「義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」 という長いお芝居のさいしょの部分です。
ここでは「義経千本桜」(よしつね せんぼんざくら)の一段目と二段目の前半の解説を書きます。
まず、よく出る二段目の前半部分、「鳥居前」の説明を書きます。
一段目については下のほうに書きます。
「鳥居前」は短い幕ですが、舞台面が派手で登場人物が多彩で楽しいので、ここだけ単独でも出る人気演目です。
現行通し上演でも、一段目はカットしてここから始めるのが通例です。
というわけで、この場面までのお話は下の一段目を読めばわかるのですが、読むの大変でしょうからここにもさくっと書きます。
浄瑠璃とセリフで一応説明があるのですが、聞き取れない可能性が高いです。
源平の戦が終わって平家が滅び、今は源氏の世の中です。
がんばって平家を滅ぼした義経ですが、兄の頼朝は義経の兵力を警戒、自分に歯向かうのではないかと疑心暗鬼になります。
必死に誤解を解こうとする義経ですがさまざまな努力むなしく、住まいである堀川御所に頼朝の命を受けた討手が攻め寄せます。
なんとか本格的な戦闘を避けて相手を追い返し、和睦への道を探ろうとする義経ですが、家来の武蔵坊弁慶が暴走します。
討手の大将である土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)その他の首を討ち取ります。
現時点での和睦は不可能と判断した義経、身を守り、かつ時間を稼いで事態の好転を図ろうと、都を立ち退きます。
義経の長い放浪生活のはじまりです。
というわけで「鳥居前」です。
都のはずれ、伏見稲荷神社の鳥居前が舞台です。
逃げてきた義経一行が家来たちとひと休みしています。
そこに義経の愛妾、静御前(しずかごぜん)が追いつきます。
一緒に連れていってほしいと頼む静ですが、あぶないからダメ。
奈良の多武の峰のお寺に隠れる予定だし、あそこ女人禁制だから女連れて行けないし、ダメ。
そうこうするうちに弁慶も追いつきます。
弁慶は堀川御所で敵の大将、海野太郎(うんの たろう)と土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)と闘って討ち取っていたので遅れたのです。
敵の大将を殺したのですから「いい仕事」したつもりの弁慶、褒めてもらえるものと思って意気揚々としていますが、
義経にすれば「お前のせいで逃げてるんだよ俺は!!」です。いいメイワクです。帰れ!!
なので持っている扇で弁慶をバシバシ叩いて怒ります。
義経に言われてやっと自分の間違いに気付いた弁慶。ボロボロ泣いておわびをします。
だって、リクツではそうだけど、目の前に敵が攻めてきて、主君を殺そうとしたら、闘わないわかに行かない、と主張する弁慶。
まあ気持ちはわかります。
静も一緒におわびをしてくれます。
さらに、義経がたいへん頼りにしている家来に、佐藤四郎兵衛忠信(さとうの しろうびょうえ ただのぶ)という人がいるのですが、
彼が今、母親の病気で出羽(秋田)に里帰り中なので、ちょっと心細いのです。
頭数は多いほうがいいから、という周囲の口ぞえもあって、弁慶もみんなと一緒に行けることになります。
今度は静が「一緒に行きたい」と頼む番ですが、これは却下されます。
多武の峰に行くなら女はダメだし、もしかしたら船で九州行くかもだから、難破したら危険だし。
「平家物語」によると、じっさいは義経は九州に行こうとするのに馬が何十頭も乗るようなかなり巨大な船を使い、
きれいなお姉さんも何人も船に乗せたらしいですが、もちろんお芝居には関係ありません。
まあ史実言うと、義経、かなり頼朝相手に「やる気」だったみたいですし(お芝居には関係ないです)。
さて、義経はりっぱな鼓(つづみ)を持っています。「初音の鼓(はつねのつづみ)」と言います。
「初音の鼓」については、詳しくは下にある一段目の説明に書きました。「院の御所」のところなのではじめのほうです。
白河上皇(しらかわ じょうこう)からいただいた大事な鼓ですが、
義経はこれを打てない事情があります。なので持っていてもしかたがありません。
これを預けるから、自分だと思って大事にしなさい。
落ち着いたら連絡するから都でおとなしくしてなさいと静に言う義経ですが、
ひとりにされるならこの場で死ぬと泣く静。
しかたないので鼓に巻かれた紐(「しらべ」といいますよ)をほどいて、その紐で静を、鳥居の前の桜の木に縛り付けます。
身動き取れなければ死ねないので。
出発前に伏見稲荷に参詣しようということで、一行は一度境内に入ります。
ここに、討手の「逸見の藤太(はやみの とうた)」が家来とともにやってきます。
藤太は道化役なので、いろいろ面白いことを言ったりやったりします。
藤太は義経を追ってきたのですが、でも弱いので戦闘はしたくないなと思っています。
どっちかというと近くに茶屋があるなら一休みしてなにか食べたいとか思っています。つまりやる気ないです。
と、ふと見たら、
縛られた美女、しかも義経の愛人の静御前がいるのです。しかも初音の鼓まで一緒ですよ。嬉しすぎです。
レベルMAXのアイテムがまとめて落ちてる状態ですよ。周囲にモンスターもいない!!
喜んで全てを回収して帰ろうとします。
しかしそう上手くはいかず、どこからともなく強そうなお兄さんが出てきて一行を追い散らします。
この人はさっき話題に出てきた、義経の家来の佐藤四郎忠信(さとうの しろうただのぶ)です。
出羽から戻ってきていたのです。
藤太の家来たちと忠信との立ち回りは中盤の見せ場です。
逃げようとした藤太は不思議な力で引き寄せられ、
文楽だと鼓を取り返されて殺されてしまうのですが、歌舞伎ですとふつうに逃げていきます。
じつは、この忠信は本物ではなく、狐が化けているのです。
ここではそういう説明はなく、真実が明らかになるのは四段目なのですが
忠信の動きを見ていると、ところどころが狐っぽかったり不思議な力を使ったりしています。
「客はわかって見ている」ことを前提に歌舞伎というのは演出されていますから解説で隠す必要もありません。
どんどんネタバレしていきます。
忠信が狐とは知らない静はおお喜び、戻ってきた義経も喜んで忠信を褒めます。
そして静を守った褒美として、自分の着背長(きせなが)を与えます。着背長というのは、大将が着る上半身全部を覆うタイプのりっぱな鎧を言います。
さらに、自分の名前、「源九郎(げんくろう)」も与えます。
今後は「源九郎忠信(げんくろう ただのぶ)」と名乗り、自分の代わりに静を守れ、と頼みます。
これは、ぶっちゃけていえば、言霊信仰が強かった時代ですから、名前を与える=その人になり代わる くらいの意味を持つと思います。
つまり静に「いろんな意味で、心身両面で、忠信を自分だと思いなさい」と言っているのだと思います。きわどい内容です。
しかし、お芝居を見るときはそういう裏の意味は頭のはしっこをかすめさせる程度にして、
「静を守れ」という表面的な意味だけを受け取って楽しむのがオトナの見かたかなと思います。
最後に別れを惜しむ義経と静です。
でももう時間がありません。ふたりをそれぞれ押しとどめる、弁慶と忠信。
この場面も、いろいろな種類の恋愛感情を感じ取ることができる場面ですし、そういうことが意識できるような演出になっていると思いますが、
実際に「恋人」として見ればいいのは義経と静だけであって、あとの組み合わせはふつうに「主従の関係」として見ればいいのです。
こういう裏の意味はあるのかもしれないけど、知らん顔して見ていればいいんだよ、みたいなところが、江戸歌舞伎のあざとさだと思います。
義経退場。悲しむ静。
静も泣く泣く花道を退場します。
残った忠信が、さいごに「狐六法(きつねろっぽう)」という独特の動きかたで退場します。
幕です。
下に一段目も書きましたのでよろしければどうぞ。
=「千本桜」もくじへ=
=50音索引に戻る=
一段目です。
一段目は
・院の御所
・堀川御所
・嵯峨野庵室(さがの あんじつ) の3幕からなりますが、今はまったく出ません。文楽だと出るかもしれません。
一応二段目からでも話はつながるのと、セリフの多い場面が多く今日びの客には退屈であること、
似た趣向が他のお芝居にもあって、そっちのほうが面白いこと、などが上演しない理由かと思います。
とはいえ、やはり、後半の内容につながる部分がいくつもあるので、チェック入れておくに越したことはないです。
・院の御所
平家滅亡の直後です。安徳帝(あんとくてい 8歳)は平家が連れて都落ちして壇ノ浦(この作品内では八島の合戦)の戦いで死にました。
なので後白河院の孫から新しい天皇を選びました。
なので今は後白河院が(都の)政治の実権を握っています。
というわけで「院の御所」は事実上「大内裏(だいだいり)」として機能しています。
義経が院に呼ばれて参内(さんだい)し、院の求めに応じて八島の合戦の様子を語ります。
これは、義経による「ものがたり」という一種の劇中劇であり、聞かせどころになります。
全段通してこのお芝居はタイトルのわりに義経の存在感が薄いので、ここを出すと武将らしくかっこいいですし、インパクトあると思いますが、
出ないものはしかたないです。
ここで、敵の平家の武将である「能登守教経(のとのかみ のりつね)」が義経に矢を射かけ、義経の家来、佐藤次信(さとう つぎのぶ)が、義経をかばって矢に当たって死んだ事が語られます。勇壮な場面です。
この場面は、後半に出る所作(踊りね)、=道行初音旅(みちゆき はつねのたび)=でも語られるのですが、
所作(しょさ、踊りね)のほうでは清元と義太夫のかけあいで語られるのと、そもそもメインは踊りなのでセリフとしては聞き取りにくいです。
この場面での義経の語りのほうがわかりやすいはずです。
あと、これをお芝居のはじめの場面で義経が語ることで、義経が佐藤次信とその弟の忠信(ただのぶ)とに深い思い入れを持っていることが見る側に伝わると思います。
出ないんだからしかたないですが。
左大臣の、悪役の藤原朝方(ふじわらの ともかた)が、義経と頼朝との不仲の事などいろいろイヤミを言います。
院退場
あれこれあって(割愛)、
朝方が鼓を持って登場します。これが「初音の鼓(はつねの つづみ)」です。
霊力のある狐の皮で作られており、雨乞いに絶大な威力を発揮します。宮中の宝物のひとつです。
義経は以前から欲しがっていたのです。
一応欲しがる理由も語られます。これ使って戦のときに天気を自由にあやつれたら有利だろう、ということです。
やみくもに宝物を欲しがったわけではありません。
後白河院はただ義経の求めに応じて鼓をくれたのですが、朝方が、勝手に「院宣(いんぜん)」をでっちあげます。
「院宣」は、院(帝に匹敵する)からの命令なので、絶対に逆らえません。
しかも天皇に「ほんとにそれ言った?」と直接確認することはできませんから、
「でっちあげ」だとわかっていても「イヤ」とは言えないのです。ひどい。
鼓を下さるということは、鼓を「打て」ということである。「打て」とは、つまり兄の頼朝を「討て」ということである。という朝方。
「はい」とは言えない義経。でも「イヤ」と言ったら朝廷の命令に背くことになるので「イヤ」とも言えません。
とりあえず、「鼓はいただきますが、打ちません、手も触れません」と言って、義経は退場します。
この幕は、セリフさえ聞き取れるなら通し上演では出したほうがいい幕だと思います。義経が主役なことがよくわかりますし、全ての物語の発端ですしー。
「堀川御所」
「堀川御所」は、御所として使われていたこともある建物ですが、今は義経が住んでいます。
なので今は政治的な「御所」の機能はありません。ただの私邸です。
義経の正室、卿の君(きょうのきみ)に元気がないので今日は宴会です。義経の愛人である静御前(しずかごぜん)が舞を舞います。
静と卿の君は、正妻と愛人ですが、ムダに仲良しですよ。ああ見ててかえって疲れる。
弁慶は、院の御所で暴れたので義経にしかられて謹慎中です。静に頼んでおわびをします。
「もう勝手に暴れるな」とくぎを刺されます。
そこに、
鎌倉から義経を攻めるために土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)と海野太郎行長(うんのたろう ゆきなが)が上洛してきたとの知らせがありす。
五条あたりに宿をとって潜伏中です。エマージェンシー!! 緊急事態です。
同時に、頼朝の死者として川越太郎(かわごえ たろう)が義経の館にやってきます。
川越太郎は頼朝に代わって、いろいろ義経の行動の疑問点を追及します。
・まず平家の残党の何人かが「まだ生きている」ことについて詰問されます。
平知盛(たいらの とももり)、
能登守教経(のとのかみ のりつね)、
平維盛(たいらの これもり)
の3人です。どれも平家の中で重要な人物です。
知盛と教経は、ともに総大将として源氏をおびやかした存在ですし、維盛はとくに実績はないですが、非常に人望があった平重盛(たいらの しげもり)の息子なので、今も味方が多いです。
そしてこの3人が、このお芝居の今後の展開の、それぞれ中心人物たちです。
この3人について、義経は彼らが生きている事を知りながら、にせ首を頼朝に渡して「死んだ」と嘘を言ったのです。なぜだ!!
義経の言い分は、
3人が生きていることは知っている。しかし、今は源氏の世にはなったけれど、平家の残党は非常に多い。
社会的影響力の大きいこの3人が生きていることがわかれば、それを押し立てて挙兵するやからも出てくるだろう。
なので、表向きは「死んだ」と言っておいたほうがいいのだ。
今、部下の伊勢三郎や片岡八郎なんかを休暇と偽って諸国に派遣して探させているから大丈夫。
というものです。
つまりこの場面で、以降の登場人物について、彼らと義経との関係について、ひと通りの説明があるのです。
ここがあると後の段がわかりやすいです(セリフ聞き取れれば)。
・次に、
院より「初音の鼓」を受け取ったそうだが、「打て」という院宣を受け取ったということは、やはり頼朝に歯向かう気だろう、と言われます。
左大臣の藤原朝方が、自分で鼓を渡しておいて、裏でわざわざ川越太郎にチクったのです。腹黒すぎです。
これについては、「院の御所」のときと同じ説明を義経がします。
「院宣にはそむけないから受け取ったが、打つ気はない。手も触れていない」。
平伏して感心する川越太郎。
ここまでは丸くおさまりますよ。
しかし
・義経の奥さんの卿の君は平家一門、平時忠(たいらのときただ)の娘です。平家の人間です。
敵の娘を嫁にするなんて、源氏に弓を引く気だろう、
という突っ込みには返答しにくいです。
義経が平時忠の娘を側室のひとりにしたのは史実なのですが、まあ、どう考えても褒めた話ではありません。
ところが、作品内設定、じつは卿の君は、この川越太郎の娘なのです。平時忠の養女になっていただけなのです。
というわけでこの作品内ではべつに卿の君を嫁にしても問題はないのですが、
疑心暗鬼に陥っている頼朝にそんな話したら、逆に「義経が娘のダンナだからかばうんだろう」と川越太郎が疑われかねない状況なのです。
しかたなく、腹を切ろうとする川越太郎ですが、それをとどめた卿の君が、板ばさみの立場にたまりかねて自害します。
たしかに卿の君が死んでしまえば問題は解決です。
表向き名乗りあうことはできないままに、そっと親子の別れをする川越太郎と卿の君。
そこに
土佐坊一味が待ちきれずに討ち入ってきます。もう来たのかー。
相手は兄である頼朝の家来です。下手に戦をすると「やっぱり歯向かうんだな」と言われてしまいます。
怪我させないように追い払え、と義経が命令した、それより早く、
弁慶が飛び出して大暴れをはじめます。やめろって言ったばかりなのに!!
そして弁慶は相手の大将のひとり、海野太郎を殺してしまいます。
もうしかたないので、とりあえず本格的な戦だけは避けるために逃げることにする義経。
卿の君はムダ死にです。悲しい話です。
暴れながら意気揚々と帰ってきた弁慶ですが、館にはもう誰もいません。自分が何をしたかわかっていない弁慶。
とりあえず義経一行の後を追います。
場面としては、ここから二段目に続きます。
この段は、このお芝居限定の設定が多く使われており、またお話の核である卿の君と川越太郎が、以降出ませんので、カットしてもたしかに問題はありません。
内容的にも、ほとんど同じ状況を扱った「御所桜堀川夜討(ごしょざくら ほりかわようち)」の三、四段目のほうが断然面白いですし。
とはいえ、後の段に出てくる登場人物たちと義経の関係がざっと説明されるので、たまには出せばいいのになとも思います。
「嵯峨野庵室」さがの あんじつ
「平維盛(たいらのこれもり)」は、平家が滅ぶ前に、すでに自分の行く末を悲観して平家の陣営を抜け出して熊野で出家し、
その直後に入水(じゅすい)して死んでおります。
お芝居でも一応この設定は引き継がれています。
維盛の奥方の「若葉の内侍(わかばのないし)」は、平家の滅亡後は嵯峨野に逃げ、
昔のよしみがある年取った尼さんが住む、とある庵(いおり)に、6歳の息子の「六代君(ろくだいぎみ)」と一緒に隠れ住んでいます。
今日は維盛さまの父親にあたる「平重盛(たいらの しげもり)」の命日です。
重盛の絵姿を取り出して、若葉の内侍も昔を思わせる美しい十二単を着て、お経をあげて回向(えこう、死者の冥福をお祈り)をします。。
重盛は清盛の長男でした。平家一門きっての人格者であり(「平家物語」内設定)、清盛の暴走を止められる唯一の人物だったのですが、死んでしまいました。
源平の戦が始まる少し前のことです。重盛の死は平家の弱体化の一因出会ったことは確かです。
重盛さまが生きていれば平家も滅びなかったし、自分も維盛もこんな目にあわなかったのに、と悲しむふたりです。
そこに、最近このへんも風紀が悪くて隠れ売春とかあるそうなので、と見回りの徒歩(あるき、役所の手下の巡回監視の人)がやってきます。
庵室の主である尼さんが、すばやく母子を隠しててきとうに追い返します。
さらに、用もないのに菅笠(すげがさ)売りがやってきますよ。
と思ったらそれは、家来の「主馬の小金吾(しゅめの こきんご)」でした。
維盛さまはじつは生きているらしい。熊野にいるらしいから、六代君を連れて行ってあわせてあげよう、という小金吾です。
喜んで一緒に行きたいという若葉の内侍。
と、そこに若葉の内侍を捕まえようと討手がやってきます。
さっきの徒歩(あるき)は、じつは悪役の左大臣「藤原朝方(ふじわらの ともかた)」の手先だったのです。
朝方は若葉の内侍に横恋慕しています。
なんとか仏壇の下に隠れた母子。小金吾にだまされて外に出て行く追っ手の一行。
残った兵隊を小金吾がやっつけて、母子は小金吾と共に熊野に向かいます。
ここから、四段目の=木の実・小金吾討ち死=に続きます。
…こんな詳しく書くほどの内容じゃねえな…。絶対出ないし…。
ただ、
若葉の内侍が、舅の平重盛(たいらの しげもり)の絵姿を仏間にかけるシーンがあります。
ここで「維盛さまにそっくり」というセリフもあります。
四段目の「木の実」「すし屋」で、主人公の権太が身分を隠している維盛さまの素性に気付くための小道具として、この絵姿が使われるので、
そういう意味ではあったほうがいい幕かなと思います。
とはいえ、最近は「「絵姿」に関するセリフそのものを全部カットすることも多いので、やはりもういらないかもしれません。
このお芝居全体が「平家物語」をたいへん大切にして作られたものだと思うのですが、
その「平家物語」の中で最高の巻とされているのが、物語の最後の「灌頂の巻(かんじょうのまき)」です。
清盛の娘であり安徳帝の母親である健礼門院(けんれいもんいん)が、京都大原野で出家して庵室に住まい、
滅びた平家一族のことを思い、仏法の因果や人の運命に思いをはせる、格調の高い場面です。
この「嵯峨野庵室」の幕はその「灌頂の巻」を意識して書かれたのではないかなとワタクシは思います。
そういう意味ではとても大切な部分だと思います。
=「千本桜」もくじへ=
=50音索引に戻る=
ここでは「義経千本桜」(よしつね せんぼんざくら)の一段目と二段目の前半の解説を書きます。
まず、よく出る二段目の前半部分、「鳥居前」の説明を書きます。
一段目については下のほうに書きます。
「鳥居前」は短い幕ですが、舞台面が派手で登場人物が多彩で楽しいので、ここだけ単独でも出る人気演目です。
現行通し上演でも、一段目はカットしてここから始めるのが通例です。
というわけで、この場面までのお話は下の一段目を読めばわかるのですが、読むの大変でしょうからここにもさくっと書きます。
浄瑠璃とセリフで一応説明があるのですが、聞き取れない可能性が高いです。
源平の戦が終わって平家が滅び、今は源氏の世の中です。
がんばって平家を滅ぼした義経ですが、兄の頼朝は義経の兵力を警戒、自分に歯向かうのではないかと疑心暗鬼になります。
必死に誤解を解こうとする義経ですがさまざまな努力むなしく、住まいである堀川御所に頼朝の命を受けた討手が攻め寄せます。
なんとか本格的な戦闘を避けて相手を追い返し、和睦への道を探ろうとする義経ですが、家来の武蔵坊弁慶が暴走します。
討手の大将である土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)その他の首を討ち取ります。
現時点での和睦は不可能と判断した義経、身を守り、かつ時間を稼いで事態の好転を図ろうと、都を立ち退きます。
義経の長い放浪生活のはじまりです。
というわけで「鳥居前」です。
都のはずれ、伏見稲荷神社の鳥居前が舞台です。
逃げてきた義経一行が家来たちとひと休みしています。
そこに義経の愛妾、静御前(しずかごぜん)が追いつきます。
一緒に連れていってほしいと頼む静ですが、あぶないからダメ。
奈良の多武の峰のお寺に隠れる予定だし、あそこ女人禁制だから女連れて行けないし、ダメ。
そうこうするうちに弁慶も追いつきます。
弁慶は堀川御所で敵の大将、海野太郎(うんの たろう)と土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)と闘って討ち取っていたので遅れたのです。
敵の大将を殺したのですから「いい仕事」したつもりの弁慶、褒めてもらえるものと思って意気揚々としていますが、
義経にすれば「お前のせいで逃げてるんだよ俺は!!」です。いいメイワクです。帰れ!!
なので持っている扇で弁慶をバシバシ叩いて怒ります。
義経に言われてやっと自分の間違いに気付いた弁慶。ボロボロ泣いておわびをします。
だって、リクツではそうだけど、目の前に敵が攻めてきて、主君を殺そうとしたら、闘わないわかに行かない、と主張する弁慶。
まあ気持ちはわかります。
静も一緒におわびをしてくれます。
さらに、義経がたいへん頼りにしている家来に、佐藤四郎兵衛忠信(さとうの しろうびょうえ ただのぶ)という人がいるのですが、
彼が今、母親の病気で出羽(秋田)に里帰り中なので、ちょっと心細いのです。
頭数は多いほうがいいから、という周囲の口ぞえもあって、弁慶もみんなと一緒に行けることになります。
今度は静が「一緒に行きたい」と頼む番ですが、これは却下されます。
多武の峰に行くなら女はダメだし、もしかしたら船で九州行くかもだから、難破したら危険だし。
「平家物語」によると、じっさいは義経は九州に行こうとするのに馬が何十頭も乗るようなかなり巨大な船を使い、
きれいなお姉さんも何人も船に乗せたらしいですが、もちろんお芝居には関係ありません。
まあ史実言うと、義経、かなり頼朝相手に「やる気」だったみたいですし(お芝居には関係ないです)。
さて、義経はりっぱな鼓(つづみ)を持っています。「初音の鼓(はつねのつづみ)」と言います。
「初音の鼓」については、詳しくは下にある一段目の説明に書きました。「院の御所」のところなのではじめのほうです。
白河上皇(しらかわ じょうこう)からいただいた大事な鼓ですが、
義経はこれを打てない事情があります。なので持っていてもしかたがありません。
これを預けるから、自分だと思って大事にしなさい。
落ち着いたら連絡するから都でおとなしくしてなさいと静に言う義経ですが、
ひとりにされるならこの場で死ぬと泣く静。
しかたないので鼓に巻かれた紐(「しらべ」といいますよ)をほどいて、その紐で静を、鳥居の前の桜の木に縛り付けます。
身動き取れなければ死ねないので。
出発前に伏見稲荷に参詣しようということで、一行は一度境内に入ります。
ここに、討手の「逸見の藤太(はやみの とうた)」が家来とともにやってきます。
藤太は道化役なので、いろいろ面白いことを言ったりやったりします。
藤太は義経を追ってきたのですが、でも弱いので戦闘はしたくないなと思っています。
どっちかというと近くに茶屋があるなら一休みしてなにか食べたいとか思っています。つまりやる気ないです。
と、ふと見たら、
縛られた美女、しかも義経の愛人の静御前がいるのです。しかも初音の鼓まで一緒ですよ。嬉しすぎです。
レベルMAXのアイテムがまとめて落ちてる状態ですよ。周囲にモンスターもいない!!
喜んで全てを回収して帰ろうとします。
しかしそう上手くはいかず、どこからともなく強そうなお兄さんが出てきて一行を追い散らします。
この人はさっき話題に出てきた、義経の家来の佐藤四郎忠信(さとうの しろうただのぶ)です。
出羽から戻ってきていたのです。
藤太の家来たちと忠信との立ち回りは中盤の見せ場です。
逃げようとした藤太は不思議な力で引き寄せられ、
文楽だと鼓を取り返されて殺されてしまうのですが、歌舞伎ですとふつうに逃げていきます。
じつは、この忠信は本物ではなく、狐が化けているのです。
ここではそういう説明はなく、真実が明らかになるのは四段目なのですが
忠信の動きを見ていると、ところどころが狐っぽかったり不思議な力を使ったりしています。
「客はわかって見ている」ことを前提に歌舞伎というのは演出されていますから解説で隠す必要もありません。
どんどんネタバレしていきます。
忠信が狐とは知らない静はおお喜び、戻ってきた義経も喜んで忠信を褒めます。
そして静を守った褒美として、自分の着背長(きせなが)を与えます。着背長というのは、大将が着る上半身全部を覆うタイプのりっぱな鎧を言います。
さらに、自分の名前、「源九郎(げんくろう)」も与えます。
今後は「源九郎忠信(げんくろう ただのぶ)」と名乗り、自分の代わりに静を守れ、と頼みます。
これは、ぶっちゃけていえば、言霊信仰が強かった時代ですから、名前を与える=その人になり代わる くらいの意味を持つと思います。
つまり静に「いろんな意味で、心身両面で、忠信を自分だと思いなさい」と言っているのだと思います。きわどい内容です。
しかし、お芝居を見るときはそういう裏の意味は頭のはしっこをかすめさせる程度にして、
「静を守れ」という表面的な意味だけを受け取って楽しむのがオトナの見かたかなと思います。
最後に別れを惜しむ義経と静です。
でももう時間がありません。ふたりをそれぞれ押しとどめる、弁慶と忠信。
この場面も、いろいろな種類の恋愛感情を感じ取ることができる場面ですし、そういうことが意識できるような演出になっていると思いますが、
実際に「恋人」として見ればいいのは義経と静だけであって、あとの組み合わせはふつうに「主従の関係」として見ればいいのです。
こういう裏の意味はあるのかもしれないけど、知らん顔して見ていればいいんだよ、みたいなところが、江戸歌舞伎のあざとさだと思います。
義経退場。悲しむ静。
静も泣く泣く花道を退場します。
残った忠信が、さいごに「狐六法(きつねろっぽう)」という独特の動きかたで退場します。
幕です。
下に一段目も書きましたのでよろしければどうぞ。
=「千本桜」もくじへ=
=50音索引に戻る=
一段目です。
一段目は
・院の御所
・堀川御所
・嵯峨野庵室(さがの あんじつ) の3幕からなりますが、今はまったく出ません。文楽だと出るかもしれません。
一応二段目からでも話はつながるのと、セリフの多い場面が多く今日びの客には退屈であること、
似た趣向が他のお芝居にもあって、そっちのほうが面白いこと、などが上演しない理由かと思います。
とはいえ、やはり、後半の内容につながる部分がいくつもあるので、チェック入れておくに越したことはないです。
・院の御所
平家滅亡の直後です。安徳帝(あんとくてい 8歳)は平家が連れて都落ちして壇ノ浦(この作品内では八島の合戦)の戦いで死にました。
なので後白河院の孫から新しい天皇を選びました。
なので今は後白河院が(都の)政治の実権を握っています。
というわけで「院の御所」は事実上「大内裏(だいだいり)」として機能しています。
義経が院に呼ばれて参内(さんだい)し、院の求めに応じて八島の合戦の様子を語ります。
これは、義経による「ものがたり」という一種の劇中劇であり、聞かせどころになります。
全段通してこのお芝居はタイトルのわりに義経の存在感が薄いので、ここを出すと武将らしくかっこいいですし、インパクトあると思いますが、
出ないものはしかたないです。
ここで、敵の平家の武将である「能登守教経(のとのかみ のりつね)」が義経に矢を射かけ、義経の家来、佐藤次信(さとう つぎのぶ)が、義経をかばって矢に当たって死んだ事が語られます。勇壮な場面です。
この場面は、後半に出る所作(踊りね)、=道行初音旅(みちゆき はつねのたび)=でも語られるのですが、
所作(しょさ、踊りね)のほうでは清元と義太夫のかけあいで語られるのと、そもそもメインは踊りなのでセリフとしては聞き取りにくいです。
この場面での義経の語りのほうがわかりやすいはずです。
あと、これをお芝居のはじめの場面で義経が語ることで、義経が佐藤次信とその弟の忠信(ただのぶ)とに深い思い入れを持っていることが見る側に伝わると思います。
出ないんだからしかたないですが。
左大臣の、悪役の藤原朝方(ふじわらの ともかた)が、義経と頼朝との不仲の事などいろいろイヤミを言います。
院退場
あれこれあって(割愛)、
朝方が鼓を持って登場します。これが「初音の鼓(はつねの つづみ)」です。
霊力のある狐の皮で作られており、雨乞いに絶大な威力を発揮します。宮中の宝物のひとつです。
義経は以前から欲しがっていたのです。
一応欲しがる理由も語られます。これ使って戦のときに天気を自由にあやつれたら有利だろう、ということです。
やみくもに宝物を欲しがったわけではありません。
後白河院はただ義経の求めに応じて鼓をくれたのですが、朝方が、勝手に「院宣(いんぜん)」をでっちあげます。
「院宣」は、院(帝に匹敵する)からの命令なので、絶対に逆らえません。
しかも天皇に「ほんとにそれ言った?」と直接確認することはできませんから、
「でっちあげ」だとわかっていても「イヤ」とは言えないのです。ひどい。
鼓を下さるということは、鼓を「打て」ということである。「打て」とは、つまり兄の頼朝を「討て」ということである。という朝方。
「はい」とは言えない義経。でも「イヤ」と言ったら朝廷の命令に背くことになるので「イヤ」とも言えません。
とりあえず、「鼓はいただきますが、打ちません、手も触れません」と言って、義経は退場します。
この幕は、セリフさえ聞き取れるなら通し上演では出したほうがいい幕だと思います。義経が主役なことがよくわかりますし、全ての物語の発端ですしー。
「堀川御所」
「堀川御所」は、御所として使われていたこともある建物ですが、今は義経が住んでいます。
なので今は政治的な「御所」の機能はありません。ただの私邸です。
義経の正室、卿の君(きょうのきみ)に元気がないので今日は宴会です。義経の愛人である静御前(しずかごぜん)が舞を舞います。
静と卿の君は、正妻と愛人ですが、ムダに仲良しですよ。ああ見ててかえって疲れる。
弁慶は、院の御所で暴れたので義経にしかられて謹慎中です。静に頼んでおわびをします。
「もう勝手に暴れるな」とくぎを刺されます。
そこに、
鎌倉から義経を攻めるために土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)と海野太郎行長(うんのたろう ゆきなが)が上洛してきたとの知らせがありす。
五条あたりに宿をとって潜伏中です。エマージェンシー!! 緊急事態です。
同時に、頼朝の死者として川越太郎(かわごえ たろう)が義経の館にやってきます。
川越太郎は頼朝に代わって、いろいろ義経の行動の疑問点を追及します。
・まず平家の残党の何人かが「まだ生きている」ことについて詰問されます。
平知盛(たいらの とももり)、
能登守教経(のとのかみ のりつね)、
平維盛(たいらの これもり)
の3人です。どれも平家の中で重要な人物です。
知盛と教経は、ともに総大将として源氏をおびやかした存在ですし、維盛はとくに実績はないですが、非常に人望があった平重盛(たいらの しげもり)の息子なので、今も味方が多いです。
そしてこの3人が、このお芝居の今後の展開の、それぞれ中心人物たちです。
この3人について、義経は彼らが生きている事を知りながら、にせ首を頼朝に渡して「死んだ」と嘘を言ったのです。なぜだ!!
義経の言い分は、
3人が生きていることは知っている。しかし、今は源氏の世にはなったけれど、平家の残党は非常に多い。
社会的影響力の大きいこの3人が生きていることがわかれば、それを押し立てて挙兵するやからも出てくるだろう。
なので、表向きは「死んだ」と言っておいたほうがいいのだ。
今、部下の伊勢三郎や片岡八郎なんかを休暇と偽って諸国に派遣して探させているから大丈夫。
というものです。
つまりこの場面で、以降の登場人物について、彼らと義経との関係について、ひと通りの説明があるのです。
ここがあると後の段がわかりやすいです(セリフ聞き取れれば)。
・次に、
院より「初音の鼓」を受け取ったそうだが、「打て」という院宣を受け取ったということは、やはり頼朝に歯向かう気だろう、と言われます。
左大臣の藤原朝方が、自分で鼓を渡しておいて、裏でわざわざ川越太郎にチクったのです。腹黒すぎです。
これについては、「院の御所」のときと同じ説明を義経がします。
「院宣にはそむけないから受け取ったが、打つ気はない。手も触れていない」。
平伏して感心する川越太郎。
ここまでは丸くおさまりますよ。
しかし
・義経の奥さんの卿の君は平家一門、平時忠(たいらのときただ)の娘です。平家の人間です。
敵の娘を嫁にするなんて、源氏に弓を引く気だろう、
という突っ込みには返答しにくいです。
義経が平時忠の娘を側室のひとりにしたのは史実なのですが、まあ、どう考えても褒めた話ではありません。
ところが、作品内設定、じつは卿の君は、この川越太郎の娘なのです。平時忠の養女になっていただけなのです。
というわけでこの作品内ではべつに卿の君を嫁にしても問題はないのですが、
疑心暗鬼に陥っている頼朝にそんな話したら、逆に「義経が娘のダンナだからかばうんだろう」と川越太郎が疑われかねない状況なのです。
しかたなく、腹を切ろうとする川越太郎ですが、それをとどめた卿の君が、板ばさみの立場にたまりかねて自害します。
たしかに卿の君が死んでしまえば問題は解決です。
表向き名乗りあうことはできないままに、そっと親子の別れをする川越太郎と卿の君。
そこに
土佐坊一味が待ちきれずに討ち入ってきます。もう来たのかー。
相手は兄である頼朝の家来です。下手に戦をすると「やっぱり歯向かうんだな」と言われてしまいます。
怪我させないように追い払え、と義経が命令した、それより早く、
弁慶が飛び出して大暴れをはじめます。やめろって言ったばかりなのに!!
そして弁慶は相手の大将のひとり、海野太郎を殺してしまいます。
もうしかたないので、とりあえず本格的な戦だけは避けるために逃げることにする義経。
卿の君はムダ死にです。悲しい話です。
暴れながら意気揚々と帰ってきた弁慶ですが、館にはもう誰もいません。自分が何をしたかわかっていない弁慶。
とりあえず義経一行の後を追います。
場面としては、ここから二段目に続きます。
この段は、このお芝居限定の設定が多く使われており、またお話の核である卿の君と川越太郎が、以降出ませんので、カットしてもたしかに問題はありません。
内容的にも、ほとんど同じ状況を扱った「御所桜堀川夜討(ごしょざくら ほりかわようち)」の三、四段目のほうが断然面白いですし。
とはいえ、後の段に出てくる登場人物たちと義経の関係がざっと説明されるので、たまには出せばいいのになとも思います。
「嵯峨野庵室」さがの あんじつ
「平維盛(たいらのこれもり)」は、平家が滅ぶ前に、すでに自分の行く末を悲観して平家の陣営を抜け出して熊野で出家し、
その直後に入水(じゅすい)して死んでおります。
お芝居でも一応この設定は引き継がれています。
維盛の奥方の「若葉の内侍(わかばのないし)」は、平家の滅亡後は嵯峨野に逃げ、
昔のよしみがある年取った尼さんが住む、とある庵(いおり)に、6歳の息子の「六代君(ろくだいぎみ)」と一緒に隠れ住んでいます。
今日は維盛さまの父親にあたる「平重盛(たいらの しげもり)」の命日です。
重盛の絵姿を取り出して、若葉の内侍も昔を思わせる美しい十二単を着て、お経をあげて回向(えこう、死者の冥福をお祈り)をします。。
重盛は清盛の長男でした。平家一門きっての人格者であり(「平家物語」内設定)、清盛の暴走を止められる唯一の人物だったのですが、死んでしまいました。
源平の戦が始まる少し前のことです。重盛の死は平家の弱体化の一因出会ったことは確かです。
重盛さまが生きていれば平家も滅びなかったし、自分も維盛もこんな目にあわなかったのに、と悲しむふたりです。
そこに、最近このへんも風紀が悪くて隠れ売春とかあるそうなので、と見回りの徒歩(あるき、役所の手下の巡回監視の人)がやってきます。
庵室の主である尼さんが、すばやく母子を隠しててきとうに追い返します。
さらに、用もないのに菅笠(すげがさ)売りがやってきますよ。
と思ったらそれは、家来の「主馬の小金吾(しゅめの こきんご)」でした。
維盛さまはじつは生きているらしい。熊野にいるらしいから、六代君を連れて行ってあわせてあげよう、という小金吾です。
喜んで一緒に行きたいという若葉の内侍。
と、そこに若葉の内侍を捕まえようと討手がやってきます。
さっきの徒歩(あるき)は、じつは悪役の左大臣「藤原朝方(ふじわらの ともかた)」の手先だったのです。
朝方は若葉の内侍に横恋慕しています。
なんとか仏壇の下に隠れた母子。小金吾にだまされて外に出て行く追っ手の一行。
残った兵隊を小金吾がやっつけて、母子は小金吾と共に熊野に向かいます。
ここから、四段目の=木の実・小金吾討ち死=に続きます。
…こんな詳しく書くほどの内容じゃねえな…。絶対出ないし…。
ただ、
若葉の内侍が、舅の平重盛(たいらの しげもり)の絵姿を仏間にかけるシーンがあります。
ここで「維盛さまにそっくり」というセリフもあります。
四段目の「木の実」「すし屋」で、主人公の権太が身分を隠している維盛さまの素性に気付くための小道具として、この絵姿が使われるので、
そういう意味ではあったほうがいい幕かなと思います。
とはいえ、最近は「「絵姿」に関するセリフそのものを全部カットすることも多いので、やはりもういらないかもしれません。
このお芝居全体が「平家物語」をたいへん大切にして作られたものだと思うのですが、
その「平家物語」の中で最高の巻とされているのが、物語の最後の「灌頂の巻(かんじょうのまき)」です。
清盛の娘であり安徳帝の母親である健礼門院(けんれいもんいん)が、京都大原野で出家して庵室に住まい、
滅びた平家一族のことを思い、仏法の因果や人の運命に思いをはせる、格調の高い場面です。
この「嵯峨野庵室」の幕はその「灌頂の巻」を意識して書かれたのではないかなとワタクシは思います。
そういう意味ではとても大切な部分だと思います。
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歌舞伎の月刊「ほうおう」に書いてある筋書きは、下手な日本語でちんぷんかんぷん。貴兄(貴姉?)の口語訳はすばらしい。
今後も訪れさせていただきます。