神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

信仰によって、神さまをまちのぞむか、我慢できずに自分の手で何とかしようとするか、決断を迫られる時

2010-07-29 19:35:52 | 日記
David Wilkerson Today

THURSDAY, JULY 29, 2010

深夜零時1分前

サムエル記上13章で、サウルはすべての信者がいつかは経験しなくてはならない

、決定的な瞬間に直面しました。それは、信仰によって神様を待ち望むか、我慢

出来ずに自分の手でなんとかしようとするか、という決断を迫られる時です。

サウルにとっての分岐点は、戦争を暗示する不吉な暗雲が、イスラエルの上に広

がっていた時に訪れました。ペリシテ人は騎手、鉄製の戦車、最新兵器を振り回

す歩兵からなる、大軍を従えていました。一方のイスラエルは、全軍を通して、

たった2本の剣しか持っていませんでした。その1本はサウルのもの、そしてもう1

本は彼の息子であるヨナタンのものでした。残りの兵は全員、木製の槍や、農道

具等、持ち合わせの兵器を使用せねばなりませんでした。

この場面の1週間前、サムエルはサウルに、戦闘に行く前にギリガルにて彼を待つ

ように命じました。預言者は7日後に来て、主に適切ないけにえを捧げると言った

のです。

約束の7日が過ぎてもサムエルの姿は見られず、サウルの兵士達はまとまりを失い

始めていました。それどころか、王は戦いに対して、主からの託宣を受けていま

せんでした。

サウルはどうしたでしょうか。固く立ち、「例えサムエルが8日かかろうが、私は

神様からの御言葉に固く立つ。生きるとしても死ぬとしても、私は主の命令に従

う」と宣言したでしょうか。いいえ。サウルは狼狽しました。周りの状況に飲み

込まれてしまったのです。結局彼は、神様の御言葉を自分に良い様に解釈し、自

分のやり方を通しました。サウルはその場にいた祭司に、サムエル抜きでいけに

えを捧げる様に命じました。このことによって、彼は主に対して重大な罪を犯し

てしまったのです。(サムエル記上13:11~12)

神様が約束に遅れるということは、絶対にありません。主はサムエルがギリガル

に向かっている道中の、その一歩一歩を知っておられました。主は預言者を、天

のナビゲーションシステムに従わせ、主が定められたその瞬間にギリガルに到着

する様、完全に計画しておられたのです。本来ならサムエルは、7日目にはそこに

着くことが出来ました。例えそれが、7日目の深夜1分前だったとしても。

神様は歴史を通して、決して変わることがありません。そして今日も、主の民が

この掟に従うかに関心を持っていらっしゃいます。「主の御声に聞き従いなさい

、そして主の御命令に背いてはなりません。」(サムエル記上12:15より要約)例

え私達の人生が手に負えない状況であっても、それは問題ではありません。私達

は、主にある完全な信頼の内に歩むべきなのです。例え絶望的な状況にあったと

しても、恐れの内に行動を起こすべきではありません。むしろ、御言葉が約束さ

れている通り、神様が私達を救い出されるのを、我慢強く待つべきなのです。

実際神様は、ペリシテ人の大軍に迫られていたサウルの、すぐ側に立っておられ

たのです。主はサウルが直面していた危機を御存知で、主の御目は、その詳細の

すべてに注がれていました。

私達の神様は、あなたが直面している危機の詳細を、すべて見ることがお出来に

なります。主はあなたに押し迫る、人生の問題の一つひとつを見ておられます。

そして日々、その状況が深刻化していることを御存知です。祈り、揺るぎない信

仰と共に神様を待ち望む者は、大変な危険に遭遇することがありません。それば

かりか、神様はあなたの「これ程の借金をどうやって返済すれば良いというのか

・・・結婚生活に全く望みが持てない・・・どうやったら仕事をクビにならずに

済むだろうか・・・」等という、恐れに満ちた思いを、すべて御存知です。しか

し神様の御命令は真実です。「恐れず、わたしより先に進んではいけない。あな

たはただ、祈れば良い。そしてわたしに信頼しなさい。わたしに信頼を置く者を
、わたしは祝福する」と。

神様が教会に対して語られた、次の御言葉を見てみましょう。「信仰がなければ

、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル人への手紙11:6)「民よ、どのよ

うな時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。」

(詩編62:9)「主を畏れる人よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。」(詩編115:11

)「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなた道

を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言3:5

~6)

不信仰は致命的で、そのもたらす結果は悲劇的です。もし私達が、主に頼るので

はなく、自分の手で試みから逃げ出そうとするなら、恐ろしい結果に直面するこ

とになります。



小規模多機能居宅介護ノデーサービスの夏祭り

2010-07-29 19:22:38 | 日記
私は現在、横浜市栄区の小規模多機能居宅介護のデーサービスで働いている。昨日は、そこの、ショートステイの夜勤だった。
5月から働いて、3カ月がたった。
ほとんどが、管理者デ、ケアマネージャーのGさんの事務補助である。最近、やっと、デーサービスに出て、利用者様との関わりを持っている。昨日は、ここのお祭りだった。
出し物としては、ヨーヨーつり、スタッフの頭の上の紙風船を棒でたたく事や、カラオケや手品などがあった。一番、利用者様にうけたのは、スタッフがやった、人間が宙にういてしまうものだ。利用者様に立ってもらい、その前に、布で姿をかくし、その奥で、もう一枚の布を利用者様の顔だけだして、利用者さまが、靴を2足棒の先につけて、それを手に持ってもらい、観客からみると、まるで、利用者様の頭と、足が浮いているように見えるのだ。種明かしをしなければよかったのに、布を取って、種明かしをしたので、皆が爆笑してしまった。
もうひとつは、二つノダンボールを用意して、小さい方に、あらかじめ、スタッフの子供に入ってもらい、その上に、大きな箱をかぶせ、大きな箱をとると、子供がでてくるのです。これも、とてもうけました。スタッフガ、ヘルメットの上に紙風船をのせ、それを、新聞紙を丸めて棒にしたもので、たたくというのも、利用者さまが大喜びでした。利用者様の中に、踊りの先生がいて、その人は、普段は、自分勝手な行動ばかりして、スタッフを困らせている認知症の人だけれど、その利用者さまの、Hさんが、椅子に座って、みんなの前で、東京音頭のふりをしてくれて、それを、みんなが見ながら、音楽に合わせて、東京音頭をおどりました。
やきそば、わたあめ、かきこうりなど、たべました。利用者様は、認知症の人が多いので、今の時間が利用者さまにとって、たのしくすごせれば、最高なのです。明日になれば、今日の事はわすれてしまいます。ヨーヨーをもらっても、どこでそれをもらってきたのかも、忘れています。みんな、とても、楽しい時間をすごせたようで、スタッフも大満足でした。

たった一人の兄が来た。

2010-07-26 06:05:32 | 日記

私には兄ガ一人いる。現在鶴見にいる。私が結婚する時、兄といっしょに

 

住んでいたアパートに今もすんでいる。昨年まで、電気技術者として、仕事

 

をしていた。発電所の機械の修理トカ整備で、大きい会社に出向いては

 

たらいていた。なくなった父は、中部電力で働いていたので、本人はわから

 

あなかったけれど、自分に合った仕事についたようだ。父は兄と私が、7歳と6歳の時、

 

汽車のデッキで、お酒の酔いをさましていて、富士川に転落してしまっ

 

たのです。今日、兄は、その父の事で私の知らなかった事をはなしてい

 

た。兄とは1歳違いだが、7歳まで家族で生活していた様子を覚えている

 

のです。

 

父は、中部電力で働いていて、戦後の東京の復興の為、東京へたびたび

 

出張していて、ほとんど家にいなかったといっていました。祖父は、当時清

 

水の市長をしていたので、自民党だったが、父は共産党だったようだ。

 

どこかの新聞でようんだが、戦後、戦地から帰ってきた偉い人の中には、

 

共産党に入った人がおおかったと書いあった。父は、少尉さんになってい

 

て、部下もたくさんいたのでしょう。戦地の大変な経験もして、戦争から帰っ

 

てきて、日本の混乱期に東京の電気の復興に寄与した人だったんだと改

 

めてうれしくなりました。兄は、仕事をしている時、父の戦地の友達にあっ

 

たりして、父の話を良く聞いているようでした。私は、まったく、父の情報は

 

知りませんですし、覚えてもいません。父はたまに家に帰ってくると、酒ば

 

かり飲んで、パチンコにいっていたといっていました。祖父とよく、ケンカし

 

たようだといっていました。私達、兄弟は、父と余り、仲の良くない祖父に

 

育てられたようです。兄は、現在、定年で、家にいる。毎日、アパートの自

 

宅から、鶴見駅まであるいているそうだ。時間としては、片道30分くらいか

 

かると思う。現在、糖尿病と心臓疾患の病気を持っている。8月2日に、心

 

臓のバイパスの検査があるようで、入院するので、身内として、書類に印

 

が必要なので、私の家にきたのです。1年に2回くらいしかこれなか

 

ったが、仕事もなくなったので、これからは、いつでも、遊びにきてほしいと

 

伝えた。兄は私と同じように、さびしい子供時代を送り、早く独立させられ

 

た。中学卒業して、職業訓練所で、電気工事師の資格をもらい、60歳ま

 

で、電気関係の仕事を35年つかく続けた。会社からも、信頼されていたよ

 

うだ。今日は以前から、ガン保険に入りたいといっていたので、インターネ

 

ットで検索して、アメリカンホームのガン保険で、掛け金が4千2百円くらい

 

のがいいようなので、進めた。それでいいとの事なので、パンフレットを郵

 

送するように手配する。タバコを飲んでいたので、肺がんになる危険性は

 

多分にあるのだ。これで私も安心できる。後は、兄がイエス様を信じる人に

 

なる事を祈りつづけようと思う。

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(聖書)
 


自治会主催の「ふれあい」で転倒予防体操をする。

2010-07-21 15:10:19 | 日記

私の住んでいる団地は、逗子市の池子という場所にあります。米軍の海軍の家族の住む、団地が9棟、こちらの

 

丘の上から向かいに見える場所に建っています。35年前に建ったので、現在は、管理組合が運営しています。

 

以前は公団でした。ほとんどが高齢者になっていて、今日は、自治会の主催で、転倒予防体操がありました、

 

毎月1回ですが、いろんな事をしています。8月は、夏祭りをするようです。私の家が今回自治会の役員で、総務

 

をしているので、夫ががんばって、やっています。

 

転倒予防体操は、大腿の筋肉とお腹の筋肉と肩の筋肉を鍛える筋トレをしたり、尿漏れ体操をボ^ルを使ってし

 

たり、椅子を使って、ももの後ろ側と内側の筋肉をきたえるため、椅子に手をおいて、膝から下を、あげたり下げ

 

たりする運動をしました。80代の人がいるのかなと思っていたら、60代後半から70代前半の女性がおおかった

 

です。先生も楽しく、音楽にあわせて、ソフトエアロビックスを取り入れてやってくださっていました。

 

ひさしぶりに、さっぱりした気持を頂きました。


動けなくても、その人の存在に価値がある。

2010-07-16 13:55:18 | 日記

私の知り合いは、10年前、逗子に引っ越してきてから、私がボランテ

イアをさせて頂いている、Tさんです。Tさんは、心臓病を20年ちか

く患って、病院と自宅をいったりきたりしながら、療養しています。

私は、縁あって、その方の病気の看病や相談や、緊急時の連絡先となっ

て、お世話するようになりました。40歳まで香水の会社を経営して、

社会的地位の高い人です。独身ですごしましたが、若い時は、坂本九と

もデートしたり、結構友達関係が広い人です。家は、格式のある家系

で、おじいさんは、王子製紙の重役さんだったり、お父さんは、裁判官

だったり、おじいさんの家は、いつも、相撲で、活躍しているお相撲さ

んのスポンサーだったりして、家には、土俵があったようです。

そんな、お嬢様そだちのTさんは、自分の生活が普通だと思ってきたけ

れど、病気で入院してとき、いろんなレベルの人を見て、改めて、自分

の生活は大分レベルが上の生活だったんだと思ったそうです。

今は、病気のおかげで、いろんな人とお友だちになったり、知り合いに

なって、私とも、もし、病気などしていなかったら、出会う事もなかっ

たといっていました。御兄さんは、福田首相や、中曽根首相といっしょ

にゴルフをしたり、お姉さんハ、スイス人と結婚して、スイスでは、上

流階級の人になって、国際人として、活躍されたようです。弟も小学校

の校長をされ、体操の教育を熱心にして、ミニバスケットの土台を作ら

れた人のようです。私達兄弟は、だれだての御蔭でこうなったというこ

とはなく、それぞれが家庭の教育のなかで、頭脳、性格、体操などを小

さい頃から、つちかってきて、それぞれが違う分野で、社会貢献してい

ったといっていました。やはり、活躍する人というのは、自分で勉強を

して、自分の頭に知識を蓄えるのでなければ出世できない。人の御蔭で

はなく、自分で勉強するのでなければダメといっていました。もう、9

4歳のお母さんは、ズート介護の必要な人ですが、お姉さんと弟さんが

お母さんを施設にいれるのではなく、24時間介護をして、母親をみて

いるようです。お金持ちですが、お金より大切なもの、人の命をしって

いて、施設や病院など入れたら、ほっておかれるだけだが、家で世話を

していれば、24時間おかあさんに刺激を与える事ができる。それで、

お母さんは、死にそうな場面が3回くらい会ったけれど、今も私に電話

をかけてくれるほどです。と話していた。私も、いろいろ、注意された

り、しましたが、体は動かないけれど、自分にある知識を人に与えるこ

とはできるといわれ、そこに来たヘルパーさんが、Tさんの教えに耳を

かたむけ、いまでは、社会的に出世した人が大勢いるとのことでした。

注意して、しっかり聞いて、それを実行する人は、伸びるけれど、耳を

貸さないで、悪いところを悔い改めない人は、伸びないといっていまし

た。私の事は、いろいろ注意したけれど、少しは、視野がひろくなっ

て、成長したといっていました。確かに、この人は、外にもでれない状

態ですが、そこにいるだけで、多くの人に影響を与えているすばらしい

人だと思います。