拉不出来粑粑 赖地球没有吸引力
ウンコが出ないの 地球の引力が弱いからと言い訳する
(※超意訳です)
中国の慣用句、ことわざみたいな一句です。
私の中国語が上手にならないのは、
中国人と触れ合う機会のない環境のせいだと・・
私の顔見ると日本語しかしゃべらない旦那のせいだと・・
主張したらダーリンが言い放った一言。
そのココロは、自分が努力しないからできないのに、
全然関係ないもののせいにする。ということらしいです。
ぶっとんだ例えをありがとう。
でもね・・
私だって悩むよ。3年も中国語勉強しといて、
満足なコミュニケーションひとつもできない。
最近はたまに中国語に触れるのが苦痛になるときがある。
昔はなんであんなに楽しかったんだろう・・?
大好きな上海に、半年に1、2回のハイペースで旅行に行っていた時。
現地の人たちと習いたての中国語で交流できるのが
すごく楽しかったんだよねぇ。
「日本人なの?」「はい日本人です」
「日本から来たの?」「はい日本から来ました」
「何しに上海に来たの?」「旅行で。上海と中国語が好きなんです」
「上海の小吃も好きです」「私も好きだよ、あのお店おいしいよね」
「どんなところに行ったの?」「外灘とか。あの場所の夜景が好き」
「年齢は?」「当ててみて」「18?」
「25だよ!」「ええっそんなに大きいの?」
「これいくら?」「安くしてね」「10元しか持ってないの←うそ」
・・こんな会話、何度しただろう。
簡単な会話だけど、できるだけでうれしかった。
旅の恥はかき捨て、は実践してきた。
もう二度と会わない相手と思えば、ガンガン間違えてもいいや!
って思って遠慮なく話したもんだよ。
でも。中国人の旦那を持った今、
あんなに楽しかった中国語にプレッシャーを感じる。
将来必要だから、とか、両親・親戚と意思疎通を図るために、とか。
彼の知り合いに対しては、旅行と違って、
もし誤解を生むような発言をしたら・・と、
余計なことを心配して思うように話しかけることができない。
中国人ばかり集まる場面で、超高速のネイティブスピードでなされる
会話についていけずに孤立してる時間がキツイとか。
これも一種のトラウマになっているかもしれないな。
(今となっては「黙々と食べてる」とか「無心でただ存在してる」
とかの駄目な裏技?を身につけたけど・・。)
大事なお義母さんとは方言キツすぎで中国語以前の問題だしさ。。
そんなんで、気付いたらいつも旦那の影に隠れるようになっちゃった。
自分で自分の意思を表現しようとする姿勢をなくしたら、
下に行くのは早いもんだよ。
忘れる忘れる。
この間、友達と電車の時刻表を検索してて、
私:「汽車 時刻表 で出るよ」
友:「え、汽車はバスだよ!電車は火車だよ!」
私:「!!」
とかね。学習初期で勉強する日本語と中国語で意味の違う単語を
うっかり間違えた。うっかりっていうか、
普通に基礎さえ忘れかけてる動かぬ証拠・・。
かつて上海で顔も知らない日本語一切通じない他人の家に
一人でプチホームステイ行って11日間それなりに過ごした自分が
今となっては信じられない。
その間、日本人の友達が遊びに来てくれて、上海を案内したり・・
地理もバッチリでタクシー自在に操ってたな・・。
この頃は上海に遊びに行き始めたばかりの頃より、
もう少し複雑なことも伝えられてた。
・・約1年半前、自分の会話力MAXの時期。
今、同じことを成し遂げる自信がないよ。。
せっかく唯一長く続いてる趣味の中国語を嫌いになりたくない。。
もう趣味だけじゃ片付けられなくなったのは確かだけど、
そう思ってしまうと、強要されているようでやる気が失せる。
後者の状況に気持ちが近づいている今、
こののままだったら駄目な気がする。・・何かを変えなくては!!
まずはすっかり中国語が口から出なくなった
このチキンハートを何とかせねば。
だからこそ、リハビリに上海に行きたいのよ。
何かを思い出して、何かが変わるかもしれない。って思うんだけどね。
間違っても全然構わない、拙くても、話したい!と思う感覚。
言葉が通じるのが楽しい一心で勉強続けてたあの頃の気持ち、
もう一回蘇らせたい。。
でも。。もし上海でも撃沈したらどうしよう~~!
拠り所なくなるわ。。
ウンコが出ないの 地球の引力が弱いからと言い訳する
(※超意訳です)
中国の慣用句、ことわざみたいな一句です。
私の中国語が上手にならないのは、
中国人と触れ合う機会のない環境のせいだと・・
私の顔見ると日本語しかしゃべらない旦那のせいだと・・
主張したらダーリンが言い放った一言。
そのココロは、自分が努力しないからできないのに、
全然関係ないもののせいにする。ということらしいです。
ぶっとんだ例えをありがとう。
でもね・・
私だって悩むよ。3年も中国語勉強しといて、
満足なコミュニケーションひとつもできない。
最近はたまに中国語に触れるのが苦痛になるときがある。
昔はなんであんなに楽しかったんだろう・・?
大好きな上海に、半年に1、2回のハイペースで旅行に行っていた時。
現地の人たちと習いたての中国語で交流できるのが
すごく楽しかったんだよねぇ。
「日本人なの?」「はい日本人です」
「日本から来たの?」「はい日本から来ました」
「何しに上海に来たの?」「旅行で。上海と中国語が好きなんです」
「上海の小吃も好きです」「私も好きだよ、あのお店おいしいよね」
「どんなところに行ったの?」「外灘とか。あの場所の夜景が好き」
「年齢は?」「当ててみて」「18?」
「25だよ!」「ええっそんなに大きいの?」
「これいくら?」「安くしてね」「10元しか持ってないの←うそ」
・・こんな会話、何度しただろう。
簡単な会話だけど、できるだけでうれしかった。
旅の恥はかき捨て、は実践してきた。
もう二度と会わない相手と思えば、ガンガン間違えてもいいや!
って思って遠慮なく話したもんだよ。
でも。中国人の旦那を持った今、
あんなに楽しかった中国語にプレッシャーを感じる。
将来必要だから、とか、両親・親戚と意思疎通を図るために、とか。
彼の知り合いに対しては、旅行と違って、
もし誤解を生むような発言をしたら・・と、
余計なことを心配して思うように話しかけることができない。
中国人ばかり集まる場面で、超高速のネイティブスピードでなされる
会話についていけずに孤立してる時間がキツイとか。
これも一種のトラウマになっているかもしれないな。
(今となっては「黙々と食べてる」とか「無心でただ存在してる」
とかの駄目な裏技?を身につけたけど・・。)
大事なお義母さんとは方言キツすぎで中国語以前の問題だしさ。。
そんなんで、気付いたらいつも旦那の影に隠れるようになっちゃった。
自分で自分の意思を表現しようとする姿勢をなくしたら、
下に行くのは早いもんだよ。
忘れる忘れる。
この間、友達と電車の時刻表を検索してて、
私:「汽車 時刻表 で出るよ」
友:「え、汽車はバスだよ!電車は火車だよ!」
私:「!!」
とかね。学習初期で勉強する日本語と中国語で意味の違う単語を
うっかり間違えた。うっかりっていうか、
普通に基礎さえ忘れかけてる動かぬ証拠・・。
かつて上海で顔も知らない日本語一切通じない他人の家に
一人でプチホームステイ行って11日間それなりに過ごした自分が
今となっては信じられない。
その間、日本人の友達が遊びに来てくれて、上海を案内したり・・
地理もバッチリでタクシー自在に操ってたな・・。
この頃は上海に遊びに行き始めたばかりの頃より、
もう少し複雑なことも伝えられてた。
・・約1年半前、自分の会話力MAXの時期。
今、同じことを成し遂げる自信がないよ。。
せっかく唯一長く続いてる趣味の中国語を嫌いになりたくない。。
もう趣味だけじゃ片付けられなくなったのは確かだけど、
そう思ってしまうと、強要されているようでやる気が失せる。
後者の状況に気持ちが近づいている今、
こののままだったら駄目な気がする。・・何かを変えなくては!!
まずはすっかり中国語が口から出なくなった
このチキンハートを何とかせねば。
だからこそ、リハビリに上海に行きたいのよ。
何かを思い出して、何かが変わるかもしれない。って思うんだけどね。
間違っても全然構わない、拙くても、話したい!と思う感覚。
言葉が通じるのが楽しい一心で勉強続けてたあの頃の気持ち、
もう一回蘇らせたい。。
でも。。もし上海でも撃沈したらどうしよう~~!
拠り所なくなるわ。。