ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【TOURING -南東北ツーリング(後編) -】

2024-08-31 | TOURING

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

少し遅い夏期休暇を取得できたので、
コロナ禍で延期していた
"南東北ツーリング"に出掛けることにした♬
※岩手県の一部(陸前高田市)を含む。
令和6(2024)年1月1日に発生した
"能登半島地震"。
そして、
科学的に近い将来に発生が予測され、
私の住む地域もその範囲に含まれる
"南海トラフ地震"などの
大きな自然災害にどの様に向き合うかを
見つめ直す(防災意識向上)ことと、
この旅が被災された方々への
何かしらの"支援"になればという思いで
愛車のエンジンに火を入れた...。

南東北ツーリング(後編)
8月23日(金)am7:00ー
仙台の
お宿を出発し向かったのは...
JR常磐線"坂元駅"横の
農水産物直売所"やまもと夢いちごの郷"
の駐車場内。

ー LIM LIFE IS MIRACLE
TSUNAMI ハーレー展示館 ー
「社団法人まちづくりやまもと」
代表理事の成毛政孝氏が、
2012年に山元町在住の横山育生氏の
オートバイ(HARLEYーDAVIDSON)が
カナダに流れ着き、
米国のハーレーダビットソンミュージアム
に展示されることになったニュースを知り、
設置を思い立ちました。
自動車販売整備事業者である
成毛政孝氏は震災後、
自動車整備振興会の会員として
復旧作業に参加し、
ひしゃげた自動車などを重機で回収する
つらい作業の中、
見つけたのが顧客である
佐伯和浩氏の今回展示している
ハーレーでした。
ー説明看板より

右ハンドルが取れ、
ブレーキパイプで辛うじてつながるなど
破損が激しく、
再生は不可能に思えましたが、
スクラップにするのは忍びなく、
所有者の許可を得て保管していました。
佐伯氏のご家族は無事でしたが、
自宅は津波で流出し、
町内陸地に移転しています。

「つらい記憶を思い出してしまう半面、
初めて手に入れて20年以上乗った
ハーレーで愛着もある。
展示したいという
成毛さんの思いを受け止めたい」
という所有者の思いと

「自分もバイクに乗るので捨てたくなかった。
津波を後世に伝える展示がしたい」
という成毛氏の思いが重なり展示に至る。

尚、もう1台の展示車両は、
同業である(有)玉田自動車商会が
亘理町(わたりちょう)で撤去したハーレーで、
現在では珍しいサイドカー付きの車両。

是非、この車両たちをご覧いただき、
後世に東日本大震災を語り継いで
いただければ幸いです。
ーTSUNAMI ハーレー展示館 案内看板より

ー 2011年3月11日15地50分頃
大津波襲来。
津波の引き波によりコンテナガレージごと
海へ流出。
ー 2012年4月18日
カナダ・ブリティッシュコロンビア州の
グレアム島にて、
ピーター・マーク氏(カナダ在住)により発見。
ー 2012年5月
所有者のもとに発見の一報が届く。
その後、
ハーレー本社より修理して返送する旨の
申し出があるが、
「多くの人が被災している中で、
自分だけが恩恵を受けるわけにはいかない」
と辞退。
協議のうえ、
車両を寄付し同社の博物館に展示する
運びとなる。
ー 2012年10月
「ハーレーダビットソンミュージアム」
での展示スタート。
(アメリカ合衆国ウィスコンシン州)
ー 2019年4月21日
山元町においてパネル展示をスタート。

「ハーレーダビットソンミュージアム」
に展示されている、
津波にて流出した
ハーレーダビットソンの勇姿が、
同時に東日本大震災にて
被災した2台のハーレーダビットソンの
後方にパネル展示されている。

同じ様にオートバイを愛する者達の
思いが胸に突き刺さる...。
引き波にさらわれカナダまで
"6500Km"の距離を流されたにも関わらず、
発見されその姿を
再びオーナーに見せてくれるという
奇蹟のような話である。
人(人間)と機械(車両)であれど
何か不思議な"絆"で
繋がっているのだとすれば、
それは、
互いが互いの命をあずけ合っている
間柄だからではなかろうか...。

TSUNAMI ハーレー展示館を後にし、
国道6号線を南下し相馬市へ。
ー 鵜ノ尾岬 ー
鵜ノ尾崎トンネルの南出口にあたる
この高台は、
夕顔観音様が古くから祀られている。
その参道に沿った岩壁のくぼ地が
祠(ほこら)になっていて、
昔は石碑や地蔵尊が
沢山並んで祀られていた。
地域の人達は、
この参道を「お地蔵通り」と呼び
観音様へのお参りの時には、
この地蔵様への供養も欠かさず、
大切に護ってきました。




2011年3月11日、
三陸から常磐沖にまたがる海底を震源とする
東日本大震災が発生しました。
この地震による10メートルを越える大津波が
この鵜ノ尾崎を呑み込み、
「奥の院夕顔観音」と「お地蔵通り」
はその波しぶきに覆われました。
地蔵様は
この激流に巻き込まれ押し流されて、
その姿を殆ど失ってしまったのです。
誰もが自分の身の回りの事で精一杯の
毎日を送っていた中、
地蔵様設置に携わった石材店の方々が、
鵜ノ尾崎の現地に入り、
流されたお地蔵様の捜索や取り出し作業を
して下さっており、
ここに五十二体のお地蔵様の復元設置を
実現することができました。
ー案内看板より

津波被害もあり
鵜ノ尾崎灯台は立入り禁止となっている。


この地に立ち寄ったのは、
鵜ノ尾崎より
"大洲海岸"の眺望を拝むためだ。
真っ直ぐに延びる"市道大洲松川線"
の眺望は素晴らしいの一言であった。
ー 大洲海岸(大洲松川ライン) ー
平成8年日本の渚・百選に選ばれた
"大洲海岸"は、
松川浦県立自然公園の潟湖と紺碧の
太平洋を7kmにわたって仕切る白砂青松の
美しい景観を持つ渚です。
大洲松川ラインが開通し、
そう快なドライブが楽しめます。
平成23年3月11日に発生した
東日本大震災の津波により
甚大な被害を受けましたが、
2018年4月21日に
市道大洲松川線が開通するなど、
震災前の景観を少しずつ戻している。


美しい市道大洲松川線を
"TRANSALP"で駆ける♬




国道6号線==県道120号線と繋ぎ、
南相馬市原町区本町へ。
ー 3.11 希望の灯り ー
以下"碑文"
この「希望の灯り」は、
2011年3月11日に発生した
東日本大震災で亡くなられた方々の
「生きた証」として、
福島第一原子力発電所の事故で、
ふるさとを離れざる得なかった方々への
「道しるべ」として、
今を生きるすべての南相馬市民の
「希望の灯り」
として一歩踏み出す力になるようにと
国内外からのご寄付や多くの市民の
皆さんが協力して建立したものです。

ここに灯(とも)る火は、
1995年1月17日に発生した
阪神淡路大震災後の
2000年1月17日、
全国47都道府県から種火を集め、
神戸市東遊園地に建立された
「1.17 希望の灯り」
から分灯したものです。

大震災が教えてくれた、
やさしさ、思いやり、
家族や地域の絆の大切さを
忘れることなくともに歩んでいきましょう。

2012年3月10日
3.11南相馬希望の灯り実行委員会
認定特定非営利活動法人「1.17希望の灯り」
たすきプロジェクト


そして文頭には、
「1.17 希望の灯り」と同じく
この言葉が刻まれている。
ーーー
希望の灯り
二〇一一年三月十一日
午後二時四十六分
東日本大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 街並み 思い出

・・・たった一秒先が
予知できない人間の限界・・・

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ

堀内正美(神戸市)
ーーー

希望の灯りを後にし、
"道の駅なみえ"にて休息を取る。


ー ポケモン ローカルACTS ー
2019年2月に
ポケモンGOのキャラクター
"ラッキー"が
「ふくしま応援ポケモン」
に任命されました。
ラッキーは幸せ(福)を運ぶと
言われているポケモンで、
福島県の福を連想させます。
また、
お腹のタマゴは、
美味しく栄養がたっぷり。
同じく美味しく栄養がたっぷりな
農産物を通じて県内外へ
幸せを運ぶ福島県の応援ポケモンに
ぴったりということで選ばれました。
ー説明看板より

道の駅の公園に設置された遊具も
"ラッキー"♪
私も"ツキ(福)"をもらえると信じて
撮影してみました♬





自動販売には
"ラッキー"と...

"浪江女子発組合"
「浪江発の風に乗せて、
笑顔が皆様に広がりますように…。」
浪江から始まった
"わ"を日本全国に届けます。
人と土地を結ぶ
”縁結び”をグループならではの
スタンスで活動していきます。
...とのことです♬
応援宜しく!

道の駅に併設された
"なみえの技なりわい館"では、
鈴木酒造店の酒造りの様子を
ガラス越しに見学できる。


ー 鈴木酒造店
「日本で一番海に近い酒蔵」
福島県浪江町の鈴木酒造店は
かつてそう呼ばれ、
浪江町の漁師たちは、
大漁だったときは鈴木酒造店の
定番酒「磐城壽(いわきことぶき)」
の一升瓶で祝いしたものであった。
2011年3月11日に発生した
東日本大震災は、
浪江町に大きな被害をもたらした。
波の音が聞こえるくらい
海に近かった鈴木酒造店は、
酒も蔵も看板も酒造りに関するデータも、
すべて津波で流されてしまいました。
さらに、
福島第一原子力発電所事故により
浪江町へは立ち入りさえ出来なくなり、
6年にも渡る長期の
避難を余儀なくされることになる。

たまたま福島県の研究所に預けていた
酵母が残っていたため、
その年の夏には本数限定で「磐城壽」を醸造。
11月には縁の出来た
山形県長井市の蔵を買い取り、
酒造りを再開し
長井での酒造りは年々軌道に乗り、
2017年には、
鈴木酒造店長井蔵で醸造した
「一生幸福」が全国新酒鑑評会で
金賞を受賞し(2022年には二度目の金賞受賞)
地元に貢献することも叶う。
2017年3月末、
浪江町の一部地域の避難指示が解除され、
震災から10年目となる2021年3月には、
「道の駅なみえ」がグランドオープン。
鈴木酒造店は同所に併設する形で
新しい酒蔵を建設し、
浪江町での酒造りを10年振りに復活させた。

鈴木酒造店が手掛ける
"酒の試飲(有料)"もできる♬

流石に
"飲酒"をするわけにもいかず...

甘酒プリンソフトクリーム
をいただくことにした♬
プラカップが、
酒枡に入れられているところが
なんとも粋だ♬


※酒枡の持帰りは不可。
酒枡が欲しい方には、
厚紙製の"紙枡"が用意されているが
趣がないので私はやめた。

道の駅より
震災遺構"浪江町立請戸(うけど)小学校"へ。


2011年3月11日
東日本大震災発生。
未だかつて経験したことのない
大地震・大津波と
その後の原発事故に見舞われ、
甚大な被害を受けた福島県沿岸部。
福島県浪江町に位置する
請戸小学校も大きな被害を受けましたが、
全員が無事避難することができた
奇跡の学校としても知られている。


津波到達直前(36分前)の
請戸地区の航空写真。

津波襲来直後(15:53ー頃とある)
請戸地区の被害状況。

地震・津波、
原発事故の爪痕を残す
浪江町立請戸小学校に
足を踏み入れる...。

あの日、
どのようにして逃げ切ることができたのか、
事実に基づいたこの物語とともに
校舎の被害状況をみていきましょう。
ー案内看板より

2011年3月11日の
児童の避難状況を絵本
「請戸小学校物語大平山をこえて」
とともにパネル展示されてゆく。
あの日の出来事が時系列で示され、
地震(強い揺れ)発生による
現場の逼迫(ひっぱく)した状況と、
時間経過とともに教職員と児童が
徐々に切迫(せっぱく)した状態に
陥ってゆく様子が克明に描かれ、
臨場感(圧)がとても強い展示内容と
なっていた。

2011年3月11日(金)
93名の児童が通学していた。
11名の1年生は、
4校時目までだったので帰宅。
2年から6年生まではまだ学校で過ごしていた。
5年生は体育館で
3月23日(水)に行われる
修・卒業式へ向けた準備をしていた...。

ー 14時46分
震度6強の地震発生
数日前にも地震があったこともあり、
"また地震か"と揺れがおさまるのを
机の下に隠れまったが揺れはおさまらず、
机ごと数十センチ移動した。
体育館にいた5年生は、
その場にしゃがみ込み、
頭を手で守るようにしていた。
ー 14時47分
安全確認と校内放送
「早く校庭に出なさい!」
校内放送で児童の安全確認を呼びかけ、
校庭へ避難するよう指示を出した。

ー 14時49分
大津波警報発令
ー 14時50分
防災行政無線放送
「只今、大津波警報発令中です。
ただちに、沿岸地区の
棚潮地区、請戸地区、中浜地区、両竹地区
の方は指定された避難所に避難して下さい」

震災後に児童が
黒板に思いを残したのか...。

津波の威力により、
2年生教室の壁が南から北へ倒される。
3年生教室の壁は流出。
1年生教室の壁は
大きく歪んだまま残されている状況から、
海に近い方が強い衝撃を受けたことが分かる。



ー 壁から引きはがされた複合盤 ー
津波により壁は流され、
各室の時計や火災報知などを
一括管理していた複合盤はむき出しになり、
傾いたまま機能停止した。
そのため、校内に残っている時計はすべて
15時37分を刻んだまま停止している。



ー 校長室の金庫 ー
頑丈で重い金庫も
津波の威力には勝てずに流され倒れた。


津波(水流)の威力の
凄まじさを今も残す...。


ー 14時54分
先生・児童、大平山へ向かう
全員が校庭に避難したことを確認、
教務主任の先導のもと
"大平山"へ向けて避難を開始。
同時刻
福島県沖で地震
大平山へ避難を開始すると同時刻に
マグニチュード6.1の地震が発生。
浪江町では震度5弱の揺れ(余震)が観測。
ー 15時14分
当初3mと発表された津波高が、
6mに修正された。






ー 積みあがった機器類 ー
調理場の機器類が
北側の検収室へ押し流され
積みあがっている。


ー 15時30分
大津波警報(高さ修正)
津波高が10mに再度修正された。
ー 15時33分
沿岸部に津波第一波が到達。
ー 16時00分
先生・児童、大平山頂上到達。

ー 大津波の襲来 ー
津波第一波到達後も、
何度も押し寄せる津波は
大平山のふもとまで到達した。

ー 床の落ちた体育館 ー



ー 16時30分
双葉町鴻草(こうのくさ)地区に到達。
山を下り、国道6号線沿いの
駐車場で休憩していると、
何度も余震がきて、
児童や先生の目の前で地割れが発生した。

ここからどうしたものかと
立ち尽くしていると、
突然目の前に大きなトラックが止まる。
いわき市の運送業者で、
トラックの荷台に全員を乗せ、
役場まで連れて行ってくれた。


正面玄関から
昇降口へと向かう。


2階への階段を上る。
踊り場の"津波到達地点"。
2階床上10cm程度まで
津波が浸水している。


ー 2階展示室 ー
校庭側に設置されていた時計
大津波の影響により
文字盤が曲がってしまっている。
ー メッセージが書かれた黒板 ー
震災当時の在校生は、
原子力災害による避難指示で、
しばらく立ち入ることができませんでした。
(立ち入り許可は高校生以上)
立ち入許可がでた後、
多くの方々が
黒板に想いを寄せた...。


請戸小学校は
福島第一原子力発電所より、
北側に約5.1Kmの距離。
2階の窓からは排気塔が見える。



ー 見晴台 ー
請戸小学校で印象的なのは、
この美しい見晴台であろう。
"津波到達地点"
の高さがよく見て取れる。


ー プールの手摺り ー
折れ曲がった手摺りにもまた
津波の凄まじさが感じられる痕跡がある。

震災遺構"浪江町立請戸小学校"の
パンフレットには、
この様に書かれている。
「ありのままのわたしたち」
を見に来てくれて、ありがとうございます。
震災から10年以上の年月がたっても、
こうして足を運んでくれたことに、
心から感謝しています。


請戸小学校を震災遺構とし
一般公開する意図として、
東日本大震災の教訓を活かし、
防災意識の大切さ、命の大切さを、
考える切っ掛けにして欲しいとの
浪江町の方々からの
願いが込められている様に感した。
興味のある方は、
下記QRコードを読み取り
"リアルインタビュー"
にアクセスしてみるのも良いだろう。


浪江町より
"東日本大震災・原子力災害伝承館"のある
双葉町へと向かう。
ー FUTABA Art District ー
「FUTABA Art District」」は
東京電力福島第一原発の事故で
全町避難を強いられた福島県双葉町を、
壁画アートで盛り上げようと
双葉町出身の料理人髙崎丈さん、
壁画アートカンパニー「OVERALLs」が
手がけたプロジェクト。
地震で倒壊してしまったり、
解体されたりしたものもありますが、
現在も多くの壁画アートが
双葉町を彩り多くの人の注目を集めている。












ー 東日本大震災・原子力災害伝承館 ー
原子力災害を中心とした展示や
語り部講話を通じて、
震災の記録と記憶を教訓として
防災・減災に役立てる為の施設。


ー基本理念
世界初の甚大な複合災害の記録や教訓と
そこから着実に復興する過程を
収集・保存・研究し、風化させず後世に
継承・発信し世界と共有することは、
被災した人々の共通した思いです。
東日本大震災・原子力災害伝承館では、
特に福島だけが経験した
原子力災害をしっかり伝えるために、
以下の3つの基本理念を掲げます。
1 原子力災害と復興の記録や教訓の
未来への継承・世界との共有
2 福島にしかない経験や教訓を生かす
防災・減災
3 福島に心を寄せる人々や団体と連携し
地域コミュニティや文化・伝統の再生
復興を担う人材の育成等による
復興の加速化への寄与

館内を見てまわる前に、
円筒形のシアタールームで、
福島県出身の俳優
"西田敏行"さんのナレーションによる
地震・津波・原子力発電所事故発生当時の状況を、
アニメーションを組み合わせた内容の映像で
紹介される。
震災のこと、事故のこと、復興のこと、
これからの未来のことについて考える
入口としての役割を担う。
※映像撮影及び音声録音は不可


シアターの周囲は螺旋状の通路(順路)と
なっていて、
内壁には震災・原子力事故の経緯が
時系列に紹介され、
資料・証言・事故調査の記録から
複合災害の始まりを克明に描かれる。





錯綜(さくそう)する情報。
転々とする避難生活。
これまで経験したことのない
原子力発電所事故発生直後の状況や
その特殊性を、
様々な資料や証言などをもとに振り返る。

ー 原子力発電所事故直後の対応 ー






ひとたび大きな災害が発生すると
"社会的弱者"の方々への
対応はとても困難を極める。
特に医療の分野では、
特殊な対応が求められることが多く、
とても興味深い内容の展示に
かなりの時間を費やし資料を読み込んだ。
ー 双葉病院患者の過酷な避難 ー


ー 長期化する原子力災害の影響 ー
除染(放射性物質の除去)、
風評の払拭、長期避難への対応、
健康に対する取り組みなど、
原子力被害による困難な課題に、
タッチパネル解説や資料を通じて伝える。




ー モニタリング機器
左:①シンチレーション検出器
中央:②電離箱検出器
右:③ゲルマニウム半導体検出器
①と②は検出器に監視盤が接続され
空間線量を電話回線で、
県原子力センターに送信するもの。
③は土壌や農作物・海産物の
放射性物質検査などに使用される機器。


ー 復興への挑戦 ー
廃炉作業の進捗、
福島イノベーション・コースト構想などの
取り組みから、
福島県民が困難に立ち向かい、
復興へ向け力強くチャレンジする姿が
発信されている。




災害・事故に直面した際の
人の想いの様なものを克明に伝える
写真の数々。
切り取られた瞬間(とき)に
その人々の痛烈なる感情が
あふれ出ていて感慨深い...。
ー 資料館外通路(館内廊下) ー
①読売新聞社の記者・カメラマンが撮影した
2012年から2020年の「3月11日」の写真。
※撮影不可のものも多数あるので、
閲覧したい方は足を運んで下さい。


②浪江町立請戸小学校のピアノ


ー 屋外展示
①津波により変形した消防車(双葉町)
この車両は、
伝承館敷地近くで発見された。
消防車の放射線量を計測した記録が
残されており、
計測時は"約0.6μS"であった。
(双葉町消防団第9分団の車両)
乗車していた消防団員は難を逃れている。


②原子力広報の文字パネル(双葉町)
標語は双葉町が町民から募集したもので、
標語を掲示したアーチは、
双葉町の公民館・体育館のあった
国道6号線に沿った場所と
双葉町役場庁舎前に設置されていた。
※展示品はレプリカ


"東日本大震災・原子力災害伝承館"
と併設されている、
双葉町産業交流センターに展示されていた
"双葉ダルマ"。
双葉ダルマは
"①太平洋ダルマ"と"②町章ダルマ"の2種類。
双葉町ではおよそ300年前の
江戸時代からダルマ市が行われていた。
このダルマ市では様々な縁起物の
ダルマが販売されていたのだが
双葉町独自のダルマがなく、
そこでおよそ30年前に
JAふたば女性部
双葉支部ダルマ部会がデザインを考案。
双葉ダルマとして
広く知られるようになった。
七転び八起きの意味をもつ
縁起物の双葉ダルマは、
東日本大震災と原発事故の被害を受けた
双葉町にとって復興のシンボルとなっている。
ー 双葉町公式HPより

①太平洋ダルマ(青色)
青い縁取りは太平洋を表現。
町の花・桜と町の鳥・キジの羽の
モチーフを描いています。
キジの羽のモチーフには
未来へ向かって羽ばたいて欲しい
との思いが込められている。
②町章ダルマ(赤色)
町章をモチーフにした
金色の縁取りで体に竹の模様を配置。
竹は冬場でも色あせず、
縁起物の松竹梅に由来します。
しなやかで折れにくい竹に、
願い事をかなえる
途中で心が折れないようにとの
思いが込められている。
ー双葉町HPより


この後、
国道6号線を双葉町より
大熊町(福島第一原子力発電所)を抜け
富岡町へと向かうのだが...。
ブログの文字数制限もあり
"南東北ツーリング(後編) その2"
としてお伝えしようと思う。

地震・津波・原子力発電所の事故
の3重苦...。
福島県を襲った被害は甚大である。
この後、
南東北ツーリングは
"とみおかアーカイブミュージアム"
"東京電力廃炉資料館"
へと続いてゆく。

その2へと続く...

【関連記事】
【TOURING -南東北ツーリング(前編) -】<2024.8.29更新>
【TOURING -南東北ツーリング(後編) その2 ー】<2024.9.1更新>

【関連資料】
【震災遺構 双葉町立請戸小学校】ー公式HP
【FUTABA Art District】ー公式HP
【東日本大震災・原子力災害伝承館】ー公式HP
【双葉町】ー公式HP

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪








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【TOURING -南東北ツーリング(前編) -】

2024-08-29 | TOURING

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

少し遅い夏期休暇を取得できたので、
コロナ禍で延期していた
"南東北ツーリング"に出掛けることにした♬
※岩手県の一部(陸前高田市)を含む。
令和6(2024)年1月1日に発生した
"能登半島地震"。
そして、
科学的に近い将来に発生が予測され、
私の住む地域もその範囲に含まれる
"南海トラフ地震"などの
大きな自然災害にどの様に向き合うかを
見つめ直す(防災意識向上)ことと、
この旅が被災された方々への
何かしらの"支援"になればという思いで
愛車のエンジンに火を入れた...。

今回、
ロングツーリング時の
走行性能と使い勝手などを探るべく、
"Kawasaki/ZRX1100ーC2"ではなく
"HONDA/XL750ーTRANSALP"を
旅の相棒として選択シタ♪
納車後1000Km程度の走行距離では、
全てが"未知数領域"の車両なれど、
良い仕事をこなしてくれると信じ
旅の荷物を積み込んだ♬
"パッキング(荷物の積載)"は
この様な仕上りとなった♬

天気予報を確認すると、
日程全てに"傘マーク"が付く
"最高♬"のツーリング日和が並ぶ(笑)
普段ならば出掛けることに
戸惑いを感じてしまう予報だが、
"屋内施設"を多く利用する予定なので、
特に迷うこともなく出発を決めタ♬
8月21日(水)am2:30-出発の時。
雨雲レーダーを確認し、
走行ルートにゲリラ豪雨的な雨雲が
張り出していないかダケは
しっかりと確認し、
"頼むぜ!相棒"という思いで
"TRANSALP"を撮影♬
※雨天走行は初で不安なれど、
"RAINモード"でどれだけ走行安定性を
得られるかも楽しみであった♬


...さぁ、
南東北に向け出立ダ。
セルボタンを押し込む...
"トルルッ!"と小気味良い鼓動と共に
HONDAの二気筒エンジンは
気持ち良く目覚めた♬

高速道路に乗るまえに給油♬
当たり前であるが、
給油することが主目的である...
しかし、
それ以外に大切な事は、
"荷締めロープ等々"に
不具合(緩み等々)がないかを
最終確認する
大切な時間でもあるノダ。
私は、
ロングツーリング前には、
必ず給油してから旅に出る様に
心掛けている。

給油を済ませ...
高速道路に駆け上がる♬
名神高速道路==中央自動車道==駒ヶ岳SA(休憩・給油)
長野自動車道==上信越自動車道と繋ぎ、
"松代PA(下り)"に朝食と給油で立ち寄る♬
天気予報に反して快晴♬気分は最高ダ!


カツ丼&蕎麦定食を注文♬
蕎麦を注文しようと思ったら
急に食べたくなり...
朝から"カツ丼"も食ス(笑)


メッチャ綺麗(美味そう)な
"川中島白桃"が売られていた♬
オートバイでは
流石に手も出せず諦め出発。
※川中島白桃
長野市川中島の果樹園で発見された品種。
果実の大きさは300g程度と大玉で、
玉ぞろいが良く、日持ち性も良好。
長野県を代表する白桃系の品種。

松代PA==上信越自動車道==北陸自動車道==
米山SA(休憩)
裏手のガーデンには
松尾芭蕉の句碑が立つ。

【松尾芭蕉句碑】
"荒海や 佐渡に横たふ 天の川"
目の前に荒海がある。
はるか彼方に
流人の悲しみを数々秘めた
佐渡島がある。
仰ぎ見ると空には天の川がさえざえと
横たわっている。
近くに、遠くに、
そして天空に広がる大自然、
この雄大さに比べれば、
そこにたたずむ
人間がいかに小さなものか、
人の哀れさをさそうものである。
元禄二(1689)年、
「奥の細道」の旅の途中、
越後出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町)
での吟。(松尾芭蕉四十六歳)

松尾芭蕉は、
北陸路において、
新潟・富山・石川・福井と
日本海沿岸を行脚し、
岐阜(大垣)を「奥の細道」の
結びの地とした訳であるが、
この行程は、
北陸自動車道とほぼ同じ道を
辿っていることから、
これを記念し、
芭蕉の北陸路ゆかりの地に近い
米山SAに碑を建立した。
(句の建立には柏崎市の協力を得又
碑の書体は書家・白倉南寉先生による)

展望所から
日本海と佐渡島を望む♬




米山SA==北陸自動車道==
東北横断自動車道==
猪苗代磐梯高原ICで高速道路をドロップし、
道の駅猪苗代にて休憩♬
休憩時間を利用して、
昼食会場に予約の電話を入れる♪


【郷土料理】
ツーリングの楽しみは
郷土料理にアリ!
...と言うことで、
"会津わっぱめしと手打ち蕎麦"
をいただける
"芳本茶寮"さんにて昼食♬



廊下には、
南東北地方(山形・仙台・福島)を代表する
民芸品が並び、
温かい雰囲気を醸し出していた♬




席には、
会津地方の方言が
"相撲の番付表"にして紹介されていた♬
因みに"蒙御免"とは
"ごめんこうむる"と読みます。
これは、
江戸時代に興行である
大相撲を行うにあたって、
寺社奉公から許可を得たことを
示したものである。

わっぱめし・ざるそば・
野菜天麩羅・茶碗蒸しがセットとなった
"葉山膳"を注文♬
※輪箱飯(わっぱめし)とは、
桧を曲げた器に会津米と
さまざまな食材を入れて蒸し上げた
会津の伝統的な郷土料理のこと。


しばらくすると...
蒸したての
"わっぱめし"が運ばれてきた♬
蓋をあけると...
山菜や栗・根菜・竹の子・鶏そぼろ
鮭等々が美しく盛り付けられ、
一気に気持ちが盛り上がる♬


"わっぱめし"
をご飯茶碗に装(よそ)いながら
葉山膳を撮影していると、
"手打ちそば"が運ばれてきた。
これで"葉山膳"の完成ダ♬
少し遅れて
茹でたての"蕎麦"を運んでくるあたりに
このお店の心遣いがみてとれる♬
目にも口にも、
そして心までもが嬉しくなる
"わっぱめし(葉山膳)"であった♬
会津を訪れる際には是非ご賞味下さい。
但し、
人気店の様なので、
予約されることをお勧めします。



【郷土銘菓】
郷土料理に舌鼓を打った後は、
デザートに郷土銘菓を楽しむ♪
"日本三大まんじゅう"
会津"磐梯高原・柏屋"さん♬


"日本三大まんじゅう"とは、
東京都/塩瀬総本家の「志ほせ饅頭」
岡山県/大手饅頭伊部屋の「大手まんぢゅう」
そしてココ!
福島県/柏屋の「薄皮饅頭」のこと♬
2007年に三笠書房から出版された
『日本の「三大」なんでも事典』
にて和菓専門家から
選出されたことがその理由。
「日本三大まんじゅうサミット」という催しも
三社合同で開催されるなど、
日本のまんじゅう文化の
発展・発信も積極的におこなっているノダ♬
因みに
"三大まんじゅう"は
東京の"日本橋三越"さんにて
全て買えるそうです♬

嘉永五(1852)年、
柏屋の初代/本名善兵衛は
「病に薬がいるように、
健やかな者に心のなごみがいる」
との思いから、
奥州街道・郡山宿の薄皮茶屋で餡がたっぷりで
皮の薄い饅頭を考案しました。
これが柏屋薄皮饅頭の誕生です。
東北地方では当時、
皮が薄く"こしあん"がたっぷり入った
饅頭はめずらしく、
その忘れられないおいしさは
奥州街道の名物となり、
旅する人々にとってわざわざ遠回りしてでも
食べたい饅頭になりました。
ー會津 柏屋HPより

"こしあん"は、
上品でなめらか、口どけのよさと
さらっとした甘味が身上と言われる通りの
"薄皮饅頭"を楽しむこと叶いました♬

【菓祖神 萬寿神社】
ー 縁結びとお菓子の神様 ー
菓祖神「萬寿神社」は、
饅頭(まんじゅう)にも通じることから
命名されたもので、
萬(よろず)の寿(ことぶき)の意味を持ち、
縁結びの神様として親しまれている神社です。
良縁に恵まれ、子宝、家内安全、
長寿へと導いてくださいます。
多くの方々が、縁結び、招福を願って
萬寿の絵馬に願いを託し、
ご祈願しています。
幸多く、良縁に恵まれ、
たくさんの福が訪れますように…。
「萬寿神社」は「林浄因」をお祀りした、
奈良の「林神社」から日本で唯一
ご分社いただいた神社です。
所在地/福島県郡山市朝日1-13-5
(開成柏屋敷地内)

「菓祖神 萬寿神社」には、
中国から日本へ初めてお饅頭を伝えた祖神
林浄因命(りんじょういんのみこと)
日本のお菓子の原点、
橘(みかんの原種)を伝えた果実とお菓子の祖神
田道間守命(たじまもりのみこと)
薄皮饅頭をこの世に送り出した、
初代 本名善兵衛命(ほんなぜんべいのみこと)
三柱の菓祖神がお祀りされている。

磐梯高原/柏屋さんにある
お饅頭の形をした自然石"願掛け萬寿石"は、
願い事を聞き届けてくれる
願掛けの石として親しまれている。
ー 案内看板より
旅の安全を祈願し
"ひと撫で"しておきました♬

磐梯山の
伏流水を源とする地下水。
"柏井"の水は、
磐梯山のふところで生れた
天然の水。
豊かな自然の恵のなかで、
流れ、育ち、磨かれてきた
"ふるさと"の水。


郷土菓子を頬張りながら
"磐梯山(磐梯吾妻スカイライン"方面へ
目をやると...
ドス黒い雨雲が立ちこめだしている。
"やはり、雨雲が湧いたか!"
危険回避はツーリングの鉄則。
スカイラインアタックは回避し、
お宿へと向かう♬
国道115号線で福島市内へ抜けル。
安達太良山周辺は
ついさきほどまで土砂降りだったのでだろう、
路面は"HeavyWet"であった。
走行モードを
"RAINモード"に設定変更して
"TRANSALP"を走らせた♬
【ROUTE INN HOTELS】
最近旅のお宿に
"ROUTE INN HOTELS"
を利用する機会が増えた。
理由は、
①平面駐車場が確保されいてる。
②人工ではあるが"温泉"がある。
③コーヒーの無料サービスがある。
④質の良い朝食が提供される。
(郷土料理がだされる場合もある)
⑤製氷機が無料で利用できる。
⑥市街地にも近く夕食の利便性が良い。
(コンビニも近くにあることが多い)


宿泊した"ROUTE INN HOTELS"
福島西インター店は...
自走式の立体駐車場で
雨がしのげるというのが、
利用した最大の理由となる♬
雨雲レーダーによるリサーチでは、
南東北地方は連日(出発6日前からリサーチ)、
夕方から深夜にかけてほぼ毎日の様に
豪雨が発生していたから助かった。
※出発前なので車両は横を向けています。

8月22日(木)am7:30ー出発
この日は、
福島県から岩手県へと向かい、
いよいよこの旅の核心へと進む。
東北自動車道==長者原SA(休憩)
宮城県の郷土料理である
"ずんだ餅"をいただく♬
※夏から秋にかけて収穫した
旬の枝豆を茹で、
薄皮を丁寧にむいてからすりつぶし、
砂糖と塩を少々加えた
素朴で上品な味わいの餡。

東北自動車道==若柳金成IC(下りる)
県道48号線(弥栄金成線)にて、
旅の幕開けを告げるかの様な
"どこでもドア"を偶然発見したので
撮影シタ。
...いよいよ被災した地域へと向かう。



国道284号線に入り、
北上川に架かる"北上大橋"を渡り
"道の駅かわさき"に立ち寄る。


自動販売機もご当地色豊かだ♬
鉄神ガンライザー(テレビ岩手にて放送)
※現在は放送終了。

岩手県水沢(現・奥州)市出身
MLBーロサンゼルス・ドジャースの
"Shohei Ohtani"♬

国道45号線(三陸沿岸道路)を使い
向かったのは陸前高田市だ。

気仙川を渡す"気仙大橋"に
"TRANSALP"を止める...

下流には、
震災遺構"高田松原YH"と
"軌跡の1本松"が見える。


この地に立つのは3度目である。
震災前後の変りようも
"凄まじい"の一言であったが、
現在の整備された姿もまた
感慨深いものがあった...。


"東日本大震災津波伝承館"と
道の駅とで構成される、
"高田松原津波復興記念公園"に立ち寄る。


新たに整備された海岸線へと向かうまえに
"東日本大震災津波伝承館"
いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル
に足を運ぶ。
ー ミッション・ステートメント ー
日本列島は、
地球上でも特に自然災害の
危険性が高い宿命の地であり、
この地に生きる私たちは、
長年にわたり自然災害への
対応力を高めてきました。
しかし、
2011年3月11日に発生した
東日本大震災津波により、
私たちは多くの尊い命を失いました。
この悲しみを繰り返さないためには、
知恵と技術で備え、自ら行動することにより、
様々な自然災害から命を守り、
そして、
自然災害を乗り越えていくことが重要です。
東日本大震災津波伝承館は、
先人の英知に学び、
東日本大震災津波の事実と
教訓を世界中の人々と共有し、
自然災害に強い社会を
一緒に実現することを目指します。
そして、
東日本大震災津波を乗り越えて進む姿を、
支援への感謝とともに発信していきます。



伝承館の展示を見て回る。
※震災の映像と津波襲来・被災直後の映像には
こころが締め付けられた。(映像は撮影禁止)
津波にて流出した
"旧気仙大橋"の一部。


ー被災した消防車ー
展示されている消防車は、
津波襲来の直前まで、
住民への避難指示に奔走。
直ちに高台へ避難するように
くり返し呼びかけていた。
※乗車していた消防団員は無事であった。





震災以前の標識・看板。
震災以前より
"津波"への備えは
されていた地域であった。

展示室3"教訓を学ぶ"では、
逃げる・助ける・支えるなど
東日本大震災津波の時の
人々の行動をひもとくことで、
命を守るための教訓を共有する。
東北地方整備局災害対策室の
移設展示がされていた。
(映像及び展示品の撮影禁止)

伝承館より
海の方向(広田湾・第二線堤)へと足を向ける。
ー 祈りの軸 ー
津波の襲来した広田湾方向と
津波が遡上した気仙川上流を結ぶ
象徴的なライン。

芝が植えられ美しく整備された
"追悼の広場"を突き抜ける
"祈りの軸"の右方には...
震災遺構"高田松原YH"と
軌跡の一本松。

左方には、
"旧道の駅高田松原(タピック45)"
が見える。

祈りの軸を進み、
第二線堤の
"海のみえる場"から海を見渡す。
第一線堤には、
まだ幼い"防潮林(高田松原)"が
植えられていた。

海を見渡せる
美しい場所に設置された
献花台がもの悲しい...。
震災にて
お亡くなりになられた方々へ
"哀悼の意を表す"

"追悼の広場"の手入れは、
"Husqvarna(ハスクバーナ)社"の
自動芝刈り機が担当していた。


"高田松原津波復興記念公園"
を後にし...。
※公園の前には、
この様な風景が広がっていた...。

国道45号を南下し、
南三陸町へ向かう。
ー南三陸さんさん商店街
東日本大震災(2011年)で
壊滅的被害を受けた南三陸町の
2つの商店街(志津川地区、歌津地区)の
再生プロジェクト。
10mの盛土によって生まれた
新たな地面の上に、
かつての商店街が有していた、
ヒューマンなにぎわいを再現するために、
地元の南三陸杉を用いた在来木造による、
「縁側」のついた商店街である。
特産物や地元食材を使った料理等々を
楽しむことが出来る商業施設だ。



"隈研吾"氏設計の中橋を渡り、
南三陸町震災復興祈念公園へと向かう。




海抜16.5m、
これは東日本大震災の時に
南三陸町志津川地区を襲った
津波の高さである。
公園の中央部を占める「祈りの丘」は、
発災時に一時的な
避難地となり得る高さ(海抜20.0m)を
確保するために造成した
避難築山であるが、
その頂上のすぐ下では、
16.5mの等高線に沿って
「高さのみち」が丘をぐるりととりまく。
眼下には骨格構造だけが遺る
旧防災対策庁舎が見え、
被災直後には足下の高さまで
水面が迫っていたことが想像できるだろう

地域では、
旧防災対策庁舎保存への葛藤が
あることは知っている...。
ただ、震災発生時に防災無線を通じ
住民に避難を呼びかけ続け命を落とした
方が居たというのも揺るぎのない事実だ。
どれだけ多くの人々が呼びかけの声に
命を救われたのであろうかと思うと、
後世に"記録"として残すことも
また大切ではなかろうかと考えてしまう。
ひとそれぞれに考え方は違うのであろうが、
最後まで"住民の命"を優先し
亡くなられた方々の
"あの時の思い"を尊重した
"判断"をしていただければと切に願う。
庁舎の有無に関わらず、
未来にまで"人への思いやり"の気持ちを
絶やさず繋いでいくことが、
亡くなられた方々への
なによりの手向けとなるのでは
と感じずには居られない。
ー旧防災対策庁舎ー
南三陸町は1960年に発生した
チリ地震を教訓に津波対策を進め、
それを踏まえて防災対策庁舎は
鉄骨3階建で建てられました。
しかし、
東日本大震災ではチリ地震津波の5.5mを
はるかに超えた15.5mの津波が庁舎を襲い、
防災無線で「高台へ非難してください」と
呼びかけ続けた町職員33人を含む
計43人が亡くなられました。
現在の建物周辺はかさ上げの盛り土で囲まれ、
大津波の脅威を感じさせる鉄骨の骨組みは、
補強・塗装の塗り直しがされました。
2031年まで宮城県の管理下で
保存されることになっている。












庁舎を囲む

ー南三陸311メモリアルー
南三陸311メモリアルは、
住民の証言や写真、
映像などの資料を継続的に収集・保存する。
これらの資料から制作した
バナーや証言映像ダイジェストを
展示ギャラリーで見ることができる施設だ。
※隈研吾建築都市設計事務所が
未来に漕ぎ出す船をイメージし設計した建物。


館内の撮影可能エリアの
画像を掲載しておく。
※証言映像やアート作品等は撮影禁止






ー震災に触発された
クリスチャン・ボルタンスキーの
インスタレーションMEMORIALー
(撮影禁止)

ー安心して暮らし続けられる
まちづくりー

ー南三陸から
支援に対する感謝パネルー
"ありがとう"の気持ちは
次に同じ様に苦しむ方々に
返すのが良いだろう。
同じ日本という船に乗るもの。
有事があれば
"助け合う"のは人として自然な行為だ。
だが、
"ありがとう"という優しい言葉を
美しく使える人になりたいと
私は素直に思う。

メモリアルの側面の階段を昇れば、
復興祈念公園を見渡すことができる。



ー震災遺構ブライダルパレス
高野会館ー

震災当時、
高野会館のスタッフ等の判断により、
327名の高齢者や近隣の人と
犬2匹の尊い命が助かった。
当時の地上レベルや津波浸水高を実感できる
数少ない
民間の震災遺構として保存されている。
これまで皇室関係者、
官僚等はじめ
国内外から35万人以上の人が来館し
自然災害の脅威や防災減災の大切さを
伝承している実績がある。


3階天井より上(屋根腰壁下部)に
設置された、
"東日本大震災「津波浸水深」ここまで▽
の高さに驚かされる。
※津波浸水深の定義(国土交通省)
陸上の各地点で、
水面が最も高い位置にきたときの
地面から水面までの高さ。

ーモアイ像ー
約17,000Kmの距離を越えて、
南三陸町とチリは友好関係を深めてきた。
そのきっかけは、
1960年5月24日未明に、
遠い遠い海の向こうから押し寄せて来た
チリ地震津波だった。
旧志津川町内だけで、
41名が犠牲となり、312戸の家屋が流失、
倒壊 653戸、半壊 364戸、
浸水 566戸の壊滅的な被害を受けた。
この津波の記憶を未来に伝えようと、
30年後の1990年に
国鳥コンドルの碑がチリから贈られ、
1991年には
南三陸町がふるさと創生事業の一環として
チリ人彫刻家に依頼して創った
イースター島のモアイが、
志津川地区の松原公園に設置された。
東日本大震災で公園は被災したが、
流出したモアイ像の頭部は発見され、
志津川高校の敷地内に移設された。

日智経済委員会チリ国内委員会が、
南三陸町に新たなモアイ像を贈ろうと、
イースター島の長老会に協力を求めた。
93歳の老彫刻家マヌエル・トゥキ氏は、
皆に呼びかけた。

「海に破壊された日本の町に、
人々が再びそこで生きていきたいと思えるような
マナ(霊力)を与えるモアイを贈れないのか?
私は息子とともに、
日本の人たちが必要としているモアイを彫る!」

長老会は大きな拍手で包まれたという。
イースター島の石を使い彫られたモアイ像が、
島外に出たことはない。
しかし、
かつて倒れてバラバラになっていたモアイ像を、
日本人がもとの姿に建て直す
支援をしたことがあったことから、
イースター島初のプロジェクトが始まった。

こうして息子の
ベネディクト・トゥキ氏は、
石材を切り出して、
親戚の彫刻家たちとともにモアイを制作した。
南三陸町を訪れたトゥキ氏は、
設置されたモアイに
白珊瑚と黒曜石で作られた眼を入れた。
ー南三陸観光ポータルサイトより



ー眼が入ったモアイは、
世界に2体しかないというー
南三陸町を訪れ、
津波の惨禍を目の当たりにした
トゥキ氏の目に涙があふれた。
「眼を入れるとマナ(霊力)がモアイに宿る。
南三陸の悲しみを取り払い
復興を見守る存在になることを願っている」
と彼は語った。
モアイは、
イースター島のラパヌイ語で
「未来に生きる」という意味だ。
未来に生きる南三陸町の人々を、
遠い未来まで勇気づけ、
見守り続けることだろう。
ー南三陸観光ポータルサイトより

モアイ像と南三陸町の絆 ~未来へと繋ぐ贈り物~

ー前編内容
1日目(水)は福島までの移動日。
2日目(木)は、
陸前高田(岩手県)から南三陸(宮城県)まで、
東日本大震災の爪痕とともに、
未来へ向けての各地の復興状況を
目に焼き付けて来た。

ー後編内容予告
3日目(金)は、
宮城県仙台市から南下し、
福島第一原子力発電所災害に
見舞われた
南相馬市==浪江町==双葉町==
富岡町を巡る。
4日目(土)は、
秩父を抜け
山梨県(甲府市)へと至る。
5日目(日)は、
帰路==帰宅。
の予定です。

後編へと続く...

【関連記事】
<土砂災害に見舞われた東北ツーリングの記録>
【2017年夏ツーリング-前編-】<2017.9.20更新>
【2017年夏ツーリング-後編-】<2017.9.27更新>

<災害に見舞われたKawasaki復活の記録>
【はじまりのとき】<2018.2.10更新>
【ModifyRecord (1) -復活- 】<2018.3.4更新>

<車両を修復し挑んだ東北ツーリングの記録>
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(前編) -】<2018.11.12更新>
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編) -】<2018.11.17更新>
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編)その2 -】<2018.11.19更新>

<2024年南東北ツーリングの記録>
【TOURING -南東北ツーリング(後編) -】<2024.8.31更新>
【TOURING -南東北ツーリング(後編) その2 ー】<2024.9.1更新>

【関連資料】
【郷土料理/芳本茶寮】ー公式HP
【會津/柏屋】ー公式HP
【東日本大震災津波伝承館】ー公式HP
【南三陸町震災復興祈念公園】ー観光ポータルサイト

では
Thanks for coming!
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ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪








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【13th Time around ♪ 】

2024-08-10 | Otherwise(その他)

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

7月某日、
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を
愛知県にあるカスタムショップ
"しゃぼん玉本店"さんに車検に出ス♬



あれから約1ヶ月。
"車検あがりましたよ♪"
との連絡をいただけたので
引取りに出向いた♬

"しゃぼん玉車検"では、
エンジン点検=20項目。
動力伝達装置点検=8項目。
ステアリング&電装点検=13項目。
ブレーキ関係点検=15項目。
タイヤ・ホイール/Rサスペンション点検=14項目。
その他=3項目。
合計=73項目の点検が
ひとつひとつ丁寧に実施されている♬



項目以上に
私がお願いしていた
点検や交換等々が随所に施された
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2の
走行フィーリングはスムーズかつ軽快で、
満足できる仕上がりであった♬
今回は、
フロントフォークオイルに"Motys Oil"を、
ブレーキフルードに"DOT5.1"を選択してみた♪

以前のブログ記事にも書いたが、
私にとって2年に一度の車検は、
道路運送車輌法に定められた
保安基準に適合しているかの検査に
合格(パス)してさえいれば
良いというものでは無く、
2年に一度...
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を
"Refine(リファイン)"させる為の
儀式の様なものなのだ♬
※Refine
原義は、再び仕上げる。
細かい点に至るまで努力をそそぎ、
さらに優れた状態にする。
鍛えあげる。 などの意。


1998年式のZRX1100は、
今回で車検回数も13回を数え、
付き合いだして
26年の年月が流れた...。
しかしながら
"Modify"を繰り返してきたことで、
乗り味は
日本刀(古刀)の如く鋭い♬
整備費用(維持費用)は膨大、
性質は神経質、
ネガティブな部分も多々あるのだが...
好みの仕様に仕上げてあるので、
走らせると...
楽しくて堪らない♬
車検を終え、
"Refine"されたKawasakiとの
ストーリーはこれからも
続いてゆく...。
また2年楽しむゾ♬

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪

【関連資料】
【しゃぼん玉】ー公式HPー
【Motys Racing Oil】-公式HP-

【関連記事】
【9th Time around ♪ 】<2016.7.28更新>
【9th Time around 2 ♪ 】<2016.8.24更新>
【10th Time around ♪ 】<2018.8.20更新>
【11th Time around ♪ 】<2020.8.15更新>
【12th Time around ♪ 】<2022.8.21更新>







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【ホッ...といっぷくーログ(24.8.3)♬】

2024-08-04 | ホッ...といっぷくーCOFFEE BREAK MEETINGー

Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

ーホッ...といっぷくーログ(24.8.3)

※ホッ...といっぷくーCOFFEE BREAK MEETINGー
は道の駅いっぷく処横川承認企画です。

今回で2024年度の
"ホッ...といっぷくーCOFFEE BREAK MEETINGー"
も5回目となる♪
...早いモノで今年の開催も
残すところあと2回となった。

梅雨が明け....
連日猛暑(酷暑)となるも、
"COFFEE BREAKer"達は
"道の駅いぷく処横川"へと
愛車を駆り集う♬

今回は、
私の"誕生日"でもあり、
新車での参加者さんもありで、
華やかな会となった♬

am6:00ー
私のガレージより、
おろしたて(総走行距離100キロ以内)の
"HONDA/CB1300ーSuperBoldor SP"
出陣ス♬
※納車おめでとうございます♬

伊勢湾岸自動車道==東名高速道路と繋ぎ、
浜名湖SAにて、
新車購入に至るまでの経緯や苦労話を
聞きながら楽しく朝食♬



am9:15ー道の駅いっぷく処横川到着♪
道の駅には既に
"COFFEE BREAKer"達集う♬


北海道をツーリングされてきた方から
ツーリングの情報とともに、
土産菓子をいただいた♬
日本各地の
ツーリング情報を得られるのも
この集いの良いところダ♪
※お土産ありがとうございました。


8月より
"かき氷"の販売もハジマル♬


この日は曇り空で、
気温は酷暑とまではいかぬも、
"抹茶金時+練乳トッピング"
で涼を取る♬

2024年度からは、
"COFFEE BREAKer"達が
オートバイライフの中で
実際に使用しているもので、
"気になるもの"や"役立つもの"等々
をBlogにて紹介してゆきたいと思う♬
今回は...コレ!
"酷暑を乗り切る"
冷感アイテム...ダ♬
1品目は、
小林製薬"シャツクール"
冷感ストロング

衣類にシュッとスプレーするだけで
衣類を冷感コートし、
"L-メントール"が汗をかくたびに
ひんやりとした冷感を与えるという商品。
私の使ってきた感想としては、
走行風を受けると...
冷感は約
15分程度は持続している。
もうこの商品は
真夏のツーリングの"マストアイテム"
とかしている♬
ボトルは"桐灰化学"のものだが、
中身は"小林製薬"のものに入換えている。
"小林製薬"製の方が若干ながら
冷感が強い様に感じてのことである。
※使用感は個人差があります。

2品目は、
WORKMAN
真空保冷ペットボトルホルダー
冷えた
ペットボトルを入れるだけという
超簡単な使用方法で
"冷たさが持続"するという触れ込みで、
数年前に"大ブレイク"し
売り切れ店が続出したという商品ダ。
現在は、
さらに進化をとげ
商品供給も安定してきている♪
画像は"旧タイプ"だが
とても重宝しているのでお勧めダ♬

3品目は、
山真製鋸(Y'sGOD JAPAN)
アイスマンベスト
ICEMAN PROー3
ICMP3ーBLVーset 水冷服」5200Ah/バッテリー附属。
凍ったペットボトルを
装着して水を循環させることにより
瞬間冷却を得られるベスト。
使用感は...
是非ミーティングにご参加いただき
ご本人より直接お聞き下さい♬


ここ数年の夏は
気温が35℃を越える日が増え、
オートバイに乗る際に
何かしらの"対応や対策"を考えないと、
"危険"を感じるほどだ。
この様な集いの場を利用し、
SNSの"企業案件"とは違う
忖度のない
"生の声"を聞いてみると良いだろう♬
次回もなにか面白いものをみつけたら
ブログに掲載しますのでお楽しみに♬

帰路は、
方向の同じ6台で
"慣し運転"のお付き合いがてら、
浜松SAにて昼食♬


私の"誕生日"ということもあり
お昼ご飯をご馳走していただいた♬
ありがとうございます<(_ _)>

今回も多数の
"COFFEE BREAKer"
のご参加ありがとうございました。
排気量も車輌のタイプも関係なし。
もちろん自動車・自転車での
参加であっても問題ナシ。
オートバイが好きであることは
大切ですが(笑)
それもこの集いの特徴ダ。

最近は、
帰路の方向が同じ方々と
一緒に走ることが増えた。
車種や経験の異なる方々と走ることでまた
ライディングスキルが向上スル。
休憩時間等々に皆で
あの時あのカーブがさぁ...
と走りを多角的に分析する行為は
とても大切ダ♪
他の誰かに対して
スピードで"勝った負けた"ではなく、
今より少しでも
"よりスムーズにより快適"に
オートバイを走らせることができたら...
そんな願いは
ベテランから初心者までが
考え続けているテーマなのではないかと
私は思う。
帰路の1コマ♬
※画像提供ありがとうございます。

"暑いなぁー"が
頻繁に口からでてしまう中でも、
自慢の愛車を持ち寄り、
ライディング論やカスタム論、
今後のツーリングの計画等々を
集いし"COFFEE BREAKer"達と
笑い合いながら語らう、
そんな
ほんの一時を楽しむ♬
日々を一生懸命に生きてるのだから、
月に1度位は、
こんな贅沢な瞬間を味わっても
罰はあたらないだろう。
人生なんてものは、
永いようで実に短い
"儚き一瞬の煌めき"の様な
モノなのだから...。

オートバイ...
乗ろうぜ!

さぁ、
"走る"ことが
楽しみになってキタゾ♬

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています



コメント (2)
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