神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

ビジネスと聖書 中野雄一郎先生  日本の復興と日本人気質

2011-08-31 11:55:10 | 日記

ビジネスと聖書 中野雄一郎 日本の復興と日本人気質

2011-08-31 05:09:19NEW !
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 先日、この東日本大震災(3.11)に関して、韓国のある若人のことばを、TVに流していました。正確ではありませんが、このように、言っていました。
「日本は過去の大戦争で、焼け野原となり、二つも原爆を落とされ、年に何回も台風、津波に襲われ、地震は百回以上もある。資源はなく、国土は小さい。人口は多い。しかし、ここまで発展した。この大震災に対しても、日本は必ず、復興します。僕は泣いて居ます。」と。私もこれを聞き思わず、泣いてしまいました。これは度までに、励ましてくださる隣国の若人に感謝しました。
 先月は、震災の義捐金、物資、人材をお送りくださった、カナダ、カルフオルニア、アリゾナなどの、日系人教会にお礼を兼ねて、伝道に行ってきました。多くの人が今なお心配し、援助の手を差し伸べたいと申しだされていて、感謝の思いを新たにしました。と同時に、戦後の米国における、日系人社会をここまで、向上させた原動力を考えさせられました。
日本という国は、世界でも極めて、悪条件を持った、自然環境の中にあり、それでも、逃げ出さないで、困難を切り抜ける力を持っているし、一致団結で、事に当たることができる。
 この日本が、さらにキリストの愛と救いを知ったなら、間違いなく、全世界に多くの貢献をすることができるでしょう


聖書に秘められた成功の原則、法則。  「聖書力」   中野雄一郎著  いのちのことば社

聖書には多くの成功の秘訣が込められています。寅さんも実践!弱さの中に強さが光る。「弱小の原則」
アブラハムやダビデもそうだった。「失敗の原則」忘れることで、力を得る「忘却の原則」何でも、喜んで、難局を打破する「喜びの原則」など、この本で閉塞したニッポンに光を


ケアハウスに義父を訪問

2011-08-29 07:09:53 | 日記

義父は、今、横浜地下鉄駅、センター北の駅をおりて、歩いて、15分程の、ケアハウスにいる。

もう、8年になる。その前は、なくなった祖母と、水戸の老人ホーム、ローズベラにいたが、祖母が亡く

なって、その時、祖父が認知症的な症状がでて、ホームの人に暴言を吐いたりしたため、そこにいられな

くなった。今いるケアハウスでは、2年まえから、認知症専門のフロアーに移った。

生協と創造科学という会社が合同で、街中で、楽しく老後を過ごすため、研究された、ケアハウスです。

義父は、以前より、元気そうでした。認知症のフロアにいないときは、部屋で、お酒などのんでいて、監

視されていましたが、今は、多くの介護職の方々とのコミュニュケーションがあって、とても、明るく、

元気にしています。絵や、将棋や、歌などのサークルに入っているようです。

昨日は、ケアハウスで、お祭りをしていました。保育園の併設していて、花火大会を、大勢の子供さんと

親がやっていました。

夜7時から、日本キリスト教団のセンター北教会の夕拝に私と夫と、義父で、行きました。

義父は、認知症になっても、夫が教会に月1回つれていきますので、私たちが行くと、教会に行くことが

わかっています。教会に行っても、聖書箇所や、讃美歌も歌っていますし、読むこともできます。

最近は、ケアハウスから、教会までの距離を歩くことが大変になったようです。

3か月前、私といっしょに、歩いた時は、そんな、息がハアハアしていなかったのですが、今日は、まる

で、100メートル競走でもしたかのように、少し歩くと、息が切れたようにハアハアして、少し休んで

は、また、歩くという風に大分、大変そうでした。外見は、とても、ニコニコしていました。


聖霊にみたされるには

2011-08-29 06:57:53 | 日記
 

メルマガ発行人      島村愛子
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御言葉  ・ いつも、喜んでいなさい、絶えず、祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい。

     ・ 私は、道であり、真理であり、命です。

     ・ 神は、その一人子を賜ったほどに、この世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も
滅びないで永遠の命をもつためである。

                                           (聖書)

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今年の夏は、35度を超える暑い日々が続いています。ここ、1週間、雨がふって、やっと、少し、涼し

くなりました。24時間テレビの司会をされた、島田伸介さんが、暴力団との関係で、突然、芸能界を引

退することになったのは、残念なことでした。


聖霊にみたされるにはNO.2


 彼らは賛美へと解放されました。

 自然に湧き上がってくる神への賛美は、神を体験した人々との興奮と感動をあらわすことばです。

「教会で、感情をあらわしてもよいでしょうか?

 感情的になる、危険性があるのではないでしょうか?」

 神との関係における、危険性とは、感情の欠如と何も感じないという事です。

 もし、神との関係において、私たちが何も感じていないなら、私たちの全人格が関わっていないことに

 なる。

 私たちは、自分の全存在を持って、神を愛し、賛美し、礼拝するように召されているのです。

 私たちの神への礼拝は、全人格つまり、理性、心、意思、感情のすべてを持って、行われるべきです。


[編集後記)

今日は、団地の納涼会でした。1年前、やはり、「ふれあい」という、高齢者の見守り、交流の為のサロ

ンを自治会でつくって、今年で2度目になる。団地での人と人との交流は、機会がないと、なかなか、出

会いがないのです。孤独死などが問題になっている、今日この頃、できるだけ、まだ、元気な時に、年齢

差を超えた、交流ができたらいいと思います。今日の納涼会は、ようよう釣り、ポップコーン、かき氷、

ヤキソバ、コーヒーなどを来た人にたべてもらい、2歳から80歳の方々との交わりができて、よかった

です。感謝

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星が大好きだった少女が、女性宇宙飛行士に

2011-08-25 19:55:45 | 日記
2010年4月、また、ひとりの日本人が、宇宙に飛び立った。
その人こそ、山崎直子さん。子育て中の母親としては、日本人で初めての宇宙飛行士である。
自然で、気さくな素顔は、とてもそんな偉大なミッションをなしとげたとは思えぬほど、しかし、言葉の端端にのぞく宇宙への思いは、その広さのごとく深かった。
 
星が大好きだった少女が女性宇宙飛行士に
 
 山崎直子さんが、宇宙に興味を持ったのは、小学校低学年のとき。
「その頃、北海道に住んでいて、夜空の星がとてもきれいだったんでそす。そんなある日、天体望遠鏡で月のクレーターや土星の輪を見て、あまりの迫力に圧倒されて、ちょうど「宇宙戦艦ヤマト。」や「銀河鉄道999」のアニメが人気だったこともあり、宇宙って面白いなあと思うようになったんです。」
 そしてその興味が、中学生のときにテレビで見た、スペースシャトル「チャレンジャー」の打ち上げで、宇宙飛行士という職業に結びつく。
 「実際に、人が宇宙に行くという驚きとともに、当時私が目標としていた教師でもあるマコーリフさんが登場していたのが印象的で、あの爆発という参事になりましたが、宇宙の仕事を意識するようになったのは、それからです。」
 大学では、宇宙工学を専攻し、アメリカ留学を経て、宇宙開発事業団に勤務。そして、29歳の時、2度目の挑戦で、宇宙飛行士の候補者に選定され、2年半に及ぶ、過酷な基礎訓練を体験。それを終了し、宇宙飛行士として、認定された後は、訓練を継続しつつ、技術的業務や他の人のサポートに携わり、登場機会を待つ。そんな中、彼女は結婚と出産という大きな人生の決断をもしている。
 「結「婚を決めたのは、基礎訓練の時。あわただしくて、書類を提出しただけでしたが、迷いはなかったですね。さすがに出産は悩みましたが、基礎訓練が終わった後ならなんとかやれるかなと。体力を使う訓練は無理ですが、順番を変えれば、いいだけ。座学は続けられますから」
 静かに話す、山崎さんだが、ロシア語の習慣や、零下20度以下にもなる極寒の地でのサバイバル訓練、積み重ねる天井に着くほどの教材を前にしての勉強と試験の繰り返しを成し遂げてきた。
その意思の強さと決意、努力は想像に難しくない。そして、39歳、運命の搭乗を迎える。
 
 夢の宇宙へ。そして、その先に見えたもの
 「訓練で日本に帰国する途中、連絡があったんです。「スペースシャトルでのミッションに任命する。君ならいい仕事をしてくれるだろう。」と。もう、心から嬉しくって、頑張らnなくっちゃという思いでいっぱいでした。」
 
自分一人だけでなく、多くの人の夢が重なり膨らむことで、自らの力に変えられるんです。
 
 同機は10年4月に打ちあげ。山崎さんは、物資の移送責任者として作業の指揮を執るとともに、日本の子供たちと交流したり、野口聡一飛行士と共に、日本人初めて二人同時に宇宙滞在する中での活動をリアルタイムで伝えた。山崎さんを宇宙へと向かわせる力とは。
 「理屈抜きに好きというか、たのしいなあと思う気持でしょうか。一人ではなく、皆でやっているというのも大きいですね。自分だけの夢ではなく、たくさんの人の思いが重なり、膨らんでさらに大きくなっていることが、頑張れる力になっているのだと思います。」
 一方で、プレッシャーも大きいはず。「考え始めると大変なのであまり考えず、集中してベストを尽くすだけ。切り替えは早いタイプかもしれません。」
これは、育児についても同じようだ。
「先入観にとらわれず、自分たちのスタイルに自信を持ち、それを信じてやっていこうと言い聞かせてきました。」
 家族の支えもあり、宇宙飛行士の任務を見事に遂行した山崎さん。今後は?
「短期的には、他の人のミッション支援ができればと。これは仕事だけでなく、家族を含めたいろいろな人の夢についても同じです。また、長期的にはより多くの人が宇宙に行けるよう、何ができるかを考えていきたいと思っています。」
 8歳になった長女も、宇宙への興味が芽生えてきたという。過去ノスペースシャトル搭乗者の最高齢は77歳。親子2代の宇宙飛行士誕生も夢ではない。