ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

黄燐と投げ縄について 最終回

2006年01月30日 12時41分58秒 | 書評のようなもの
 何回かに分けて掘り下げようと立ち上げた企画でしたが、どうやら企画倒れとなりそうな気配。でも、けじめとしてなんとか纏め上げようと思います。
 最近購入した詩集、4冊も溜まってしまいました。丸善で購入した須永紀子著「空中前夜」、ブックオフで購入した「女性詩人85」、新宿紀伊国屋で購入した立原道造著「萓草に寄す」、「続々谷川俊太郎詩集」と4冊もあります。うち、空中前夜と萓草に寄すはパラパラと読んでいるのですが、特に萓草に寄すは凄く良いです。読む度にこんな詩を書きたいなあと感じ入ってしまいます。

さて、本題に入りましょう。
1.「決起せよ」。
  街頭風景という詩で歌われている最後の詩行です。「いつも何かが上から降ってくる/季節を問わず 天候を問わず/頭に灰のようなものが降ってくるのだ」、「私はいつものように頭の何かを手で払って/…中略…/ざまあみろと振り返った欅の太い胴腹には/どうして今まで気がつかなかったのか/ボール紙が針金で巻き付けられていて/古びてすっかり灰色と化した小さな文字で/こう書いてあるのが確かにちらとみえたのだった//「決起せよ」。」
  頭に降る灰のようなもの、何かなと結構考えました。思うに「追憶」では無いかと考えます。追憶、過ぎ去ったことに思いを馳せる事、老境といっても良い詩人の心に去来する過ぎ去りし日々の残骸、海底に降るプランクトンの死骸が堆積するように心に降り積もるのではと考えました。  
  そして、「決起せよ」、新左翼運動華やかしき頃のアジテート、ちょうど戦中派の人々にとって天皇を、そして当時の国体を肯定する言葉の数々が忘れられないように学生運動に身を投じた人々の心に刻み込まれた甘い香りのする言葉のようです。「古びてすっかり灰色と化した小さな文字」詩人も過去の遺物となったのを自覚しているようです。新左翼、今の改革と同様に、希望に満ちた明日の扉を開く鍵と見えたのはひとときの幻想だったのでしょうか?

2.新しき言葉たち
  この詩集では今の時代をつづる言葉がいくつか用いられています。
 (1)コンビニ弁当
  この言葉は「報告」という詩に綴られています。「漂ってくる匂いには/何一つ懐かしいところがない/賞味期限の切れたコンビニ弁当の匂いよりも」。「報告」はサブタイトルとして「かつてわれらに『われらの力19』(岡田隆彦)なる力ありき」とあります。報告、誰に何を報告するのか、そして「力」とはなんなのか、深くかんがえてしまいます。詩行全体より読み取れるのは、95年に亡くなった岡田へのシンパシーと言えるものです。報告、それは岡田宛てたものであり、死を自覚せざるを得ない詩人の心情の発露に感じます。死を意識すること、死を歌うこと、避けられないことであり、いずれは誰もが直面する死と向き合うことは詩人として必要であるとは思いますが、一方で受け入れたくは無い、死と向き合う詩には関わりたくない自分がいます。希望の先にあるものは死であって欲しくない、そんな気持ちがYock自身にあるのかな?

 (2)IT関連の言葉
  IT、近頃は胡散臭さの代名詞となっているようですが、この詩集では幾つかの言葉が綴られています。  
  1)携帯 
  携帯電話を差す、この言葉は「携帯」という詩に用いられています。「かろやかにも言葉に携帯されている者/私よ。」、「ちゃらちゃらしたハンド・ストラップよ、/いや私よ」「私を携帯する言葉は、/いつも希望しないことを希望するから、」この詩のキーワードは「有季定型句の意識と無意識なんかもね。」にあるように感じます。
季節感の失われた都市に生きる詩人の感性なのでしょうか。「常に言葉にぶら下がっていて、/他のお客様のご迷惑になってきた、/私よ。」で結ばれています。
  言葉に携帯されている私、それは、かろやかであり、他のお客様の迷惑になるらしい、う~ん、深いです、深すぎます。そしてちゃらちゃらしたハンド・ストラップでもあるのです。
  2)ウィンドーズ
  窓として詩行では歌われていますが、直接的な言葉としては歌われていません。でも、IPの代名詞ウィンドーズを意識している詩であることには違いないようです。そして、この詩でも主題は死であるようです。様々な死と窓を語ったあとに「死ストキニハ/チョットダケデモ/窓ノコト/思イダスコトガデキタライイナ。」と結ばれています。窓、それは希望の象徴であり、詩人にとっての窓は「どんな窓を開けるにもためらったはず」のものであるようです。躊躇、明日への震えなのでしょうか。

3.まとめのまとめ
 他にも「べらまっちゃ」、「さよなら」、「戦後叙情」など素敵な詩が詩集に溢れています。特に戦後叙情は詩人の人生の締めくくりであるようにも感じられ「とさ。」と締めくくられています。「とさ。」昔話を括るような言葉であり、自分自身の生涯を突き放す詩人の視線が読むものに突き刺さります。
 死について語っている作品には心を抉られる思いもしますが、清水哲男の集大成のような詩集となっています。読みやすさもありますし、何度も読み直したくなる詩が多いので、気になる方は購入されることをオススメします。



ランキングサイトに登録しています
ブログランキング・にほんブログ村へ



最新の画像もっと見る