私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

その時代のアメリカ

2013年05月01日 | 歴史おもちゃ箱

NHKの「八重の桜」が何かと話題になっています。
八重の夫役の新島襄(1843~1890)は私のお気に入りの俳優、オダギリジョーさんが演じますね。
実際、新島襄はオダギリジョーと同じようにかっこよかったらしいです。

上州安中藩の武士の家に生まれた新島襄は二十歳の時に
漢文のキリスト教の書籍を読み、キリスト教に強く惹かれます。
その後、新島襄はこっそり函館までいき、アメリカ船ベルリン号に乗って密出国します。

この2年後、長州藩もこっそりと二人の青年を密出国させます。
後の伊藤博文と井上馨です。
次の年、薩摩藩も幕府に内緒で13人の若者を密出国させました。
どちらも、藩が送り出したのですが、
新島襄はたったひとりで国を出たのです。

新島襄はアメリカに10年いて、大学卒業後、キリスト教の神学校に進みました。

その間、日本では江戸から明治へと時代が進みました。

新島襄はあるとき、教会の伝道集会で語ります。
「日本では革命が起こりました(明治維新)しかし、新しい国家はまだ国の方針を見つけていません。
我が同胞3000万の幸福は物質文明や政治の改革によってもたらされるものではありません。」
「私は日本においてキリスト教主義の大学を作るつもりです。その資金がなければ日本に帰れません。」
と感情を込めて語りました。

演説が終わるや否や、ひとりの男性が立ち上がって1000ドルの寄付を申し込みました。
その後次々に人々が寄付を申し出、最終的には5000ドルものお金が集まったといいます。
当時の5000ドルは現在の日本円にするとどれほどのものでしょうか、、、。
大学がひとつ作れるほどの金額です。




新島襄が演説を終えて、壇上から下りてくると、ひとりの貧しい身なりをした農夫が
2ドルを差し出しました。
それは、彼が会場から自宅まで戻る汽車の運賃でした。
彼は2ドルを差し出し、家まで歩いて帰ることにしたのです。

この時代のアメリカは熱い信仰のある国でした。
そのアメリカ人たちの期待と善意の贈り物として、同志社大学が生まれたのかもしれません。

堂々とした同志社大学の校舎を見ると、「すごいな、アメリカ人の善意と期待」と思うのです。




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