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明日、やろうかな・・・

思い立ったが吉日というが、ちょっと始めては、すぐ他の事に興味をもってしまう。
そんな日々のメモ帳。

後悔先に立たず

2018-05-29 | 戯言

よく言われる、

『あの時、あぁしていれば・・・』

とか

『あんな事するんじゃなかった・・・』

とか

後悔をするとはよくある事。


『昔のあの時に戻ったら、絶対にこうするのに!』


などと考える事もあるが、


実際に戻ったとして、

本当に別の選択を出来るのだろうか?



その時に取った行動は、

その場に置いて最良だと感じていたはず。



総合的に判断すれば、恐らく同じ結果になるはずだ。



では、なぜ後悔するのか?



それは、総合的な部分をすっかり忘れ、

結果だけを覚えているからではないだろうか?



過去の自分の判断に不安を感じてしまっていると、

現在の自分も信じられなくなってしまう。



今の自分をもっと信頼できれば、

後悔する事も少なくなるのではないだろうか。


ただし、反省は必要。


ハラスメント&ハラスメント

2018-05-11 | 戯言
一般的に

嫌な事を言われたり、

嫌な行為をされる事を

『ハラスメント』というらしいが、

セクハラだの

パワハラだの

モラハラだの

とにかく、

嫌な思いをすれば、

『ハラスメント』が成り立つ。



だが、

世の中、

嫌な事を言われないなんて事は

あり得ない。


生きていれば

嫌な言動、行動、事象、現象なんて腐るほどあるし


そもそも、


受け取る本人の気持ち一つなんだから、

発する側より、

受け取る側次第という事になる。



そのうち、

『ハラスメント×ハラスメント』なんて事になりかねない。



苛めもそうだが、

如何に上手く受け流せるか?で、

毎日がより良くなる様な気がする。


もし、

自分に身の危険を感じた時は、

死ぬ気で抵抗するべきだ。

誰かが守ってくれるなんてのは幻想なのだから。

マスコミの思考回路

2018-03-17 | 戯言
新聞やテレビ、週刊誌など

記事を書いて世の中に意見を広めようとしている者


全くのデタラメや、

嘘記事であれば、誰も気にすることは無いが、

そこには必ず事実が織り交ぜてある。


ある記者にインタビューを受けたことが有る。

その時のやりとりで、


『これは、こうゆう事なんですよね?』

『この時はこのような事だったのですか?』


一見、確認しているだけの様な言葉だが、


正確には違うと言う事を繰り返し説明すると、


渋い顔をしていたのが印象に残っている。


恐らく、


記者の中では、

読み手にとって面白いと思う

考えていたストーリーがあって、

それに合致するような『言質』が欲しかったのだろう。


ただ、『言質』を取るならまだいいが、


話した内容を切り取って、

その一文を繰り返し、もしくはタイトルとして使う事で、

自分のストーリーに合致させようとする記事もある。


こういった手法は今に始まった事ではないが、

最近は特に酷くなった気がする。


彼らにとって、『真実』とは

自分が信じたい真実なのだろうか?


何かを公にしたいのなら、

一方の考えだけではなく

多方向の考えも

同時に公けにする事でしか真実は見えてこない。




「失敗しない」はあり得るのか?

2016-11-26 | 戯言
「私、失敗しないので。」

そんなセリフを言うドラマがあるが、

実際に失敗しないのは、あり得るのか?



個人的見解からすれば、



それは、あり得無い。



なぜなら、

人間は必ず失敗する生き物だからだ。



しかし、

結果的に失敗しない事は有る。



仕事でも、

ミスが多い人、

少ない人がいる。



どちらも失敗する確率で言えば同じだろう。



この両者の大きな違いは何か?



それは、



『リカバリー』



失敗をしたとしても、

いかに、リカバリー出来るかで結果が大きく変わる。



何か不測の事態が起きた時、

その場で、どの様に解決し、

また、

そのイレギュラーを想定しながら、

仕事を進めているか否かの違いだ。


「私、失敗しないので。」は、


失敗する事を恐れず、

常に、失敗する事を考え、

その対策を考える事で、

実現できるはずだ。


無駄で意味の無い事は人生に必要か?

2016-09-24 | 戯言

現代社会において、

『効率化』や

『無駄の排除』は

当たり前。


では、


人生において、

日常、生活する中で、

『無駄』や『意味のない事』は

不必要なのだろうか?


よく、


一円でも安く買う為、

広告を見て、

ネットを見て、

労力を惜しまず、

時間を掛けて、

安い買い物をする事を努力する人がいるが、


実際には、


移動費用だったり、

送料だったり、

長い時間待たされたり、

気付かない程度の『無駄』をしている。


しかし、


事、買い物だけで言うならば、

商品を、『一円でも安く』手に入れるという

ゲームを楽しんでいる様なもので、


それが、


無駄かどうかは、

大きな問題では無い。


または、


テーマパークなどに行って、

着ぐるみや建物をバックに写真を撮ったり、


無駄に高いランチを食べ、

それをネットにアップしたり、


『無駄だ』と言い切ってしまえば、

それまでの様な事が多い。


しかし、



『無駄は不必要』なのだろうか?



傍から見れば、

無駄な事、

意味のない事をしている様に見える人たちは、

何故か、

とても楽しんで、

いきいきとしている様に見える。


それを見ていると、

無駄を全て排除して、

効率の良い生活だけをしていると、

とても、つまらない人生になってしまう気がする。



人は、

くだらなくて、

意味のない、

無駄な事をする為に、

効率的に生きているのかもしれない。