歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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もう意味わからないとは言わせない。「勧進帳」全訳3

2013年03月19日 | 歌舞伎
もう意味わからないとは言わせない。「勧進帳」全訳3

知らない間に文字数制限が2万文字に増えていました。助かった!!

=全訳1=
=全訳2=
=「勧進帳」解説=

富樫: かかる尊き、客僧を しばしも、疑いしは 我があやまり。
今より、それがし、勧進の施主(せしゅ)につかん。
それ、布施物(ふせもつ)持て。

>このようなりっぱな、うやまうべき旅の僧を、少しの間でも疑ったのはわたくしの間違いであった。
(おわびの意味もこめて)、今後はわたくしは勧進(寺院への寄付)を施すものの役目につこうと思う。
(家来に)それ、お布施の品物を持って来い。

番卒: ははぁ
>ははあ。

唄: 士卒が運ぶ、広台に 白綾袴(しらあや はかま)ひと重ね。
加賀絹(かがぎぬ)あまた、取りそろえ、御前へこそは、直しけれ。

>家来の兵隊たちが運ぶ広台の上には、白綾のりっぱな袴が1着、
そのほかの台には土地の名産である加賀絹をたくさんそろえて、富樫の前に並べたのであったよ。

富樫: ちかごろ、些少には候へども、それがしが功徳、なにとぞ、ご受納くださらば。
ひとえに、願い奉る。

>近頃の風潮からすると僅かな布施物ではございますが、(受け取っても邪魔だとは思いますが)寄付することがわたくしの功徳になります。
なにとぞお受け取りくださればありがたいことです。
ひとえにお願い申し上げます。

弁慶: こは、ありがたの 大檀那(だいだんな)。
現当二世(げんとう にせ)安楽ぞ。何の疑いかあるべからず。


「檀那(だんな、旦那)」は、もとは「寺や僧に寄付するひと」という意味です。「檀家(だんか)」という言葉にその名残があります。
なので「大檀那」は意味だけ訳すと「大口寄付者さま」となりますが、ちょっとあんまりなのでそのまま「大檀那」でいきます。


>これは、有難い大檀那さまであることだ。
現世、当来(来世)の二世は安楽でありますぞ。そのことに何の疑いがあるであろうか。ありませんぞ。

重ねて、申す事の候。なお我々は、近国を勧進し、卯月(うづき)半ばに、上るべし。
それまでは、かさ高の品々、お預け申す。

>さらに申し上げることがございます。さらにこの後我々は近くの国々で寄付を勧めて回り、
3月の中旬(いまの4月下旬)に都に上るつもりです。
それまでは、かさばる品々はこのままお預け申し上げる(帰りに受け取って持ち帰ります)。

弁慶は品物の中の砂金の袋だけを持って、残りを返します。
もちろん「帰りに受け取る」というのはウソです。かさばる布製品は逃げるのにじゃまなので、
「あとで取りにくる」と言い訳したのです。


弁慶: さらばいずれも、おん通り候え。
>では、みなさん、許可が出たので関所をお通りください。

四天王: 心得て候
>わかりました。

弁慶: いでいで、急ぎ申すべし。
>さあさあ、急いでください。

四天王: 心得申して候。
>承知いたしました

唄: こは嬉しやと、山伏も、しずしず立って、歩まれけり。
>これはうれしいことだと、残った山伏たちもそろそろと立ってお歩きになった。

富樫: いかに、それなる強力(ごうりき)、止まれとこそ。
>ちょっと待て、そこにいる強力(荷物持ちの人足)、止まりなさい。

急展開です。富樫が強力に化けた義経を強い口調で呼び止めます。

唄: すわや、我が君を、あやしむるは、一期(いちご)の浮沈(ふちん)ここなりと、
おのおの、後(あと)に、立ち帰る。

>さあたいへんだ、関守が自分の主君を疑っているのは一大事だ。この一生の成否はここであると思って、
家来たちはそれぞれ義経を守るために後ろに立ちもどる。

弁慶: あいや、しばらく。あわてて事を、仕損ずな。
>ああおい、しばらく待て。あわてて物事をやりそこなってはならない。

弁慶: ここな、強力め、何とて、通りおらぬぞ。
>ここにいるこの強力め、何だという理由で関所を通って先に進まないのだ。

富樫: それは、此方(こなた)より留め申した。
>そのものは、こちらから引きとめ申しました。

弁慶: それは、何とて、おん留め候ふぞ。
>それは、何だという理由でお引きとめになったのですか。

富樫: あの強力が、ちと、人に似たると、申す者の候うゆえに、さてこそ、ただいま留めたり。
>あの強力が少し人に似ていると、わたくしに言うものがおりますので、さてそれで、いま引きとめたのだ。

弁慶: なに、人が人に似たるとは、珍しからぬ、仰せにこそ。
さて、誰に似て候ふぞ。

>何ですと、人が人に似ているというのは、同じ人元であるから当たり前の事に思えます。珍しくもないことをおっしゃるものですなあ。
さて、この強力は誰ににているのですか。

富樫: 判官殿(ほうがんどの)に似たると申す者の、候ふほどに、落居(らっきょ)の間、留め申した。
>判官どの(九郎判官義経さま)に似ていると言う者がいますので、本物かどうか判断がつくまでの間、引きとめ申し上げました。

弁慶: なに、判官殿に、似たる、強力めは。一期(いちご)の思い出な。
腹立ちや、日高くは、能登の国まで、越さうずるわと、思いおるに、
わずかな笈(おい)ひとつ、背負うて、後へ下ればこそ、人も怪しむれ。

>何だと、義経さまににた強力めとは。そんな高貴なかたに似ていると言われるとは、一生の思い出だな。
腹のたつことだ、日がまだ高いようなら今日中に能登の国まで山を越して行ってしまえるだろうと思っているのに、このようなトラブルで予定通りに進めないことだ。
小さい笈(背中に背負う荷物の箱)をひとつ背負っているだけなのに、ちゃんと歩けばいいものを遅れて歩いて、一人だけ後に下がるものだから、人も見て怪しむのだ。

総じて、このほどより、判官殿よと、怪しめらるるは、おのれが業の、つたなき故なり。
思えば、にっくし。憎し、憎し。
いで物見せん。

>大体において、少し前から、義経さま一行ではないのかとあちこちで怪しまれるのは、きさまの仕事ぶりが悪いからなのだ。
いろいろ思えば、お前がにくらしい。ああ憎い、憎い。
さあ思い知らせてやろう。

唄: 金剛杖を、おっ取って、散々に、打擲(ちょうちゃく)す。
>金剛杖をひっつかんで、散々に強力を打ちのめす。

弁慶: 通れ。
>通れ。

唄: 通れとこそは、ののしりぬ。
>さっさと立って関所を通れと、強力をののしったのだ。

富樫: いか様に、陳ずる(ちんずる)とも、通すこと、
>どのような言い方をしようとも、その強力を通すことは

番卒: まかりならぬ。
>許されない。

弁慶: や、笈(おい)に目をかけ給ふは、盗人(とうじん)ぞうな。
>おい、強力の背中の荷物に目をつけるとは、お前らは盗人たちなのか。

ここで家来の四天王たちが立ち上がって富樫に詰め寄ろうとするので、弁慶が止める動きになります。
関所の番兵たちも立ち上がり、刀を抜こうとしてお互いににらみ合います。動きのある、緊迫した場面です。


弁慶: こうれ。
>こら、待て。

弁慶は一貫して仲間を止めようとします。

唄: かたがたは、何ゆえに、かほど賎しき(いやしき)強力を、太刀刀(たち かたな)を抜き給ふは、
目垂れ顔の、振舞(か)。臆病の、至りかと。みな山伏は、打刀(うちかたな)抜きかけて。
勇みかかれる有様は、いかなる天魔(てんま)鬼神(おにかみ)も、恐れつべうぞ、見えにける。


「振舞」のあとに、能の「安宅」ですと「か」が付きます。こちらに沿って訳しました。

>あなたがた関所のみなさんはなぜ、このように身分が低くて取るに足らないような強力を相手に太刀や刀をお抜きになって脅すのは、
弱いもの苛めを楽しんで笑うような卑怯な振舞いなのか。
それともこの強力が恐ろしいのであろうかと言って、
山伏たちはみな、腰に帯びた刀を抜きかけて相手に斬りかかろうとする、その荒々しいありさまは、
どのような天魔や鬼神であっても、恐れるであろうように見えたのだよ。

弁慶: まだこの上も、おん疑い候はば、この強力、荷物の布施物(ふせもつ)もろともに、おあずけ申す。
いかようにも、究明あれ。
ただし、これにて、打ち殺し、見せ申さんや

>まだこの上にも、我々に対するお疑いがおありでしたら、この強力を、持っている荷物である布施の品物と一緒に、全てそちらにお預けいたします。
どのようにも取り調べて正体を究明しれください。
それとも、いまここで、打ち殺して見せ申し上げましょうか。

富樫: いや、先達(せんだつ)の、荒けなし(あらけなし)。
>いや、先導者さんの、それは乱暴すぎる行いだ。打ち殺すには及ばない。

弁慶: しからば、ただ今、おん疑いありしは いかに。
>それならば、ただいまこの男へのお疑いがあったのはなぜなのです。

富樫: 士卒のものの 我への、訴え。
>部下のものの、わたくしへの訴えがあったのです。

弁慶: おお、疑念晴らし(ぎねんばらし)、打ち殺し、見せ申さん。
>おお、であれば疑念晴らしです。やはりこやつは、打ち殺して見せ申しあげましょう。

富樫: いや、早まりたもうな。番卒どもが、よしなきひが目より、判官殿にも、なき人を、疑えばこそ、かく折檻(せっかん)も、し給うなれ。
>いや、早まったことをなさるな。兵隊たちの愚かな思い込みから、義経さまでもない人をわたくしが疑ったからこそ、山伏どのは、このように叩いて罰をお与えになったのでしょうが、

この「し給うなれ」は、反語ですので、当然文章はまだ続きます。しかし、一度セリフはここで切ります。
弁慶たちを見逃そうとする富樫の、深い思いいれを感じさせる大事な場面なのですが、
セリフの意味を理解していない客が、ここでセリフが終わったと思って拍手するのです。
あくまで、思い入れしているだけです。「ためて」いるのです。後続のセリフとの間が大事なのです。
ここで拍手はナシでお願いします。


富樫: 今は、疑い、晴れ申した。
とくとく、いざない、通られよ。

>疑ったわたくしが間違っていました。今はもう疑いは晴れました。
早くその強力を連れて関所をお通りください。

弁慶: 大檀那の、おおせなくんば、打ち殺して、捨てんずもの。命、冥加(みょうが)に、かないしやつ。
以後はきっと、つつしみおろう。

>たくさん勧進してくださった大檀那の許せとのお言葉がなかったら、憎いお前のことは打ち殺して捨ててしまうだろうところだ。神仏の加護にかなって、命が守られているやつであることよ。
今回は許すが、以後は失敗がないように、絶対に気をつけておれ。

富樫: 我は、これより、なおも厳しく警護の役。
かたがた、来たれ。

>わたくしはこれから、まだまだ厳しく関所を警護する役目を果たします。
みなさん、来なさい。

番卒: ははぁ
>ははあ。

唄: 士卒を、引き連れ、関守は、門の内へぞ、入りにける。
>番兵たちを引き連れて関守は、関所の門の中へと入っていったのだった。

富樫と兵隊たちは退場します。
弁慶たち一行は一度舞台をゆっくりと一周し、義経を上座にする形で座ります。
場面が変わりました。今は関所から少し離れた山の中です。


義経: さても、今日(こんにち)の機転、さらに、凡慮のおよぶべきところに、あらず。
とかくの是非を、あらそわずして、ただ、下人のごとく散々に、我を打って、助けしは、まさに、天の加護。
弓矢正八幡(ゆみや しょうはちまん)の神慮(しんりょ)と思えば かたじけのう、思ゆるぞ。

>とにもかくにも、今日の弁慶の機転のきいた行動は、まったく凡人の考えの及ぶことのできるものではない。
あれこれと細かい事の是非を気にかけずに、ただ、身分の低い召使のようにわたくしを打って関守をだまして、わたくしを助けたのは、
まさに天の加護である。

四天王: この常陸坊(ひたちぼう)をはじめとして、従うものども、関守に、呼び止められし、そのときは、
ここぞ君の、おん大事、と思いしに、


セリフ名を便宜上「四天王」としています。「義経四天王」は、伊勢三郎、駿河八郎、亀井六郎、片岡次郎、の4人です。書き分けると混乱しそうなので「四天王」で統一しました。「常陸坊海尊(ひたちぼう かいそん)」は四天王の兄貴格にあたります。

>このわたくし、常陸坊をはじめとして従うものどもはみな、義経さまが関守に呼びとめられたそのときには、
絶対絶命だ。今こそ主君の危機だ。お助けしなければと思ったのだが、

四天王: まことに、源氏の氏神(うじしん)、正八幡(しょうはちまん)の、我が君を、守らせ給う、おんしるし。
陸奥下向(みちのく げこう)は、すみやかなるべし。

>ほんとうに、これは源氏一族の氏神である正八幡大菩薩がわが主君をお守りくださっているありがたい証拠であることだ。
このような加護があるのだから、陸奥へは(問題なく)すぐに行き着くことができるであろう。

四天王: これまったく、武蔵坊の、智謀によらずんば、まぬがれ難し。
なかなかもって、我々が、およぶべきところに、あらず。

>今回のことはまったくもって、武蔵坊(弁慶)の巧みな計略によって切り抜けなかったら、逃れることはできなかったであろう。
とてもとても、我々の知恵では及ぶことはできそうにない。

ほほぅ、
驚きいって候。

>おおおう、
大変に驚いてございます。

弁慶: それ、時は末世に及ぶと、いえども、日月(じつげつ)いまだ、地に落ちたまわず。
ご幸運、ははぁ、ありがたし、ありがたし。

>まったく、今の時代は乱れていて末世に至っていると思われるのだが、そうは言っても正道を照らして我々を助けてくれる日や月は、いまだに地にお落ちになってはいない。
義経さまのこのご幸運、ああ、ありがたいことだ。ありがたいことだ。

計略(けいりゃく)とは申しながら、まさしき主君を、打擲(ちょうちゃく)、
天罰、空恐ろしく、千鈞(せんきん)も上ぐる、それがし、腕も、しびるるごとく、覚え候。
はあぁ、もったいなや、もったいなや。

>計略であったとは申しながら、まさに自分の主君であるかたを打ち叩くとは、
自分に降りかかるであろう天罰がなんとも恐ろしく、千鈞の重さでも持ち上げるような大力なわたくしですが、金剛杖を持つ腕がしびれて動かないように思えました。
あああ、畏れ多いことです、畏れ多いことです。

※「千鈞」は例えなので正確な重さを知る必要はありませんが、
参考までに、1鈞=30斤(600グラム)なので18tです。たぶん(ゼロ数えまちがえてなければ)。


唄: ついに泣かぬ、弁慶の、一期の涙ぞ、殊勝なる。
判官、おん手を、取り給い

>絶対に泣かないような意思の強い弁慶の、一生に一度の涙は、けなげなことであるよ。
義経さまは(ひれ伏して泣く弁慶の)手をお取りになり、

義経: いかなればこそ、義経は、弓馬(きゅうば)の家に、生まれ来て、かくまで、武運つたなきぞ。
命は、兄、頼朝にたてまつり、屍(かばね)は、西海(さいかい)の波に、沈め、

>どのような理由があって、わたくし義経は、弓や馬をあやつるものである武士の家に生まれてきたのに、このように武運がなく、うまくいかないのであろうか。
自分の命は兄の頼朝に差し上げたつもりで一生懸命戦い、相手であった平家のしかばねは、すべて西国(九州)の海に沈め、

弁慶: 山野海岸(さんや かいがん)に、起き伏し、明かす、武士(もものふ)の。
>戦いに明け暮れて山や野、海岸に寝ては起き、夜を明かす、武士の暮らしの、

唄: 鎧(よろい)に、沿いし、袖枕(そでまくら)。片敷く隙(ひま)も、波の上。
>そのように暮らす武士の鎧とともに身につけていた着物の袖、その袖を(腕を)枕にして充分な寝具もなく眠るのだが、着ているものを半身だけ脱いで寝具の代わりに下に敷く。
一緒に眠る愛しい女性がいれば衣を2枚重ねることができるのだが、戦の間はひとり寝なので、衣も片方(一枚)だけ敷いてさみしく眠ることだ。
そうやってさみしく眠るその僅かな間も、海の戦であれば船の中、波の上で、落ち着かない。

ある時は、舟にうかび、風波(ふうは)に、身を任せ。
またある時は、山脊(さんせき)の、馬蹄(ばてい)も見えぬ、雪の中に、海少しある、夕波の、
立ちくる音や、須磨明石(すま あかし)。


この部分は「平家物語」にもある義経と平家一門との戦いの場面を唄っています。

>平家と戦った戦の日々は、あるときは八島や壇ノ浦の船戦で船にのって浮かび、風や波に逆らえずに自由に動けないままに戦い、
またあるときは、山の尾根ぞいの馬の足跡も見えないような深い雪の中を進んで山を越える。
雪山の中に海が少し見える。夕方になって波が高くなりはじめる音が聞こえるのは、須磨と明石の海だ。
このように山を越えて須磨に陣を張る平家を攻めたこともあった。

とかく、三年の程(みとせのほど)も、なくなく、いたわしやと、しおれかかりし 鬼あざみ、露に霜おく、ばかりなり。
>このように心身を砕いたにもかかわらず、兄の頼朝に命を狙われて流浪の身になって3年、3年はいろいろあってすぐにすぎて、気づく間もなかった、その「なく」ではないが、
思えば義経さまの身の上は痛ましいことであると、鬼あざみのようにいかつい弁慶が泣く泣くしょんぼりとする様子は、鬼あざみの上に露が降りてぐったりし、その上にまた霜が降ってさらにしおれているようなありさまであるよ。

弁慶: とく、とく、退散。
>急いで急いで、退散しましょう。

唄: 互いに、袖を引きつれて、いざ立て給えの、折からに。

>義経一行はお互いに袖を引っ張りあって急ぎ、さあご出発くださいと申し上げている、まさにそのとき。

富樫: のうのう、客僧たち、しばし、しばし。
>もうしもうし、旅の僧たち、少し、少し、お待ちください。

さきほどの「富樫左衛門」が、家来を連れてまた登場します。
関所からここまで追ってきたのです。あわてる一行。


富樫: さても、それがし、あまりに、率爾(そつじ)を申せしゆえ、
粗酒(そしゅ)ひとつ進ぜんと、持参(じさん)せり。
いでいで、杯(さかずき)、まいらせん。

>とにもかくにも、わたくしは先ほど、あまりに失礼なことを申し上げたので、
つまらない酒ではありますが、一杯差し上げようと酒を持ってやってきました。
さあさあ、杯に酒をついでさしあげましょう。

富樫は自分たちを捕らえに来たのではなく、見送りに来たのでした。
義経一行と気づいた上で見逃す心なのだと知った弁慶、感謝の心を込めながら、表面上は山伏としてふるまいます。


弁慶: あら、ありがたの、大檀那(だいだんな)。
ごちそう、頂戴つかまつる。

>おお、なんとありがたい大檀那さまであろうか。
ありがたくご馳走をちょうだいいたします。

唄: げにげに、これも、心得たり。
人の情の杯を、受けて心をとどむとかや。
今は昔の 語り草。

>ああまさに、これもひとの心をよくわかっているなあ。
人が情けをこめてさす杯を受けて、その心を慕わしく思って相手に心をとどめるというではないか。
今は昔であるが、昔からある言い伝えであるよ。

※弁慶が大杯の酒を飲み干す、おかしみのある人気場面です。
が、ここの長唄は歌詞も歌もじつに美しいです。逆言えば弁慶の動きにも絵的な見どころは少ないので、歌をじっくり聴くのもいいものです。


あら恥ずかしの 我が心。一度まみえし女さえ、迷いの道の、関越えて、今また ここに 越えかぬる。
人目の関の、やるせなや。ああ 悟られぬこそ、浮世なれ。

>そんなことも忘れてただ先を急いだとは、ああ恥ずかしく思える自分の心であることだ。
一度会った(関係を持った)だけの、行きずりの遊女のような女でさえ相手に心が残れば、道に迷いながらも、通りにくい関所を越えても、煩悩の迷いの道を乗り越えてまでも相手に会いに行く。
そして今またここで、越えるに越えられない関がある。
逃亡中という身にとって、人目が気になって自由に行動できないという関所はどうしようもない。
煩悩の迷いがあるからこそ、このように進みかねるのである。ああ本当に、悟りを開けない弱い自分こそが、この不安定でつらい浮世そのものなのだなあ。

ここまではゆったりとした曲の調子で唄も太夫さんのソロです。
ここからテンポが速くなってきます。
弁慶が舞いはじめます。


唄: おもしろや、山水(やまみず)に。おもしろや山水に。
盃を 浮かべては、流(りゅう)に引かるる、曲水(きょくすい)の、手まず、さへぎる、袖ふれて、
いざや、舞を舞はうよ。

>楽しいことだな、山の清流に、楽しいことだな、山の清流に、杯を浮かべては、その流れの勢いに引かれて杯が流れていく。
庭に流れを作って杯を流し、歌を詠む「曲水の宴」を思わせる。
流れる杯を止めようとまず手をかざし、袖がゆれるよ。
さあ、舞を舞いましょうよ。

弁慶: 先達(せんだつ)、お酌に、まいって候。
>先導者であるわたくしが、お酌をしに参ってございます。

富樫: 先達、ひと差し、おん舞い候へ。
>先導者さん、ひとさしお舞いください。

弁慶: (唄)万歳(ばんぜい)ましませ 巌の上 万歳ましませ 巌の上。
亀は棲むなり。ありうどんどう。

>万年もお生きになりますように、大きな岩の上に、万年もお生きになりますように、大きな岩の上に万年生きるという亀が棲んでいるそうだ、おめでたいことだ。ありうどんどう。


「亀はすむなり ありうとうとう」は能の「翁」にある文句です。「ありうとうとう」は囃し言葉です。
弁慶は一度激しく舞い、ゆったりした舞をはさんで最後の激しい舞に移ります。
笛の音も入ってきてクライマックスです。


唄: もとより弁慶は、三塔(さんとう)の、遊僧(ゆうそう)。
舞、延年(えんねん)の時の、若

>もともと弁慶は子供のことは三塔(比叡山延暦寺)にいて、儀式のときに舞を舞う僧だったのだ。延年の舞を舞うときの若稚児であった。

「延年の舞(えんねんのまい)」は、当時大寺院で大きな法会イベントのあとの宴会の余興で舞が舞われた、その舞のことです。
「延年の舞」のために専門の僧がいました。これが「遊僧」です。
「遊僧」を「勇僧」としている資料もありますが、弁慶がケンカ強かったのは確かですが、
比叡山にいたころはまだ踊りが上手な寺稚児だったのです。


弁慶: (唄)これなる、山水(やまみず)の 落ちて、巌(いわお)に響くこそ。
>ここを流れる山の清流の、崖から落ちて下の大岩にその音が響く、その音こそ

唄: これなる、山水の 落ちて巌に 響くこそ。
鳴るは、瀧の水、鳴るは瀧の水。

>ここを流れる山の清流の、崖から落ちて下の大岩にその音が響く、その音こそ、
大きな音で鳴るのは、滝の水だ、鳴るのは滝の水だ。

山中の小さな清流が崖から落ちて滝となり、ごうごうと音をたてて岩に落ちる、
その様子を、今山の中でこっそりと逃げている義経がやがて大軍を率いて国を揺るがすであろうことをイメージしていると思います。


日は照るとも、絶えず。とうたり。
>日が照って暑いつらい日が続いても、この流れは絶えない。

「鳴るは滝の水」「日は照るとも絶えず とうたり」も、能の「翁(おきな)」にあるおめでたい文句です。
「とうたり」というのは囃しことばです。
「翁」は能の中でも特別なもので、祝福の儀式としての意味合いがあります。弁慶は義経の前途を祝福しているのです。


唄:とくとく立てや。
手束弓(たつかゆみ)の、心許すな。関守の人々。
暇(いとま)申して、さらばよ、とて。笈を、おっ取り。肩に打ち懸け。

>さあ急いで立つのだ。
手束弓を持つ関守といえば、通るのを許すものではないが、しっかり警護して心を許さないようにしなさい関守のみなさん。
ではと、退出のあいさつをして、さらばよと言って、
山伏たちは、肩の荷物を急いで持って肩にかけ、


「手束弓(たつかゆみ)」は、
「関守」「手束弓」と「ゆるす」で縁語的に使うようです。用例は少ないです。


激しく舞いながら弁慶が一行に合図します。
一行はすばやく準備して順に花道を引っ込みます。弁慶が酔ったふりで踊って、その間に一行が目立たないように逃げるのです。


虎の尾を踏み、毒蛇(どくじゃ)の口を、のがれたる、心地して、
陸奧(むつ)の国へぞ、下りける。

>虎の尾を踏んだり、毒蛇にかまれそうになって逃げおおせたりするような、九死に一生を得た思いをしつつ、
一行は陸奥の国へと下っていったのであったよ。

最後に弁慶が花道に出ます。
花道に出て幕が引かれた時点で、弁慶も少し走って山道にいるイメージです。仲間が無事に逃げたか遠くの山道をすかし見ます。
仲間の無事を確認すると、振り返って、もう姿は見えない富樫に深く一礼します。
そのあと飛ぶように走って一行を追いかけます。
「飛六法(とびろっぽう)」とよばれる動きで、最後の見せ場になります。



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4 コメント

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誤りたもうな (富樫)
2014-06-05 17:36:56
富樫の台詞、「誤りたもうな」ではなく「早まり給うな」だと存じます。
富樫の台詞の中でも重要な所なので、お知らせしたくコメントさせていただきました。
コメントありがとうございます。 (ひろせがわ)
2014-06-08 00:30:38
誤りたもうなさま
うわぁあああああ本当だ。
ありがとうございます。
まさに、誤りたもうなと言うとこですねここは!!
修正します。
ごていねいにありがとうございましたー。
四天王 (いつもお世話になってる者です)
2015-02-21 18:28:23
四天王の名前、次郎と八郎が...
Unknown (勉強させていただいています)
2017-10-22 13:36:27
「弓矢正八幡(ゆみや しょうはちまん)の神慮(しんりょ)と思えば かたじけのう、思ゆるぞ。」の部分の訳が抜けているようです。

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