健康長寿の窓口 (タロー8の脳腫瘍闘病記改め)

2009年に乏突起神経膠腫の手術を受け15年が経過したことを機にブログをリニューアル、健康長寿の情報を発信していきます。

あの娘に会える

2009-07-27 19:39:35 | インポート

家に帰った土曜のお昼過ぎに、右コメカミが腫れました。手術後の最初の外泊の頃にも腫れたことはありましたが、それは脳水の漏れによるもので、次第に治まるものでした。今回もそれかなと思いましたが、今更漏れるのも変だし、ちょっと圧迫感があり少し痛みもあったので違う原因ではないかと不安でした。 昨日、病院に戻って鏡を見ると、腫れが少し大きくなっているようだったので看護師さんに見てもらったら、先生が飛んできて、炎症を起こしていますね、放射線の影響かも知れません、様子を見ましょう、ということになりました。

そして今日、担当の4人の先生が入れ替わり腫れを診られました。 さらに今日は放射線科医の外来診察日でもありましたので、腫れ具合を診てもらい、「あー、確かに腫れていますね、手術の傷痕のところで炎症が起きています。脳水の漏れではなでしょう。ひどくなるようだったら抗生剤を処置しましょう。」で一件落着です。

さて、9回目の放射線治療、毎日、気になる女の子がいます。いつも明るく周りのスタッフの方と遊んでいます。順番は私の治療の後のようですが、会うのが楽しみな子です。

今日の治療は混んでいたので順番を待っている間、その子の母親に私から話しかけました。

「何のご病気なのですか?」

「脳腫瘍なんです。」(一瞬、私はえっ!と思いました)

「私も脳腫瘍ですが、いつも明るいので元気づけられているのですよ。」

「本人は分かっているのかどうか。。。悪いデキモノを取るんだ、バイキンマンみたなのをやっつけるんだ、というのは分かっているようですが、髪の毛は放射線10回目から抜けましたが、それも理解しているようですが、どこまで本当のことを分かっているんですかねえ。。。」

「おいくつなんですか?」

「小学校2年生です。」

「どうやってご病気が分かったのですか?」

「ひきつけを起こして倒れたんです。でも、その前日にご飯を食べようとしているときに、『母さん、私の左手が動かない、左手が無くなっっちゃった、どこかへ行っちゃった』って変なことを言うなと思ってたんですよ。それで救急で運ばれて、即、手術。あなたも手術で取った腫瘍が悪性だったのですか?取りきれなかったから放射線治療されているのですよね。」

「悪性でしたが、比較的悪性度は低い方でした。」

「それは良かったですね。うちの娘は悪性度が高くて。。。あなたも長くかかるのですか?」

「お盆過ぎに放射線治療が終われば退院して、後は薬を1年間飲むことになります。」

「えっ、退院できるんですか?飲み薬で良いんですか?いいですね」

「脳腫瘍にもいろんな種類があるようで、私の場合は飲み薬でよく効くようなんです。」

「うちの娘の腫瘍は珍しいらしくて、効く薬がないらしいんで、いろいろ試しているらしいのです。何で、うちの子が、と思います。。。」

そう言っているお母さんの顔は、僕に対して恨めしいような、代わって欲しいような、そんな感じに見えました。それ以上、何て話して良いのやら。。。 この子の明るさと脳神経外科と放射線治療科の先生の腕とご家族の愛情と、周りのすべての支えに賭けるしかないのでしょうか、僕にできることは、僕が何か声をかけてあげることは、ないのでしょか。薬を研究してる、薬剤師だと言っているくせに何もできないじゃないか! いつも元気にしてくれて、ありがとう、と言うことくらいでしょうか。

彼女の笑顔が救いです。そしてお母さん、立派です。

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