明治17年初演の、いわゆる「新作もの」です。
正確には「北条九代名家功(ほうじょうくだい めいかのいさおし)」というタイトルです。
鎌倉幕府の、事実上最後の執権であった「北条高時(ほうじょう たかとき)」が題材の作品です。
明治時代に「活歴」というのが流行りました。歴史上の人物を細かく考証してリアルに描こう、というような運動です。
その一環として作られたののです。
とはいえ高時についてはあまり歴史資料がないらしく、
この作品は「太平記(たいへいき)」に出てくる暴虐な高時像をベースに描かれます。
・北条家門外の場
高時の家来たちがきれいなかざりを付けた強そうな犬を連れて休んでいます。散歩の途中です。
高時は闘犬を好んだという伝承を元にした設定です。
家来たちの会話で基本設定が語られます。
お殿様の高時さまは「田楽」が好きで「法師」たちをたくさん集めて見物する上に自分でも練習して遊んでいる。
闘犬が大好きで強い犬をかわいがり、人間より大事にする。家来の自分たちもお犬様のお供だ。
怪我でもさせたら重罪にするというおふれだ。たいへんなことだ。
というかんじです。
「田楽」というのは食べ物ではなく、田植え祭で豊作を祈るお囃子(おはやし)や踊りから派生した芸能です。
踊りの部分が曲芸に進化しました。この曲芸師たちが「法師」の姿をしていました。「田楽法師(でんがくほうし)」と呼ばれました。
曲芸のうまい田楽法師を大勢お屋敷に集めて見物して遊んでいるということです。
高時が本当にこのように理不尽に犬をかわいがっていたのか、資料はないようです。
どちらかというと「徳川綱吉」の例の「お犬さま」のさわぎのメタファーに見えます。
家来たちがしゃべっていると、男の子とおばあさんがやってきます。
北条家のそばには鶴岡八幡宮があります。そこにお参りしてきた帰りです。
武士の服装をしていますが、みすぼらしいです、どこかの浪人者の母親と子供です。
お犬さまに野良犬が襲いかかり、瞬殺で蹴散らされます。興奮したお犬さまがお婆さんの足にかみつきます。
怒る男の子。
とかやっていると父親の浪人者、「安達三郎(あだち さぶろう)」がやってきて家来たちともめ、
けしかけられたお犬さまを殺します。
「安達三郎」は高時の暴政ぶりに苛立っていたので犬を殺して悔いはないのですが、
家来たちが上役を連れてきます。「長崎次郎(ながさき じろう)」といいます。
安達三郎は連行されることには同意しますが縄で縛られるのを拒否します。争いになり、
けっきょく、母と息子を人質に取られた安達三郎はなすすべなく、3人とも縛られます。
3人を死罪にすると長崎次郎は言い、3人を引いていきます。
この場面おわりです。
設定説明がてら書きましたが、ここは今は出ない可能性があります。
初演時だと、こういういかにも「お芝居」という部分がないと客はついて行きにくかったと思うのですが、
今の客には必要ない部分ではあります。
・北条家奥殿の場
りっぱな御殿のお座敷です。
ときの執権の「北条高時(ほうじょう たかとき)」が酒盛りをしています。
暴君ですからいやな奴という役柄ですが、座って酒盛りをしながら漢詩を朗々と詠じているところはさすがに優雅です。
「酒は天の美禄(びろく)にして、憂いをはらう 玉箒(たまはばき)」
同じ文句を「頼朝の死」で頼家が詠じていたと思うのですが、出典がわかりません。
漢詩風ですが和漢の古典作品には存在しないようです。
愛人の「衣笠(きぬがさ)」や美しい美女たちをはべらせて、今夜は月がきれいだろうから月見の宴をやろうとか会話しています。
ここに前幕の「長崎次郎」がやってきてお犬さまが殺された話をします。
怒り狂った高時は殺した浪人ものを死罪にしろと命じます。
前幕とこの幕の関係性はここだけなので、前幕はなくてもセリフだけで通じると思います。
長崎次郎は性格の悪い残忍な役に描かれています。張り切って死罪を執り行なおうと立ち上がるのですが、
横の部屋から声をかけて、それをとどめる人がいます。
「大仏陸奥守(おおさらぎ むつのかみ)」というひとです。幕府の重臣です。
犬の命を人の命より重んじるような暴政を行えば人心が離れる。というようなことを言って
言葉を尽くして高時をいさめます。
納得して、今後は犬を殺しても死刑にはしないと約束する高時です。
陸奥守も、周囲にいる侍女たちもみな安心します。
しかし、
今回の浪人者はやはり殺すという高時。一度決めたことは変えない。それが君主というものだと言います。
死刑にしないのは次からー。
ここでの高時は、へらへら笑っていて非常に感じが悪いです。もともと陸奥守の話もてきとうにしか聞いていないのです。
高時は性格の悪い暴君ですが、一方で優雅でりっぱなところもあり、魅力的な男でもあります。愛人の「衣笠」もちゃんと高時を愛しています。
ただの悪人になってしまてはいけないむずかしい役です。
どうしても高時を説得できない陸奥守。というかむしろ怒り狂う高時。
そこに、もうひとりの家臣が声をかけて出て来ます。「城之介入道延明(じょうのすけ にゅうどう のぶあき)」という人です。
この人がさらに説得します。そして今日は二代目執権の「北条義時(ほうじょう よしとき)」の命日なのです。
先祖の命日に殺生をするのは先祖への不孝になります。
そう言われて高時はやっと死罪を思いとどまるのでした。ふぅ。
すごくがっかりそうに立ち去る長崎次郎がいい味を出していると思います。
臣下たちに一緒に酒盛りをしようという高時ですが、ふたりはうまいこと断って退場します。
愛人の「衣笠(きぬがさ)」と侍女たち、つまりキレイどころと高時との酒盛りになります。
今日も「田楽法師」ったいに曲芸をさせようとして呼んであるのですが、まだ来ません。
ここで高時が「田楽の由来」を語ったりします。
さらに衣笠は舞を舞い、高時は「催馬楽(さいばら)」を唄います。
この宴の場面は、高時の優雅さや教養の高さなどの魅力を見せる部分です。
「催馬楽(さいばら)」というのは、奈良時代の民謡が平安期に宮廷歌謡として進化したものです。
のどかな、古風な趣があります。
「催馬楽」は室町時代には廃れていたそうなので、鎌倉幕府の最後のこの時期に「催馬楽」を唄うのは、ひとつの時代の残照を見るようでいい演出であるとともに、
いかにも「時代設定を詳しく調べました」という「活歴趣味」が感じられる部分でもあります。
「催馬楽」は61曲あり、この中から「此殿(このとの)」「此殿西(このとのにし)」を続けて唄っています。
♪この殿はむべも富みたり
みたいな歌詞です。「家ほめ」の歌です。
ただ、この歌詞は本来、宴に呼ばれた客が、宴の主のりっぱな家をほめる歌なのです。
家の主人である高時がこれを唄うというのは、じつは妙です。
数ある「催馬楽」の中でわざわざこの曲を選んだのは、高時の驕慢さを表現しているとも言えますが、
高時のこのりっぱな御殿は彼の力ではなく、代々の先祖たちの力によるものだと言う意識もあらわしているのかもしれません。
高時は自力では何も成し遂げていないのです。無力です。
話がそれました。
ここで場面が急展開し、部屋の灯火(ともしび)が全部消えて真っ暗になります。
さらに雷もなります。
女達は怖がって逃げていきます。
このお芝居はお芝居の中に浄瑠璃(語り)を使っているのですが、
ここまでは「竹本」と呼ばれる通常の「浄瑠璃」を使っています。
ここから「大薩摩(おおざつま)」と呼ばれる、竹本よりもさらに力強い、情景描写に向いた浄瑠璃が入ってきます。
迫力満点になります。
天狗たちがやってきます。おそろしい姿です。
高時は天狗に化かされているので驚きもせず、呼んでいた田楽法師がやってきたと思い込んで会話をし、
一緒に踊ります。
ここでは高時は、わざと下手に踊ります。前半での「催馬楽」が上手く唄えていないとここの下手さが引き立ちません。
高時はだんだん疲れてきて倒れますが、天狗たちが高時を立たせては突き飛ばします。
ここで「天王寺の妖霊星(ようれいせい)見ざるか」と天狗たちがいいます。
「妖霊星」というのは凶兆なのです。それが天王寺の方角に出ているのを見ていないのか、と言っています。
気づいたさっきの臣下ふたりがやってきて天狗を追い払います。
何が起きたかわかっていない高時ですが、けものの足跡が残っていたので天狗が来たことを理解します。
悔しがる高時です。虚空で天狗の笑い声がします。
妖霊星は政権が滅びる予兆です。不吉な雰囲気を残して幕になります。
おわりです。
新作ものですので、ストーリー性はあまりありません。高時のキャラクターを眺めるお芝居というかんじになります。
お芝居に関係ないですが、今の「おでん」というのはここに出てくる「田楽法師」から来た言葉なのです。
「おでん」の原型は「田楽煮(でんがくに)」というものです。こんにゃくに串を差して煮て、味噌を付けたものです。
田楽の曲芸の代表的なものが、一本足の竹馬乗りでした。長い竹の高い位置に足場を付け、それに乗ってバランスをとりながら跳びはねる芸です。
当時のこんにゃくは原料のイモをそのまま使ったので黒かったのですが、そこに白い味噌を付けました。
これが、黒い法衣を着て白い袈裟(けさ)をかけ、長い一本の竹馬に乗った「田楽法師」に似ていたので、「田楽煮」と呼ばれたのです。
ここから四角い豆腐やこんにゃくを煮たものを「田楽」と呼ぶように変化し、
いまの「おでん」になったのです。
この作品は「新作もの」ではありますが、作者は江戸時代からの歌舞伎作者である、「弁天小僧」などを書いた「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」です。
「活歴」運動をしていたひとたちは作劇面ではシロウトですから、いろいろ注文を受けつつ黙阿弥が書いた、ということです。
かなりたいへんだったらしいです。
活歴については=歌舞伎の「古典」と「新作」について=にまとめてみました。
=50音索引に戻る=
正確には「北条九代名家功(ほうじょうくだい めいかのいさおし)」というタイトルです。
鎌倉幕府の、事実上最後の執権であった「北条高時(ほうじょう たかとき)」が題材の作品です。
明治時代に「活歴」というのが流行りました。歴史上の人物を細かく考証してリアルに描こう、というような運動です。
その一環として作られたののです。
とはいえ高時についてはあまり歴史資料がないらしく、
この作品は「太平記(たいへいき)」に出てくる暴虐な高時像をベースに描かれます。
・北条家門外の場
高時の家来たちがきれいなかざりを付けた強そうな犬を連れて休んでいます。散歩の途中です。
高時は闘犬を好んだという伝承を元にした設定です。
家来たちの会話で基本設定が語られます。
お殿様の高時さまは「田楽」が好きで「法師」たちをたくさん集めて見物する上に自分でも練習して遊んでいる。
闘犬が大好きで強い犬をかわいがり、人間より大事にする。家来の自分たちもお犬様のお供だ。
怪我でもさせたら重罪にするというおふれだ。たいへんなことだ。
というかんじです。
「田楽」というのは食べ物ではなく、田植え祭で豊作を祈るお囃子(おはやし)や踊りから派生した芸能です。
踊りの部分が曲芸に進化しました。この曲芸師たちが「法師」の姿をしていました。「田楽法師(でんがくほうし)」と呼ばれました。
曲芸のうまい田楽法師を大勢お屋敷に集めて見物して遊んでいるということです。
高時が本当にこのように理不尽に犬をかわいがっていたのか、資料はないようです。
どちらかというと「徳川綱吉」の例の「お犬さま」のさわぎのメタファーに見えます。
家来たちがしゃべっていると、男の子とおばあさんがやってきます。
北条家のそばには鶴岡八幡宮があります。そこにお参りしてきた帰りです。
武士の服装をしていますが、みすぼらしいです、どこかの浪人者の母親と子供です。
お犬さまに野良犬が襲いかかり、瞬殺で蹴散らされます。興奮したお犬さまがお婆さんの足にかみつきます。
怒る男の子。
とかやっていると父親の浪人者、「安達三郎(あだち さぶろう)」がやってきて家来たちともめ、
けしかけられたお犬さまを殺します。
「安達三郎」は高時の暴政ぶりに苛立っていたので犬を殺して悔いはないのですが、
家来たちが上役を連れてきます。「長崎次郎(ながさき じろう)」といいます。
安達三郎は連行されることには同意しますが縄で縛られるのを拒否します。争いになり、
けっきょく、母と息子を人質に取られた安達三郎はなすすべなく、3人とも縛られます。
3人を死罪にすると長崎次郎は言い、3人を引いていきます。
この場面おわりです。
設定説明がてら書きましたが、ここは今は出ない可能性があります。
初演時だと、こういういかにも「お芝居」という部分がないと客はついて行きにくかったと思うのですが、
今の客には必要ない部分ではあります。
・北条家奥殿の場
りっぱな御殿のお座敷です。
ときの執権の「北条高時(ほうじょう たかとき)」が酒盛りをしています。
暴君ですからいやな奴という役柄ですが、座って酒盛りをしながら漢詩を朗々と詠じているところはさすがに優雅です。
「酒は天の美禄(びろく)にして、憂いをはらう 玉箒(たまはばき)」
同じ文句を「頼朝の死」で頼家が詠じていたと思うのですが、出典がわかりません。
漢詩風ですが和漢の古典作品には存在しないようです。
愛人の「衣笠(きぬがさ)」や美しい美女たちをはべらせて、今夜は月がきれいだろうから月見の宴をやろうとか会話しています。
ここに前幕の「長崎次郎」がやってきてお犬さまが殺された話をします。
怒り狂った高時は殺した浪人ものを死罪にしろと命じます。
前幕とこの幕の関係性はここだけなので、前幕はなくてもセリフだけで通じると思います。
長崎次郎は性格の悪い残忍な役に描かれています。張り切って死罪を執り行なおうと立ち上がるのですが、
横の部屋から声をかけて、それをとどめる人がいます。
「大仏陸奥守(おおさらぎ むつのかみ)」というひとです。幕府の重臣です。
犬の命を人の命より重んじるような暴政を行えば人心が離れる。というようなことを言って
言葉を尽くして高時をいさめます。
納得して、今後は犬を殺しても死刑にはしないと約束する高時です。
陸奥守も、周囲にいる侍女たちもみな安心します。
しかし、
今回の浪人者はやはり殺すという高時。一度決めたことは変えない。それが君主というものだと言います。
死刑にしないのは次からー。
ここでの高時は、へらへら笑っていて非常に感じが悪いです。もともと陸奥守の話もてきとうにしか聞いていないのです。
高時は性格の悪い暴君ですが、一方で優雅でりっぱなところもあり、魅力的な男でもあります。愛人の「衣笠」もちゃんと高時を愛しています。
ただの悪人になってしまてはいけないむずかしい役です。
どうしても高時を説得できない陸奥守。というかむしろ怒り狂う高時。
そこに、もうひとりの家臣が声をかけて出て来ます。「城之介入道延明(じょうのすけ にゅうどう のぶあき)」という人です。
この人がさらに説得します。そして今日は二代目執権の「北条義時(ほうじょう よしとき)」の命日なのです。
先祖の命日に殺生をするのは先祖への不孝になります。
そう言われて高時はやっと死罪を思いとどまるのでした。ふぅ。
すごくがっかりそうに立ち去る長崎次郎がいい味を出していると思います。
臣下たちに一緒に酒盛りをしようという高時ですが、ふたりはうまいこと断って退場します。
愛人の「衣笠(きぬがさ)」と侍女たち、つまりキレイどころと高時との酒盛りになります。
今日も「田楽法師」ったいに曲芸をさせようとして呼んであるのですが、まだ来ません。
ここで高時が「田楽の由来」を語ったりします。
さらに衣笠は舞を舞い、高時は「催馬楽(さいばら)」を唄います。
この宴の場面は、高時の優雅さや教養の高さなどの魅力を見せる部分です。
「催馬楽(さいばら)」というのは、奈良時代の民謡が平安期に宮廷歌謡として進化したものです。
のどかな、古風な趣があります。
「催馬楽」は室町時代には廃れていたそうなので、鎌倉幕府の最後のこの時期に「催馬楽」を唄うのは、ひとつの時代の残照を見るようでいい演出であるとともに、
いかにも「時代設定を詳しく調べました」という「活歴趣味」が感じられる部分でもあります。
「催馬楽」は61曲あり、この中から「此殿(このとの)」「此殿西(このとのにし)」を続けて唄っています。
♪この殿はむべも富みたり
みたいな歌詞です。「家ほめ」の歌です。
ただ、この歌詞は本来、宴に呼ばれた客が、宴の主のりっぱな家をほめる歌なのです。
家の主人である高時がこれを唄うというのは、じつは妙です。
数ある「催馬楽」の中でわざわざこの曲を選んだのは、高時の驕慢さを表現しているとも言えますが、
高時のこのりっぱな御殿は彼の力ではなく、代々の先祖たちの力によるものだと言う意識もあらわしているのかもしれません。
高時は自力では何も成し遂げていないのです。無力です。
話がそれました。
ここで場面が急展開し、部屋の灯火(ともしび)が全部消えて真っ暗になります。
さらに雷もなります。
女達は怖がって逃げていきます。
このお芝居はお芝居の中に浄瑠璃(語り)を使っているのですが、
ここまでは「竹本」と呼ばれる通常の「浄瑠璃」を使っています。
ここから「大薩摩(おおざつま)」と呼ばれる、竹本よりもさらに力強い、情景描写に向いた浄瑠璃が入ってきます。
迫力満点になります。
天狗たちがやってきます。おそろしい姿です。
高時は天狗に化かされているので驚きもせず、呼んでいた田楽法師がやってきたと思い込んで会話をし、
一緒に踊ります。
ここでは高時は、わざと下手に踊ります。前半での「催馬楽」が上手く唄えていないとここの下手さが引き立ちません。
高時はだんだん疲れてきて倒れますが、天狗たちが高時を立たせては突き飛ばします。
ここで「天王寺の妖霊星(ようれいせい)見ざるか」と天狗たちがいいます。
「妖霊星」というのは凶兆なのです。それが天王寺の方角に出ているのを見ていないのか、と言っています。
気づいたさっきの臣下ふたりがやってきて天狗を追い払います。
何が起きたかわかっていない高時ですが、けものの足跡が残っていたので天狗が来たことを理解します。
悔しがる高時です。虚空で天狗の笑い声がします。
妖霊星は政権が滅びる予兆です。不吉な雰囲気を残して幕になります。
おわりです。
新作ものですので、ストーリー性はあまりありません。高時のキャラクターを眺めるお芝居というかんじになります。
お芝居に関係ないですが、今の「おでん」というのはここに出てくる「田楽法師」から来た言葉なのです。
「おでん」の原型は「田楽煮(でんがくに)」というものです。こんにゃくに串を差して煮て、味噌を付けたものです。
田楽の曲芸の代表的なものが、一本足の竹馬乗りでした。長い竹の高い位置に足場を付け、それに乗ってバランスをとりながら跳びはねる芸です。
当時のこんにゃくは原料のイモをそのまま使ったので黒かったのですが、そこに白い味噌を付けました。
これが、黒い法衣を着て白い袈裟(けさ)をかけ、長い一本の竹馬に乗った「田楽法師」に似ていたので、「田楽煮」と呼ばれたのです。
ここから四角い豆腐やこんにゃくを煮たものを「田楽」と呼ぶように変化し、
いまの「おでん」になったのです。
この作品は「新作もの」ではありますが、作者は江戸時代からの歌舞伎作者である、「弁天小僧」などを書いた「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」です。
「活歴」運動をしていたひとたちは作劇面ではシロウトですから、いろいろ注文を受けつつ黙阿弥が書いた、ということです。
かなりたいへんだったらしいです。
活歴については=歌舞伎の「古典」と「新作」について=にまとめてみました。
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