ふしょうなブログ

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黄燐と投げ縄 パート3(死を意識する事)

2006年01月18日 23時55分31秒 | 書評のようなもの
 死を意識する事、以前にも記事にしたと思うけど、荒地派に代表される詩人達は死との関わりが詩の大きなテーマでした。現代詩と死はつきものなのかな?
 この詩集でも死に関わる詩が何篇か掲載されています。そのなかから今回は「落日」についてYockなりに批評してみます。
 「「俺たちの生き方は間違っていなかった」/かつて年賀状にそう書いてよこした友だちが/歩道橋の上から盛んに合図を送ってくる/はじめの道に戻るのだ」この4行は詩の序盤から中盤にかけて書かれている詩行です。そして詩の締めくくりは「今年の年賀状に/お前からのはなかった。」と結ばれています。
 つまり歩道橋の上から合図を送ってきたのは亡くなった友のようです。その友の言葉「俺たちの…」とタイトルの「落日」、友とは詩作に関する友なのか、それとも学生運動時代の友なのか、「生き方は間違っていなかった」という言葉が読む者に重くのしかかってきます。
 歩道橋の上、それは彼岸とか彼の世なのかなと考えます。まだこちらへ来るのは早いと詩人に合図をおくっているのでしょうか「はじめの道に戻るのだ」回帰すること、在るべき姿へという事なのかな?


清水哲男のサイト
『増殖する俳句歳時記』
URL: http://zouhai.com/index.html



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