私の祖母(母方の母)が平成25年1月20日に他界しました。
明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代の4つの時代を生き抜いた祖母です。
人の死とはどんな時でも悲しく寂しくつらいものですね・・・。
その大きな存在の穴をどう埋めていけばいいいのだろう・・・と思うことがあります。私の母は数年前に乳がんという大病にかかり、親(祖母)よりも先に逝ってはいけないと思って何度となく歯を食いしばっていたのかもしれません。子どもとはそういもので、逆に親も子ども達の為(大事な人の為)人生の意味を探りながら生きているのかもしれません
今回は祖母の訃報を聞いて、祖母との最後のお別れ(本葬式)に出る為に、家族で田舎に向かうことにしました。息子にとっては物心がついて初めての親類の死です。天寿をまっとうできた祖母ではありますが、子どもにとっては「生」と「死」というものに初めて対面する場面であり、命の尊さを感じる為にもここは息子(5歳)も連れて家族皆で本葬に行くことにしたのです。
祖母は12人の子宝に恵まれました。私の母は末っ子の方で、私は孫にしては30番前後になるだろうとか? 子どもの頃、その話を聞いて『あ然』としたものです。今回、弔辞で玄孫(やしゃご=孫の孫)まで含めて現存する子孫が100名を越えるとの報告でした。当然ながら、お葬式にはたくさんの(会ったこともないような)親戚が集まっていました
祖母には昨年の秋も会いに行ったので、子ども達も記憶には残っているようです。春に会いに行ったときに桜の木の下、新緑を感じながら主人が車椅子を押し、子ども達と散歩した思い出が今でも鮮明です。
この写真ではないのですが、屋敷の居間の前に立派な藤棚があり、それを眺めながら私の結婚や子ども達の成長の話を喜んで聞いてくれたのも思い出のひとつです
やすらかにおねむりください。そしてこれからもいつまでも天国から見守っていてくださいね
このブログ記事が祖母へのはなむけになれば幸いです。感謝
明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代の4つの時代を生き抜いた祖母です。
人の死とはどんな時でも悲しく寂しくつらいものですね・・・。
その大きな存在の穴をどう埋めていけばいいいのだろう・・・と思うことがあります。私の母は数年前に乳がんという大病にかかり、親(祖母)よりも先に逝ってはいけないと思って何度となく歯を食いしばっていたのかもしれません。子どもとはそういもので、逆に親も子ども達の為(大事な人の為)人生の意味を探りながら生きているのかもしれません
今回は祖母の訃報を聞いて、祖母との最後のお別れ(本葬式)に出る為に、家族で田舎に向かうことにしました。息子にとっては物心がついて初めての親類の死です。天寿をまっとうできた祖母ではありますが、子どもにとっては「生」と「死」というものに初めて対面する場面であり、命の尊さを感じる為にもここは息子(5歳)も連れて家族皆で本葬に行くことにしたのです。
祖母は12人の子宝に恵まれました。私の母は末っ子の方で、私は孫にしては30番前後になるだろうとか? 子どもの頃、その話を聞いて『あ然』としたものです。今回、弔辞で玄孫(やしゃご=孫の孫)まで含めて現存する子孫が100名を越えるとの報告でした。当然ながら、お葬式にはたくさんの(会ったこともないような)親戚が集まっていました
祖母には昨年の秋も会いに行ったので、子ども達も記憶には残っているようです。春に会いに行ったときに桜の木の下、新緑を感じながら主人が車椅子を押し、子ども達と散歩した思い出が今でも鮮明です。
この写真ではないのですが、屋敷の居間の前に立派な藤棚があり、それを眺めながら私の結婚や子ども達の成長の話を喜んで聞いてくれたのも思い出のひとつです
やすらかにおねむりください。そしてこれからもいつまでも天国から見守っていてくださいね
このブログ記事が祖母へのはなむけになれば幸いです。感謝