ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【TOURING ー いざ!関ヶ原♬ ー】

2023-11-28 | TOURING

Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

11月25日(土)のこと...
この冬イチの
"寒波到来"との予報で、
オートバイに乗ることを躊躇していたが、
陽が昇るにつれ
気温があがってきたことと、
あまりに美しい青空に誘われ、
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を
ガレージより引っ張り出すことにシタ♪
始動トラブル(バッテリーあがり)があり、
再交換したバッテリー(古河電池バッテリー)は、
全く問題なく、
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2の
エンジンを始動させた♬

紅葉の名所に出掛け
渋滞に嵌まるのもつまらないので...。
仲間に連絡を取り、
以前より懸案事項となっていた
岐阜県不破郡関ヶ原町(関ヶ原古戦場巡り)へ
向かうことにした♬
関ヶ原までの道すがら、
電圧をチェックをしながらの走行続く。
エンジン回転数を上げても
"15.00V"を超える電圧を示すこともなく、
レギュレーター故障の
疑いも晴れたので安堵すること叶う♬OK!
※ZRXの"オルタネーター関連"の部品は
全て廃番となっている。
am11:00ー
岐阜関ヶ原古戦場記念館に無事到着。
※岐阜関ケ原古戦場記念館は、
岐阜県不破郡関ケ原町にある
関ヶ原の戦いに関する記念館。
岐阜県の直営施設である。

入場口には勇ましい甲冑姿の
"戦国武者"がお出迎え♬
...島左近かな?
※写真撮影も快く受けてくれる。


2023年度
NHK大河ドラマ"どうする家康"
に使用された武具等々が展示され
実に華やかだ♬
※NHK大河ドラマ「どうする家康」展は、
令和6(2024)年1月14日(日)まで開催。

徳川家康と石田三成...
ここ関ヶ原の地で
"天下分け目の大戦さ"をした
両武将が横並び♬

【徳川家康甲冑(かっちゅう)】
大黒頭巾形兜 歯朶前立一式
黒糸縅伊予札素懸当世具足一式

NHK大河ドラマで使った、
徳川家康が関ヶ原を指す地図。
※第42回・第43回登場。

【石田三成甲冑】
乱髪形兜 金大天衝脇立一式
黒糸縅最上五枚胴当世具足一式

三成が見つめる地図
※第42回登場。

【1F西回廊の西軍武将甲冑】
肥後二十万石のキリシタン大名
小西行長甲冑。


反・徳川同盟の総大将
毛利輝元甲冑。

最大兵力の西軍主力武将
宇喜多秀家甲冑。

三成に召し抱えられた智将
島左近甲冑。

大河ドラマ出演者の
パネル並ぶ♬




2Fフロアに移動し、
戦国時代の武具や書簡などで
関ヶ原の戦いに至るまでの
過程からその後までを学ぶ♬
展示室では、
関ケ原の戦いの発端から終結までを
実物資料等を交えて紹介される。
また、戦いの後、
江戸時代以降に関ケ原の戦いが
どう語られてきたのかがわかる展示や
史跡保存の歴史も紹介されている♬
※2Fの展示品は全て撮影不可の為写真は無し。
5Fフロアは、
360度全面ガラス張りの
展望室となっており、
合戦当時の景色と重ね合わせて
現在の関ヶ原の眺めを
一望することができる♬ルン
自律走行型ロボット(temi)
"ミツナリくん"が関ヶ原古戦場を
案内(音声紹介)してくれる♪


徳川家康最後陣地越しに、
※現、関ヶ原古戦場記念館西側公園。
小早川秀秋陣跡の松尾山を望む。
最初"桃配山"に陣を敷いた徳川家康は、
午前11時頃本陣をこの地まで押し出した後、
松尾山に陣を敷いていた
西軍武将/小早川秀秋に対し、
東軍への寝返りを催促するため
銃を撃ちかけたとされる...。
※問(とい)鉄砲と語り継がれている。
史実は分からぬことだが、
この様な合戦絵巻を想像(妄想)しながら
関ヶ原の風景を眺めるのは堪らない♬

関ヶ原合戦決戦地(北西)には、
笹尾山(ささおやま)の
石田三成本陣が見て取れる♬

東方面(岐阜市内)には、
黒田長政・竹中重門陣跡、
山内一豊陣・安国寺恵瓊陣
毛利秀元陣・長宗我部成親陣、
そして、
徳川家康が最初に本陣を敷いた
桃配山(ももくばりやま)が見て取れる♬

展望室から関ヶ原を一望し、
東軍・西軍武将の布陣を確認し終えたら
"シアターの当日予約"を取り
※約30分置きに上映(各回事前予約制)
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を
レンタル自転車(電動アシスト付き)
に乗り換え"いざ、出陣!"

【徳川家康最後の陣地】
岐阜関ヶ原古戦場記念館の
西側の平地"陣場野公園"が、
桃配山から
本陣を移動させた地となる♬

慶長5(1600)年9月15日午前6時頃
徳川家康は桃配山に布陣していたが、
戦況が把握できないため、
午前11時頃笹尾山の石田三成本陣から
わずか数百メートルのこの地に本陣を移し、
全軍の指揮にあたった。


【床几場(しょうぎば)】
関ヶ原の戦いに大勝した家康は、
論功行賞の判断材料とするため、
この場で床几に腰掛け、
味方が討ち取ってきた敵将を
自ら首実検した。
実検した首や戦場の遺骸は
首塚を造らせて葬られた。
敵味方を問わず戦死者を弔うのは
戦国時代の慣習とされ、
死者への表敬の儀礼でもあった。




【細川忠興陣跡】
忠興は豊臣恩顧の武将であったが、
石田三成とは仲が悪かった言われ、
始めから徳川家康に与した。
慶長5(1600)年7月、
家康が会津征伐のために大阪を留守にした。
三成はこれを好機と見て挙兵し、
自らの陣営に諸将を引き込むため、
大阪に居るその妻子を人質に取ろうとした。
しかし、
忠興の妻・玉(ガラシャ)は
これを拒絶し命を絶つ。
さらに、
父が守る田辺城(京都府舞鶴市)は
西軍によって包囲されてしまい、
三成への憎悪の念は益々深まったとされる。

細川忠興陣跡より緩やかな坂道を上り、
関ヶ原の戦い"決戦地"へ向かう♬



【関ヶ原の戦い決戦地】
西軍は総兵力では東軍を上回っていたが、
開戦から積極的に戦っていたのは
石田三成・宇喜多秀家・小西行長
大谷由継らごく一部だった。
小池村に布陣していた
島津義弘に至っては専守防衛の姿勢で
敵味方構わず討ち払っていたとされる。
それでも、黒田長政らの猛攻撃を
幾度も押し返した石田隊をはじめ
西軍諸将は善戦し、
正午頃まで一進一退の攻防が続いていた。

しかし、
小早川秀秋が寝返りを決意し、
迎撃した大谷隊は善戦むなしく壊滅し
西軍は総崩れとなる。
その時ここ決戦地一帯は、
最後に残った石田隊や島津隊に押し寄せる
西軍諸隊で埋め尽くされていたと
考えられる。

笹尾山の石田三成本陣を護るかの如く
島左近陣地がある。
【島左近陣地】
島左近(清興)は、
治部少(石田三成)に
過ぎたるものが二つあり
"島の左近と佐和山の城"
と謳われたほどの智将で、
三成は自らの俸禄の半分を
与えたとの逸話が残る。

合戦当日は、
ここ笹尾山に布陣し、
攻め寄せる黒田長政や細川忠興らを
幾度も押し返す活躍を見せたが、
長政の家臣"菅六之助(菅正利)の
射撃で負傷し、
奮戦の末に討ち死にしたとも
戦場を脱したともいわれている...。


石田三成本陣へ向かう♬
【石田三成陣跡】
笹尾山は北国街道を押さえる位置にあり、
高所で盆地を一望でき、
防御に適している。
石田三成隊約6千は、
西軍諸隊とともに
前日の夜半に大垣城を出て、
合戦当日の午前1時頃
この地に布陣した。




山頂(三成陣)まで
階段を登る♬
...真夏でなくて
良かったと思う。

しばらく登ると"大一大万大吉"の
石田三成の旗印が見えてきた♬


彼の理想をデザイン化したものが
「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」
という旗印である。
「一人が万人のため、
万人が一人のために尽くす。
そうして天下は太平になる」
という意味を込めて、
石田三成が考えたとされている。

笹尾山(石田三成の本陣)からは、
広く関ヶ原(合戦場)を見渡すことができる。
この地に立てば...
徳川家康の布陣した桃配山を
真正面に見据えながら、
戦況を一望できるこれ以上ない
陣地であることが理解できる。

明治時代初期、
陸軍大学校の教官に招かれて来日した
ドイツの軍人メッケル少佐は、
関ヶ原での両軍の布陣を見るやいなや、
「西軍の勝ち」と即座に答えたという話がある。
...では何故西軍は東軍に敗れたのか。
Web東洋経済に
面白い記事が書かれていた...。
関ヶ原の戦いに東軍が勝利した理由に
"小早川秀秋"の裏切り(寝返り)があるのは
間違いのない事実ではあるのだが、
真の理由は毛利輝元(もうり てるもと)の家臣
吉川広家(きっかわ ひろいえ)にあるというのだ。
家康の背後にあたる高地(南宮山)には、
西軍約2万9000が布陣しており、
家康はつねに後方を脅かされる形で
戦わなくてはならず、
その絶好の位置で戦いの様子を
じっと見守り続けていたひとりが、
吉川広家だったのだ。
広家は東軍の苦戦を目の当たりにしながらも、
このチャンスに軍を動かすことなく、
高地にいた同じ西軍約2万9000の動きを
完全に封じてしまった。
三成は合戦の途中で
何度も広家に「督戦」を促す使者を派遣するが、
「いま弁当の準備をしている」と言ったという
「吉川の空弁当」のエピソードが残る。
この結果が家康本陣の
さらなる前進につながり、
ついには"東軍有利!"と思った
小早川秀秋に裏切りを決断させたと言える。
ほかにも広家は、
西軍の総大将にかつがれていた
毛利輝元を関ヶ原に出陣させずに
大坂城に留め置くなど、
明らかな西軍への妨害工作も行っていた
...というのだ。

さらにWeb東洋経済では、
関ヶ原の裏切りが"明治維新"につながった
と書かれているノダ。
吉川広家は黒田長政を通じ、
東軍に与(くみ)すれば"毛利家の存続"を
徳川家康に約束させていたが、
関ヶ原の敗戦後、
毛利家は120万余石から36万9000石という
大幅な減封処分を受けて
屈辱を強いられるものの、
長州藩として家名は保ったのだが、
毛利家ではこの屈辱を
代々伝えて決して忘れず、
その執念が250年の時を経て、
倒幕の中心となって日本の歴史を
大きく動かす原動力になったと言える。
いうなれば、
関ヶ原の戦いでの
吉川広家の西軍への裏切りが、
"明治維新"へと繋がってゆくのである。
関ヶ原の勝敗が
東京(江戸)の繁栄に結びつき、
吉川広家の裏切りが
明治維新のエネルギーになる
──歴史はこうして現代につながっている。
---Web東洋経済記事より抜粋

...歴史とは実に面白い♬ルン
この記事を詳しく読みたい方は
下記にリンクを貼っておきます♬
笹尾山は石田の陣より
"いざ!合戦の時"


【笹尾山交流館】
廃校を利用した
交流館にて一休み♬

甲冑試着体験もできる♬
武将によって体験料金に違いがある(笑)


廊下に展示してある
関ヶ原のポスターも見応え充分ダ♪

教室には...
武者甲冑が居並ぶ♬


【関ヶ原COFFEE STAND】
(営業:土・日、たまに祝日イベント出店)
店主が惚れ込んだ東京の"神ロースター"に
関ヶ原オリジナルの豆を作ってもらい
提供している(関ヶ原ブレンド)♬




折角なので"家紋ラテ"をいただく♪
23種類の家紋から
好きなものを選べるゾ♬ルン


置いてあったポスターに
"家紋ラテ"を合わせてみることにシタ。
絶品の関ヶ原ブレンド...
是非味わってもらいたい♬



笹尾山(決戦地)より南に降り...

【関ヶ原の戦い開戦地】
雨が上がり霧が晴れ始めた...
午前8時頃。
先陣を任されていた福島正則を
抜け駆けした、
東軍/松平忠吉隊と井伊直政隊が
西軍/宇喜多秀家隊に発砲し、
天下の覇権を賭けた
"天下分け目の大戦"の
火蓋が切って落とされた。




開戦地を奥に進むと...

【小西行長陣跡】
小西隊の陣からは、
笹尾山の石田三成の本陣が
良く見える...。


東軍に寝返った
小早川隊に飲み込まれゆく小西隊の姿を、
三成はどの様に見つめていたのかを想像ス。

小西隊の僅か数百メートルの位置に
島津隊は陣を敷いていたのだが、
最後まで動くことはなかった...。







この画像を見てお気づきになっただろうか...。
後で気づいたのだが、
島津義弘(惟新)陣跡に射し込む陽の光が
島津家の家紋とシンクロしているのだ。
島津といえば関ヶ原で
敵本陣徳川家康隊の鼻先をかすめながらの
前進退却(適中突破)"島津の退き口"は
あまりに有名な話ダ。
東軍の激しい追撃を食い止めるため、
島津隊の島津豊久や長寿院盛淳らは
苛烈な「捨て奸」で応戦したと伝わる。
※捨て奸(すてかまり)
追ってくる敵と死ぬまで戦って足止めし、
本隊を逃がす壮絶な戦法。座禅陣ともいう。

流石は島津義弘。
その勇猛さから別名“鬼島津”と
呼ばれただけあるその魂は、
いまだ死なずといったところか。

岐阜関ヶ原古戦場記念館に戻り、
"レストラン伊吹庵"にて遅い昼食(汗)
戦国武将がじっくりと戦略を練ったように、
じっくりコトコト煮込んだ
牛肉をトッピングしたカレー
"戦略武将カレー"をいただく♬


pm15:30ー
予約した上映時間となったので
グラウンド・ビジョン&シアター鑑賞♬
美しい映像もさることながら、
"講談師/神田伯山"氏の解説が
また素晴らしい♬

※シアター内は撮影禁止の為、
YouTube「岐阜関ヶ原古戦場記念館」PV
をご覧下さい。

関ヶ原古戦場巡り最後の地は...
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2で
徳川家康最初の陣"桃配山"へと向かう♬


途中、
関ヶ原駅前観光交流館に立ち寄る。


観光交流館では、
お土産品販売の他、
合戦場を巡るルートが
所要時間別に数種類紹介されているので、
古戦場巡り前に立ち寄るのも良いだろう♬


【桃配山(ももくばりやま)】
関ケ原合戦時、
徳川家康が最初に陣を敷いた
桃配山に到着♬
※桃配山は国道21号線沿いにある
標高104mの小高い山である。





桃配山から、
石田三成が本陣を敷いた笹尾山方面を望む♬
桃配山⇔笹尾山間は約3Kmの距離である。
双方の本陣までの距離が約3Kmという事実と
この距離を挟んだ関ヶ原という地に、
総勢15万もの兵が
ひしめき合っていたかと思うと、
ただただこの戦さの規模の大きさに驚かされる。
これが"天下取り"
というものなのだということを実感した...。
※家康最後陣地までは約2Kmの距離。

古戦場巡りに夢中となり
すっかり陽が落ちてしまったが、
大満足の1日を過ごす♪
関ヶ原古戦場...
次回はもっと"ディープ"に
電動アシスト付き自転車を駆り(笑)
巡ってみたいものだと感じた♬

寒さに負け、
乗り出す事を躊躇していたが、
いざ愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を
走らせてみれば...。
この上ない"至福の時"を感じること叶う♪
...やはりオートバイは面白い♬ルン

さぁ、
"走る"ことが
楽しみになってキタゾ♬

【関連資料】
【岐阜関ヶ原古戦場記念館】ー公式HP
【関ヶ原の戦い「本当の裏切り者」は誰なのか?】ーWeb東洋経済

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています






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