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肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

退院の日

2011-10-25 16:34:26 | 肺癌

今日、退院しました。
買い物袋いっぱいの薬を持ち帰り母はその多さにがっくり、気分が落ちます。
病室に行った時から頬がピンクで熱っぽい顔をしていました。
熱は微熱だったのですが体がだるくてフラフラしたりして歩くのも大変です。

車に乗って自宅の近くに来たら、「あぁ、おうちが見えてきた」とやはり嬉しさが伝わります。
うちに帰ってすぐにパジャマに着替え横になるとベットで横になりました。
その間に入院の荷物を片づけていたのですがホスピスの用意が気になるらしく一緒に用意しました。
終わるとホッとした様子でした。
薬も朝、昼、10時、夜、眠前と仕分けして分かりやすく箱に仕切りをつけました。
これで母も安心したようです。

お昼御飯の用意が出来て一緒に食べるのでベットから起きた母は入院なら食べたらすぐに横に
なるのに今日は2時間弱は座って一緒に話したり薬の整理を見ていたりしたりしました。
手の治療で毎日洗って薬をつけて包帯してるのですが手を洗った後に父に支えられながら椅子に
座ろうとしたのですがふらついて椅子から落ちてしまいました。
父が手を支えていたのでお尻から落ちずに済み大事に至りませんでした。
こんな感じの事がこれから増えて行くのかと何となく思ってしまったら悲しくなりました。
「一緒にご飯作ったり掃除したいなぁ」と言う母の言葉を思い出しました。

お昼過ぎには叔母が来てくれました。
家の掃除などをしてくれ、その間に父は弱らない為に散歩、私はお惣菜作りをしました。
かぼちゃの煮つけ、ニンジンとジャガイモの千切りサラダ、かぼちゃとエリンギのローズマリー炒め
白菜と豚肉の重ね蒸しなどお野菜を中心にしました。
叔母は掃除機を掛けた後に床拭きやトイレなどのお掃除など腰をかがめて大変なのにやってくれました。
こうやって皆で力を合わせて母を支えていって母自身も安心して過ごせる毎日が続くと良いです。

入院18日目

2011-10-24 22:00:52 | 肺癌

今日は用事があったので行くのが6時過ぎになりました。
エレベーターの所で偶然、先生にお会いしたらお話がありました。
父には先ほど実家の方に連絡をしたそうですが母の退院後の事でした。

今の母はやはり決められずにいます。
母の事を考えたらホスピスに行った方が居場所としては良いのではないかとの事でした。
決めかねている母ですが自分ではやはり決められない。その事を先生は良く分かって下さいます。
家に帰っても父の負担を考えて苦しくなるし一人では不安になり居られない、ケアがいらしても
料理や掃除などは受けられないのも父が大変と気になっています。
救急車で運ばれるのも嫌みたいでその事を先生と母は夕方に話したそうです。

今の母には今の病院の体制よりホスピスの様にマンツーマンでついて下さりいつでもお話を聞いて
下さる所が良いのではないかと言われました。
確かに最近の母は薬の時間が少しずれただけで不安でナースコールを呼んだりします。
呼んでもすぐに来てくれないとか車いすでトイレに行っても立つ時など知らんぷりだしとつぶやきます。
この様な状態を今の病院ではかなえて欲しい事は無理です。
母はじっくりと自分の事を考えてくれていると感じる人がいる場所が必要なのだと感じるのですが
病院から離れたら治療も無くなり不安にもなる。
それが家族にはどうすれば母に良いか分からず困っていました。

先生は母にはやはり決められないだろうからと、でも家族から言われても駄目だろうし私から言いますと
言って下さいました。
でもそれは、退院後に1週間たったら外来の予約がありますのでその時の様子や気持ちや
検査結果などを聞いてからの判断です。
この一週間の家で負担に感じずにいたら次の外来まで延ばすとの処置もしてくれます。
先生は自己の判断が出来る状態の時に母がホスピスを選んだという事に重きを置いてくれています。
希望がかなうようにといつも考えて下さっていてその都度その都度より良い方法をと思ってくれている
事に感謝してます。

結果としては、次回の外来の時に母の様子を見て聞いて辛そうな事を言うならホスピスを先生が
勧めると言う事になりました。
だいたい他の患者さん達は本人や家族の希望からですがうちはそれが出来ないので本当に気持ちが楽になりました。

その後に病室に言ったら母が先生にあとどの位かと聞いたら1カ月から2カ月と言われてショックだったと
デパスも飲んでました。
先生はズバズバ言うからショックで嫌と言いましたが、それはママがきいたんでしょ?そうしたら今は本人告知もしてるしホスピスの希望をしている人には伝えないといけないから言うんだよ、
でもそれを聞いてもデータでしかないし人それぞれ違うのだから当てにはならないとは言いました。
聞いたところで後何日だろうとばかり考え余計に心配だかりして不安な毎日だけになるなら聞かない方が良いと思うとも言いました。
昼に父が来た時に二人でなるべく早く明日にでもホスピスの予約をしたいと先生に言うと言っていました。
それはまた、先生に言われた物とそぐわない事になります。
どうしてそんな話になるのか不思議というかなぜ先ばかりで今の状態を見てから判断出来ないのだろう。
退院して一週間は家で過ごし看護と介護のケアも入る予定なのにその経験もせず家での居心地なども
経験しないですぐにホスピスなんて私には考えられませんでした。
ホスピスは運が良ければ明日、あさってもあるだろうし1週間や2週間待つ事もあると思います。
でももし次の日だったら家で過ごす事も出来ません。それは母の希望ではありません。
少しは家で過ごしてからホスピスに行きたいと今日話していました。
それが母には不安なのですが家で、もしかしたらゆっくりした気持ちを少しでも過ごせるかもしれない。
だから一週間家で過ごしてから次の外来の時に自分の気持ちに負担や父に対しての負い目ばかりで辛いなら先生にお話ししてホスピスに行こうと話しました。
だから明日先生に話す事では無いとも言いました。
これも先生と直前にお話しが出来たから言えた事だったので会えた偶然に感謝しました。

先生も外来の時の様子でお話をするし元気でいれていそうならその話はまた次の外来にするしと様子を見ながら言ってくれるようです。
正直、難しい局面に入り始めたと感じるようになりました。
先生もお話していましたし家族も感じていますが母はやはりホスピスで過ごすには難しい感じです。
今日も薬がなかなか来ない事が気になって不安になりしばらく我慢していましたがナースコールしました。
こんな状態でホスピスに行って気持ち良く過ごせるのでしょうか?と、先生は母がもっと自分の事をちゃんと
見てほしいとも思っている様なので今の病院の体制よりホスピスの方が余計な心配も無く過ごせるのではないかとのお話にやっと納得が出来るようになりました。
母もホスピスはいっぱい話を聞いてくれたり救急車で運ばれたりとか急な心配も無いし安心と言い何が
一番希望しているのかはっきりと分かった来たように感じました。

入院17日目

2011-10-22 20:17:25 | 肺癌

病院に帰る為に5時に実家に迎えに行きました。
兄が皆のお弁当を作ってくれたので病室で食べました。
母と私がリクエストした甘い卵焼きとほうれん草の胡麻和え、
ひじきハンバーグ、うさぎりんごにおにぎりでした。
美味しく食べ終わるとまた、病院食になるのか。。と母。
あと2日の我慢だからねと皆で励ましました。

今日は10時からお掃除を2時間頼んで実家をお掃除して貰いました。
でも母は人がいて落ち着かなかったみたいです。
入院中だと父が家に居なくてはいけないから母が淋しがるだろうと退院前に
済ませようと思ったのですがゆっくり出来なくてしてしまった。。
もっと気を回せば良かったです。


今、飲んでいる薬です。

ムコソルバン、セルベックス、セディール、ノルバスク、モービック 
イソバイト、リンデロン2錠、リリカ2錠 マグラックス2錠 他1種類

10時
タルセバ


セルベックス、イソバイト、リンデロン、マグラックス2錠


リピトール、セルベックス、トレドミン、パリエット、マグラックス2錠、
リリカ2錠 イソバイト

寝る前
マイスリー

他に手の指、ネブライザー、目薬、頓服の精神薬と痛み止めもあります。

入院16日目

2011-10-21 20:47:40 | 肺癌


今日は朝から先生と連携室の看護婦さんとのお話がありました。
結果としては在宅の先生は止めて今の病院で最後まで面倒を見て貰います。
家で何かあった時には救急車で病院に行き緩和をして頂き動ければホスピスに行きます。
タイミングは難しいのですが本人の希望が一番ですが母には決断が難しいので外来などでの
様子などや体力、精神力などの兼ね合いを見ながらで勧める事にしました。

家に帰るまでが不安だったせいか母はとても沈んでいました。
そして昨日よりふらつきがひどく歩くのが大変そうです。
先生達との話し合いに後から来たのですが眠る様に死にたいとかいつ死ぬか分かればいいなど
いっていました。
看護婦さんがそんな事をいったら皆が悲しむよ、ほんとに分かった方が良いの?と話してそれより
残された一日を大事にした方が良いと思うよと話していました。
外泊手続きが終わり薬を貰っていると朝にデパスを飲んだようです。
多分、不安でいっぱいになり薬を飲んだんだと思います。
車の中でぐったりと横になり寝ていましたが家についたらホッとした顔をしていました。
あぁ、景色が見える、やっぱり良いわねと言っていました。
人の目を気にしなくて良いし椅子に座って外を眺めたりソファに寝転んだり新聞を読んだり
好きな時間に好きな事が出来ると気持ちも違ってくるとおもいます。

私は子供が帰宅するまでに一度うちに帰り夕飯の準備をしました。
その後に実家に息子と行きました。
こってりした様な物が食べたいとのリクエストでしたので牛の赤ワイン煮、マッシュルームのアヒージョ
ガーリックトースト、 和風で鰤の照り焼きと大根おろし、なめこと豆腐の味噌汁を作りました。
病院の味気無い薄味に嫌気をさしていたので母は喜んで食べてくれました。
叔母も来てくれて久しぶりの食卓は楽しかったです。
明日には病院に戻らなくてはいけないのが残念な位にゆっくりしている母を見て嬉しかったです。

2時半にケアマネの方が来て1時間程話をしたそうです。
看護と介護を週に2回づつとお風呂の椅子の手続きをしてくれたそうです。
母も家で過ごすのをホッとしたかもしれません。


入院15日目

2011-10-21 01:14:32 | 肺癌

今日は夕方から行きました。
いつも父はお昼前から行き4時に帰ります。
その後がとっても長いのと母は言っていました。
私も行くのは昼ですが夕食のお手伝いとして行ける日だけ行っています。
食後の歯磨きなど水を運ぶのも大変で私が行けない時は父がコップに水を入れてベットで歯磨きの準備をしています。
でもその後の片付けやおトイレなどあるので母は私が行くと助かると前々から言っていました。
今日は遅くなりましたがギリギリ夕食に間に合いました。
体調や気分など聞いて過ごしていたら先生が来てくれました。
娘さん、ちょっとお話があるんですが。お話し中に申し訳ありませんと言いました。
何か怖いお話があるのではと不安になりましたが母の前で私を呼ぶのだから最悪の事は無いと
思いつつ不安でした。

お話はホスピスから初めての空きの電話があった事から始まりました。
面会をして一カ月から一ヶ月半でまず一回目の電話があると聞きました。
そして昨日、電話が会ったそうで父は今回は入所しないと返事をしたそうです。
どの様な言い方でしたかは分かりませんが治療をしているから延ばすと言う形でホスピスも
受け止めたそうです。
そうすると治療をやめる前提で面会を受けているのに治療を始めたという矛盾になります。
担当医にホスピスやケアマネの方から連絡があり初めて先生は知ったという流れです。
担当医と患者との繋がりや周りとの連携が取れていないとの判断をされてしまい先生も母も
良くない状況になるのです。
病院を通して行動を移す事が基本なのに分からず患者自身達が勝手に動いてしまいました。
以前にも独断でホスピスの面会をして先生に一度話を通してと言われた事もあり2回目の注意になりました。
私も認識不足でしたし父もやはり歳を取り今がいっぱいいっぱいでこれでいいのかと勝手に思い込み
それが良いと思っていたのですが手順が違い、先生や病院とホスピスの関係に対しての繋がりや信頼などを
壊す行動だったのだと知らされて先生に申し訳ないし周りを振り回してしまい勉強不足に後悔ばかり。

明日の午前中に一時退院でしたがそれよりも前にご家族と話をしたいので地域連携室に来て下さいと言われました。
母自身もこの先の不安が多く先生が言うにはホスピスに行く気持ちはまだ成熟していないと感じた様で
まだ体の調子が悪くなったなど不安を先生に相談するのはまだ自分の中で決めかねているのでは無いかと。
確かに母は「こんなになってもまだ未練があるのよ」と涙を流します。
でも治療に関して、いつまで続くのだろうと不安ももらします。
これが先生の言う決めかねていて悩んでいると言う事でしょう。
確かにあと数カ月と言われればその気持ちの想像は普通つきません。
実際には今日のお話でやはりマーカーは上がり続けていていつ何があるか分からないと言われました。

夕方に母の所に行ったら今日は頭がフラフラするのと一番に言いました。
マーカーが上がっているのを知っていたのでそのせいかもと思い不安でいつからかと聞いたところ、
今までもそうなのと返事がありました。
でもいつもより気になる位なの?と聞くといつもそうなのよと母は言いました。
今の母は体温が高くなっても自覚出来ないので頭のふらつきの変わり具合が余り分からないのかなとも思いました。
その事を先生に話したら先生も母から聞いたそうです。
これからはそうゆう事が起こります、昨日は調子が良く今日は調子が悪いという事は良くある事だそうです。
では、これから先の母はどのような事が一番起こりやすいかと聞くと、痙攣、意識障害、意識が無くなると
いった様な事だそうです。
その時は救急車で運んで貰う事でしが家にいるのだから対応は出来ません。
しかし、一度延期をお願いしたホスピスが次にいつ入れるか分からないなかでの自宅での生活に不安があります。
先生の提案で先生の病院でこれからもお世話になりギリギリまでタルセバを自宅で飲み続け駄目になるようなら
病院に運びその間にホスピスに空きがあれば移動するとの話もありました。
ただその場合は移動する体力があるかどうかとの事です。

とりあえずは明日、朝に父と先生と看護婦さんとの話で母が一番安心する一本の道を決めたいと思います。
先生の行った通り母は命の終わりに対して決断はまだ出来ていません。
その為に母が不安を感じずにいる居場所を作るのが一番良いと言われました。
今の母はその場所が不安定な為に気持ちがいつまでたってもどこに居ても変わらないのだろうとも言われ
本当に納得出来ました。
せっかく一時退院や退院を言われたのに昨日もその前からもずっと先の事ばかりを考え不安だったのを
理解していたのは実は家族では無くて先生だったのかもしれませんね。
どうか先生と話が上手く進み母が気持ちをゆったり過ごせる日々を退院後に過ごして欲しいと思います。
確かにタルセバはまだ効いていませんがイレッサも効き目は遅くに出たので今回も同じ様に効いてくれればと思います。
とにかく明日は母が退院後にも不安を感じずにいられる道をしっかりと決めればと思います。