた。
でも薬の副作用が怖くて頼りたくなかったんだと。
そして病気であることも認めたくなかったと言っていた。

すごく、良く分かる。

聞けば聞くほど私と同じだった。



ずっと、理解してもらえない人たちのなかで
自分の行動を自分でも理解できないまま苦しんできたけれど。



そうか、私うつだったのか。



店長はこうも言ってくれた。

「誰が代わりに働いてくれるわけでもないからさ、
ちょっとずつ、治していこうよ。
ウチでよければ協力するよ。」



出勤できそうにないときは連絡さえくれればいい。
それ以外はなんにも心配しなくていいと言うのだ。


ほんとですか??


私に都合良すぎて、未だに信じられない。

私はそのお店にレギュラーでお世話になることになった。



店長が教えてくれたそのうつの心理はこうだった。

「リカちゃんってさ、昔から人よりも良く出来る子じゃなかった?
ずっと、平均値よりも高い結果を残してこれたんじゃない?」

そういう人間は人よりも劣る場面に遭遇すると、「自分、ダメだ」と思う基準がずっと厳しくなるのだと。



自分で自分をホントの意味で許すことが出来たなら。
きっともっとラクになれる。



すんごい簡単なことなようでいて、私には究極に難しいみたい。




それにしても。
店長の存在はものすごく、大きかった。
すごく大きい。

期待にこたえよう、とかそんなもんで働きにいっちゃもったいない。
しっかり甘えて、うつとやらを治していこうと思う。













新橋のハゲ老犬との一夜

2009年01月20日 | Weblog
ブログ更新、およそ二週間ぶり。
書きたくてもなかなか言葉にならずに時間がかかってしまったよ。

おかげでいろんなことがありました。

まずは。
30歳目前にして初体験がいくつかあったのでそれをぽつぽつお話します。

占い以外の定職を失った私は先月からスポットの仕事をしています。
その日に働いた分の時給をいただいてその日限りのお手伝いをして帰る、というアルバイト。
主に飲食店を転々としております。
居酒屋やらショットバーやら。
数年ぶりの飲食店はとても楽しかった。
オフィスでは感じることのできなかったやりがいや勤労の幸せを感じておりました。

そんなある日。
新橋でのショットバーのお手伝いのお仕事が入りまして。
いつものごとくいそいそとお店に入店したのですが。
そこでびっくりするほどひどい目に遭いました。

まず、お店が汚い。
ここでメニューにある料理をするのか?って考えただけでぞっとするほど汚い。
前日のお皿もグラスもそのままにされてたものを洗い、片付ける仕事からその日は始まりました。

そこの店長はアルバイトに働かせて自分は延々お店のビールをかっくらってる。
あることないことわめいては下品に笑ってるだけで、となりにある焼き鳥屋から取り寄せたつまみをほおばってたっけ。
その焼き鳥を狙ってカウンターを小さいゴキブリが走ってったって店長は無関心。
多分、いつものことなんだろうて。



その日は新橋の土曜日ってこともあって、お客さんが全然入らなかった。
アルバイトのもう一人の女の子と一緒に客寄せに外に出てっても全然お客さんつかまらず。

そうなると、やることも終わっちゃった我々は飲んだくれ店長のお相手をするハメに。
禿げ散らかした54歳のオヤジを誰が好き好んで話し聞くかってのを店長は分からずにどんどん気分よくなってっちゃう。
私がバンドやってるってことがわかったら、私に音楽の話を偉そうにしだした。

「角川の社長と副社長が、ここの店に音楽聴きにわざわざ来るくらい、俺の選曲はセンスがいいんだ。」

とまたわめいて、

「ジャズのルーツはなんだと思う?」

とか、ワケの分からない質問を知った風に私に飛ばしてはビールグラスを傾けてる。
さぁ、わかりません、店長はなんだと思いますー?なんて返すと

「俺はTAKE5だと思う。」

と、おだてるにも難しい答えを返してきやがった。
それ、曲じゃんか。


哀しい男だ。



それからは自分が抱いた女だという美人ママの写メや
奥さんだという美人な女の人の画像や、
そんな彼女たちとのベットで撮ったという写真まで見せてきやがる。

嫌悪感通り越して、哀しさと寂しさに心底あきれた。



そこまでは別によかったのね。
だって私のお店じゃないし。
一晩限りのお手伝いだし。


いい感じにビールがまわってきたのか、
オヤジは調子に乗って私のケツを触ってきた。

あんまりびっくりして、とっさになんて反応していいか分からなかった。

オヤジはどんどん調子にのる。

後ろを通るときにケツをさわるだけじゃなく、わざわざ重たい酒瓶を無意味に持たせて
「しっかり持ってろ」と言って今度は乳首をつついてきやがった・・・!

必死に抵抗し、拒否するも、オヤジにはオカズにしかならない。


全身一杯に嫌悪感と恥ずかしさがこみ上げる。



そこでのあたしの心理は。
いい加減にしやがれ、って気持ちよりも。
嫌悪感や恥ずかしさに屈服する方がずっと悔しかった。
だから大げさに拒否したりカマトトぶるんじゃなく、
てめぇに触られたぐらいじゃなんも感じねぇ、こんなことは屁でもねぇんだって姿勢を貫いてしまった。


なんとか定時まで働いて。
その日の稼ぎをもらって帰ってきた。

帰って。
そこから立ち直るまでに2日もかかってしまった。




今こうやって思い出すときにこみ上げるのは悔しさばかりなんだけれど。
当初の私は自己嫌悪とやり場のない怒りで一歩も動けなくなっていた。

ああいう仕事をするハメになった自分の生活を悔やみ、
ああいう場面をうまくかわせない自分を責めて、
その日の金欲しさに嫌悪感を我慢した意気地のなさを責めた。
そしてオヤジから与えられた屈辱感を払拭したくて、生々しい記憶を頭から追い出すのにやっきになってた。

やっとストレートにあの禿げオヤジを憎めるようになったのは2日後。


2日もしないと、オヤジにケツ触られたことを怒れない。
どんだけ??



私がこんな性格だから、調子にのる男が多いんだと反省。
男なんてものは、その瞬間に怒らないと何を怒られてるんだかわからない、
犬みたいなものなんだって思うようにした。


世の男性諸君よ、そしてジェントルマンよ、許しておくれ。
しばらくはこの心理で私の性格に打ち克とうと思うんだ。