最近、
ある資格を取ってみようかと、勉強を始めた。
正直、
勉強は昔から嫌いだ。
とくに、学生時代の暗記型の勉強が嫌い。
意味も分からず、ただ暗記し、その解答を答案用紙に羅列していく。
こんな、無意味で不毛な作業が嫌いだった。
その昔は、
インターネットなど無かったから、
解らないことがあれば、
図書館なり、本屋で参考書などの『本』を手に入れ、
理解力を高めるしかなかった。
今も、昔も変わらないのは、
塾も含めて、教師は生徒の理解力を高める為の、
『説明力』に乏しいところか?
特に『解らない』事に対する時間を割くのを嫌う傾向は、
今も、昔も変わっていない。
一つ、大きく変わったのは、
『インターネット』を使えば、
個人でも、大学レベルの学門書ですらタダで手に入る事だ。
これなら、やる気さえあれば、時間は掛かっても理解する事ができる。
さて、
勉強を始めて最初に躓くのが、
説明文に出てくる、専門用語だ。
この、専門用語が理解出来ていないと、
たとえ、答えを見ながら解答出来たとして、
その実は全く身についていない。
それどころか、
暗記で覚えた公式をもって、
問題が解けた事で、
あたかも理解できた様な 『錯覚』 に陥ってしまう。
じゃあ、理解する為にはどうするか?
ネットで、その『専門用語』を検索すると、
数千の解答が一瞬で出ては来るが、
その、説明文にある、別の専門用語で躓く為、
また検索するという、途方もないプロセスを追うことになる。
例えば、問題集などを解いていくとすると、
普通、授業などではサラッと15分程度で流す問題を、
丸一日掛けて理解する事になるが、
それが、本来の勉強なのでは無いだろうか?
理解できていない問題を、
理解できたような錯覚にさせるのは、無意味じゃないだろうか?
理解するには、
当然、膨大な時間と労力が必要になる。
本人の、やる気がなければ到底出来ない事だろう。
しかし、
暗記と違って、理解した問題は、忘れていかないのではないだろうか?
小学校の問題が解けない大人が結構いるとメディアなどで報じられる事がある。
その大人も、小学生の頃は解けていた問題だろう。
単純な、分数の割り算であっても、
なぜ、右側の分子分母をひっくり返すと、
掛け算になるのかを説明できる人は少ないだろう。
その考え方が、詰め込みであり、暗記型の勉強なのだ。
ところで、
勉強を続けていると、『頭が痛くなる』事がある。
『緊張型頭痛』と言うらしいが、
長時間、姿勢を固めている事で、筋肉が緊張し、
血流が悪くなるから起こると言われているが、
勉強を始めると痛くなり、止めると収まると言うのは理屈に合わない
結局のところは医学的に、よく解っていないのが現状らしい。
しかし、
考え様によっては、
人間は『適応する生き物』なのだから、
勉強をする事で、
脳内で、シナプスだけでは無い、血管などが拡張する為、
痛みが起きてるのではないか?と思っている。
筋肉を動かせば、筋肉痛になるのと似ているのではないかと。
だから、
頭痛が始まったら、とりあえず、勉強はしない。
で、
しばらくすると、拡張工事が終わるので、再開する。
これは、
昔から感じていたことだが、
勉強した後、
その時は、いまいちピンと来なくても、
何日か後に読み返すとスラスラ理解できたりする。
その、脳内工事のスピードが頭の良さではないか?と考えている。
だが、ここで間違っちゃいけないのが、
勉強=暗記ではなく、
勉強= 『頭が痛くなる程考える事』 だということだ。