ふしょうなブログ

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黄燐と投げ縄 パート2

2006年01月16日 22時53分59秒 | 書評のようなもの
 さて、詩集のタイトルである「投げ縄」がモチーフとして取り扱われている「壁と翳」について自分なりの感想を書いてみたいと思います。
 この詩のなかで詩人と壁との関わりについて次のように歌われています。
「壁に掛かっているもの/月めくりのカレンダー」、
「壁に掛かっていたもの/子供用の野球帽」、
「壁に掛けなかったもの/家族の写真」、
「壁に掛けたかったもの/西部男の投げ縄」
月めくりのカレンダーとは過ぎ去った日々であり、子どもの野球帽とは子どもに託したかった夢であり、家族の写真は果たせなかった在るべき家族の姿、そして西部男の投げ縄は「暗闇の十七才のぼくに向って」、つまり過去の自分への憧憬なのかと思います。でも、「暗闇の」とあり、この辺がシニカルな詩人たる所以であるようです。Yockだったら「輝いていた」とするだろうなと思います。そして、この詩は「ぼくの六畳間の窓際では/今日も翳のように透明な埃が立っているんだ。」と結ばれています。
 構造的にも簡潔なつくりになっている、この詩は過去の清算、来るべき終わりの時に視点が向いているのかなと感じます。「透明な埃」、心の押し入れから引き出した過去を畳み直し整理するときに立つ「埃」ではと推測します。未来が見えないだけに辛気臭い詩に思えるかも知れません。また、西部男、西部劇全盛だった大昔は別として、ネットで調べないと判りませんよね。多分、ローハイド、シェーンとかのイメージなんだろうけど。

清水哲男のサイト
『増殖する俳句歳時記』
URL: http://zouhai.com/index.html



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