鶴屋南北(つるや なんぼく)の、「浮世柄比翼稲妻(うきよのがら ひよくのいなずま)」という長いお芝居の一部です。
ただ、「鞘当」の場面はこのお芝居ではじめて作られたのではなく、さらに古いルーツがあります。
そのへんも少し説明しながら書いていこうと思います。
ストーリーは短くて単純ですので、
場面場面の、もとのお芝居から引き継がれた細かい意味がわからないと、あっさり終わってしまいます。
登場人物のかっこよさや、絵面のきれいさを楽しむだけでも充分といえば充分ですが、
いちおう細かいことも書きます。
舞台は吉原です。仲ノ町です。舞台中央に桜がある定番のセットです。
お芝居には関係ないのですが、仲ノ町のこの桜は、一年中桜が植えられている「桜並木」ではなく、
桜の季節だけ業者さんが桜の木を何十本も運び込んで通りにそって植えたものです。もちろん本物です。巨大花壇です。
桜が終わると撤収します。
夏になると、同じ場所に掘を切って水を流し、かきつばたを植えました。
夏の終わりには堀を埋め戻して盆灯籠をずらりと並べました。
というように季節の風物を次々に街全体にディスプレイしたのです。
吉原という街の財力を、このセットから感じ取っていただけるかもしれません。
このお芝居では「仮花道」が作られ、東西2本の花道からふたりの登場人物が出てきます。
「不破伴左衛門(ふわ はんざえもん)」と「名古屋山三(なごや さんぞう)」です。
「不破」はコワモテの乱暴モノです。衣装は、黒地に「雲に雷(いかづち)」です。
「名古屋」は色男です。モテモテです。衣装は浅葱(あさぎ、薄い水色)に、「雨に濡れ燕(ぬれつばめ)」、と
それぞれ決まっています。
ふたりで、それぞれの花道で、順番に台詞を言います。
ここはふたりが別々の道から吉原に向かっているところなので、設定上はお互いの声は聞こえていないのですが、
セリフとしてはつながっています。「渡り台詞」といいます。
役者さんの「出の口上」という演出のパターンのひとつです。
歌舞伎はこの台詞遊びが大好きで、とくにお花見のシーンなどに多用されます。
話している内容は、吉原が美しいところだとか、遊女は踊りも楽器も上手で天女のようだとか、
そこに、「雷(いかずち)」のような荒々しい男と、「濡れ燕」のような女にモテる優男がやってきた、
とか、そんなかんじです。
最初に
「(吉原の様子を)遠からんものは音にも聞け、近くは寄って目にも見よ」と言います。かっこいいです。
ここで、
「音」を「音羽屋」、「見よ」を「三枡(みます)」と言うかもしれません。
これは、
「不破」の役は「市川団十郎」の代表的な役のひとつであり、団十郎の家の紋が「三枡」であり、
「名古屋」は「尾上菊五郎」がやることが多く、菊五郎の屋号が「音羽屋」である、
ということからのシャレです。
全体に、ちゃんとまじめにお芝居しているのですが、セリフの中に役者さんの屋号や、いろいろ「当て込み」が散りばめられていて、お遊びの多い舞台です。
後半出てくる人物の役名が、役者さんが「松助」だったら「お松」だったりします。
こういう「お遊び」を探すのも、楽しみのひとつです。
ふたりはゆったりと歩いて舞台にやってきます。
「丹前六法(たんぜんろっぽう)」と呼ばれる独特の歩き方です。
「丹前」というのは今だと和服の一種で、ドテラのような厚ぼったいあれのことをいいますが、
本来は江戸初期のころの一種の風俗をさします。
江戸にあった丹波さまのお屋敷の前(つまり丹前)にお風呂屋さんがありました。
当時のお風呂やさんは、おねえさんが「垢すり」してくれるサービスが売り物でした。
とくに、この「丹前」にあったお風呂は、美女の湯女(ゆな)が多くいてサービスもいいので評判でした。
ここに通ってきたのは、荒っぽく、しかしお金は持っていた客たちでした。華やかで男臭い文化のはじまりです。
この風俗を「丹前風」と呼んだのです。
「丹前」「丹前振り」という芝居用語には、じつはもっと深い意味があるのですが、ものすごく長くなるのでここではふれません。
「六法」は、歌舞伎に特有の歩き方の名称です。
いろいろ種類がありますが、花道を歩くときの大きな動作での歩き方、とおおまかに覚えてくださって大丈夫だと思います。
動きを見せる、一種のショーです。
「丹前六法」というのは「当時の丹前風を模した、ゆったりと大仰な雰囲気の歩き方」、という理解でいいと思います。
さて、
舞台中央で行き会うふたりですが、
どちらも深い網笠をかぶっているのでお互いの顔が見えません。
これは、当時の風俗では、遊郭にいくときは、とくにお侍は傘や頭巾で顔を隠すのが普通でしたので、
それをふまえた衣装設定です。
むしろ「顔を隠す」のは、身分がありげでお高くとまった雰囲気をあらわします。
ここで改めて細かい設定を書いてみます。
時代設定は元禄のころです。江戸前半期の少し荒っぽくてイケイケな時代です。
旗本が徒党を組んで暴れていた時代です。
この「不破(ふわ)」も、実際は佐々木家というお大名家の家来ですが、
「旗本組」に入って暴れているという設定です。「稲妻組の闇大尽」と呼ばれています。
吉原では有名人です。
「名古屋(なごや)」も別の意味で有名人です。
モテモテの色男なのです。
そして、いま吉原で全盛の「葛城大夫(かつらぎ だゆう)」という遊女の、恋人なのでも有名です。
さて、不破伴左衛門はワガママな男なので、その葛城大夫に横恋慕しています。
名古屋山三もそれを知っています。
なので、会った事はないながら、「ウワサの闇大尽」には警戒心を持っています。
もちろん不破も、葛城太夫の今カレである名古屋の存在は知っていて、敵対心をもやしていますよ。
さて、お芝居の話に戻って
舞台でふたりが出会います。
傘をかぶっているので相手の顔は見えないのですが、
上記のような事情で、だいたい「あいつか…?」という見当はついています。服が派手だし!!
お互い牽制し合いながらすれ違おうとして、
刀の鞘がぶつかります。
「無礼もの」
と言ってけんかになります。
この部分が「鞘当(さやあて)」というタイトルの由来です。
ところで、
これは長いお芝居の一部ですので、
さらに裏設定があります。
「不破」と「名古屋」は、もともと同じ佐々木藩のお侍、同輩でした。
いろいろあって名古屋は今は浪人しています。
同じ藩にいたときから、ふたりは藩内の政治的立場の違いから対立していました。
「名古屋」の恋人の「葛城大夫」は、今は遊女ですが当時はお城で腰元をしており、
これをめぐってもふたりは対立していました。
さらに、お話のこの段階ではまだわかっていないことなのですが、
不破は、名古屋の父親を殺した犯人でもあります。
というわけで、舞台で出会ったふたりは、
吉原で有名なあいつだな、という以外にも、
昔からお互い遺恨のある、あいつだ。ということにも気付きます。
もみあいながらお互いの編笠に手をかけて、同時にお互いの編笠を取ります。顔が見えますやっぱり!!
ここは、お互いの正体がわかって一気に緊張が高まる場面であるとともに、
ここまで顔を隠していた人気役者ふたりが、やっと顔を見せる場面でもありますから、
そういう意味でも非常にもりあがるところです。
お互い遺恨もあり、言いたいこともあった相手です。
まず不破が「葛城大夫をもらい受けたい」と切り出します。
実際、不破は藩内でいま実権をにぎっていて羽振りがよく、名古屋は浪人中で借金まみれで貧乏です。
しかし名古屋は承知しません。
そもそも葛城大夫が吉原にいるのは、名古屋にお金をつくってあげるためです。
よその男に渡してしまっては本末転倒ですよ。
渡せ、いやだ、でけんかになり、ついに刀を抜いて斬りあうふたりですが、
それをとめに入るひとがいます。
これはだいたいは、吉原の茶屋のおかみさんですが、
茶屋の亭主なこともあれば、鳶の親方なこともあり、通りすがりの芸者さんでもかまわないのです。
「留女(とめおんな)」または「留男(とめおとこ)」と呼ばれる大事な役柄です。
このお芝居は、歌舞伎界でもトップクラスの幹部俳優ふたりがダブル主人公として「不破」と「名古屋」を演じるのが通例なのですが、
けんかを止めに入る役のひとは、
現実の役者さんの人間関係でも、そのふたりに「ものを言える」ような立場のひとが演じることになっています。
役者さんのランクだけでなく、尊敬できる人間性などいろいろ必要ですので、選択肢はあまり多くありません。
その選ばれた役者さんに似合いそうな役柄をてきとうに当てます。
なので止めに入るひとの役柄も役名も、毎回違うのです。
一応、ここでは「茶屋のおかみ」ということで話を進めます。
以下の部分は現行上演出ないかもしれないのですが、
通し上演時に出るかもしれないので書いておくと、
おかみの顔を立てて、この場はケンカをやめよう、と決めるふたりなのですが、
しかし、
武士にとって「刀を抜く」というのは特別なことです。決死の覚悟で刀を抜くのです。
武士が一度抜いた刀なのに、何もせずにまた鞘(さや)に収めるのは納得がいかない、
とごねる不破です。
困った茶屋のおかみは、ふたりの刀を取って入れ替え、お互いに渡します。取り替えっこしたわけです。
これで「一度抜いた刀をそのまま鞘に収めた」、という状態は避けられたことになります。
そして、刀を取り替えることで杯を取り交わすように、お互い仲良くしよう、というおかみです。
ところで、
刀というのはハンドメイドの一点ものです。全て形が違います。
鞘は、刀にぴったり合うように後から作られます。
つまり、刀と鞘は1:1対応で、違う刀の鞘にほかの刀がはまることはあまりないのですが(ちょっとムリクリ押し込むならアリです)、
不思議なことにお互いの刀は、お互いの鞘にぴったりとおさまります。
驚く名古屋。
さて、この場面では出ないのですが、前の段に説明があります。
名古屋は、父を殺した犯人を捜しています。
父を殺したやつは、家の家宝の刀のうち1本を盗んでいきました。
それは陰と陽の2対になって作られており、2本まったく同じ形です。
残った1本は名古屋がさして持っているこれです。
不破の刀が、自分の鞘にぴったり合った。
ということは不破の持っている刀は盗まれたあの刀なのか…!!
盗まれた刀を不破が持っているということは…
不破も、「バレたか…!! 」と思います。緊張が高まります。
と、ここまでの刀に関する部分が「鞘当」の趣旨とは直接関係ないのでカットかもしれません。
お互いに意気込む二人ですが、今は斬り合いはいけません。
おかみに止めらます。
モメるのは今ではなく、また今度の機会に。
この場はお互い丸くおさめて、
にらみあったままで、ひっぱりの見得で幕です。
おわりです。
というように、やっていることは単純なのですが、
裏設定がいろいろあり、じつはかなりタイトなやりとりをしている舞台です。
そういう緊張感も楽しんでいただければいいなと思います。
以下、このお芝居の成立について歴史的なことをちょっと書きます。
現行上演台本は、鶴屋南北の書いた「浮世柄比翼稲妻(うきよのがら ひよくのいなずま)」という長いお芝居の一部になります。
たまに通しで出ることもありますが、だいたいはこの「鞘当」だけが出ます。
もともとの原型は「参会名護屋(さんかいなごや)」という非常に古いお芝居の1場面です。
この「参会名護屋」で使われた「不破伴左衛門(ふわ はんざえもん)」と「名護屋山三(なごや さんぞう)」というふたりのキャラクター、
そしてふたりが遊郭で行き会ったとき刀の鞘が当たってケンカになる「鞘当(さやあて)」のシーン、
このふたつのモチーフが、いろいろなお芝居で繰り返し使われ、伝わってきました。
なので、現行上演の「鞘当」の台本は、南北の上記の作品の一部ではありますが、
ある意味独立したひとつの作品と言ってもいいような舞台です。
「参会名護屋」のほうは古すぎて完全台本はなく、ほとんど上演されることはありません。上演しても「補筆、改作」になります。
ところで、
「不破」と「名古屋」については、さらに古いルーツがあります。
「名古屋山三(なごや さんぞう)」という人物は室町後期に実在した色男らしく、
当時から江戸初期にかけて、名古屋を題材に数々の古浄瑠璃作品が作られた、かなりの人気者でした。
歌舞伎の創始者そして名高い「出雲のお国(いずもの おくに)」の恋人としても有名です。
いろいろ作品が作られるうちに、「恋人の葛城大夫」や「恋敵の不破伴左衛門」などの後付け設定が付け加えられ、定着していきました。
その集大成的に作られたのが「参会名護屋(さんかい なごや)」なのです。
このときの主演が初代団十郎で、団十郎が演じたのは芸風的に「不破」でした。
ですので、「不破」を主人公としてこの「参会名護屋」は書かれました。
「名古屋」は上方の色男キャラクターであり、
「不破」は江戸の荒事キャラクターです。
元禄期、江戸の文化が徐々に上方を凌駕し、ついに色男の「名古屋」が荒々しい「不破」に主人公の座をゆずる。
歴史的にも意味のある役割交代であったと思います。
この作品では名古屋は、どちらかというと頼りないかんじの色男で、でも不破とは仲がよく、
ふたりで悪役に立ち向かいます。
が、途中で女がらみで仲たがいしてしまいます。という筋です。
不破のこの華やかな衣装も、「参会名護屋」の、不破が主役だったときに作られたものです。
そのあとも作品はいろいろとアレンジされ、再び「名古屋」が主役のストーリー展開が主流になります。
ですので、現行上演では「不破」は「悪役」設定です。
しかし主人公っぽい衣装や演技で出てくる上に、座頭(ざがしら)格の役者さんがなさることになっています。
また、
「参会名護屋」の出だしの部分は、「暫(しばらく)」の原型でもあります。
非常に歴史的に意味のある作品です。
このお芝居の解説に、よく「寛闊(かんかつ)」という言葉が使われます。セリフにも入っています。
これは、元禄期に派手な服装で「丹前風呂」に通っていたひとたちに代表される、
いわゆる「かぶきもの」たちの様子を表すのに使われた言葉です。
そういうゆったりとしてぜいたくで派手な雰囲気を味わっていただきたいのですが、
今の「鞘当」の着物の着方は、こう、かなり、江戸後期の風俗に影響されて垢抜けてしまっており、
なんというか、柄や小物は派手なのですが、
着方はおとなしいものです。ふつうの着物です。
江戸初期の絵などを見ると、もっと上半身はゆったりとダブダブに着ていますし、
刀も、反りの大きい古風なものです。
動きも、もっとおおきくて大仰で、周囲を威圧するような動きであったろうと思います。
そういう意味では、本来の「寛闊」というイメージは、あまり今の「鞘当」の衣装では味わえていないのかもしれません。
=50音索引に戻る=
ただ、「鞘当」の場面はこのお芝居ではじめて作られたのではなく、さらに古いルーツがあります。
そのへんも少し説明しながら書いていこうと思います。
ストーリーは短くて単純ですので、
場面場面の、もとのお芝居から引き継がれた細かい意味がわからないと、あっさり終わってしまいます。
登場人物のかっこよさや、絵面のきれいさを楽しむだけでも充分といえば充分ですが、
いちおう細かいことも書きます。
舞台は吉原です。仲ノ町です。舞台中央に桜がある定番のセットです。
お芝居には関係ないのですが、仲ノ町のこの桜は、一年中桜が植えられている「桜並木」ではなく、
桜の季節だけ業者さんが桜の木を何十本も運び込んで通りにそって植えたものです。もちろん本物です。巨大花壇です。
桜が終わると撤収します。
夏になると、同じ場所に掘を切って水を流し、かきつばたを植えました。
夏の終わりには堀を埋め戻して盆灯籠をずらりと並べました。
というように季節の風物を次々に街全体にディスプレイしたのです。
吉原という街の財力を、このセットから感じ取っていただけるかもしれません。
このお芝居では「仮花道」が作られ、東西2本の花道からふたりの登場人物が出てきます。
「不破伴左衛門(ふわ はんざえもん)」と「名古屋山三(なごや さんぞう)」です。
「不破」はコワモテの乱暴モノです。衣装は、黒地に「雲に雷(いかづち)」です。
「名古屋」は色男です。モテモテです。衣装は浅葱(あさぎ、薄い水色)に、「雨に濡れ燕(ぬれつばめ)」、と
それぞれ決まっています。
ふたりで、それぞれの花道で、順番に台詞を言います。
ここはふたりが別々の道から吉原に向かっているところなので、設定上はお互いの声は聞こえていないのですが、
セリフとしてはつながっています。「渡り台詞」といいます。
役者さんの「出の口上」という演出のパターンのひとつです。
歌舞伎はこの台詞遊びが大好きで、とくにお花見のシーンなどに多用されます。
話している内容は、吉原が美しいところだとか、遊女は踊りも楽器も上手で天女のようだとか、
そこに、「雷(いかずち)」のような荒々しい男と、「濡れ燕」のような女にモテる優男がやってきた、
とか、そんなかんじです。
最初に
「(吉原の様子を)遠からんものは音にも聞け、近くは寄って目にも見よ」と言います。かっこいいです。
ここで、
「音」を「音羽屋」、「見よ」を「三枡(みます)」と言うかもしれません。
これは、
「不破」の役は「市川団十郎」の代表的な役のひとつであり、団十郎の家の紋が「三枡」であり、
「名古屋」は「尾上菊五郎」がやることが多く、菊五郎の屋号が「音羽屋」である、
ということからのシャレです。
全体に、ちゃんとまじめにお芝居しているのですが、セリフの中に役者さんの屋号や、いろいろ「当て込み」が散りばめられていて、お遊びの多い舞台です。
後半出てくる人物の役名が、役者さんが「松助」だったら「お松」だったりします。
こういう「お遊び」を探すのも、楽しみのひとつです。
ふたりはゆったりと歩いて舞台にやってきます。
「丹前六法(たんぜんろっぽう)」と呼ばれる独特の歩き方です。
「丹前」というのは今だと和服の一種で、ドテラのような厚ぼったいあれのことをいいますが、
本来は江戸初期のころの一種の風俗をさします。
江戸にあった丹波さまのお屋敷の前(つまり丹前)にお風呂屋さんがありました。
当時のお風呂やさんは、おねえさんが「垢すり」してくれるサービスが売り物でした。
とくに、この「丹前」にあったお風呂は、美女の湯女(ゆな)が多くいてサービスもいいので評判でした。
ここに通ってきたのは、荒っぽく、しかしお金は持っていた客たちでした。華やかで男臭い文化のはじまりです。
この風俗を「丹前風」と呼んだのです。
「丹前」「丹前振り」という芝居用語には、じつはもっと深い意味があるのですが、ものすごく長くなるのでここではふれません。
「六法」は、歌舞伎に特有の歩き方の名称です。
いろいろ種類がありますが、花道を歩くときの大きな動作での歩き方、とおおまかに覚えてくださって大丈夫だと思います。
動きを見せる、一種のショーです。
「丹前六法」というのは「当時の丹前風を模した、ゆったりと大仰な雰囲気の歩き方」、という理解でいいと思います。
さて、
舞台中央で行き会うふたりですが、
どちらも深い網笠をかぶっているのでお互いの顔が見えません。
これは、当時の風俗では、遊郭にいくときは、とくにお侍は傘や頭巾で顔を隠すのが普通でしたので、
それをふまえた衣装設定です。
むしろ「顔を隠す」のは、身分がありげでお高くとまった雰囲気をあらわします。
ここで改めて細かい設定を書いてみます。
時代設定は元禄のころです。江戸前半期の少し荒っぽくてイケイケな時代です。
旗本が徒党を組んで暴れていた時代です。
この「不破(ふわ)」も、実際は佐々木家というお大名家の家来ですが、
「旗本組」に入って暴れているという設定です。「稲妻組の闇大尽」と呼ばれています。
吉原では有名人です。
「名古屋(なごや)」も別の意味で有名人です。
モテモテの色男なのです。
そして、いま吉原で全盛の「葛城大夫(かつらぎ だゆう)」という遊女の、恋人なのでも有名です。
さて、不破伴左衛門はワガママな男なので、その葛城大夫に横恋慕しています。
名古屋山三もそれを知っています。
なので、会った事はないながら、「ウワサの闇大尽」には警戒心を持っています。
もちろん不破も、葛城太夫の今カレである名古屋の存在は知っていて、敵対心をもやしていますよ。
さて、お芝居の話に戻って
舞台でふたりが出会います。
傘をかぶっているので相手の顔は見えないのですが、
上記のような事情で、だいたい「あいつか…?」という見当はついています。服が派手だし!!
お互い牽制し合いながらすれ違おうとして、
刀の鞘がぶつかります。
「無礼もの」
と言ってけんかになります。
この部分が「鞘当(さやあて)」というタイトルの由来です。
ところで、
これは長いお芝居の一部ですので、
さらに裏設定があります。
「不破」と「名古屋」は、もともと同じ佐々木藩のお侍、同輩でした。
いろいろあって名古屋は今は浪人しています。
同じ藩にいたときから、ふたりは藩内の政治的立場の違いから対立していました。
「名古屋」の恋人の「葛城大夫」は、今は遊女ですが当時はお城で腰元をしており、
これをめぐってもふたりは対立していました。
さらに、お話のこの段階ではまだわかっていないことなのですが、
不破は、名古屋の父親を殺した犯人でもあります。
というわけで、舞台で出会ったふたりは、
吉原で有名なあいつだな、という以外にも、
昔からお互い遺恨のある、あいつだ。ということにも気付きます。
もみあいながらお互いの編笠に手をかけて、同時にお互いの編笠を取ります。顔が見えますやっぱり!!
ここは、お互いの正体がわかって一気に緊張が高まる場面であるとともに、
ここまで顔を隠していた人気役者ふたりが、やっと顔を見せる場面でもありますから、
そういう意味でも非常にもりあがるところです。
お互い遺恨もあり、言いたいこともあった相手です。
まず不破が「葛城大夫をもらい受けたい」と切り出します。
実際、不破は藩内でいま実権をにぎっていて羽振りがよく、名古屋は浪人中で借金まみれで貧乏です。
しかし名古屋は承知しません。
そもそも葛城大夫が吉原にいるのは、名古屋にお金をつくってあげるためです。
よその男に渡してしまっては本末転倒ですよ。
渡せ、いやだ、でけんかになり、ついに刀を抜いて斬りあうふたりですが、
それをとめに入るひとがいます。
これはだいたいは、吉原の茶屋のおかみさんですが、
茶屋の亭主なこともあれば、鳶の親方なこともあり、通りすがりの芸者さんでもかまわないのです。
「留女(とめおんな)」または「留男(とめおとこ)」と呼ばれる大事な役柄です。
このお芝居は、歌舞伎界でもトップクラスの幹部俳優ふたりがダブル主人公として「不破」と「名古屋」を演じるのが通例なのですが、
けんかを止めに入る役のひとは、
現実の役者さんの人間関係でも、そのふたりに「ものを言える」ような立場のひとが演じることになっています。
役者さんのランクだけでなく、尊敬できる人間性などいろいろ必要ですので、選択肢はあまり多くありません。
その選ばれた役者さんに似合いそうな役柄をてきとうに当てます。
なので止めに入るひとの役柄も役名も、毎回違うのです。
一応、ここでは「茶屋のおかみ」ということで話を進めます。
以下の部分は現行上演出ないかもしれないのですが、
通し上演時に出るかもしれないので書いておくと、
おかみの顔を立てて、この場はケンカをやめよう、と決めるふたりなのですが、
しかし、
武士にとって「刀を抜く」というのは特別なことです。決死の覚悟で刀を抜くのです。
武士が一度抜いた刀なのに、何もせずにまた鞘(さや)に収めるのは納得がいかない、
とごねる不破です。
困った茶屋のおかみは、ふたりの刀を取って入れ替え、お互いに渡します。取り替えっこしたわけです。
これで「一度抜いた刀をそのまま鞘に収めた」、という状態は避けられたことになります。
そして、刀を取り替えることで杯を取り交わすように、お互い仲良くしよう、というおかみです。
ところで、
刀というのはハンドメイドの一点ものです。全て形が違います。
鞘は、刀にぴったり合うように後から作られます。
つまり、刀と鞘は1:1対応で、違う刀の鞘にほかの刀がはまることはあまりないのですが(ちょっとムリクリ押し込むならアリです)、
不思議なことにお互いの刀は、お互いの鞘にぴったりとおさまります。
驚く名古屋。
さて、この場面では出ないのですが、前の段に説明があります。
名古屋は、父を殺した犯人を捜しています。
父を殺したやつは、家の家宝の刀のうち1本を盗んでいきました。
それは陰と陽の2対になって作られており、2本まったく同じ形です。
残った1本は名古屋がさして持っているこれです。
不破の刀が、自分の鞘にぴったり合った。
ということは不破の持っている刀は盗まれたあの刀なのか…!!
盗まれた刀を不破が持っているということは…
不破も、「バレたか…!! 」と思います。緊張が高まります。
と、ここまでの刀に関する部分が「鞘当」の趣旨とは直接関係ないのでカットかもしれません。
お互いに意気込む二人ですが、今は斬り合いはいけません。
おかみに止めらます。
モメるのは今ではなく、また今度の機会に。
この場はお互い丸くおさめて、
にらみあったままで、ひっぱりの見得で幕です。
おわりです。
というように、やっていることは単純なのですが、
裏設定がいろいろあり、じつはかなりタイトなやりとりをしている舞台です。
そういう緊張感も楽しんでいただければいいなと思います。
以下、このお芝居の成立について歴史的なことをちょっと書きます。
現行上演台本は、鶴屋南北の書いた「浮世柄比翼稲妻(うきよのがら ひよくのいなずま)」という長いお芝居の一部になります。
たまに通しで出ることもありますが、だいたいはこの「鞘当」だけが出ます。
もともとの原型は「参会名護屋(さんかいなごや)」という非常に古いお芝居の1場面です。
この「参会名護屋」で使われた「不破伴左衛門(ふわ はんざえもん)」と「名護屋山三(なごや さんぞう)」というふたりのキャラクター、
そしてふたりが遊郭で行き会ったとき刀の鞘が当たってケンカになる「鞘当(さやあて)」のシーン、
このふたつのモチーフが、いろいろなお芝居で繰り返し使われ、伝わってきました。
なので、現行上演の「鞘当」の台本は、南北の上記の作品の一部ではありますが、
ある意味独立したひとつの作品と言ってもいいような舞台です。
「参会名護屋」のほうは古すぎて完全台本はなく、ほとんど上演されることはありません。上演しても「補筆、改作」になります。
ところで、
「不破」と「名古屋」については、さらに古いルーツがあります。
「名古屋山三(なごや さんぞう)」という人物は室町後期に実在した色男らしく、
当時から江戸初期にかけて、名古屋を題材に数々の古浄瑠璃作品が作られた、かなりの人気者でした。
歌舞伎の創始者そして名高い「出雲のお国(いずもの おくに)」の恋人としても有名です。
いろいろ作品が作られるうちに、「恋人の葛城大夫」や「恋敵の不破伴左衛門」などの後付け設定が付け加えられ、定着していきました。
その集大成的に作られたのが「参会名護屋(さんかい なごや)」なのです。
このときの主演が初代団十郎で、団十郎が演じたのは芸風的に「不破」でした。
ですので、「不破」を主人公としてこの「参会名護屋」は書かれました。
「名古屋」は上方の色男キャラクターであり、
「不破」は江戸の荒事キャラクターです。
元禄期、江戸の文化が徐々に上方を凌駕し、ついに色男の「名古屋」が荒々しい「不破」に主人公の座をゆずる。
歴史的にも意味のある役割交代であったと思います。
この作品では名古屋は、どちらかというと頼りないかんじの色男で、でも不破とは仲がよく、
ふたりで悪役に立ち向かいます。
が、途中で女がらみで仲たがいしてしまいます。という筋です。
不破のこの華やかな衣装も、「参会名護屋」の、不破が主役だったときに作られたものです。
そのあとも作品はいろいろとアレンジされ、再び「名古屋」が主役のストーリー展開が主流になります。
ですので、現行上演では「不破」は「悪役」設定です。
しかし主人公っぽい衣装や演技で出てくる上に、座頭(ざがしら)格の役者さんがなさることになっています。
また、
「参会名護屋」の出だしの部分は、「暫(しばらく)」の原型でもあります。
非常に歴史的に意味のある作品です。
このお芝居の解説に、よく「寛闊(かんかつ)」という言葉が使われます。セリフにも入っています。
これは、元禄期に派手な服装で「丹前風呂」に通っていたひとたちに代表される、
いわゆる「かぶきもの」たちの様子を表すのに使われた言葉です。
そういうゆったりとしてぜいたくで派手な雰囲気を味わっていただきたいのですが、
今の「鞘当」の着物の着方は、こう、かなり、江戸後期の風俗に影響されて垢抜けてしまっており、
なんというか、柄や小物は派手なのですが、
着方はおとなしいものです。ふつうの着物です。
江戸初期の絵などを見ると、もっと上半身はゆったりとダブダブに着ていますし、
刀も、反りの大きい古風なものです。
動きも、もっとおおきくて大仰で、周囲を威圧するような動きであったろうと思います。
そういう意味では、本来の「寛闊」というイメージは、あまり今の「鞘当」の衣装では味わえていないのかもしれません。
=50音索引に戻る=
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