神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

定年後の生活

2010-11-30 09:20:23 | 日記
主人は、会社を退職して、そろそろ3年になる、振り返って考えると、会社を辞めた時は、65歳まで、なんとかは
 
たらいてほしかったが、会社があまり、業績が悪く、62歳で定年となる、
 
寿司屋に酢を届けたり、お稲荷さんの油揚げを届けたり、ガリや、ワサビ、割りばしなどをとどけていた。
 
会社は、醸造酢の会社で、10年前までは神奈川県下にその酢を置く、支店があって、そこの人がお店にオスを
 
持っていった。
 
お盆には、熱海でお寿司屋さんを呼んで、温泉旅行などさせてあげていた。私が結婚した時は、金沢文庫駅の
 
ちかくの2階がスポーツジムで、1階がお酒やさんや、薬やさんがあって、そのわきに3階建ての鉄筋のビルが
 
一軒建っていた。1階はトラックが5代くらいあって、営業の人が毎日おすなどをトラックにつんで、神奈川全土に運んでいた。
 
私のつれあいに会社に会いにいくと、いつも、フオークリストにものをのせて、倉庫にいれていた。倉庫管理者と
 
営業などを30年間やっていた。
 
しかし、会社の業績がわるくなると、人でを減らして、今まで、2人やっていた仕事を1人でやらせていた。その一
 
人がつれあいだったので、会社を辞める、6か月まえまで、ずーと朝は7時に家を出て、夜は10時に帰ってきた
 
。サービス残業だ。精神的にもだいぶ、まいっていた。社長が自分に今年中に退職を進めるというのだ。会社を
 
やめる時は、自分は30年も会社に尽くしてきた人なのに、会社は、息子の子供の時代に移ってしまって、いまま
 
で、いろいろ有能な人として、評価をえていたのに、窓際ぞくのような扱いをうけ、精神的にそうとうまいっていた。
 
新しくはいっ人が怖いといいだした。
 
みていして、これは普通じゃないと感じた。そして、その年の12月いっぱいで、退職することになる。
 
家にいて、なにもしないでいたら、きっと、健康にもわるいし、団地の人との係わりもない。きっと、精神的にうつ状
 
態が、ますます外にでたがらなくなる。できるだけ、買い物をたのんで、東逗子のスーパーまで、いってもらった
 
り、選択星をしてもらったりする。
 
たしかに、定年後の男のひとの扱いは奥さんにとって、どうしていいかわからないのだと感じる。
 
会社で、働き蜂のように働くことしか知らない、人たちで、かえってきた時は、午前様で、よっぱらったりしていた
 
ら、夫婦の会話もないまま、また、会社にでていくのだから、コミュニュケーションもないのでしょう。
 
そんな、行動が退職までつづいたら、会社にいかなくなっただんなと、いつも、同じ部屋で、なにも会話もなく、食
 
事だけは3食しっかりつくらなければならないとなると、最初はがまんできるが、。そのうち、奥さんが精神的に参
 
ってしまうらしい。私の隣の方は、ご主人が75歳になられるのですが、定年後、家で、お酒をのみながら、テレビ
 
をみていて、外出は、碁のクラブくらいで、あまり、家から出なかったようだ。しかし、奥様は、定年後は、食事の
 
準備は、毎回3食、つくらなければならないので、私の、友達が、その隣にいるのですが、そこに、愚痴をもらしに
 
きたようです。食事の支度が、大変だったようです。そして、2年が過ぎた時、その奥様は、脳こうそくで倒れてし
 
まい、救急車で病院にはこばれたのですが、意識状態がなく。今は延命措置を受けて、10年病院で、寝たまま
 
の状態だそうです。
 
もう、会社を辞める前、2年前から退職してからの、夫婦のかかわりをどうしたらいいのか、お互いにかんがえ
 
て、練習しておくといいのではと思う。
 
退職したから、すぐ、違う、行動はとれないのですから。
 
私たちハ、クリスチャンだが、最初からうまく、コミュニュケーションができたのではない。
 
男性は自分が奥様がどう思っているのか、わからないし,奥さんもはっきり、言えない。感情を押し凝らしながら
 
日常生活をしていれば、そのうち、健康にもわるい。
 
ゴロゴロしていると、奥さんからソダイゴミといわれてします。
 
70歳ぐらいまで、働くほうがいい。シルバーセンターに行って、仕事ヲミツケタリ、ボランテイアをしたり、何しろ、
 
社会とつながっていることが大切だと思おう。
 

空前絶後の大リバイバルが日本に来る。在原宣教師のメッセージ(2)

2010-11-28 18:36:23 | 日記
私たちがアルゼンチンに行った時は不況の真っただ中でした。

パラグアイでは、子供が売られている。ハイパーインフレがあった。神様はすばらしいお方です。力をう

けるまで、都にとどまっていなさい。ブエノスアイレスで神様が現された。アナコンデイア先生の40日

間の大会があった。この、先生は、大会の前には人に会わないで、油そそぎがとまるまで、人に会わない

ということでした。そのアナコンデイア先生が7000人の大会が始まると日本人の為に祈りたいとおっ

しゃった。「私はあなたを祝福する。」「油そそがれた人に祈ってもらった人」私たちを通して他人に祝

福が流れる。金粉と油が祈られた人の体に出た。

ある人に、手から肘まで、金粉があった。シャワーしても落ちない。

天の神様は無から有を作る。沖縄の集会のとき、拍手が終わらない。40分間おわらない。

1982年、アルゼンチンに第2のリバイバルが起こった。8人だった、教会員がある日突然、風が吹

いて、どんどん人が多く来た。7年で1000人になった。すべての羊が親羊になった。1950年、宣

教師がもうだめだと帰っていった。60年後、全国から大勢の人が集まって、はいりきれない人が競技場

の壁に涙でぬれた。壁にふれた病人がいやされた。

3人の姉妹に、主がかたられました。

間もなく、1人の日本人がこの教会にくる。大勢の日本人がリバイバルを見にくる。教会とアルゼンチン

のリバイバルを見にくる。アルゼンチンの祝福が日本に流れる。

預言 日本に大リバイバツが日本に供えられている。(リバイバルとは、大勢

空前絶後の大リバイバルが日本にそなえられている。在原宣教師のメッセージ(1)

2010-11-28 18:30:57 | 日記

先週の日曜日、アルゼンチンの在原宣教師が秦野クリスチャンセンターにこられた。

先生は、23年間、アルゼンチンで宣教師として、働かれた。

奥様の月子先生もお話された。


月子先生のお話

いつも、背後での祈りによって、私たちが、アルゼンチンでの働きのとき、どこにもないものがそこにあ

って、神様がすべてのことを動かしてくださいました。

神様の召されたその方の為に、なんでも用意してくださいます。

日本にいたら、すべてがなくてもやっていけるのですが、向こうにいったら、何もできない事がありす。

私たちが使わされた時、アルゼンチンには失業者がほとんどでした。仕事がないので、草を撮らせてくだ

さい、何でもいいから、何かさせてください。

病院にいっても、お金がないのでなにもしてもらえないので、仕事をして、お金をすこしでももらって

、薬を買う。神様を知っている人は祈りに来る。救われる事を知らない人は、環境の中で望みが持ていの

で福音を聞くと、自分がどうすればいいかわかる。知識があるわけではない。福音の力、状況ではない。

福音を聞いた人から、何かが始まる。


在原先生のお話

私は23年前、アルゼンチンの宣教師としての働きを始めた。

神様の息のことばによって、今日までくる。神様の計画と召しの中にいる。

神様はなぜ、人間を創造されたか?なぜ、神は私たちをつくられたか。

証明しようとしたが、証明できなかった。

私の心にアルゼンチンという国に燃える熱情を感じた。

これをどのように準備しようかと思って、勉強の仕方を教えてもらいたかったが、マニュアルがない。

私は悩んだ。

アクセッソン師が来たとき、「在原どうした。」「私はアルゼンチンに召命をうけた。」いつも、「ノ

ウ」という先生が、その時「ノウ」言わない。

そして、ご自身の事を話された。

私は55年前、御殿場に来た。

日本に来る前、チベットにいた。

その時、朝鮮戦争があって、人民解放軍がドーと入ってきた。市長、金持ち、みんな牢屋に入れられた。

毎日「表に出ろ」とつれていかれ、殺された。私たちも呼ばれて、牢屋から出た。その時「スエーデン人

は大丈夫だ。行け。」チベットで山の高いところで伝道していたので、行けといわれれば、死ねといわれ

たのと同じだ。しかし、神様は脱出するために人をそなえてくださった。村にクリスチャンがいて、馬と

ロバをかりて、山を下りた。私たちは助かって、香港にいく。夫婦手を取り合って、祈った。どんなとこ

ろでも、二人集まるところで、心ひとつにして、祈ればどんなことでもかなえられる。

一人で祈るのではなく、兄弟姉妹で、祈る。

「日本に行きなさい」と神様が話された。

私は御殿場準福音教会で信仰をもった。アセッソン師は、この教会は、17人の献身者が与えられる。終

わりの時に宣教師が出ます。

今から28年前、故郷のスエーデンの小さな病院の小さな部屋で亡くなられた。

最初は、33人くらいでなかなかクリスチャンがふえなかった。しかし、ある時、伝道もしないのに、人々がくるようになった。
今の御殿場準福音教会は、主が預言された場所に教会が立った。

日本の祝福のために、リバイバルの為に、アルゼンチンにいく。

34年前にこの預言があった。

天の窓がひらいて、「タタタラタタラ」と先生が預言を話される。そして、解き明かしがあった。

「あなたを召したのは全能の主です。あなたを通して、私の栄光をあらわしなさい。お金のことは心配し

ないでいい。私が用意します。」

「兄弟、今、主が語りました。お金はいらない。」

あなた方が、私を選んだのではない。私があなたを選んだのです。(聖書)

健康、仕事、老後、お金の心配はいらない。ぜんぶ、召された人々には、神様のご計画の中でいかされて

いるので、すべて、神様が責任を持ってくださる。

「在原さん、あなたが、あれやこれや、やることではない。ただ、祈ることでrす。そうすれば、どんど

ん道が開かれます。

私はとても、楽になった。自分自身に絶望すると,神様がその心の砕かれた、へりくだった人とともにい

てくださる。

オーストラリア宣教師に同じ事を言われる。

「パハハハツハー」と預言する。「あなたを召したのは、全能の神である。必要のすべては供えられる。

心配してはならない。

アルゼンチン戦況は、これからの道は、神様をあおぐだけで、勝てる。」

ジイカから電話が来た。

永久にアルゼンチンに住める、永住権を取ることができた。アルゼンチンに行く、費用はジャイカが8

0%払ってくれる。向こうの政府からしらされた。ジャイカでただで、日本政府からアルゼンチンに行っ

たのは、私が最後です。

あなたを通して私の栄光をあらわす。 

部屋で、私が祈っていたとき、「日本宣教はおわった。と神様が私に語られた。