2010年4月、また、ひとりの日本人が、宇宙に飛び立った。
その人こそ、山崎直子さん。子育て中の母親としては、日本人で初めての宇宙飛行士である。
自然で、気さくな素顔は、とてもそんな偉大なミッションをなしとげたとは思えぬほど、しかし、言葉の端端にのぞく宇宙への思いは、その広さのごとく深かった。
星が大好きだった少女が女性宇宙飛行士に
山崎直子さんが、宇宙に興味を持ったのは、小学校低学年のとき。
「その頃、北海道に住んでいて、夜空の星がとてもきれいだったんでそす。そんなある日、天体望遠鏡で月のクレーターや土星の輪を見て、あまりの迫力に圧倒されて、ちょうど「宇宙戦艦ヤマト。」や「銀河鉄道999」のアニメが人気だったこともあり、宇宙って面白いなあと思うようになったんです。」
そしてその興味が、中学生のときにテレビで見た、スペースシャトル「チャレンジャー」の打ち上げで、宇宙飛行士という職業に結びつく。
「実際に、人が宇宙に行くという驚きとともに、当時私が目標としていた教師でもあるマコーリフさんが登場していたのが印象的で、あの爆発という参事になりましたが、宇宙の仕事を意識するようになったのは、それからです。」
大学では、宇宙工学を専攻し、アメリカ留学を経て、宇宙開発事業団に勤務。そして、29歳の時、2度目の挑戦で、宇宙飛行士の候補者に選定され、2年半に及ぶ、過酷な基礎訓練を体験。それを終了し、宇宙飛行士として、認定された後は、訓練を継続しつつ、技術的業務や他の人のサポートに携わり、登場機会を待つ。そんな中、彼女は結婚と出産という大きな人生の決断をもしている。
「結「婚を決めたのは、基礎訓練の時。あわただしくて、書類を提出しただけでしたが、迷いはなかったですね。さすがに出産は悩みましたが、基礎訓練が終わった後ならなんとかやれるかなと。体力を使う訓練は無理ですが、順番を変えれば、いいだけ。座学は続けられますから」
静かに話す、山崎さんだが、ロシア語の習慣や、零下20度以下にもなる極寒の地でのサバイバル訓練、積み重ねる天井に着くほどの教材を前にしての勉強と試験の繰り返しを成し遂げてきた。
その意思の強さと決意、努力は想像に難しくない。そして、39歳、運命の搭乗を迎える。
夢の宇宙へ。そして、その先に見えたもの
「訓練で日本に帰国する途中、連絡があったんです。「スペースシャトルでのミッションに任命する。君ならいい仕事をしてくれるだろう。」と。もう、心から嬉しくって、頑張らnなくっちゃという思いでいっぱいでした。」
自分一人だけでなく、多くの人の夢が重なり膨らむことで、自らの力に変えられるんです。
同機は10年4月に打ちあげ。山崎さんは、物資の移送責任者として作業の指揮を執るとともに、日本の子供たちと交流したり、野口聡一飛行士と共に、日本人初めて二人同時に宇宙滞在する中での活動をリアルタイムで伝えた。山崎さんを宇宙へと向かわせる力とは。
「理屈抜きに好きというか、たのしいなあと思う気持でしょうか。一人ではなく、皆でやっているというのも大きいですね。自分だけの夢ではなく、たくさんの人の思いが重なり、膨らんでさらに大きくなっていることが、頑張れる力になっているのだと思います。」
一方で、プレッシャーも大きいはず。「考え始めると大変なのであまり考えず、集中してベストを尽くすだけ。切り替えは早いタイプかもしれません。」
これは、育児についても同じようだ。
「先入観にとらわれず、自分たちのスタイルに自信を持ち、それを信じてやっていこうと言い聞かせてきました。」
家族の支えもあり、宇宙飛行士の任務を見事に遂行した山崎さん。今後は?
「短期的には、他の人のミッション支援ができればと。これは仕事だけでなく、家族を含めたいろいろな人の夢についても同じです。また、長期的にはより多くの人が宇宙に行けるよう、何ができるかを考えていきたいと思っています。」
8歳になった長女も、宇宙への興味が芽生えてきたという。過去ノスペースシャトル搭乗者の最高齢は77歳。親子2代の宇宙飛行士誕生も夢ではない。