ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

秋桜

2005年09月29日 21時22分28秒 | ここだけの詩

どんなに悲しいときでも
いつものリズム
ハミングなんかしたりして
楽しげなふりをする。


野に咲く薄紅色の秋桜は
そんな君の笑顔を待っている。


どんなに悲しいときでも
涙を流さずに
悲しい顔をそっと心の引き出しに
しまい込む。


悲しいのは皆同じだよ
だからこそ、秋桜は
そんな君の笑顔を待っている。


いずれ誰もが大人になり
優しい心を無くしてしまう。
だから、今は暖かい繭にくるまれて
ひとときの夢に遊ぶ。


野に咲く薄紅色の秋桜には
そんな君の笑顔と
秋空を舞う赤トンボがよく似合う



↓クリックしていただけると嬉しいかも^^
にほんブログ村 小説ポエムブログへ


詩の置き場所

2005年09月29日 18時58分08秒 | 詩に関わる話
  以前詩遊会さんに投稿した「あの道この道帰り道」を今朝、現代詩フォーラムに投稿した後、考え直して1時間後に削除しました。たまにやるんです。投稿しようか迷った末に投稿した挙げ句、やはり削除する事を。

  その作品の良し悪しよりも、其々の詩には在るべき場所があるなあと思ったからです。置いてみたら、詩が何となく居心地悪そうにしている。そう思い削除しました。

  特に現代詩フォーラムのようにポイント制の場所はそうかも知れません。
詩に込めた自分の思いをポイントにより計られる、現代詩フォーラムという姿見に自分自身を映して見ることは、独り善がりに成りがちな思いを一人立ちさせる意味合いからすると、とても大切な事です。

  でも、ルナクさん、さちさんの作品へ寄せた思いを込めた詩について計られるのは、おふた方の心まで計られてしまうようで相応しく無いのかなと考えます。(この作品は投稿する為に作った訳ではなく、読書感想文のような作品ですし)

  現代詩フォーラムのような場所に投稿する以前は、自分の作品にさほど思い入れはありませんでした。でも、作品を投稿し他の方々より暖かい評価を頂くことにより一人立ちした作品は自らの手を離れ、眺める度にいとおしさは増すばかりです。

  そう分かっていても、日々、洪水のように投稿される珠玉の作品達に触れていると、つい投稿してしまう自分がいます。ある意味意地が汚いのかも(苦笑)

  自身に必要なのは強い意志と詩に対する真摯な姿勢のようです。ふらつくハンドルを握り締め、長く曲がりくねった道をゆっくりでも良いので、これからも進めたら良いなとつくづく感じた今朝の失態でした。