ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【Touring ー2021年四国ツーリング♪ (前編) ー】

2021-11-28 | TOURING

Webーyoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

秋の四国ツーリングを
"前編・中編・後編"に分け
2021年四国ツーリング記として
記録スル。

コロナ禍も落ち着いてきたので、
2021年秋旅(ロングツーリング)に
出掛けることにした♪
今回は
四万十と足摺岬を計画の中心に据え、
"四国は高知"を目指ス♬
天候が良ければ"アル"ことを
Completeできれば...
との淡い期待を胸に抱きながら
旅は始ル...。

【Day1】
11月11日(木)am3:00ー
四国は高知に向け
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2の
エンジンに火を入れる♪


東名阪道==新名神高速と繋ぎ
宝塚北SAにて休憩。
少し肌寒いが、
キャブレターのOHが
功を奏したのだろう、
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2の
調子は頗(すこぶ)る良い♪
セッティングも
"アタリ"を引いて
アクセルを開けるのが
楽しくて仕方がナイ♬

このSAは
いつきても華やかダ♪
宝塚歌劇団の演目にもある
池田理代子さんによる漫画作品
"ベルサイユのばら"の
ジュエリー絵画が美しい♬
【ジュエリー絵画】
熟練した職人が手作業にて
宝石を敷き詰め、
ひとつの絵画にしあげる。
紫外線にとても強く
50年から100年経っても
色褪せしにくいのが特徴。
ー 説明看板より ー

お土産も
"ベルばら"ものは豪華♬

宝塚市の名誉市民でもある
手塚治虫さんのお土産ものも多い♬

宝塚北SAを出て...
新名神高速道路より
山陽自動車道に入ル。
今回の四国入りは、
"瀬戸大橋"をチョイスし
高知を目指ス♬

【瀬戸大橋】
山陽自動車道を
"倉敷JCT"で分岐し、
瀬戸中央自動車道へと入り
与島PAへ滑り込む。
この日の瀬戸大橋...
電光掲示板には
風速15m/sOVERとの表示...
こりゃヤバイ(汗)

強風(横風)の走行は
兎に角神経を使うもの...。
真横から突然吹き付ける強風は
軽量ホイール装着車最大の弱点ダ。
手に汗握りながら
"安定走行"を心掛け
無事に渡りきることができた♬
時折車体が横風に煽られ
真っ直ぐ走れない程であったので、
これ...
初心者は転倒(横転)もあり得るなと
感じるほどであった。

坂井JCTより高松自動車道、
川之江JCTより高知自動車道(四国横断道路)
川之江東JCTと渡り、
南国ICまでの22連トンネル内に入るたびに、
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2の
マフラーが奏でる
心地良い"Sound♬"に酔いしれれば、
アッ!と言う間に高知中央ICに到着ダ♪
予約しておいたHOTELに
車輌と荷物を預けたら、
ライディングシューズを運動靴へ履き換え
高知散策(観光)へと向かう♬
【坂本龍馬誕生地(土佐維新歴史文化道)】
高知城下本丁筋1丁目、
現在の高知市上町1丁目上町病院前に、
誕生地の碑は建っています。
父ー坂本八平直足、母ー幸の次男として、
1835年天保6年11月15日、
この地で誕生した坂本龍馬は、
1867年11月15日の奇しくも自らの誕生日に、
京都近江屋で凶刃に倒れるまでの
わずか33年の生涯にあって、
類まれなる行動力と、
勝海舟や松平春嶽など
素晴らしい出会いを重ねることで、
薩長同盟の締結や大政奉還など
数々の功績を残し
今も根強い人気を誇っています。
龍馬の誕生日であり命日でもある
11月15日には、
毎年ここで龍馬誕生祭が行われています。
ー 高知市公式HPより ー



【龍馬の生まれたまち記念館】
龍馬の生まれたまち記念館は、
龍馬の人間形成の基盤となる
家族やまちを紹介し、
さまざまな困難を乗り越え、
近代国家へ尽力した龍馬を顕彰するため、
2004年3月誕生地・上町に開館した。
展示館機能と公民館機能を合わせ持つ、
全国的にも珍しい施設となっている。
展示館では
当時のまちの様子や歴史、
龍馬誕生から脱藩まで
少年時代を中心に映像や
模型などでわかりやすく紹介されている。
ー 龍馬の生まれたまち記念館HPより ー

【龍馬の生まれたまち】
誕生地である上町の歴史や文化、
坂本家の家族や龍馬ゆかりの人物などについて、
模型・映像・音声を交えながら
わかりやすく紹介している。
また龍馬が生まれてから
脱藩するまでのさまざまなシーンを
龍馬の目線で追体験できるコーナーや、
坂本家の離れを
イメージした空間で
ゆったり想いを馳せることもできる。





【坂本家離れ】

【皿鉢(さわち)】
 高知ならではの
「おきゃく(宴会)」料理の定番といえば、
「皿鉢(さわち)」。
もともとは神事のお供えものとして、
神事のあとに大勢で分け合って
食べたことがその起源とされる。
盛り数は奇数にするなど、
地域によって決まりもいろいろあるが、
海、川、山のものなどを
豪快に大皿に盛り付ければ、
それは「皿鉢(さわち)」となる。
大皿から自分の好きな物を
取りたいだけ小皿に取って食べる、
まさに自由でおおらかで宴会好きな、
高知人らしい料理が「皿鉢(さわち)」。
もちろん
"鰹のたたきは"大人気の料理だ。


【中庭の龍馬像】
龍馬の生れたまち記念館に訪れる人は、
必ずこの場所で
龍馬の横に座り記念撮影することだろう♬
手間から
近藤長治郎・坂本龍馬・坂本乙女(龍馬の姉)。


ー素敵な出会いがあるのも旅というものダ♬ー
記念館を巡り中庭の銅像に行き着くと...
銅像を修復(塗装修理)をされている方が居る。
話しを聞けば、
作者の方が年に1度のメンテナンスに
訪れているのだという。
平日の昼時...
誰も居ぬ中庭でのこと。
どちらからともなく
龍馬の話しは始まり、
この銅像制作にまつわる裏話から、
現在"とある場所"から龍馬像制作の
依頼を受けているという話しまで、
偶然とはいえ
パンフレットにも載っていない
面白い話しを聞かせていただけ
有難いことであった♬

記念館の裏手を少し歩けば
"龍馬郵便局"ダ♪
ポスト上にも龍馬!
局前にも龍馬!
記念スタンプもあり、
この街は龍馬で溢れている♬


【高知城】
関ヶ原の戦いの功績により
徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、
慶長6年(1601)大高坂山に
新城の築城工事を始め、
慶長8年(1603)に
本丸と二ノ丸が完成し入城した。
享保12年(1727)城下町の大火で
追手門以外の城郭のほとんどを焼失したが、
宝暦3年(1753)までに
創建当時の姿のまま再建された。
その後は、
自然災害や明治維新による全国的な廃城の嵐、
太平洋戦争など幾度となく襲った危機を乗り越え、
「南海道随一の名城」と呼ばれる
優美な姿をした建物を今に残し、
平成15年には築城400年、
再建から250年を数え、
本物の城の持つ偉容が
訪れる人々を
今日も歴史のロマンに誘っている。
ー 高知城HPより ー


【城内展示品の数々】
NHK大河ドラマ
"功名が辻"で千代役を演じた
仲間由紀恵さんが着用した
衣裳も展示される♪


ー 駕籠と家紋 ー
伝統的な駕籠(かご)と
山内家の家紋。
山内家の家紋は"三つ柏(かしわ)"と呼ばれ
土佐藩船の船印として使われた。
土佐出身の岩崎弥太郎が
三菱を興した時、
山内家と岩崎家の家紋を統合させて、
会社のロゴを作成した。
ー 城内案内看板より ー

ー 三ノ丸欄間(らんま) ー
この欄間は、
三ノ丸の南ノ間と北ノ間との境に
二面一対で使用さ、
江戸時代中期の名工
"武市高明(通称:勘七)が制作したもの。
勘七は"土佐の左甚五郎"と称された。
土佐藩八代藩主
"豊敷(とよのぶ)"の根付けを制作、
また
三ノ丸御殿の欄間を彫った功績が認められ
"武市姓"を名乗ることを許された。
ー 城内案内看板より ー


ー 山内容堂公所用陣羽織 ー
赤羅紗に白数珠文様に金糸房が
昇り龍の如くにあしらわれている。
背上部には山内家の家紋"白一黒一文"、
裏地には龍、鳳凰、牡丹が
浮き彫りされている。

ー 高知城破風の間 ー
高知城では破風の内側に部屋を設け、
人が入れるように細工され
"石打ち棚"と呼ばれる。
物見や鉄砲狭間の役割が与えられ、
攻撃の為の小陣地として
東西南北に設けられている。
北側の破風内部は隠し部屋となっている。
ー 城内案内看板より ー

ー 天守よりの眺望 ー
廻縁(まわりえん)からの
※天守を一周できる縁側のこと。
高知市内を望む風景は壮観ダ♬
高欄(こうらん)には
※廻縁につけられる手摺りのこと。
可愛らしいハート模様もあるので
訪れた際には探してみて欲しい♪
因みに、
廻縁と高欄は組となるもので
天守に廻縁だけつけることはできません。
なぜなら
高欄がないと落ちてしまうからです。
現存する例としては、
犬山城天守と高知城天守があります。
この二つの天守は廻縁に出ることができ、
一周ぐるりと回ることができます。
高知城の高欄は、
社寺建築に使われる
高級擬宝珠(ぎぼし)という飾りが付いています。
現存天守で擬宝珠がついているのは
ここ高知城のみです。


ー 高欄のハート模様 ー
天守廻縁の高欄に彫られたハート模様は
猪目(いのめ)といい、
字のごとくイノシシの目を意味しています。
そしてこの猪目模様は
古来より魔除けのために
使われてきた模様なのです。
猪目模様の由来には諸説あるので
興味のあるかたはお調べ下さい♪

ー 山内一豊像 ー
土佐藩の初代藩主
山内一豊(やまうちかつとよ)の銅像は、
平成8年(1996)9月20日、
一豊の祥月命日を卜して
再建除幕されたものです。
本体はブロンズ鍛造青銅色仕上げ、
高さ4.32メートル、重さ3.6トン、
台座5.08メートル、総高9.4メートルで、
騎馬像としては
皇居前の楠木正成像を上回る、
国内最大クラスであるといわれている。
ー 高知城HPより ー

ー 千代像(一豊之妻) ー
江戸時代中期の逸話集
「常山紀談(じょうざんきだん)」
著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた
徂徠(そらい)学派の儒学者
湯浅常山に「山内一豊馬を買れし事」が記され、
千代が差し出した黄金十枚で
一豊が駿馬を買い、
これが馬揃え(戦国時代の軍事パレード)の際に
信長の目に留まり加増され、
やがて土佐24万石の城主となる
立身出世に繋がったという話がある。
内助の功として知られるこの逸話は、
司馬遼太郎作の歴史小説「功名が辻」に描かれ、
平成18年に放映された
NHKの大河ドラマ『功名が辻』
主演/仲間由紀恵・上川隆也にも登場する名場面。
像は内助の功の伝説を顕彰して、
昭和40年に
高知商工会議所婦人会が建立したもの。
「山内一豊之妻」の題字は
元総理大臣・吉田茂の筆である。

ー 板垣退助像 ー
土佐出身の板垣退助は、
自由民権運動の指導者のひとりで
第2次伊藤内閣の内相。
明治維新以前は土佐藩の藩士だったこともあり、
板垣退助像が高知城の追手門をくぐってすぐの
石段の上り口に立っている。
「板垣死すとも自由は死せず」の名言は
明治時代の一大流行語となった。
この銅像は
昭和31年(1956)5月11日に
再建除幕されたもので、
題字は当時の内閣総理大臣
吉田茂の書。
像の高さは2.20m、台座4.205m、
全高6.405mである。

【高知情報発信館とさてらす】
高知城を後にし、
夕食の前に高知駅前にある
高知情報発信館
"とさてらす"に立寄る♬

高知県の
観光スポットのパンフレットや
旬のグルメ情報、
特産品の情報も得られるので、
高知を巡る際には
立寄ってみるのも良いだろう♬



情報館に併設された
「龍馬伝」幕末志士社中では、
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の
セットを楽しむことができる♬






物産館には、
高知県の銘菓や土産物が
一同に集められているので、
高知県の土産物を買うなら
足を運ぶと良い♬

【土佐三志士像 】
JR高知駅の南側には
土佐を代表する3人の像が立ってる。
左から
武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎。

土佐電に乗り
予約しておいたお店(夕食)へ♬
【土佐電気鉄道(路面電車)】
高知県を走る路面電車は
土佐電気鉄道株式会社が運営する。
明治36年(1903)に設立され、
翌明治37年(1904)に開業した。
地元では土電と呼ばれている。
県外では土佐電鉄、また鉄道雑誌などでは
土佐電と呼ばれることが多い。
路線は御免町停留場(南国市)から
伊野停留場(伊野町)を結ぶ
東西に伸びる路線(後免線・伊野線)と、
交差するはりまや橋停留場(高知市)から
北に高知駅前停留場、
南に桟橋通五丁目停留場へと
分岐路線(桟橋線)がある。
この3つの路線の総延長は25.3kmで、
路面電車としては日本で運行する
路線としては一番距離が長い。


【土佐食人 こうじ家】
高知市内で
土佐の地鶏"土佐ジロー"を食べたいならば
この店を選ぶと良いだろう♬
もちろん
"鰹のたたき"等の郷土料理も楽しめる♪



高知の郷土料理といえば
鰹のたたきであろう♪
実はそれほど鰹は好きではなのだが、
美味しくいだだくことが出来た♬

目的の"土佐ジロー"のうま味を
ダイレクトに感じたく、
焼きと鍋でいただく♪
鶏肉(土佐ジロー肉)のうま味と弾力を
咀嚼(そしゃく)するたびに
口の中で楽しむこと叶う♬
※土佐ジローは、
"土佐地鶏♂"と"ロードアイランドレッド♀"の
子どもになります。
一代種なので、
土佐ジローから生まれた子どもは、
土佐ジローではありません。



最後は土佐ジローの
玉子を入れた雑炊で〆♬

腹ごなしに散歩♬
【はりまや橋】
江戸時代、
堀川を挟んで商売を行っていた
「播磨屋と櫃屋」が、
両者の往来のため私設の橋を架けたことが
「はりまや橋」の由来といわれている。
その後、何度か橋は架けかえられ、
堀川も埋め立てられましたが、
現在は、
昔のはりまや橋も復元し、
純信・お馬のモニュメントも
設置されています。





高知の酒場の雰囲気を楽しむために
"ひろめ市場"へ立寄る♬


お宿(HOTEL)まで
土佐電に乗って戻る♬
路面電車が"旅の情緒"を
さらに引立てる♪


シャワーを浴びた後に、
"ひろめ市場"で購入した
土佐文旦を楽しみ1日目を終えル...。
ツーリングって最高♬

【Day2】
11月12日(金)am6:00-
部屋のカーテンを開けると...。
朝陽に照らされた高知城が美しく見てとれる。
昨夜はライトアップも楽しむことが叶い
理想とするお宿であった♬

am7:30ー
ある目的を果す為に、
朝食もそこそこにお宿を出発。

【四万十屋】am10:30-到着。
高知自動車道より国道56号線に渡り、
"四万十屋"さんに到着♬

四万十屋さんで楽しむこと叶うのが...
この旅で
絶対に食べたいと計画していた
"天然川うなぎ"ダ♬


ツーリングの行程を
不確定なものにせぬ為に、
混み合う昼頃を避け
開店(am11:00)を待つことにした♬

四万十屋さんには、
多くの芸能関係の方の訪れている様ダ。
沢山の色紙が飾られていた。

グルメ漫画"美味しんぼ"
第3話「日本全県味巡り高知編<3>」でも
紹介された様ダ♬
※美味しんぼ
小学館/ビックコミックスピリッツ
雁屋哲(原作)花咲アキラ(作画)


首尾良く一番客をゲットし、
テラス席で
四万十川と愛車Kawasakaiを眺めながら
注文を入れた
"天然うなぎ重"の焼き上がりを待つ♬

いよいよ
"天然うなぎ"をいただく♬

重のふたを開ければ、
甘めで濃厚なタレで焼かれ
照りの強い"うなぎ"が姿を現わす♪
フワフワとしたよくある食感の
それとは違い、
肉厚でしっかりと噛み応えある、
真に"天然の"と呼ぶに相応しい
肉質のうなぎであった♬



【紫電改展示館】
四万十屋で"天然うなぎ"を満喫した後は、
中村宿毛道路(国道56号BP)を経由し
南レク馬瀬山公園にある、
"紫電改展示館"へと向かう♬



紫電改はゼロ戦に代わる
新鋭機(局地戦闘機)として
終戦間近に開発され、
海軍航空の掉尾(ちょうび)を飾る
優秀な戦闘機だったと言われる。
※掉尾:物事の終わりの方に向かい
勢いが盛んになること。
昭和53(1978年)に
海底で発見された機体を、
翌年7月に引揚げ、
恒久平和を願い
終焉の地「久良湾」に機首を向け
保存(展示)しております。
ー 紫電改展示館パンフレットより ー






ー 紫電改引揚げ時の様子 ー
昭和53年11月18日
愛南町久良湾で養殖イカダのアンカーを
捜していたダイバーにより、
湾内の長崎鼻沖200m
海底41mの地点で発見された。
翌54年7月14日
県から委託を受けた藤田海事工業(株)と
地元漁業関係者等の協力により
34年振りに地上へと引揚げあれました。
機体はフジツボに覆われ、
破損箇所が随所に見受けられたものの
原型はとどめていた。
水中墜落でプロペラが4枚とも
内側に90度に曲がっていることから、
高度な操縦技術を持ったパイロットにより、
海面上に不時着したと考えられている。
"紫電改"を製作した新明和工業(株)
旧川西航空により約1ヶ月をかけて
一部補修・防錆塗装が施された。
日本海軍最後の切り札というべき
最強戦闘機「紫電改」は、
久良湾が一望できる南レク馬瀬山公園で、
終焉の地へ機首を向けて
永久保存されることになりました。


ー 隊員の紫のマフラー ー
海軍第343航空隊
紫電改の搭乗員は松山基地配属時代、
交流の深かった
食堂の女将と地元の女学生から、
手作りの紫色マフラーを贈られていました。
戦後62年を経て、
元隊員の故笠井智一(伊丹市)さんより
紫のマフラーと、
武運長久を祈念した鉢巻が寄贈され
常設展示されている。

紫のマフラーには、
空戦秘法「ニッコり笑へば 必ず撃墜(おと)す」
と書かれている。

ー 紫電改(紫電21型) ー
USコードネーム:George
太平洋戦争末期において本土防衛の
宿命を背負いつくられた「紫電改」は、
優秀であったがゆえに
一層過酷な任務を与えられ、
かけがえのない多くの青春と
運命を共にした。

ー 局地戦闘機「紫電改」の特徴 ー
◯ゼロ戦を上回る速度・上昇性能・攻撃力
防弾性・防火性
◯コンパクトでありながら大馬力エンジン
◯自動空戦フラップ
(高速機でありながら旋回性能が良い)
全長:9.34m・全翼:11.99m・高さ:3.96m
時速:620km・装備重量:4,860kg
エンジン:2,000馬力
機銃:20mm固定銃4挺
(60kgまたは250kg爆弾2発搭載可能)
昭和19年から20年の8ヶ月間に
約400機製作された。

紫電改展示館を後にし、
宿毛から土佐清水を抜けつつ、
四国最南端の岬"足摺岬"を目指す♬
【奇勝奇岩の壮大な風景/竜串海岸】
竜串海岸は、
日本初の海域公園である竜串海域公園に位置し、
砂岩が波食や風食を受けて形成された
"海食台地"が広がります。
この海岸は、
臥竜山と呼ばれる山に沿ってあり、
古くはここを龍串と読んでおりました。
(山そのものが、
竜が臥しているように見えることで
「たつふし」から「たつくし」になったという説や、
その竜を細長い岩で
串刺しにしたように見えることから
などの説があります。
ー 土佐清水市観光協会HPより ー


途方もない年月をかけて
生み出されたこの海岸では、
地質学的にきわめて重要で稀少な
数々の石の現象を観察することができます。
何かの生物が核となって
丸く固まった石の塊(ノジュール)や、
生物の行動(巣穴など)の痕跡が化石となった
生痕(せいこん)化石、
波紋が刻まれ
化石となった漣痕(レンコン、リップルマーク)
砂岩の隙間に海水が染み込んで
表面が剥がれ落ちた
蜂の巣状の石(タフォニ)など。
竜串海岸は、
別名「地質の博物館」と呼ばれる♬







竜串海岸より
足摺港公園へと向かう♬
【萬次郎と仲間達の群像】

米国に向けて船出した船が
足摺岬の沖合で突然の強風に襲われ、
5日間成す術もなく漂流した後、
漂着した南海の孤島である
"鳥島"で米国の捕鯨船に
救助を求めている様子は、
銅像の常識を超えた激しい
構図になっている。
143日間の無人島生活に
耐え抜いた彼ら5人は、
日米親善の橋渡しと
文化の発展に大きく貢献した。


【ジョン万次郎資料館】
ジョン万次郎資料館では、
ジョン万次郎の生涯が再現され、
各展示コーナーでは
その軌跡を見ることができ、
様々な万次郎の資料等が展示されている。
知っている様で...知らない人も多い(笑)
ジョン万次郎(中濱万次郎)を
今一度学びたいと思う方は
足を運ぶと良いだろう♬

ー 資料館の名誉館長は... ー
ジョン万次郎資料館の名誉館長は、
タレントの"ビビる大木"さんです♬

ー ジョン万次郎 ー
ジョン万次郎こと中濱万次郎は
今の土佐清水市中浜で漁師の次男として
生れました。
14才の時に漁に出て遭難。
無人島に漂着し
143日間もの過酷な日々を過した後、
幸運にもアメリカの捕鯨船に助けられ、
アメリカ本土上陸を果す。
カリフォルニアの金鉱で得た資金で
船を購入する。
日本に帰国後は教授や通訳として活躍。
坂本龍馬や岩崎弥太郎、勝海舟にも
影響を与えた人物なのです。
ー ジョン万次郎資料館パンフレットより ー

ジョン万次郎
数奇な運命...

船が難破...

無人島に漂着し...
143日間に及ぶ無人島(鳥島)生活。


米国の捕鯨船に助けられる...

米国に渡り語学を学び、
航海術や測量術等々や
捕鯨の技術を習得する♬
その後は日本に戻り...


...詳しくは
ジョン万次郎資料館にて
お楽しみ下さいマセ♬
ー 予備知識として... ー
ジョン万次郎の主な功績
◯先進的な技術や知識の伝達。
◯名著「ボーディッチの航海書」の翻訳。
◯日本初の英会話教本「英米対話捷径」出版。
※捷径(しょうけい)とは、
目的を達する手っ取り早い方法
◯咸臨丸(かんりんまる)で
日本人初の太平洋横断に成功。
◯小笠原諸島を日本の統治下に置く。
◯ホートン事件で不可侵、平等の外交に尽力。

ー JOHN MUNG DENIM ー
2F展示室には、
万次郎がアメリカにいた当時の資料を元に、
ヴィンテージマイスターの藤原氏と
ヴィンテージブランドの「ウエアハウス」が
コラボして3ピースを完全再現される♬
また、
「万次郎とデニム」年表と
万次郎モデルのデニムも展示され、
ジーンズ好きには堪らない
展示内容になっている♬

資料館にて
中濱万次郎の人生を学んだ後は...。
【足摺岬】
ついに、
四国最南端の岬に到達ダ♬

駐車場より
足摺岬灯台まで歩いてゆくと...♬

ー 地獄の穴 ー
この穴に銭を落とすと、
チリンチリンと音がして落ちて行き、
その穴は金剛福寺付近まで
通じるといわれる。

ー 大師の爪かき岩 ー
弘法大師の爪彫りといって、
「南無阿弥陀仏」六字の妙号が彫られている。


ー 亀呼場 ー
大師がここから亀を呼び、
亀の背中に乗って前の不動岩に渡り、
祈祷をされたといわれている。

ー 足摺岬灯台 ー
足摺岬は四国最南端の岬で、
岬の西の臼碆(うすばえ)は、
黒潮本流が直接ぶつかる全国でも唯一の場所。
※臼碆(うすばえ)
花崗岩の大絶壁の真下にぽっかり浮かんでいる
海上2m、巾3mの岩が"うす"の形に似ており、
そこを中心として黒潮が渦巻く形が
"うす"に似ている事からウスバエと名付けられた。
磯釣りのメッカとしても全国に知られ、
「釣りバカ日誌」の撮影現場にも使われた。
展望台が2ヵ所あり、
どちらも視界は270度
(東は足摺岬から西は叶崎までの海岸美が一望できる)
彼方にのぞむ水平線がアーチ状に見え、
地球が丸いことが実感できる。
高さ18m・光度200万カンデラ・光達距離38km。
わが国でも最大級の灯台のひとつで、
大正3年(1914)に点灯されて以来、
沖をいきかう船の安全を見守りつづけている。
夕陽が美しい灯台でもある♬


岬よりお宿(宿毛市)へ向かうルートは
"足摺スカイライン"から
四万十方面へと考えていたが、
夕暮れ迫る時間帯ということで
海岸線(サニーロード)を戻り
宿毛に入ることに決めた♬
【叶崎黒潮展望台】
落陽に間に合えばと
目星を付けていた、
日本の道100選~サニーロード~にある
叶崎黒潮展望台へ
愛車Kawasakiを滑り込ませる♬

時計の針はpm17:13分を指す。
落陽には
もうほんの僅かな時間(とき)を残すのみ...。
慌ててカメラを取り出し
展望台までのステップ階段を駆け上がり
夕陽と向き合う♬

空は紅く染まり、
辺りは次第に色を無くしてゆく
幻想的な時間...。
夕陽を撮影するシャッター音響く♪
旅(ツーリング)の高揚感を最高潮に感じ
二日目を終えル...♬




次回【2021年四国ツーリング(中編)】へと
続く...♬

【関連資料】
【高知市公式ホームページ】ー高知市公式HPー
【龍馬の生れたまち記念館】ー公式HPー
【高知城】ー公式HPー
【よさこいネット】ー高知県観光情報サイトー
【土佐電気鉄道(路面電車)】ー公式HPー
【ひろめ市場】ー公式HPー
【四万十屋】ー四万十川天然うなぎと漁師料理ー
【紫電改展示館】ー南レク公式HPー
【土佐清水市観光協会】ー公式HPー
【ジョン万次郎資料館】ー公式HPー

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。






コメント (2)
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