政治家とか。
政治屋とか。
町会議員から、
国会議員まで。
生活の根幹である、
『日本』 という 『国』 を治める為、
選挙という手続きを経て、
皆の信託を受け行動する人。
しかし、
『政治』 を行う者は、
『国民の奉仕者』 ではない。
国民を指導し、 『正しい方向へ導く』 ものだ。
こんな事を書くと、
何処の 『共産党員』 だ?と思うだろうが、
自分は、 『自由主義』 である。
人に指示されるのは大キライな方だ。
しかし、
社会生活を行う上で、
司法に従い、義務を果たすのは当然だと思う。
必要な自由は欲しいが、
日本が無くなってしまっては、
そうも言ってられない。
つまり、
『正しい方向へ導く』 というのは、
間違った考え方ではない。
間違っているのは、
『正しい』 と言っている、その 『方向』 である。
ところで、
『憲法第43条』 に書かれている、
『全国民を代表する選挙された議員』
という、文言が有る。
これは、
どの地域から選出された 『国会議員』 も、
全ての 『国会議員』 は 『国民全体の代表である』 と言う事だ。
だから、
よく聞く、
「地元の選挙区が・・・」 とか、
「選挙区の支持者が・・・」 とか、
そんな事は、全く関係ないのだ。
これが、
『市議会議員』 でも 『県議会議員』 でも一緒である。
『市議会議員』 なら全員が 『市』 全体の代表。
『県議会議員』 なら全員が 『県』 全体の代表なのだ。
『国会議員』 が、
単純に地元の意見を国会に持ち込むのは 『言語道断』 である。
全ては、 『国全体の為』 で無くてはならないのだ。
もちろん、
地元の意見を聞かない様では、話にならないが、
それは、まず 『国』 の事を考えて、地元の事も含むべきである。
『国全体の利益を優先』 するべきなのだ。
これが出来ない 『国会議員』 は、
国ではなく、地元で頑張るべきである。
『国全体の利益』 を 『国会議員全員』 が考えた時、
くだらない 『政争』 など起きるのだろうか?
『政治家個人』 や
『地元の一部の人間』 や
『経済の権力者』 の意見が先行していては、
何も 『国益』 につながらない。
それは、
国益を重んじるハズの 『国会』 としての体を成していない。
たまに国会で議論される、
『誰が、何か違反した』 とか、
『あの結果は誰の任命責任だ』 とか、
そんな事は、国会の外で議論すべきだ。
まぁ、
国益に損なう事であれば、
国会で議論する価値もあるだろう。
しかし、
それ程、重要な議論は稀である。
そして、
『一票の格差』。
これは、
『国会議員』 が場所によっては、
比較的に、少ない国民から、選ばれる事があるのが問題だ、と
言われている事だが、
例えば、
『議員Aは200票』 だが 『議員Bは100票』 で当選した。というのは、
大した問題ではない。
日本という、国全体の利益を考える人間であれば、
その選考手順に意味などないのだ。
たまたま、 『票に差が出てしまっただけ』 の話である。
そんな事より、問題なのは、
『国民の利益』 より、 『その他の利益』 を優先する 『国会議員』 である。
正直、
『国益を最優先』 にして働いている国会議員など僅かしかいないと思う。
議員の選出は、国民の義務であるが、
その、 『立候補者の資質』 を見極めなければ、
政治が混迷し、国が破綻する事になりかねない。
それは、 『一票の格差』 なんかより
もっと重要な事ではないのか?と思うのだが。
政治屋とか。
町会議員から、
国会議員まで。
生活の根幹である、
『日本』 という 『国』 を治める為、
選挙という手続きを経て、
皆の信託を受け行動する人。
しかし、
『政治』 を行う者は、
『国民の奉仕者』 ではない。
国民を指導し、 『正しい方向へ導く』 ものだ。
こんな事を書くと、
何処の 『共産党員』 だ?と思うだろうが、
自分は、 『自由主義』 である。
人に指示されるのは大キライな方だ。
しかし、
社会生活を行う上で、
司法に従い、義務を果たすのは当然だと思う。
必要な自由は欲しいが、
日本が無くなってしまっては、
そうも言ってられない。
つまり、
『正しい方向へ導く』 というのは、
間違った考え方ではない。
間違っているのは、
『正しい』 と言っている、その 『方向』 である。
ところで、
『憲法第43条』 に書かれている、
『全国民を代表する選挙された議員』
という、文言が有る。
これは、
どの地域から選出された 『国会議員』 も、
全ての 『国会議員』 は 『国民全体の代表である』 と言う事だ。
だから、
よく聞く、
「地元の選挙区が・・・」 とか、
「選挙区の支持者が・・・」 とか、
そんな事は、全く関係ないのだ。
これが、
『市議会議員』 でも 『県議会議員』 でも一緒である。
『市議会議員』 なら全員が 『市』 全体の代表。
『県議会議員』 なら全員が 『県』 全体の代表なのだ。
『国会議員』 が、
単純に地元の意見を国会に持ち込むのは 『言語道断』 である。
全ては、 『国全体の為』 で無くてはならないのだ。
もちろん、
地元の意見を聞かない様では、話にならないが、
それは、まず 『国』 の事を考えて、地元の事も含むべきである。
『国全体の利益を優先』 するべきなのだ。
これが出来ない 『国会議員』 は、
国ではなく、地元で頑張るべきである。
『国全体の利益』 を 『国会議員全員』 が考えた時、
くだらない 『政争』 など起きるのだろうか?
『政治家個人』 や
『地元の一部の人間』 や
『経済の権力者』 の意見が先行していては、
何も 『国益』 につながらない。
それは、
国益を重んじるハズの 『国会』 としての体を成していない。
たまに国会で議論される、
『誰が、何か違反した』 とか、
『あの結果は誰の任命責任だ』 とか、
そんな事は、国会の外で議論すべきだ。
まぁ、
国益に損なう事であれば、
国会で議論する価値もあるだろう。
しかし、
それ程、重要な議論は稀である。
そして、
『一票の格差』。
これは、
『国会議員』 が場所によっては、
比較的に、少ない国民から、選ばれる事があるのが問題だ、と
言われている事だが、
例えば、
『議員Aは200票』 だが 『議員Bは100票』 で当選した。というのは、
大した問題ではない。
日本という、国全体の利益を考える人間であれば、
その選考手順に意味などないのだ。
たまたま、 『票に差が出てしまっただけ』 の話である。
そんな事より、問題なのは、
『国民の利益』 より、 『その他の利益』 を優先する 『国会議員』 である。
正直、
『国益を最優先』 にして働いている国会議員など僅かしかいないと思う。
議員の選出は、国民の義務であるが、
その、 『立候補者の資質』 を見極めなければ、
政治が混迷し、国が破綻する事になりかねない。
それは、 『一票の格差』 なんかより
もっと重要な事ではないのか?と思うのだが。