
忠臣蔵が題材です。
明治に入ってからの「新作」です。
いわゆる=仮名手本忠臣蔵=等の「忠臣蔵」関連作品のなかで、
江戸期に作られた作品群は「実在の事件を題材にしてはいけない」という幕府の禁止があったので、関係者の本名を使っていません。
設定も表向き南北朝時代になったりしています。
これは新作なので登場人物もみんな本名です。
討ち入り直前の江戸の街が舞台です。
赤穂浪士は深く静かに潜伏しているので、誰も討ち入りの計画が進んでいるのに気付きません。
吉良とその関係者はひと安心ですが、赤穂浪士を応援するヒトビトはイライラしています。
雪が振る夜の日本橋です。
浪士のひとり、大高源吾(おおたか げんご)が登場します。
討ち入り計画を気付かれないように、おとなしく暮れの大掃除用の笹竹を売っています。
年の瀬の江戸の風情がよく出た、きれいな場面で浮世絵のように美しい絵面ですが、
すっごく寒そうです。
こういう「季節物」を売り歩いているということは、彼が定職についていない、その日暮らしであることを示します。
例えば同じ「振り売り」でも、魚屋や煮物屋や生活必需品を売っているなら、それが恒常的な生業ということになりますが、
暮れのホウキ、夏のスダレなんかを売っているのは日雇いのプーです。貧乏です。
「宝井其角(たからい きかく)」が通りかかります。
「宝井其角」は「松尾芭蕉」のわりと有名なお弟子さんです。実在の俳人です。古典の教科書にも出てます。
芭蕉一門の中でも武家階級とのつながりが深かったかたです。お殿様の連歌の会なんかによく呼ばれました。
江戸のダサい田舎大名、違った、無骨な武家階級の教養レベルの底上げにも功績があったと思うのですが、
もともと教養のあるお大名や旗本もいたので、それらのかたがたと優雅にお付き合いもしていました。
ここに出てくる「松浦さま」は、後者のほうです。
大高源吾と其角は俳諧仲間です。
基角が雪の両国橋のたもとで源吾と出会うところからはじまります。
よく考えると両国橋のへんをうろうろしているのですから、
源吾は吉良家の様子を探っているのですが、
そこは誰も気づいていないままにお話が進みます。
基角は大高源吾の妹のお縫(おぬい)ちゃんの、腰元奉公の世話をしました。
懇意にしている松浦さまのお屋敷でお縫ちゃんは働いています。
お殿様にも気に入られてなかなか待遇はいいみたいです。
細かく言うと、松浦さまはすでに隠居しているので「お殿様」ではないのですが、まあいいです。
毎日連歌だの茶の湯だので優雅にくらしているようです。
さて、討ち入りの予定を外部には隠しておきたい大高源吾は、基角にむかって
「討ち入りはしない、今は貧乏でも静かに暮らすのが楽しい」と言います。
ふぬけたことを聞かされて、基角はちょっとがっかりです。
でも寒そうだから着ていた羽織をあげます。松浦さまからいただいた大事な御紋付きだけど、まあいいや。
見た目ペラペラの羽織を一枚上に着たって大差ねえだろうと思うかもしれませんが、
一度おかいこ総裏付きの羽織を着てみればいいんです。 それはそれは軽くてあったかいのです。
ここで、ふと其角が、まだ俳諧は忘れていないよね、と確かめるかのように
源吾に一句詠みかけます。
「年の瀬や 川の流れと 人の身は」
年の瀬だなあ。川の流れのようにいろいろとせわしない。この大川(隅田川)の流れのように時間だけがすぎていく。
人生もそのようなものだろうか。
みたいな意味です。
これに源吾が付け句をします。
「明日待たるる その宝船」
前の句に「川」があるのを受けて「宝船」を出します。「宝船」はお正月に飾る縁起物ですからお正月を意味します。
すぐにお正月が来て宝船がやってくる。それが待ち遠しく思われることだな。
みたいな意味です。
表面的には、季節感を受けてきれいに無難にまとめた句なのですが、
その真の意味はあとで明らかになります。
これは「連歌」の「発句(ほっく)」と「付け句」なのですが、
ここでは、これで「五、七、五、七、七」でまとまっていますから、
ふつうの和歌のような気持ちでご覧になって大丈夫です。
「連歌(れんが)」というのは、このまま、さらにどんどん「五、七、五」→「七、七」→「五、七、五」→と無限(35句)に順番に句をつないで行きます。
前の句の内容との関連を最低限維持しながら、前の句とは全然違う場面を展開させていくのが「連歌」のやりかたです。
「そうつなげるか」「そう変えてくるか」という驚きが必要で、
しかも、前の句とつなげて見た時にきちんとひとつの句に見えなければなりません。
非常に難易度が高い上に、やっている人たちは楽しそうですが、後で読むと脈絡がなさすぎてものすごく疲れます。
すぐに廃れて「発句」だけが「俳句」として残ったのはムリないと思います。
場面が変わります。
・松浦候屋敷
其角は今日はお殿様の松浦さまのお屋敷に連歌に呼ばれています。
じつはこの松浦さまが主人公です。
「松浦鎮信(まつうら しずのぶ)」という名前で、旗本なのですが、すでに隠居して趣味三昧の生活を送っています。
うらやましいことです。
連歌も大好きですので、今日も師匠の其角を呼んで家来もまきこんで連歌の会とやっています。
ところで、ここが重要なのですが、松浦さまのお屋敷は、問題の「吉良上野介」のお屋敷のお隣りなのです。
もちろん当時の旗本屋敷なので敷地は広大です。
都内(区内)の昔の地図と見比べると、旗本屋敷→小中学校、大名屋敷→大学というかんじに転用されています。
広さが感覚的におわかりいただけるかと思います。
なのですぐそばというわけではありませんが、とにかく「お隣」なのです。
上機嫌で連歌を楽しむ松浦さまですが、
腰元の「お縫(おぬい)ちゃん」がやってきてお茶を入れはじめると、なんだか機嫌が悪くなります。
お縫ちゃんはお気に入りだったはずなのに変だなと思う其角。
ここからしばらく、セリフと連歌で状況を説明する流れになるので少々わかりにくいですが、
だいたいの流れだけ書いておきます。
其角は、松浦さまがお縫ちゃんを口説いて断られたので気まずくなってお縫ちゃんを遠ざけているのだろうと邪推します。
邪推です念のため。
ここで句のやりとりがあり、松浦さまはきげんを直します。
しかし其角が大高源吾に羽織をあげた話を聞いてまた怒り出します。
松浦さまは、じつは切腹した浅野内匠頭にとても同情しています。吉良に怒っています。
なので、赤穂の浪士たちが討入りを計画しているというウワサを聞いて以来、「いつ討ち入るか」と楽しみで楽しみでしょうがなかったのです。
子供のようです。
ここでも、さっきの連歌での自分の句を引き合いに出して、あれは赤穂浪士たちをイメージして詠んだのだと言います。
お縫ちゃんに怒っていたのも、大高源吾の妹だからという理由だったのです。
しかし、ここで其角がふと思い出して、源吾との歌のやりとりのことを話します。
「明日待たるる その宝船」
これは、俳諧に興味がない我々のほうが意味を読み取りやすいと思います。
俳諧をやっている人は無意識に「宝船」を「正月」の意味に変換してしまうので逆に気づかないのです。
そう、「宝船」はお正月のことではなく、もっと広い意味での「なにかいい事」を指すのです。
つまり、「近いうちにいい事がある予定ですよ。待ち遠しいです」と言っているのです。
いい事とは、そう
「討入り」です。
これに気付いた松浦さま。大喜びです。なんだやる気あるんじゃないか。やったー!!
という、このタイミングで太鼓の音が聞こえてきます。
これはお祭りの太鼓ではなく、「陣太鼓」です。戦闘の合図に打つ太鼓です。
お隣で討ち入りです。わあい。
ここで、太鼓の音を聞いて松浦さまが指を折って数えるシーンがあります。
大石蔵之助の学んだ兵法(ひょうほう)が「山鹿流(やまがりゅう)」で、
松浦さまも同じ流派です。兄弟弟子なのです。
この流派の陣太鼓の打ち方が独特らしいのです。
セリフによると
「三丁陸六ッ、一鼓六足、天地人の乱拍子(さんちょう りくむっつ いっころくそく てんちじんの らんびょうし)」
って意味わかりません。
まあそういうのを指を折って数えているのです。
「この打ち方は、赤穂藩!! 大石殿だ!! 討ち入りかー!!」というかんじです。
三波春男先生の歌謡浪曲「俵星玄蕃(たわらぼし げんば)」によると、
♪ひと打ち 二打ち 三流れ
あれは 確かに 確かにあれは 山鹿流儀の 陣太鼓♪
だそうです。
舞台が回って玄関先になります。
松浦さまは助太刀する気まんまんで火事装束に着替えて飛び出そうとするところを
家来に引き止められています。
ここに討ち入りを終えた大高源吾があいさつに来ます。
大高源吾の役者さんが上手でかっこよくて声がいいと、討ち入りの様子を語るところがものすごく盛り上がります。
あとセリフが聞き取れないと、ちょっと長いからつらいかもしれません。
なんとなく「かっこいいー」で乗り切ってください。
大高源吾が討ち入り後、付近の武家屋敷にあいさつ&報告に回ったのは史実のようです。
まさにお芝居の設定どおり、基角と親交があったために趣味つながりで大名旗本に顔見知りが多かったからです。
というわけでこのお芝居はそれなりに史実をふまえています。
松浦さまは源吾に「辞世の句(じせいの く)」をと望みます。
「辞世の句」は死に臨んで読む句ですから、ちょっと気が早いですが、
源吾の俳人としての実力を知っている松浦さまがどうしても源吾の句を見たかったのです。
「山をぬく 刀も折れて 松の雪」
「山を抜く」というのは中国の古典の「史記」にある言い回しで、
山を抜き通すほどの大きな力をいいます。
山を抜くほどの大力を振り絞って戦った。その刀も折れて力尽きた。
あとは春の松の雪がとけて消えていくように、静かにこの生命が消えるのを待つだけだ。
みたいな意味かと思います。
その忠義心と覚悟に感動する松浦さまでした。
おわりです。
松浦さまは、役柄としては「実事(じつごと)」というカテゴリーに入ります。
真面目で大人っぽい役柄で、主人公の味方という役柄です。
しかしコミカルな部分もあり、教養人なので華やかさもある、かなりオイシイ役に描かれています。
とはいえ普通にやるとコミカルな部分が安っぽくなってしまうので、
もちろん誰にでもできる役というわけではありません。
初代吉右衛門(現吉右衛門のお祖父さん)の松浦さまが絶品だったそうで、
彼のために書かれたお芝居のように思われていますが、
初演は、意外なことに上方です。
そのときの松浦さまは、初代吉右衛門の父親にあたる中村歌六(なかむら かろく)です。
明治期の名優ですが、完全な上方役者です。
今は現吉右衛門さんが得意にしていることもあって、江戸風のすっきりしたお芝居に仕上がっていますが、
数年前に仁左衛門さんがなさったとき、松浦候のコミカルな部分がかなりコテコテに演じられていて、
ちょっと新鮮でした。
周囲のお客さんの反応は「やりすぎ」「違和感がある」みたいなかんじでしたが、
あの仁左衛門さんの松浦候が、初演時の雰囲気を伝えているんだろうなと思えたので、
そういう意味で非常に貴重な舞台だったと思います。
=50音索引に戻る=
明治に入ってからの「新作」です。
いわゆる=仮名手本忠臣蔵=等の「忠臣蔵」関連作品のなかで、
江戸期に作られた作品群は「実在の事件を題材にしてはいけない」という幕府の禁止があったので、関係者の本名を使っていません。
設定も表向き南北朝時代になったりしています。
これは新作なので登場人物もみんな本名です。
討ち入り直前の江戸の街が舞台です。
赤穂浪士は深く静かに潜伏しているので、誰も討ち入りの計画が進んでいるのに気付きません。
吉良とその関係者はひと安心ですが、赤穂浪士を応援するヒトビトはイライラしています。
雪が振る夜の日本橋です。
浪士のひとり、大高源吾(おおたか げんご)が登場します。
討ち入り計画を気付かれないように、おとなしく暮れの大掃除用の笹竹を売っています。
年の瀬の江戸の風情がよく出た、きれいな場面で浮世絵のように美しい絵面ですが、
すっごく寒そうです。
こういう「季節物」を売り歩いているということは、彼が定職についていない、その日暮らしであることを示します。
例えば同じ「振り売り」でも、魚屋や煮物屋や生活必需品を売っているなら、それが恒常的な生業ということになりますが、
暮れのホウキ、夏のスダレなんかを売っているのは日雇いのプーです。貧乏です。
「宝井其角(たからい きかく)」が通りかかります。
「宝井其角」は「松尾芭蕉」のわりと有名なお弟子さんです。実在の俳人です。古典の教科書にも出てます。
芭蕉一門の中でも武家階級とのつながりが深かったかたです。お殿様の連歌の会なんかによく呼ばれました。
江戸のダサい田舎大名、違った、無骨な武家階級の教養レベルの底上げにも功績があったと思うのですが、
もともと教養のあるお大名や旗本もいたので、それらのかたがたと優雅にお付き合いもしていました。
ここに出てくる「松浦さま」は、後者のほうです。
大高源吾と其角は俳諧仲間です。
基角が雪の両国橋のたもとで源吾と出会うところからはじまります。
よく考えると両国橋のへんをうろうろしているのですから、
源吾は吉良家の様子を探っているのですが、
そこは誰も気づいていないままにお話が進みます。
基角は大高源吾の妹のお縫(おぬい)ちゃんの、腰元奉公の世話をしました。
懇意にしている松浦さまのお屋敷でお縫ちゃんは働いています。
お殿様にも気に入られてなかなか待遇はいいみたいです。
細かく言うと、松浦さまはすでに隠居しているので「お殿様」ではないのですが、まあいいです。
毎日連歌だの茶の湯だので優雅にくらしているようです。
さて、討ち入りの予定を外部には隠しておきたい大高源吾は、基角にむかって
「討ち入りはしない、今は貧乏でも静かに暮らすのが楽しい」と言います。
ふぬけたことを聞かされて、基角はちょっとがっかりです。
でも寒そうだから着ていた羽織をあげます。松浦さまからいただいた大事な御紋付きだけど、まあいいや。
見た目ペラペラの羽織を一枚上に着たって大差ねえだろうと思うかもしれませんが、
一度おかいこ総裏付きの羽織を着てみればいいんです。 それはそれは軽くてあったかいのです。
ここで、ふと其角が、まだ俳諧は忘れていないよね、と確かめるかのように
源吾に一句詠みかけます。
「年の瀬や 川の流れと 人の身は」
年の瀬だなあ。川の流れのようにいろいろとせわしない。この大川(隅田川)の流れのように時間だけがすぎていく。
人生もそのようなものだろうか。
みたいな意味です。
これに源吾が付け句をします。
「明日待たるる その宝船」
前の句に「川」があるのを受けて「宝船」を出します。「宝船」はお正月に飾る縁起物ですからお正月を意味します。
すぐにお正月が来て宝船がやってくる。それが待ち遠しく思われることだな。
みたいな意味です。
表面的には、季節感を受けてきれいに無難にまとめた句なのですが、
その真の意味はあとで明らかになります。
これは「連歌」の「発句(ほっく)」と「付け句」なのですが、
ここでは、これで「五、七、五、七、七」でまとまっていますから、
ふつうの和歌のような気持ちでご覧になって大丈夫です。
「連歌(れんが)」というのは、このまま、さらにどんどん「五、七、五」→「七、七」→「五、七、五」→と無限(35句)に順番に句をつないで行きます。
前の句の内容との関連を最低限維持しながら、前の句とは全然違う場面を展開させていくのが「連歌」のやりかたです。
「そうつなげるか」「そう変えてくるか」という驚きが必要で、
しかも、前の句とつなげて見た時にきちんとひとつの句に見えなければなりません。
非常に難易度が高い上に、やっている人たちは楽しそうですが、後で読むと脈絡がなさすぎてものすごく疲れます。
すぐに廃れて「発句」だけが「俳句」として残ったのはムリないと思います。
場面が変わります。
・松浦候屋敷
其角は今日はお殿様の松浦さまのお屋敷に連歌に呼ばれています。
じつはこの松浦さまが主人公です。
「松浦鎮信(まつうら しずのぶ)」という名前で、旗本なのですが、すでに隠居して趣味三昧の生活を送っています。
うらやましいことです。
連歌も大好きですので、今日も師匠の其角を呼んで家来もまきこんで連歌の会とやっています。
ところで、ここが重要なのですが、松浦さまのお屋敷は、問題の「吉良上野介」のお屋敷のお隣りなのです。
もちろん当時の旗本屋敷なので敷地は広大です。
都内(区内)の昔の地図と見比べると、旗本屋敷→小中学校、大名屋敷→大学というかんじに転用されています。
広さが感覚的におわかりいただけるかと思います。
なのですぐそばというわけではありませんが、とにかく「お隣」なのです。
上機嫌で連歌を楽しむ松浦さまですが、
腰元の「お縫(おぬい)ちゃん」がやってきてお茶を入れはじめると、なんだか機嫌が悪くなります。
お縫ちゃんはお気に入りだったはずなのに変だなと思う其角。
ここからしばらく、セリフと連歌で状況を説明する流れになるので少々わかりにくいですが、
だいたいの流れだけ書いておきます。
其角は、松浦さまがお縫ちゃんを口説いて断られたので気まずくなってお縫ちゃんを遠ざけているのだろうと邪推します。
邪推です念のため。
ここで句のやりとりがあり、松浦さまはきげんを直します。
しかし其角が大高源吾に羽織をあげた話を聞いてまた怒り出します。
松浦さまは、じつは切腹した浅野内匠頭にとても同情しています。吉良に怒っています。
なので、赤穂の浪士たちが討入りを計画しているというウワサを聞いて以来、「いつ討ち入るか」と楽しみで楽しみでしょうがなかったのです。
子供のようです。
ここでも、さっきの連歌での自分の句を引き合いに出して、あれは赤穂浪士たちをイメージして詠んだのだと言います。
お縫ちゃんに怒っていたのも、大高源吾の妹だからという理由だったのです。
しかし、ここで其角がふと思い出して、源吾との歌のやりとりのことを話します。
「明日待たるる その宝船」
これは、俳諧に興味がない我々のほうが意味を読み取りやすいと思います。
俳諧をやっている人は無意識に「宝船」を「正月」の意味に変換してしまうので逆に気づかないのです。
そう、「宝船」はお正月のことではなく、もっと広い意味での「なにかいい事」を指すのです。
つまり、「近いうちにいい事がある予定ですよ。待ち遠しいです」と言っているのです。
いい事とは、そう
「討入り」です。
これに気付いた松浦さま。大喜びです。なんだやる気あるんじゃないか。やったー!!
という、このタイミングで太鼓の音が聞こえてきます。
これはお祭りの太鼓ではなく、「陣太鼓」です。戦闘の合図に打つ太鼓です。
お隣で討ち入りです。わあい。
ここで、太鼓の音を聞いて松浦さまが指を折って数えるシーンがあります。
大石蔵之助の学んだ兵法(ひょうほう)が「山鹿流(やまがりゅう)」で、
松浦さまも同じ流派です。兄弟弟子なのです。
この流派の陣太鼓の打ち方が独特らしいのです。
セリフによると
「三丁陸六ッ、一鼓六足、天地人の乱拍子(さんちょう りくむっつ いっころくそく てんちじんの らんびょうし)」
って意味わかりません。
まあそういうのを指を折って数えているのです。
「この打ち方は、赤穂藩!! 大石殿だ!! 討ち入りかー!!」というかんじです。
三波春男先生の歌謡浪曲「俵星玄蕃(たわらぼし げんば)」によると、
♪ひと打ち 二打ち 三流れ
あれは 確かに 確かにあれは 山鹿流儀の 陣太鼓♪
だそうです。
舞台が回って玄関先になります。
松浦さまは助太刀する気まんまんで火事装束に着替えて飛び出そうとするところを
家来に引き止められています。
ここに討ち入りを終えた大高源吾があいさつに来ます。
大高源吾の役者さんが上手でかっこよくて声がいいと、討ち入りの様子を語るところがものすごく盛り上がります。
あとセリフが聞き取れないと、ちょっと長いからつらいかもしれません。
なんとなく「かっこいいー」で乗り切ってください。
大高源吾が討ち入り後、付近の武家屋敷にあいさつ&報告に回ったのは史実のようです。
まさにお芝居の設定どおり、基角と親交があったために趣味つながりで大名旗本に顔見知りが多かったからです。
というわけでこのお芝居はそれなりに史実をふまえています。
松浦さまは源吾に「辞世の句(じせいの く)」をと望みます。
「辞世の句」は死に臨んで読む句ですから、ちょっと気が早いですが、
源吾の俳人としての実力を知っている松浦さまがどうしても源吾の句を見たかったのです。
「山をぬく 刀も折れて 松の雪」
「山を抜く」というのは中国の古典の「史記」にある言い回しで、
山を抜き通すほどの大きな力をいいます。
山を抜くほどの大力を振り絞って戦った。その刀も折れて力尽きた。
あとは春の松の雪がとけて消えていくように、静かにこの生命が消えるのを待つだけだ。
みたいな意味かと思います。
その忠義心と覚悟に感動する松浦さまでした。
おわりです。
松浦さまは、役柄としては「実事(じつごと)」というカテゴリーに入ります。
真面目で大人っぽい役柄で、主人公の味方という役柄です。
しかしコミカルな部分もあり、教養人なので華やかさもある、かなりオイシイ役に描かれています。
とはいえ普通にやるとコミカルな部分が安っぽくなってしまうので、
もちろん誰にでもできる役というわけではありません。
初代吉右衛門(現吉右衛門のお祖父さん)の松浦さまが絶品だったそうで、
彼のために書かれたお芝居のように思われていますが、
初演は、意外なことに上方です。
そのときの松浦さまは、初代吉右衛門の父親にあたる中村歌六(なかむら かろく)です。
明治期の名優ですが、完全な上方役者です。
今は現吉右衛門さんが得意にしていることもあって、江戸風のすっきりしたお芝居に仕上がっていますが、
数年前に仁左衛門さんがなさったとき、松浦候のコミカルな部分がかなりコテコテに演じられていて、
ちょっと新鮮でした。
周囲のお客さんの反応は「やりすぎ」「違和感がある」みたいなかんじでしたが、
あの仁左衛門さんの松浦候が、初演時の雰囲気を伝えているんだろうなと思えたので、
そういう意味で非常に貴重な舞台だったと思います。
=50音索引に戻る=
今月の「壽初春大歌舞伎」では
二人があうのは日本橋ではなく両国橋でした。
その時々でかわるのでしょうか?
それとも橋の名前はあまり意味がないのでしょうか。
申し訳ありません。ありがとうございます。
ついでなので文章も少し手直ししました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
このブログのおかげで、かなり楽しめました。
ありがとうございます❗