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歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「道行初音旅」 みちゆき はつねのたび (「義経千本桜」)

2011年11月12日 | 歌舞伎
義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」という長いお芝居の一部です。
「吉野山」 よしのやま)の別称でも有名です。

所作(踊りですね)です。
本来「所作」というのは所作台敷いて長唄で踊るものを言うので、こういう浄瑠璃で踊る、本来お芝居の一部だったものは「所作」とは厳密には言わないのですが、まあ、「所作台」敷いてるし。
これは文楽由来の長いお芝居の中に必ずある、登場人物が長距離を移動すす場面です。多くの場合男女ふたりですが例外もあります。
「道行(みちゆき)」と呼ばれます。

「義経千本桜」の細かいストーリーはここでは必要ないのですが、ざっと説明すると、平家が滅びた後のものがたりです。
全体を通しての主人公の「源義経(みなもとの よしつね)」はお兄さんの「源頼朝(みなもとの よりとも)」と仲違いしたので命を狙われ、今は逃避行の真っ最中です。
このへんは歴史の時間に習ったとおりの設定です。
義経の逃避行というと奥州落ちと、その途中の安宅の関が有名ですが、義経はじつは奥州に行く前にけっこうあちこちをさまよっております。
今は奈良は吉野の山の中、密教の修行場として知られる吉野山金剛峰寺(よしのさん こんごうぶじ)に隠れているのです。

義経の恋人の「静御前(しずかごぜん)」は、前のほうの段で義経とはぐれてしまいました。
静は、静を守る義経の家来、「源九郎忠信(げんくろう ただのぶ)」と共に旅をしています。
今は義経さまが吉野にいると聞いたので会いに行くところです。花盛りの吉野山を旅しています。

というのがこの場面です。出てくるのは「静御前」と「忠信」です。

忠信の「源九郎忠信(げんくろう ただのぶ)」という名前は、「源」の「九郎判官」を意味します。義経の名前です。義経がこの名を与え、静のそばにいることを命じました。
というわけで静にとって忠信は、いろいろな意味で義経さまの身代わりなのだと思います。お芝居の最後で静と忠信はふたりっきりで信田の森に落ちていきますし。

というわけで2人の関係は主従でありながら、ビミョウにあやういかんじです。
しかも忠信はじつは人間ではありません。キツネです。そういう不思議な雰囲気です。

まず静が出てきます。忠信と旅の途中なのですが、忠信はときどきどこかに行ってしまうので、いまは一人です。義経を思って踊ります。

忠信は、静がいつも持っている鼓(つづみ)を打つとかならず姿を見せます。
鼓は役者さんが自分で打ってくださる場合と「吹き替え」の場合があります。もちろん打ってくださるに越したことはありません。

忠信が出てきます。強くてかっこいい男です。しかしじつは狐なのでビミョウに挙動不審です。というのが見どころです。

義経さまを慕うふたり。
義経さまは忠信に自分の鎧(よろい)を与えました。忠信は常にそれを持っています。
この鎧を切り株に立てて、鼓を顔に見立てて鎧の上に置くと義経さまがいるかのように思えます。ふたりで義経を偲びます。
セリフで「御着背長(おんきせなが)」と言っているのが鎧のことです。

「着背長」きせなが、というのは大将クラスの武将が着る大鎧(おおよろい)のことです。上半身全体を覆える構造なので「着背長」といいます。
これは鎧と兜のセット全部ではなく、鎧だけを指します。

ふたりで踊るシーンになります。忠信は静をなぐさめるために、仮に義経の場所に立って、恋人のように舞います。
静が前に座り、後ろで忠信が袖を広げて立つのはお雛様のポーズをイメージしています。
当時は今のような座ったお雛様ではなく、紙で作った「立雛(たちびな)」が主流でした。立ち雛は、男雛が両手を広げて立ち、その前に女雛は座るのです。
雛人形は夫婦ですから、このポーズもふたりが男女の関係にあるかのような印象を与えます。

さらに静は源平の戦の中での有名な場面、「八島での合戦」の様子を聞きたがります。忠信が振り付きで語ります。
具体的な内容は、一段目の解説に書いたものを自家コピペすると、

>敵の平家の武将である「能登守教経(のとのかみ のりつね)」が義経に矢を射かけ、義経の家来の「佐藤次信(さとう つぎのぶ、または継信))」が、義経をかばって矢に当たって死んだ事が語られます。

というかんじです。

この、義経をかばって死んだ「佐藤次信(さとう つぎのぶ)」が、忠信のお兄さんなのです。
自慢の兄への思いと、大切な主君である義経への思いをこめて忠信はこの場面を勇壮に舞い、語ります。

さて、この幕の前半部分は「清元節(きよもとぶし)」での踊りです。
「清元節」というのは浄瑠璃のなかでも中竿の三味線を使った叙情的でメロディアスな節です。踊りやお芝居でも恋愛物に向きます。

そしてこの中盤の「合戦の様子を語る」部分からは、太棹の三味線を使った、「語り物」に向くスタンダードな浄瑠璃節である、「義太夫節(竹本節)」との「かけあい」になります。
それぞれの特性をうまく生かした楽しい構成です。

ところで、ふたりが会いたがっている義経さまは追われているわけですが、
静も関係者として追われています。
静は美女なので別の意味でも追われています。

というわけで、「逸見藤太(はやみの とうた)」という人が家来を連れて、ふたりを探しにやってきます。
「逸見藤太」は悪役ですが道化役です。すごく弱そうです。
家来たちは桜の模様の華やかな服を着て桜の枝を持っています。服は「四天(よてん)」とよばれる丈の短い独特のデザインのものです。桜の枝は、そうは見えませんが武器です。
「花四天」と呼ばれるみなさんです。敵でありまわり要員でもあるのですが、舞台を華やかにいろどる役割もあります。
「藤太」と「花四天」とのコメディータッチのやりとりも楽しいです。

忠信と藤太たちが戦います。強いぞ忠信。ここも浄瑠璃と清元の「かけあい」で語ります。
忠信の強さとともに、たまに狐っぽい動きで戦うところも見どころです。

チナミにこの立ち回りは文楽の原作にはなく、内容に変化を付けるための歌舞伎の「入れごと」です。
もともとの「逸見藤太」の出番は序盤の「鳥居前(とりいまえ)」にあり、こことほぼおなじことをやります。
楽しいのでここにも出したということです。サービスです。

そもそも、文楽ではこの場面は「桜ままだ咲かない早春」という設定です。雪の山道を二人で旅するのです。
桜満開にしたのは歌舞伎の工夫です。

というかんじで、
桜満開の吉野の景色にきれいなお姉さんと強そうな武者、花四天を使った、極度に装飾的な立ち回り、
美男美女が仲良く旅をする舞台でありながら、なんだかフツウじゃない雰囲気。でもやっぱりふたりともキレイでかっこいい。
そういう感じを楽しむ舞台です。

前後関係を把握できていなくても問題なくお楽しみいただけます。お気軽にどうぞ。


チナミにこの踊りは「吉野山」と呼び習わされてはいますが、
本当は「千本桜」には、最後の最後に「吉野山」と名づけられた場面があるのです。
忠信と、兄の敵の「能登守教経(のとのかみ のりつね)」とが吉野山の山中で戦う派手で勇壮な場面です。歌舞伎では出ません。
今はこっちは「吉野山中」と呼ぶようです。出ませんが。

あと、細かいのですが、藤太の役者さんが、最近よく「そこらに茶屋があるなれば」とおっしゃいます。
セリフの趣旨は「(小腹が減ったので戦の前に何か食べたい、そこらに茶屋がもしもあったら…」です。
なので正しくは「あるならば」です。未然形です。
当然ですが、文楽の台本では「茶屋があるならば」になっています。細かいですが気になるところではあります。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
役立ちます。 (kikuya)
2008-01-15 11:31:54
子供と歌舞伎を見に行く予定です。
子供と一緒に前もって知っておきたいことが分かり易く書かれていて、これなら私でも子供に説明できる!
とっても助かります。
ちなみに、小学一年の娘は染五郎のファンです。
これからも、つづけて書いてください。友達にも教えてあげるつもりですので。
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助かりました! (keita)
2010-11-14 23:50:26
はじめまして。
授業で義経千本桜について調べていて、こちらのサイトにたどり着きました。
ただただあらすじを読んでいるのでは分からない情報がたくさんあって、なるほどなと、興味深かったです。
本当に助かりました。

ひとつ気になったのですが「あるなれば」は文法的には間違ってないのでは?
「あるなれば」、品詞分解すると、
ある/動詞「あり」(ラ変)の連体形
なれ/助動詞「なり」(推定)の已然形
ば/助詞「ば」(接)
(已然形+ば の順接確定条件)
ですよね。
「そこらに~」の文章の前後が分からないので、あれなんですが、「あるなれば」に訳を付けると、
「(小腹が減ったので~、)その辺りに茶屋があるらしいから・・・」
となって(後の文によりますが)おかしくはないのではないでしょうか。
もちろん「なり」を断定の助動詞と捉え「未然形+ば」の順接仮定条件とすれば、「もし茶屋があるのであれば」になって、綺麗に訳がつきます。
文楽ではそうなっている、とのことですし。
ただ歌舞伎で本来「ならば」であるところを「なれば」と言っているというのは、一概に文法知らずとは言えない気が。
そういうの厳しそうですし・・・。
そう考えると、歌舞伎では「なり」を伝聞・推定の方の助動詞として解釈し、「なれば」というセリフになったんじゃないでしょうか。
古典の勉強から離れだいぶ経つので、自信を持って言えたことではないのですが・・・。
ちょっと自分なりに考えてみたので、コメントさせて下さい。
長々と失礼しました。
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Unknown (E2)
2016-08-29 22:14:16
1953/02/10NHKによるテレビ放送が開始された日第一日目の放送コンテンツはNHKのスタジオに尾上梅幸(多分7代目?)を呼んでこの演目を放送しました。
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