いつの時代も親は子供の教育には熱心だ!
トビがたかを産んだと言われたい そんな自分に出来なかった夢を子供にたくす。今日、教育のコラムを見ていたら、インターナショナルスクールに子供を通わせているきじがでてました。
それもインドのインターナショナルスクールに一目惚れしたということです。
よっしーMJも15年くらい前にフィジーというところで友人とフィジーインターナショナルスクールをしてました。
ハワイやフィリピン、カナダなどで不登校の子を対象としたインターナショナルスクールを作り、国際人を育てて行こうと友人と色々な国を調べていたところ、フィジー共和国の文部大臣と知り合いになり、日本の私教育は素晴らしい、フィジー国が場所も提供するのでぜひやってくれと言われ、まずは現地の英語の先生をやとい(フィジーはイギリスの植民地だったためイギリス英語)
最初は不登校の子ではなく、普通の学生や旅行を兼ねた短期留学のOLを対象にやっていましたが、僕は親が脳梗塞で入院したことがきっかけで日本に帰ることにしました。
その後、革命が起こり旅行危険地区になって生徒がいなくなったりで、結局、友人もやめてしたいましたが、いい思い出です。
フィジーは日本からの援助を受け、基本人にはメチャクチャ フレンドリーです。
その時雇っていた弁護士もナイドゥと言うなのインド人でしたが、インド人は頭がきれるという印象でした。
インド人の小学校では、99❌99まで覚えさせられるといわれていますが、(実際はインド数学てやり方があるので、トレーニングすれば日本人でもできるようになります。)理数系はメチャクチャ強いです。
長くなりましたが、そのコラムを紹介します。
将来、子どもに苦労をさせたくないというのが、万国共通する親心。では、グローバル化する社会で強く生き抜くには?この問いに答えられる親がどれだけいるだろうか。
そのヒントがあるとしたら、グローバルにキャリアを積む親たちの子育ての中だろう。いったい彼らは家庭において、どんな子育て、教育をしているのか。
この連載では、ジャーナリストや外交官、また専業主婦など多様な経歴のママたちで結成された「グローバル・ママ・ネットワーク(GMN)」のメンバーたちが、”強く生き抜くための”グローバル教育の最前線を取材する。
小学校6年生なのに、もう、指数を使っている。a(x+y)=ax+ayといった計算も当たり前のように登場する。福本もあさん(12歳)に学校で使っている教科書を見せてもらったら、学習進度に驚いた。最近の小学校はカリキュラムが変わった、というわけではない。もあさんが通っているのは、日本の小学校ではなく、インド系のインターナショナルスクールだ。
実際、その内容を聞くと、ずいぶん高度なことをやっている。しかも書く量が多い。中学校はそのまま同じ学校に進学するのでいわゆる受験勉強はしない。それでも毎日帰宅後に2時間半、机に向かう。将来は「海外の大学に進学したい。鉱物が好きなので、世界とやり取りしながらジュエリーを扱うビジネスをしたいです」と夢も明確だ。
■偶然訪問したインターに、まさかの一目ぼれ
近年、日本でインドの教育が脚光を浴びている。小学生でも2桁の数字の掛け算ができるといったハイレベルな教育が、「ゆとり教育」の弊害に直面した日本の親たちをひきつけているからだろう。
とはいえ、両親ともに日本人で、普通に小学校3年生まで地元の公立小学校に通っていたもあさんが「インド系インター」に進学したのは、約3年前の偶然がきっかけだった。
「当初は中華系の学校を考えていました」と母親の高橋亜紀子さんは振り返る。亜紀子さん自身が海外と接点の多い仕事をしており、新興国の成長を日々感じていたため、中華系学校への進学は、自然な選択肢だった。忙しい夫がようやく休みが取れたある日、家族で学校見学に出かけた。ところが、目当ての中華系学校は休みで見学できなかった。
せっかく作った時間。家族は「学校見学したい気持ち」に満ちていた。そこで、何となく知っていたインド系インターナショナルスクールに「だめもとで」連絡してみた。見学してもいいと言われ、すぐに足を運んだ。
日本人はほぼ誰もおらず、異国情緒あふれる空間。「行きたくないって言うだろうな」という亜紀子さんの予想を裏切り、もあさんは「この学校に行きたい」とハッキリ意思を表明した。「優秀な子ども達と肩を学べて勉強できそうでワクワクした」ためだ。
校内のリラックスした雰囲気と裏腹に、編入試験は恐ろしく難しかった。問題なく解けたのは、SAPIXの理数コースで鍛えた算数のみ。あとは国語も社会も理科も歯が立たなかった。なぜなら「小学校4年生なのに、英語のレベルが既に日本の中学校3年生並みの内容だったから」(亜紀子さん)。
やる気満々で臨んだのに……もあさんは悔しくて泣き出してしまった。娘の気持ちがよく分かった亜紀子さんは、インド人の校長に伝えた。「この子は悔しがっています。本当にこの学校に入りたいと思っているのに、英語力不足が悔しいんです」。学習意欲の高さが伝わり、入学許可が出た。
しかし、一学年下のクラスに編入したらどうか、と勧められた。その時点のもあさんの英語力を見ると学校側の主張は妥当だったが、亜紀子さんは諦めなかった。「今と同じ学年に編入させてほしい。1年間、がんばっても追いつけなかったら、その時、下の学年に落としてかまいません。この子にチャンスをください」と。交渉は成功した。ペーパーテストだけでなく、子どものやる気や保護者のサポート姿勢などを総合的に見て判断する。学校はずいぶん柔軟だった。
与えられたチャンスを生かすべく、もあさんは猛烈にがんばった。半年間、学校から帰った後、毎日4時間も家で勉強したのだ。時に辛くて泣きながら、でも、日本の学校に戻ろうと思ったことは「なかった」そうだ。友人はノートを見せてくれるなど協力的で、先生も丁寧に指導してくれた。その結果、2年数カ月たった今では、明確な目標をもって日々勉強に励み、友人関係も楽しんでいる。インド学校は「ものすごく頭がいい子も多いのに、普段は明るくて楽しい」ところが良いそうだ。
■元プロ野球選手の父、元リクルートの母
もあさんは12歳にして、すでに、グローバルなマインドを持ち、将来に向かって着実に歩いている。22歳の大学生、32歳のビジネスパーソンにもひけを取らないグローバル人材(というか、グローバル女子)はどうして生まれたのか。
それを一言でいうなら、両親の姿勢と仕事ぶりだ。まず第一に、決してあきらめないこと。元々、卒業後は英国の大学で学ぶインドのエリートを養成するために作られたインド系インターは、学習の進度も質も高いため人気がある。入学・編入希望者は少なくないそうだが、勉強がいかに大変かを知って、あきらめる人も多いという。
「西洋系のインターナショナルスクールからインド系に編入してくる生徒さんもいますが、勉強が大変すぎて戻る子もいました」(亜紀子さん)。そんな中、母国語が英語ではないのに、がんばり抜いたもあさんの根っこには「父親と同じものがあるのかもしれない」(同)。
もあさんの父・福本誠さんは元プロ野球選手で、現在は球団のマネジャーを務める。野球選手になるという、小さなころからの夢を叶えるため、子どもの頃から努力を続けた……頑張り続ける能力は、父親譲りなのかもしれない。
福本・高橋家のもう一つの特徴は、自分で決めて自分の力で切り開く姿勢だろう。みんながどっちへ行くかに関わりなく、自分がやりたいことを自分で決め、道がなければ自分で作る。母親の亜紀子さんは、そうやってキャリアを作ってきた。
亜紀子さんは新卒でリクルートに就職。一般的には起業家精神が高いことで知られる会社だが、インターナショナルな環境で好きなフードビジネスをやりたいという想いが募った。当時の自分がいた「ドメスティック」な職場環境にも違和感を感じ、2年で退職。和食レストランNOBUで2年間、皿洗いや客の注文取りなどのアルバイトをした。
今でこそ、ハリウッド映画にも登場する高級和食レストランNOBUも、10年以上前の当時は、まだ海外に店舗を出し始めたばかりだった。大企業の正社員から皿洗いのアルバイトは、普通ならキャリアダウンととらえそうだが、亜紀子さんは「日本を発信することができる仕事をするための投資」と考えた。
その後、米系IT企業で輸出入の実務を経験。これが、NOBUのテーブルウェア事業責任者という今の仕事に生きている。現在、亜紀子さんは、海外約30拠点にあるNOBUに食器などを輸出する業務を一手に引き受けている。
■絶対必須の親のサポート、どうする?
アルバイトで経験したレストランの現場感は、海外のNOBU関係者と話す時に役立つ。店舗視察などで出張する際は、できる限り、子どもたちを連れて行く。もあさんは、ブダペストも、ドバイも、そしてもちろんインドも、働く母と一緒に見てきた。そういう経験が、海外とつながるビジネスをしたい、という将来の夢につながっているのだろう。
明るい雰囲気と進度の速いカリキュラム。そして多様性。インド、パキスタン、ミャンマー、中国、韓国など、アジア各地から集まった生徒が切磋琢磨し合う環境。文化や宗教も様々な子どもが集まるため、コミュニケーションを共通言語の英語でやることを徹底し、いじめが起きないよう先生がしっかり指導する。こういう話を聞くと、インド学校は日本の私立校に物足りなさを感じる家庭に向いているように思える。
ただし、親はそれなりの覚悟が必要だ。もあさんの弟・在(ある)くんは、幼稚園部の年長クラスを1年経験し、小学校1年生から同じ学校に入学した。しっかりしたお姉さんのもあさんがついているので安心かと思ったが、始めのうちは夜泣きが続いた。
心配した亜紀子さんが学校の先生に相談すると「環境が変わると、そういうことはあります。そういう時は親が子どもと接する時間をもっと増やしてあげて」とアドバイスされた。さらにインドの友人にも相談してみると「親は子どもを学校に預けてお任せというわけにはいかない」と教えられた。
その後、本人も異国の教育環境で頑張った結果、英語のコミュニケーションはスムーズになった。夏休みを迎えて「友達のいる学校に早く戻りたい」と話すほどだ。
とはいえ、両親ともに忙しい。父親の誠さんは、タイや中国に選手指導のため派遣された経験を持ち、アメリカ、台湾、韓国、ベネズエラといった様々な国から来た選手たちと交流を持つ。球団のマネジャーという仕事柄、出張も多い。母親の亜紀子さんは前述のような仕事で、24時間世界とつながっている。どうすれば、グローバルに働く忙しい親は、学齢期の子どものメンタルや学習サポートの時間を取ることができるのか。
「小1の壁」と呼ばれそうな課題を解決したのは、亜紀子さんの働き方だ。基本的には在宅勤務をしており、自宅のダイニングテーブルと書斎がオフィス代わり。仕事と家庭が統合されているので、夕方、子どもが帰宅する時間帯にいったん仕事を切り上げ、夕食を共にしながら子どもの話を聞き、その後、子どもが宿題をする傍らで仕事を再開することも可能だ。
世界30カ国、120人の関係者とやり取りし、カタール・ドーハのレストラン、サウジアラビア・リヤドのホテルのプロジェクトを手がける亜紀子さん。グローバルな仕事と子育て・教育が、自宅ダイニングテーブルをハブにして、つながっている。
こういう働き方が認められるのは、先に記したように、亜紀子さんが自分で自分のキャリアを切り開いてきたからだ。日本文化の発信をしたいと決めたら、大企業の正社員から皿洗いのアルバイトへの転身も辞さない。目先の肩書きにまどわされず、やりたいことへの投資を怠らなかったからこそ、その能力や仕事ぶりが認められ、自由な働き方を手に入れることができた。
グローバルなキャリアを持ちながら、子どもの教育もベストな選択を考える。難しそうだが、本気でやりたくて、自分で切り開く覚悟があれば、できますよ、と亜紀子さん・もあさん母娘は教えてくれる。必要なのは、明確な目的意識とサバイバル精神だ。
(撮影:大澤誠)
トビがたかを産んだと言われたい そんな自分に出来なかった夢を子供にたくす。今日、教育のコラムを見ていたら、インターナショナルスクールに子供を通わせているきじがでてました。
それもインドのインターナショナルスクールに一目惚れしたということです。
よっしーMJも15年くらい前にフィジーというところで友人とフィジーインターナショナルスクールをしてました。
ハワイやフィリピン、カナダなどで不登校の子を対象としたインターナショナルスクールを作り、国際人を育てて行こうと友人と色々な国を調べていたところ、フィジー共和国の文部大臣と知り合いになり、日本の私教育は素晴らしい、フィジー国が場所も提供するのでぜひやってくれと言われ、まずは現地の英語の先生をやとい(フィジーはイギリスの植民地だったためイギリス英語)
最初は不登校の子ではなく、普通の学生や旅行を兼ねた短期留学のOLを対象にやっていましたが、僕は親が脳梗塞で入院したことがきっかけで日本に帰ることにしました。
その後、革命が起こり旅行危険地区になって生徒がいなくなったりで、結局、友人もやめてしたいましたが、いい思い出です。
フィジーは日本からの援助を受け、基本人にはメチャクチャ フレンドリーです。
その時雇っていた弁護士もナイドゥと言うなのインド人でしたが、インド人は頭がきれるという印象でした。
インド人の小学校では、99❌99まで覚えさせられるといわれていますが、(実際はインド数学てやり方があるので、トレーニングすれば日本人でもできるようになります。)理数系はメチャクチャ強いです。
長くなりましたが、そのコラムを紹介します。
将来、子どもに苦労をさせたくないというのが、万国共通する親心。では、グローバル化する社会で強く生き抜くには?この問いに答えられる親がどれだけいるだろうか。
そのヒントがあるとしたら、グローバルにキャリアを積む親たちの子育ての中だろう。いったい彼らは家庭において、どんな子育て、教育をしているのか。
この連載では、ジャーナリストや外交官、また専業主婦など多様な経歴のママたちで結成された「グローバル・ママ・ネットワーク(GMN)」のメンバーたちが、”強く生き抜くための”グローバル教育の最前線を取材する。
小学校6年生なのに、もう、指数を使っている。a(x+y)=ax+ayといった計算も当たり前のように登場する。福本もあさん(12歳)に学校で使っている教科書を見せてもらったら、学習進度に驚いた。最近の小学校はカリキュラムが変わった、というわけではない。もあさんが通っているのは、日本の小学校ではなく、インド系のインターナショナルスクールだ。
実際、その内容を聞くと、ずいぶん高度なことをやっている。しかも書く量が多い。中学校はそのまま同じ学校に進学するのでいわゆる受験勉強はしない。それでも毎日帰宅後に2時間半、机に向かう。将来は「海外の大学に進学したい。鉱物が好きなので、世界とやり取りしながらジュエリーを扱うビジネスをしたいです」と夢も明確だ。
■偶然訪問したインターに、まさかの一目ぼれ
近年、日本でインドの教育が脚光を浴びている。小学生でも2桁の数字の掛け算ができるといったハイレベルな教育が、「ゆとり教育」の弊害に直面した日本の親たちをひきつけているからだろう。
とはいえ、両親ともに日本人で、普通に小学校3年生まで地元の公立小学校に通っていたもあさんが「インド系インター」に進学したのは、約3年前の偶然がきっかけだった。
「当初は中華系の学校を考えていました」と母親の高橋亜紀子さんは振り返る。亜紀子さん自身が海外と接点の多い仕事をしており、新興国の成長を日々感じていたため、中華系学校への進学は、自然な選択肢だった。忙しい夫がようやく休みが取れたある日、家族で学校見学に出かけた。ところが、目当ての中華系学校は休みで見学できなかった。
せっかく作った時間。家族は「学校見学したい気持ち」に満ちていた。そこで、何となく知っていたインド系インターナショナルスクールに「だめもとで」連絡してみた。見学してもいいと言われ、すぐに足を運んだ。
日本人はほぼ誰もおらず、異国情緒あふれる空間。「行きたくないって言うだろうな」という亜紀子さんの予想を裏切り、もあさんは「この学校に行きたい」とハッキリ意思を表明した。「優秀な子ども達と肩を学べて勉強できそうでワクワクした」ためだ。
校内のリラックスした雰囲気と裏腹に、編入試験は恐ろしく難しかった。問題なく解けたのは、SAPIXの理数コースで鍛えた算数のみ。あとは国語も社会も理科も歯が立たなかった。なぜなら「小学校4年生なのに、英語のレベルが既に日本の中学校3年生並みの内容だったから」(亜紀子さん)。
やる気満々で臨んだのに……もあさんは悔しくて泣き出してしまった。娘の気持ちがよく分かった亜紀子さんは、インド人の校長に伝えた。「この子は悔しがっています。本当にこの学校に入りたいと思っているのに、英語力不足が悔しいんです」。学習意欲の高さが伝わり、入学許可が出た。
しかし、一学年下のクラスに編入したらどうか、と勧められた。その時点のもあさんの英語力を見ると学校側の主張は妥当だったが、亜紀子さんは諦めなかった。「今と同じ学年に編入させてほしい。1年間、がんばっても追いつけなかったら、その時、下の学年に落としてかまいません。この子にチャンスをください」と。交渉は成功した。ペーパーテストだけでなく、子どものやる気や保護者のサポート姿勢などを総合的に見て判断する。学校はずいぶん柔軟だった。
与えられたチャンスを生かすべく、もあさんは猛烈にがんばった。半年間、学校から帰った後、毎日4時間も家で勉強したのだ。時に辛くて泣きながら、でも、日本の学校に戻ろうと思ったことは「なかった」そうだ。友人はノートを見せてくれるなど協力的で、先生も丁寧に指導してくれた。その結果、2年数カ月たった今では、明確な目標をもって日々勉強に励み、友人関係も楽しんでいる。インド学校は「ものすごく頭がいい子も多いのに、普段は明るくて楽しい」ところが良いそうだ。
■元プロ野球選手の父、元リクルートの母
もあさんは12歳にして、すでに、グローバルなマインドを持ち、将来に向かって着実に歩いている。22歳の大学生、32歳のビジネスパーソンにもひけを取らないグローバル人材(というか、グローバル女子)はどうして生まれたのか。
それを一言でいうなら、両親の姿勢と仕事ぶりだ。まず第一に、決してあきらめないこと。元々、卒業後は英国の大学で学ぶインドのエリートを養成するために作られたインド系インターは、学習の進度も質も高いため人気がある。入学・編入希望者は少なくないそうだが、勉強がいかに大変かを知って、あきらめる人も多いという。
「西洋系のインターナショナルスクールからインド系に編入してくる生徒さんもいますが、勉強が大変すぎて戻る子もいました」(亜紀子さん)。そんな中、母国語が英語ではないのに、がんばり抜いたもあさんの根っこには「父親と同じものがあるのかもしれない」(同)。
もあさんの父・福本誠さんは元プロ野球選手で、現在は球団のマネジャーを務める。野球選手になるという、小さなころからの夢を叶えるため、子どもの頃から努力を続けた……頑張り続ける能力は、父親譲りなのかもしれない。
福本・高橋家のもう一つの特徴は、自分で決めて自分の力で切り開く姿勢だろう。みんながどっちへ行くかに関わりなく、自分がやりたいことを自分で決め、道がなければ自分で作る。母親の亜紀子さんは、そうやってキャリアを作ってきた。
亜紀子さんは新卒でリクルートに就職。一般的には起業家精神が高いことで知られる会社だが、インターナショナルな環境で好きなフードビジネスをやりたいという想いが募った。当時の自分がいた「ドメスティック」な職場環境にも違和感を感じ、2年で退職。和食レストランNOBUで2年間、皿洗いや客の注文取りなどのアルバイトをした。
今でこそ、ハリウッド映画にも登場する高級和食レストランNOBUも、10年以上前の当時は、まだ海外に店舗を出し始めたばかりだった。大企業の正社員から皿洗いのアルバイトは、普通ならキャリアダウンととらえそうだが、亜紀子さんは「日本を発信することができる仕事をするための投資」と考えた。
その後、米系IT企業で輸出入の実務を経験。これが、NOBUのテーブルウェア事業責任者という今の仕事に生きている。現在、亜紀子さんは、海外約30拠点にあるNOBUに食器などを輸出する業務を一手に引き受けている。
■絶対必須の親のサポート、どうする?
アルバイトで経験したレストランの現場感は、海外のNOBU関係者と話す時に役立つ。店舗視察などで出張する際は、できる限り、子どもたちを連れて行く。もあさんは、ブダペストも、ドバイも、そしてもちろんインドも、働く母と一緒に見てきた。そういう経験が、海外とつながるビジネスをしたい、という将来の夢につながっているのだろう。
明るい雰囲気と進度の速いカリキュラム。そして多様性。インド、パキスタン、ミャンマー、中国、韓国など、アジア各地から集まった生徒が切磋琢磨し合う環境。文化や宗教も様々な子どもが集まるため、コミュニケーションを共通言語の英語でやることを徹底し、いじめが起きないよう先生がしっかり指導する。こういう話を聞くと、インド学校は日本の私立校に物足りなさを感じる家庭に向いているように思える。
ただし、親はそれなりの覚悟が必要だ。もあさんの弟・在(ある)くんは、幼稚園部の年長クラスを1年経験し、小学校1年生から同じ学校に入学した。しっかりしたお姉さんのもあさんがついているので安心かと思ったが、始めのうちは夜泣きが続いた。
心配した亜紀子さんが学校の先生に相談すると「環境が変わると、そういうことはあります。そういう時は親が子どもと接する時間をもっと増やしてあげて」とアドバイスされた。さらにインドの友人にも相談してみると「親は子どもを学校に預けてお任せというわけにはいかない」と教えられた。
その後、本人も異国の教育環境で頑張った結果、英語のコミュニケーションはスムーズになった。夏休みを迎えて「友達のいる学校に早く戻りたい」と話すほどだ。
とはいえ、両親ともに忙しい。父親の誠さんは、タイや中国に選手指導のため派遣された経験を持ち、アメリカ、台湾、韓国、ベネズエラといった様々な国から来た選手たちと交流を持つ。球団のマネジャーという仕事柄、出張も多い。母親の亜紀子さんは前述のような仕事で、24時間世界とつながっている。どうすれば、グローバルに働く忙しい親は、学齢期の子どものメンタルや学習サポートの時間を取ることができるのか。
「小1の壁」と呼ばれそうな課題を解決したのは、亜紀子さんの働き方だ。基本的には在宅勤務をしており、自宅のダイニングテーブルと書斎がオフィス代わり。仕事と家庭が統合されているので、夕方、子どもが帰宅する時間帯にいったん仕事を切り上げ、夕食を共にしながら子どもの話を聞き、その後、子どもが宿題をする傍らで仕事を再開することも可能だ。
世界30カ国、120人の関係者とやり取りし、カタール・ドーハのレストラン、サウジアラビア・リヤドのホテルのプロジェクトを手がける亜紀子さん。グローバルな仕事と子育て・教育が、自宅ダイニングテーブルをハブにして、つながっている。
こういう働き方が認められるのは、先に記したように、亜紀子さんが自分で自分のキャリアを切り開いてきたからだ。日本文化の発信をしたいと決めたら、大企業の正社員から皿洗いのアルバイトへの転身も辞さない。目先の肩書きにまどわされず、やりたいことへの投資を怠らなかったからこそ、その能力や仕事ぶりが認められ、自由な働き方を手に入れることができた。
グローバルなキャリアを持ちながら、子どもの教育もベストな選択を考える。難しそうだが、本気でやりたくて、自分で切り開く覚悟があれば、できますよ、と亜紀子さん・もあさん母娘は教えてくれる。必要なのは、明確な目的意識とサバイバル精神だ。
(撮影:大澤誠)