歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「暫」 しばらく

2016年03月21日 | 歌舞伎
歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつになります。

もともと、「暫(しばらく)」というタイトルの独立 した演目があったわけではありません。
「悪人が横暴を極め、善人側の人々を殺そうとしているとき、「しばらく」と声をかけて圧倒的に強い正義の味方が現れ、
善人たちを助けて悪人の陰謀を暴く(そのあと悪人の手下たちをなで斬りにして去っていく)」

簡単に言うとこんな感じの一連の展開が、お芝居の中の約束ごととしてあったのです。
細かい設定や役名は毎回違います。
この展開をお芝居の中に使うとき、「『暫』の趣向を使う」という風に言いました。
もともとはそんなフレキシブルなものです。
どれくらい毎回違うかというと、元禄十年以降の「暫」が入っている作品の一覧を見たことがあるのですが、
毎回毎回全部設定と役名が違うものが、24ページ分ありました。というくらいなんでもアリです。

江戸末期になって七代目団十郎が歌舞伎十八番を選んだとき、その典型的な舞台として、「暫」というお芝居を整理したのが、現行上演の原型になっています。

具体的な流れを書きます。登場人物名は誰でもいいわけですが、とりあえず現行上演用の名前を入れておきます。

悪人役は、今は「清原武衡(きよはらの たけひら)」という人のことが多いです。
「清原武衡」は「前九年の役(奥州十二年戦役、1051~1062)」で安倍氏が滅んだあと、一時東北地方の実権をにぎった人です。
そのあと「後三年の役(1083~1087)」で「源義家(みなもとの よしいえ)」に滅ぼされました。
日本史上はあまり影響がない人なので、形式的な悪人として使い勝手がいいのだと思います。

神社は鶴岡八幡宮です。これもどこでもいいのですが、だいたいここです。

まず悪人たちの家来が、現政権側のひとたちとモメているところからはじまります。
現行上演では「加茂次郎義綱(かも じろう よしつな)」と、「三郎義郷(さぶろう よしさと)」の兄弟です。
彼らは八幡太郎義家(はちまんたろう よしいえ(源義家))の弟にあたりますが、まあ細かいことはいいです。
現政権側で、身分は高いけど権力はない人たち、という条件ならば誰でもいいのです。
次郎義綱には妻がいます。お姫様です。「桂の前(かつらのまえ)」といいます。美女です。

さて、彼らは神社に「大福帳」を奉納しようとしています。
「大福帳」というのは商店で使う出納簿です。横に長い分厚い帳面です。

「こんな、商人が使うような卑しいものを奉納するのは神社への冒涜だ」と、武衡の家来たちは難癖を付け、大福帳を取りおろし、
替わりに自分たちが奉納するりっぱな宝剣「雷丸(いかづちまる)」をかかげようとします。

モメていると、悪人のボスの「清原武衡(きよはらの たけひら)」が登場します。

ここで一度、モメごとが中断します。
武衡は非常に身分が高いようにふるまっているので、武衡の前では一度全員がかしこまる必要があるのです。
この演出によって、武衡が必要以上に横暴にふるまっていることが強調されます。

武衡は、大臣が着るような服を着て冠をつけています。
実際の武衡の位官は「中納言」なのですが、今非常に権力があるので、勝手に自分で自分を関白に任命してしまおうというのです。
傍若無人なふるまいです。

ここで武衡の家来たちが、順番に武衡のご機嫌を取るセリフを言います。
この家来たちも定番のメンバーになっています。

中でも、茶坊主の「鹿島入道震斎(かしま にゅうどう しんさい)」は
「鯰坊主(なまずぼうず)」と呼ばれる独特の扮装をしている典型的な道化役で有名です。
これと一緒に行動しているのが「女鯰(おんななまず)」と呼ばれる「照葉(てるは)」です。

善人側の「加茂次郎義綱」たちが武衡の暴走をいさめます。
彼らは身分上は武衡と同格なので、対等に物を言うことはできるのですが、実質的な権力や武力において圧倒的に弱いです。
というか今義綱は、大事な「国守の印(こくしゅのいん)」という領地の統治に使うアイテムをなくしてしまっており、勘当されています。
それもあって立場が弱いのです。
なので武衡は彼らの話をまったく聞かないというかバカにしています。

位置関係的にも、武衡は舞台中央の高い場所で家来に囲まれていばっており、善人側の義綱たちは花道のそばでひとかたまりになって座っています。
力の差がよくわかる絵面です。

ところで清原武衡は、加茂次郎義綱の妻の「桂の前」をとても気に入っています。
桂の前をヨメにしたいので差し出せと言いますが義綱は断ります。桂の前も断ります。

怒った武衡は一同の首を斬ってしまえと命じ、家来の「成田五郎(なりた ごろう)」を呼び出します。
「成田五郎」はだいたいこの名前で出てきます。強そうな赤い顔のお兄さんです。

善人方は絶体絶命です。

と、
「しばらく」
と花道の奥から声がします。
作品自体が完全にお約束ですので、出てくるのは誰かはすでにわかっています。
悪人たちはこの声を聞くだけで、なんとなくいやな気分になってびびります。

「暫」と言いながら花道から恐ろしげな大男が出て来ます。このひとが主人公です。

「暫(しばらく)」は、かなり様式性が高いので、登場の場面はお芝居の流れとは関係ないひとつのショーです。
敵のはずの家来たちが、主人公が登場する動きに合わせて「どっこい」と声を出します。これを「化粧声(けしょうごえ)」と言います。
江戸時代だと荒事の作品の見せ場にこの「どっこい」の声が入るのは定番で、古い脚本ですと「どっこいで決まる」などと指定があるものも多いのですが、
今はこの「暫」と、「車引(くるまびき)」というお芝居くらいかもしれません。
男が花道で一休みして、後見さん(こうけんさん)にお茶をもらって飲んだりします。

悪人の家来たちがビビりながら名前を聞くので、男は(というか設定が18歳なので少年ですが)名乗ります。
名前は今は大体、「鎌倉権五郎影政(かまくら ごんごろう かげまさ)」です。
後三年の役で大暴れした猛将です。その戦で片目になったので有名ですが、このお芝居は「後三年の役」の前という設定ですからまだ片目ではありません。

正確には現行上演の台本ですとセリフで後三年の戦いの後だというようなことを言っているのですが、
それだとそもそも清原武衡が滅びてしまっているので時代が合いません。
実質上は「前九年の役」の後、「後三年の役」の前、清原氏が奥州南部の実権を握っていた時期、というのが本当は正しいのだろうと思います。
まあこういうお芝居はきちんと考証しているわけではないので、雰囲気でごらんください。

主人公が名前を名乗る部分も「荒事」の定番の一種のショーになります。
「ツラネ(連ね)」という形式で語ります。
「ツラネ」というのは、主題になるものの由来や自慢を、名所や食べ物等の名前の、いわゆる「もの尽くし」を使ったりしながら「言い連ねる」文章です。たぶん聞いていても断片的にしか意味がわからないと思うのですが、ここでの内容は、権五郎影政の経歴や名前の由来です。
「暫(しばらく)」の「ツラネ」は、毎回この役の役者さんが自分で作るのが定例です。だいたいの形式や内容は決まっているのですが、それでもやはり、作るというのはたいへんだろうなと思います。

名前を聞いて悪人たちは「やはり」というかんじで怖がります。
悪い方の親玉の武衡も「ほかにたぐいも荒事の、本家に相違あらざるか」と言います。
この「荒事(あらごと)」は、「あらず」にかけています。「まちがいなく荒事の本家のあいつ(市川團十郎)だ」と言う意味です。
このセリフは主演が団十郎でない場合は多少変わります。

影政は、悪人ったちが善人側の義綱たちが奉納した大福帳を強引に取り外したことを怒っています。
そして大福帳の意味、何故大福帳を神社に奉納するのがアリなのかを、とうとうと語ります。
基本的に語呂合わせみたいなものであまり整合性はありません。町人文化が武家文化に対して相応の価値を持つという主張なのだと思います。

強そうな男が花道に陣取って、善人たちに手出しできないようににらんでいる状況です。
困った武衡の手下たちが、順番に出て行っては影政をどかそうとします。
おどしたり、なだめたり、頼んだり、攻撃したりですが、男はびくともしません。

まず出てくるのが、
鯰坊主(なばずぼうす)の雲斎(うんさい)です。
影政におどされてすぐに逃げるだけの楽しい役ですが、ちょっとわかりにくいセリフがあるので書いておきます。

怖くて行きたくないのをムリに行くところで
「なまずに去んでは(いんでは) この胸がすまぬ」と言います。
これが、「恋飛脚大和往来(こいびきゃく やまとのおうらい)」という有名な作品の中で、
主人公が恋人に会いに行こうか迷って言うセリフ「会わずに去んでは(いんでは)この胸が」というののパロディなのです。
もとのセリフは「(彼女に)会わないで他の場所に行ってしまっては、この胸が(すまない)」という意味です。
この「あわず」を「なまず」に変えただけの駄洒落です。もとのセリフが当時はとても有名だったのでおもしろかったのです。

次に出るのは女鯰(おんななまず)の「照葉(てるは)」です。
「暫」は、だいたい市川団十郎が主演で出すのですが、
女鯰が団十郎を直接説得しようとして、「もうし、成田屋のお兄さん」と、役名でなく本人の屋号で呼びかけるところが楽しいです。

このあと、
腹出しと呼ばれる、赤い太鼓腹を出している強そうなお兄さん達(兵隊)
奴さんたち
成田五郎(なりた ごろう) 一応敵方でいちばん強い人、
と、弱い方から順番に物理攻撃班が出動しますが、全員蹴散らされます。

主人公との圧倒的な力の差をここでは楽しみます。いろいろなパターンで主人公の強さが表現されます。どれも絵的に非常に美しく、楽しいです。そういう点もご覧いただくといいと思います。

彼らを蹴散らした権五郎影政は、ついに本舞台にやってきます。
ここもストーリーとは関係のないショー部分になり、
全員が「アーリャアーリャ」と「化粧声(けしょうごえ)」をかけ、最期は「どっこい」で決まります。

善人側の義綱たちは「影政、やっと来たか」と喜びます。
現行上演のこの設定ですと、主人公の権五郎影政は「源義家(みなもとのよしいえ)」の配下にいるはずですので、義綱にとっては兄ちゃんの家来なのです。
影政も頼もしいセリフで彼らを安心させます。


さて、権五郎影政はいよいよ親玉の「清原武衡」に詰め寄ります。
ここで問題になるのは、
・なぜ理由も権限もないのに義綱らを殺そうとしたのか。
・大福帳を奉納するのが無礼だというなら、関白の衣装を真似たうえに冠までかぶっているその格好は無礼ではないのか。
・今回清原武衡が奉納した宝剣、「雷丸(いかづちまる)」はニセモノで、しかも朝廷を呪う仕掛けがしてあるのだろう。わかっている。
・「探題の印(たんだいのいん)」という大切なものがなくなってみんなが困っているのだが、それ盗んで持ってるのオマエかオマエの家来だろ、返せ。
だいたいそんなです。
この、「印章を返せ」と言う時、「坊(ぼん)に下せえ、手え手えします」と、野太い声で子供のような事を言うのも楽しいです。

と、ここで急展開になります。

さっき「成田屋の兄さん」とか言っていた敵側の「女鯰(おんななまず)」が急に寝返ります。
始めから女鯰はスパイだったのです。

いつの間にか奪ってあった「探題の印」を影政に渡す女鯰。

一応説明すると、「探題(たんだい)」というのは鎌倉、室町期のお役所の名前で、裁判所と防衛省を兼ねたような大事な部署です。
そこで使う印形、ハンコ、ということになります。が、
このあとのセリフで「国守の印(こくしゅのいん)」と言っているので、同じもののことのようです。
善人側の義綱がなくしてしまって探していたあれです。
どちらにしてもこれは現行上演の設定ですので、べつに探しているのは家宝の香炉でも秘伝の巻物でもなんでもいいのです。

ところで、影政は本物の宝剣の「雷丸」も見つけ出してあります。これも義綱の家の家宝なのです。
女鯰の合図で花道から入ってくる男が、本物を持っています。
こってくるのはだいたい「小金丸行綱(こがねまる ゆきつな)」とかそういういう名前の人です。
この役はそのときの都合で老若男女てきとうですので、名前が変わることがあります。

宝剣と印章という重要アイテムを手に入れた影政。
それを善人方の、さっきの加茂義綱に渡します。朝廷に持って言って自分の立場を確保し、政局の混乱を収めるように言います。

女鯰の照葉がいろいろ調べて報告したので、武衡が現政権転覆をたくらんでいる証拠はそろいました。
もうすぐ討伐令が出ます。
それを聞いて悔しがる悪人たち。

善人一行はよろこんで退場します。

影政は巨大な刀のひと太刀で清原武衡の兵隊たちをなで斬りにすると、意気揚々と花道を引き上げて行きます。

終わりです。


一応現行上演の役名書きましたが、本来役名や設定は何でもいいのです。
上記の流れさえ踏襲していれば、どこかの国のお家騒動が舞台で、悪い家老と若殿様、とかであっても、全て「暫」です。
そんなかんじです。

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