ふしょうなブログ

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季節のタブロー(秋)について

2005年09月20日 21時25分51秒 | 詩の背景



  願う(い)と信じるは同義語のようで、願うは未来への希求、こうなって欲しい、こうなりたいとの可能性を求めることかなと思います。つまり、心の中で未来について確かな形となったもの、具体的な在るべき姿を描き追い求める事かなと思います。

  願う対象は空に映した自分自身、神様も自分自身の中に居るのかな?論理的に考えれば無理な事、非現実的な事でも願ってみる。その姿勢が大切なのではと考えます。

  諦めることは簡単だけど、往生際悪く生きてみる。その意味で、この詩は「名前の無い風」と対を成す詩です。「名前の無い風」は逆説的に書きましたので、コインの裏表になるのかな。

  で、この詩ですが、書いたというより、誰かに書かされた詩に近いです。誰が誰なのかは判りませんが、事実そんな感じがしてなりません。題名もそうですが、寸分の狂いもなく詩行が収まったというか、ジグゾーパズルのように動かし様の無い詩となりました。直せる詩と直せない詩、まだまだ勉強中の身ですが、稀にそう感じる詩に恵まれる事があります。


季節のタブロー(秋)現代詩フォーラム
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