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ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

「椰子の実ひとつ」について

2005年09月14日 22時00分08秒 | 詩の背景



  適当に一仕事を済ませ、外出先で立ち寄ったファーストフード店。暫くは目に入らなかったのですが、ふと壁際の席を見やると、なにやらホームレスのような男がせっせと色鉛筆で挿絵のようなものを書いている後姿に気付きました。
  何か注文しているかとテーブルを覗くと、しっかりと食べかけのモーニングセット、そして出入り口の自動ドア脇には彼の持ち物らしき汚れたカート。
  どうもホームレスとは縁があるのか何作かホームレスをテーマにして詩を書いているのですが、一心に挿絵らしきものを書いている彼の姿に何故か惹かれました。
  彼は日々の糧の為に挿絵らしきのもを書いている。それに比べて、仕事をサボり趣味と言えば聞こえは良くても、気晴らしに近い「書き散らし」の詩をケータイに打ち込んでいる自分自身。同じ創作活動とは言え目的の異なる創作に励む二人の共有する朝のひととき。
  そして、彼の後姿からは人恋しさ、壁に並べた作品に注目して欲しいという気配が漂っていて、何だか愛おしさまで感じてしまいました。

  詩の内容としては、その時に感じた事と、へたくそで退屈な詩であっても、現代詩フォーラムに、ブログに詩を投稿する事により何時か誰かに詩に込めた思いを受けとめて欲しい、拙い詩であってもきっと誰かが共感してくれるだろうという願望を込めました。


椰子の実ひとつ(現代詩フォーラム)
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URL: http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=48430



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「不条理なこと」について

2005年09月12日 22時04分18秒 | 詩の背景
昨日の結果についてはがっかりしたと言うべきか、当然と言うべきか、感動したって言うべきか、どうなんでしょうねえ。

田中角栄の前後の日本は実は資本主義国家では無く、世界に例を見ないほど、類稀な社会民主主義国家だったとか。つまり、一億総中流の幻想に酔える良き時代だったのです。それが、新聞に「富裕層」って階級の世界が当たり前のように記事になる。

で、今日のテーマというか、主張としては、現状を肯定するな、そして諦めるなって言いたいですねえ。どうする事もできないのは承知の上で、敢えて口にしてみる。抗うって姿勢が言の葉に関わるものの使命だと考えます。(別に同志よ!階級闘争をせよ!なんて、今更蒸し返している訳ぢゃありません。念のため)



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期待に震える(電気椅子について)

2005年09月06日 20時40分25秒 | 詩の背景
  椅子に腰掛ける際、背もたれにもたれず、きれいに背筋を伸ばして腰掛ける女性の背中にYockはエロスを感じます。まあ、美と言い換えましょうか?この詩はそんな深窓の令嬢に迫る魔の手(悦楽への誘惑)、そして、魔の手にかかる事を拒絶しながらも、悦楽への甘い期待に震える心と身体。そんな微妙な女性の心理状態を詩にしてみました。

  現代詩フォーラムに投稿した際、水無月さんより「電気って感じがあまりしないかも」とコメントを頂戴しました。この詩では「電気」=「期待」として表現したつもりですので、そう感じられたのかも知れません^^前戯こそ、愛の証。そんな雰囲気も詩に織り込んでみました。

  尚、この詩にはモチーフとなる絵があります。「ヴァン・ゴッホの椅子」というゴッホの絵です。勿論電気椅子ではなく、ゴッホらしい椅子の絵なのですが、眺めている内に椅子に座る令嬢のイメージ、腰から首筋にかけ、弓がしなるように伸びた背中。心の中のイメージはどんどんと膨らんで電気椅子となりました。

  電気椅子に腰掛ける深窓の令嬢。服装は勿論白いブラウスにタイトな黒いスカート、そしてフェラガモのパンプス。小鳥のさえずりにも似た令嬢の、悦楽に溺れる甘い悲鳴を感じていただければ本望です。

電気椅子(現代詩フォーラム)
URL: http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=47884

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過程を楽しむ(紅葉ひとひらについて)

2005年09月06日 19時39分51秒 | 詩の背景

  心の内、そして詩作ノートなりパソコンに書き留めた言葉達、お気に入りのフレーズを引っ張り出し、詩らしきものを作り上げていく。「てにをは」に悩んだり言葉の並び替えをしてみたり、はたまた言葉を付け加えたり、思い切って削ってみたり。

  そんな詩作の楽しみを詩にしてみました。ブロックはお気づきの通り「言の葉」です。そして3連目は「心の内に浮ぶ、これはって思う言の葉」程、うっかりしていると心の裏側にすっと隠れてしまう。そんなもどかしさ、悔しさを表現してみました。

  そして、誰かへの想い、誰かに伝えたい事を「紅葉ひとひら」に託し、出来上がった詩に添えてみる。そんな一途な思いを最終連で表現してみました。


紅葉ひとひら(現代詩フォーラム)
URL: http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=47713


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慎んでお悔やみ申し上げます

2005年09月03日 16時23分46秒 | 詩の背景

  今日付け朝刊で朝吹登水子さんご逝去の報に驚きを隠せませんでした。朝吹さんの翻訳されたサガン、ボーボーワールの諸作品を通して、フランス、そしてパリーへの憧れに胸を熱くしたものでした。特に「悲しみよこんにちは」には衝撃的な感動を覚え、何度も読み返した思い出があります。


ここに慎んでご冥福をお祈りいたします



朝吹登水子さん=作家・翻訳家 (読売新聞) - goo ニュース

もどかしさの中で(モグラについて)

2005年08月31日 20時41分04秒 | 詩の背景
  相対で他の人とコミュニケーションを取る場合には相手の話す内容プラス口調、顔の表情、身振り手振り、その場の状況等の情報を取り入れ相手の真意を判断しながら行っています。この作業は普段無意識の内に行われていますが、初対面の相手との重要な話し合いの場合には意識して行っています。

  では、ネットの場合はどうでしょうか。一部のコミュニケーションツールを用いた場合を除き、もっぱら文章によりコミュニケーションを図る事になります。最近良く耳にする話題ですが、これほど多くの人々が文字による情報を発信する時代はかつてなかったとか。(話し言葉と書き言葉に差異が無くなった事の是非を問う声もありますが)
  そしてネット特有の匿名性により相手の素性、性格等互いに不確かなのままでコミュニケーションを私達は取っています。その場限りの軽いチャットなら、さほど気にはなりませんが何度か相手と文章のやり取りをするにつれ、相対でコミュニケーションを図る場合と同様に相手はどんな人なのか無意識にしろ意識的にせよ探りたくなるのです。
  文脈から感じる印象、話題から推測する年代、男性なのか女性なのか等等、想像力の総てをフル回転させて特定したくなるのではと思います。
  また、時には些細な思い違いから連絡が途切れたり、最悪昨日の共は今日の敵ではありませんが、仲たがいも甚だしくなる場合もありそうです。
  そんなネット上でコミュニケーションを取ることの難しさを、この詩では「モグラ」をモチーフに表現してみました。

  では、簡単に詩の内容について説明してみます。
  まず、1連目は電車男の雰囲気でしょうか^^Yock自身はあの物語好きでは無いのですが、イメージ的にはあんな感じで捕らえてください。そして、2連目の「あのゲーム」とはお読みになられた方ならお判りと思いますが「もぐらたたき」の事です。
  行変えした部分はこの詩の主題とも言える部分です。言い古された言葉ならが、敢えて直接的な表現でぶつけてみました。
  4連目の結びの部分ではコミュニケーションを取る事に逃げがちな心模様と、やっとの事で手探りして掴んだのは「もぐらのしっぽ」そんな虚しさを表現してみました。

(まとめ)
  おっかなびっくり、手探りのネットでのコミュニケーション。それだけに分かり合えた時の喜びも大きいのかなと感じます。


もぐら(現代詩フォーラムでは縦書き表示が可能ですので、ひらがなとしました)
URL: http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=1864

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それでも生きる(渇いた雨について)

2005年08月28日 21時33分44秒 | 詩の背景
  死に場所を求め仮想空間をさまよう若き魂達。つい最近でも警察官を襲い自殺の為の拳銃を奪おうとする痛ましい事件まで発生しました。

  何故そんなに死に急ぐのか、部外者には当人の心の内を伺い知ることは出来ませんが、本当に死ななければならない程の理由があるのか、あったのか、問い詰めたい気持ちを抑える事は出来ません。

  そんな死に急ぐ若い魂達が存在する反面、与えられた生を全うすべく残された人生を生きる老婆の姿。手押し車を押すが為に傘もさせず、身につけたレインコートは深く折れ曲がった背を雨から守るには、あまりにも古びていて、何かに躓いて前に倒れたら最後起き上がれない程に折れ曲がった背中。(老人達が一番身近な危険で恐れるのは骨折する事とか。特に足腰を骨折した場合、最悪病院のベッドに寝たきり状態になる恐れがあります。一人暮らしで身寄りの無い場合、それは死を意味するのです)

  それでも老婆は生きています。これまでの様々な思い出の数々を心に抱いて生きています。哲学者のように生きる理由など問い詰めるまでも無く生きる為に生きる。生きているから生きる。

  日本は世界に類を見ない速度で高齢化社会への道を突き進んでいます。だれもが直面する老いとの関わり方、そして人生にとって孤独とは何かを問い詰めて生きるべきか、それとも生を授かりし一人の人間として、当然に生きる。

  結論は簡単には出そうもありませんが、詩作を通じ考えて生きたいと思います。


  さて、詩の中身について簡単に自己分析してみましょう。
  まず、第1連の「鎖」、「足枷」は身体の不自由さを表現しました。現代詩フォーラムに投稿した際、kwさんより適切なコメントを頂戴しましたが正にその通りです。視力も白内障気味で悪くなっている上に自由に動かない身体。力の入らない掌、簡単に上がらない腕、二三段の段差さえ上れない程に弱った足腰。普段の生活さえ若い僕たちには想像もつかないぐらいの困難を伴うようです。

  希望ある未来など遠い昔のおとぎ話、今はただ、今日の為に生きる老人に取っての糧は過去の思い出です。(言い切ってよいものかどうかについては、異論あると思いますが)そんな過去の思い出でさえ、記憶も定かでは無くなり、今はもう断片的な思い出を繰り返すばかり。第2連、第3連はそんな状況を表現しました。

  詩の終わりを「涙が重くのしかかる」とした意味は、歩く老人の「心」は常に悲しみで溢れているのか?本音の部分での心内を知る良しもありませんが、生を受けてから今までの生き様の重みが心にのしかかっている様を表現してみました。

  尚、タイトルの「渇いた雨」は、「涸れた心に降る雨は砂漠に降る俄か雨のように、降っても心の奥底深く似吸い込まれ、決して心を潤さない」、そんな意味合いを込めたものです。

(まとめ)
  孤独は一人暮らしでも、大勢の家族に囲まれていても感じるものなのかも知れません。それは老人に限らず、若い僕たちにとっても、何気ない瞬間にも感じるもののようです。一人で生まれ一人で死ぬ定めに生まれし者の宿命と言えるのでしょうか。


渇いた雨(現代詩フォーラム)
URL:
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=1864


※この詩について現代詩フォーラムの方々より貴重なコメントを頂戴しております。ご覧になる場合は左隅の「notebook」のアイコンをクリックして下さい。是非ご一読されますよう、お願い申し上げます。

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とんびについて

2005年08月25日 22時11分30秒 | 詩の背景

 

  この詩は「くびれ」同様に江の島を訪問した際に作詩しました。江の島の防波堤の突端には白い灯台が立っており、その灯台をかすめるようにして飛ぶ一羽のとんび。この時の印象を詩にしてみました。

  世間を捨て、とんびになった少年。自由に空を飛びまわり、人々を威圧しながら、たまには格好をつけてみたりする。でも、食べ物と言えば、港に捨てられた魚だったりするような中途半端な生き様。留鳥であるが故、渡り鳥のように新天地に向け旅立つ事も出来きず、結局は人恋しくて、人里をうろうろする情けなさ。
そんなとんびを歌ってみました。

  さて、現代詩フォーラムに投稿した際、kwさんより「君」を幾つか省いてもとご提案を頂戴しました。確かに1連2行目の君と2連2行目の「君」は必要ないようです。この辺を詰めてみると詩の難しさ、奥の深さを感じます。


とんび(現代詩フォーラム)
URL: http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=1864



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くびれについて

2005年08月23日 23時37分25秒 | 詩の背景

 この詩は世田谷美術館で鑑賞した絵画、デッサン、彫刻の印象を引き摺りながら、その翌日に片瀬江ノ島へ取材に行った際に作詩したものです。(取材っていうか散歩かな、実は)で、小田急線片瀬江ノ島駅を降りて数分も歩かないうちに水着ギャルの群れとYockは遭遇しました。(未知との遭遇?)
 恥じ入る素振り等生まれてこの方感じた事なんて無いような感じで、威風堂々?と三角ビキニのままビーチへ向う彼女達の艶やかな後姿を半ば呆然として見送ったのですが、その時の印象を詩にこめてみました。

↑竜宮城を模したらしい片瀬江ノ島駅

 男一人で水着も着ずに砂浜に出るのは何だし、海の家からは呼び込みがウルサイので江ノ島へ渡りヨットハーバーから江ノ島の岩場を散策しました。



↑江ノ島のヨットハーバー
  当然ながらYock艇は見当たりません(残念!)



↑江ノ島の岩場です
  結構潮が引いていたのかも♪

 2時間ぐらいの取材でしたが、家に帰ってみるとドカチン焼けてな感じでビックシ、マイッチング状態でした。
 なんだ、水着ギャルのくびれ写真はどうした、俺はそれを期待していたのにってお叱りを受けそうです。どうも気が弱いYockなもんで、そんな写真取れませんです。モーしわけ無い気持ちで一杯です。

 こんな、男どもの密かな楽しみ(見るだけならタダだし)も、あと数週間で終わりになります。また来夏のお楽しみってな感じでしょうか♪そんな気持ちも詩をこめてみました。







 

 

 


宵まちエレジーについて

2005年08月22日 21時32分47秒 | 詩の背景
 落合さんからの暖かいお誘いに甘え詩遊会さんにもお邪魔する事になりました。で、詩遊会さんへの投稿は取り合えず短歌からでもって事で投稿した歌です。
 浮世模様は男と女、そんな詩情を歌っていきたいと思います。私遊会さんのメンバーの方々に嫌われないようにしないとって肝に銘じたいところです。

 さて、題名の「宵まちエレジー」の宵まちは「宵待ち草」と「宵街」をかけています。内容的には「酒場のふたりの物語」てなところです。今流行りのジャズバーかテルホのバーを想像していただければありがたいです。(ロックバーではありませんね。この歌の場合)