、わたしは祝福する」と。
、わたしは祝福する」と。
私には兄ガ一人いる。現在鶴見にいる。私が結婚する時、兄といっしょに
住んでいたアパートに今もすんでいる。昨年まで、電気技術者として、仕事
をしていた。発電所の機械の修理トカ整備で、大きい会社に出向いては
たらいていた。なくなった父は、中部電力で働いていたので、本人はわから
あなかったけれど、自分に合った仕事についたようだ。父は兄と私が、7歳と6歳の時、
汽車のデッキで、お酒の酔いをさましていて、富士川に転落してしまっ
たのです。今日、兄は、その父の事で私の知らなかった事をはなしてい
た。兄とは1歳違いだが、7歳まで家族で生活していた様子を覚えている
のです。
父は、中部電力で働いていて、戦後の東京の復興の為、東京へたびたび
出張していて、ほとんど家にいなかったといっていました。祖父は、当時清
水の市長をしていたので、自民党だったが、父は共産党だったようだ。
どこかの新聞でようんだが、戦後、戦地から帰ってきた偉い人の中には、
共産党に入った人がおおかったと書いあった。父は、少尉さんになってい
て、部下もたくさんいたのでしょう。戦地の大変な経験もして、戦争から帰っ
てきて、日本の混乱期に東京の電気の復興に寄与した人だったんだと改
めてうれしくなりました。兄は、仕事をしている時、父の戦地の友達にあっ
たりして、父の話を良く聞いているようでした。私は、まったく、父の情報は
知りませんですし、覚えてもいません。父はたまに家に帰ってくると、酒ば
かり飲んで、パチンコにいっていたといっていました。祖父とよく、ケンカし
たようだといっていました。私達、兄弟は、父と余り、仲の良くない祖父に
育てられたようです。兄は、現在、定年で、家にいる。毎日、アパートの自
宅から、鶴見駅まであるいているそうだ。時間としては、片道30分くらいか
かると思う。現在、糖尿病と心臓疾患の病気を持っている。8月2日に、心
臓のバイパスの検査があるようで、入院するので、身内として、書類に印
が必要なので、私の家にきたのです。1年に2回くらいしかこれなか
ったが、仕事もなくなったので、これからは、いつでも、遊びにきてほしいと
伝えた。兄は私と同じように、さびしい子供時代を送り、早く独立させられ
た。中学卒業して、職業訓練所で、電気工事師の資格をもらい、60歳ま
で、電気関係の仕事を35年つかく続けた。会社からも、信頼されていたよ
うだ。今日は以前から、ガン保険に入りたいといっていたので、インターネ
ットで検索して、アメリカンホームのガン保険で、掛け金が4千2百円くらい
のがいいようなので、進めた。それでいいとの事なので、パンフレットを郵
送するように手配する。タバコを飲んでいたので、肺がんになる危険性は
多分にあるのだ。これで私も安心できる。後は、兄がイエス様を信じる人に
なる事を祈りつづけようと思う。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(聖書)
私の住んでいる団地は、逗子市の池子という場所にあります。米軍の海軍の家族の住む、団地が9棟、こちらの
丘の上から向かいに見える場所に建っています。35年前に建ったので、現在は、管理組合が運営しています。
以前は公団でした。ほとんどが高齢者になっていて、今日は、自治会の主催で、転倒予防体操がありました、
毎月1回ですが、いろんな事をしています。8月は、夏祭りをするようです。私の家が今回自治会の役員で、総務
をしているので、夫ががんばって、やっています。
転倒予防体操は、大腿の筋肉とお腹の筋肉と肩の筋肉を鍛える筋トレをしたり、尿漏れ体操をボ^ルを使ってし
たり、椅子を使って、ももの後ろ側と内側の筋肉をきたえるため、椅子に手をおいて、膝から下を、あげたり下げ
たりする運動をしました。80代の人がいるのかなと思っていたら、60代後半から70代前半の女性がおおかった
です。先生も楽しく、音楽にあわせて、ソフトエアロビックスを取り入れてやってくださっていました。
ひさしぶりに、さっぱりした気持を頂きました。
私の知り合いは、10年前、逗子に引っ越してきてから、私がボランテ
イアをさせて頂いている、Tさんです。Tさんは、心臓病を20年ちか
く患って、病院と自宅をいったりきたりしながら、療養しています。
私は、縁あって、その方の病気の看病や相談や、緊急時の連絡先となっ
て、お世話するようになりました。40歳まで香水の会社を経営して、
社会的地位の高い人です。独身ですごしましたが、若い時は、坂本九と
もデートしたり、結構友達関係が広い人です。家は、格式のある家系
で、おじいさんは、王子製紙の重役さんだったり、お父さんは、裁判官
だったり、おじいさんの家は、いつも、相撲で、活躍しているお相撲さ
んのスポンサーだったりして、家には、土俵があったようです。
そんな、お嬢様そだちのTさんは、自分の生活が普通だと思ってきたけ
れど、病気で入院してとき、いろんなレベルの人を見て、改めて、自分
の生活は大分レベルが上の生活だったんだと思ったそうです。
今は、病気のおかげで、いろんな人とお友だちになったり、知り合いに
なって、私とも、もし、病気などしていなかったら、出会う事もなかっ
たといっていました。御兄さんは、福田首相や、中曽根首相といっしょ
にゴルフをしたり、お姉さんハ、スイス人と結婚して、スイスでは、上
流階級の人になって、国際人として、活躍されたようです。弟も小学校
の校長をされ、体操の教育を熱心にして、ミニバスケットの土台を作ら
れた人のようです。私達兄弟は、だれだての御蔭でこうなったというこ
とはなく、それぞれが家庭の教育のなかで、頭脳、性格、体操などを小
さい頃から、つちかってきて、それぞれが違う分野で、社会貢献してい
ったといっていました。やはり、活躍する人というのは、自分で勉強を
して、自分の頭に知識を蓄えるのでなければ出世できない。人の御蔭で
はなく、自分で勉強するのでなければダメといっていました。もう、9
4歳のお母さんは、ズート介護の必要な人ですが、お姉さんと弟さんが
お母さんを施設にいれるのではなく、24時間介護をして、母親をみて
いるようです。お金持ちですが、お金より大切なもの、人の命をしって
いて、施設や病院など入れたら、ほっておかれるだけだが、家で世話を
していれば、24時間おかあさんに刺激を与える事ができる。それで、
お母さんは、死にそうな場面が3回くらい会ったけれど、今も私に電話
をかけてくれるほどです。と話していた。私も、いろいろ、注意された
り、しましたが、体は動かないけれど、自分にある知識を人に与えるこ
とはできるといわれ、そこに来たヘルパーさんが、Tさんの教えに耳を
かたむけ、いまでは、社会的に出世した人が大勢いるとのことでした。
注意して、しっかり聞いて、それを実行する人は、伸びるけれど、耳を
貸さないで、悪いところを悔い改めない人は、伸びないといっていまし
た。私の事は、いろいろ注意したけれど、少しは、視野がひろくなっ
て、成長したといっていました。確かに、この人は、外にもでれない状
態ですが、そこにいるだけで、多くの人に影響を与えているすばらしい
人だと思います。