歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「源太勘当」 げんた かんどう (ひらかな盛衰記)

2016年01月09日 | 歌舞伎
「ひらかな盛衰記(ひらかな せいすいき)」という長いお芝居(文楽作品)の二段目になります。
三段目の「逆櫓」は=こちらです。

古典作品の「源平盛衰記」が元ネタですので、舞台は源平の戦の時代です。

とはいえ時代背景はほとんどど意識せずに楽しめる、わりと気楽な演目です。

さて、
当時の戦には、勝敗とはべつに、「先陣争い」という手柄あらそいがありました。
誰が敵の陣地に一番乗りで切り込むかという、味方同士のかけひき勝負です。

守る側はもちろん陣地内から雨あられと矢を射て防ごうとしますし、味方の陣地から敵陣まではかなり距離があります。
さらに、切り込んだ直後はひとりで敵と戦い、相応のダメージを与えて敵を撹乱しなくてはなりません。
生きて帰って来なくては意味がないですから、ただ早く飛び込めばいいというものではありません。

なので、「先陣をきる武将」は、武勇にすぐれた、勇気のある、そして強くて早い名馬をもっている武将
ということになります。

当時の武将たちは自らの名誉のため、また、手柄を立てることで戦の後の報償をたくさん手にするために、
命がけで「先陣争い」をしたのです。

このお芝居の話になります。
源義経が率いる軍勢は、都に立てこもる木曽義仲を攻めるべく、京都の南側の要害である宇治川を越えようとします。
ここで有名な「宇治川の先陣争い」がおきます。
主人公の「梶原源太景季(かじわら げんた かげすえ)」は、ここでの「先陣争い」で「佐々木四郎高綱(ささき しろう たかつな)」に負けたのです。

戦に負けたわけではないですが、恥をかいたということで父親の「梶原平三景時(かじわら へいぞう かげとき)」は怒り心頭。
源太を一度戦線離脱させ、鎌倉に戻します。
そして家に帰った源太を切腹させろと内密に母親に手紙を出しております。

もちろん父親の梶原平三が怒ったのは史実ではなく、お芝居のオリジナルです。
父親の「梶原平三景高(かじわら へいぞう かげたか)」というキャラクターが、歌舞伎ではおおかたの場合嫌われ者の悪役なので
仕方ありません。

以上を前提として、お芝居が進みます。


・梶原平三屋敷(かじわらへいぞう やしき)

鎌倉にある「梶原平三」のお屋敷です。
主人の「梶原平三景時(かじわら へいぞう かげとき)」と長男の「源太景季(げんた かげすえ)」は、戦に行っていて留守です。
弟の「平次景高(へいじ かげたか)」は病気だと言って戦には行っていません。
この弟の「平次」が、どうにか家を自分のものにしようとしている悪人です。

今日は源太の誕生日にあたるので、源太はいませんが、座敷に源太の鎧兜(よろいかぶと)を飾り、
武運を祈りながら家中でお祝いしています。
腰元たちはみなイケメンでやさしい「源太」さまのファンです。

「茶坊主(ちゃぼうず)」の「順斎(じゅんさい)」というひとがやってきます。
源太の弟の「平次(へいじ)」は病気なのだから、そっちの面倒をみなさい、と腰元たちを叱ります。

「茶坊主」というのはお屋敷でお茶の相手をする人です。一応僧形をしていますがお坊さんではありません。
茶道は武家階級のたしなみでしたのでこういう職業があったのです。

この人は、このお芝居の原型である文楽版の台本には出てきません。
「茶坊主」は」お芝居ではだいたい権力者の腰巾着的な道化役ですので、
舞台に動きを出すために歌舞伎で付け加えたのでしょう。
時代設定は平安時代ですから「茶坊主」はいるはずがないのですが、そういう理由なので気にしなくていいです。

そこに京都に出陣している「梶原平三(かじわら へいぞう)」からの使者がやってきます。
「軍内(ぐんない)」と言います。
「軍内」というのは悪いやつの子分によく付けられる名前です。

「軍内」と茶坊主の「順斎」は、弟の「平次」のほうの味方です。
平次に媚びておいて平次が家を相続すれば、いい思いができそうだからです。
このふたりが相談する場面がありますが、今はこのへんはカットかもしれません。
もともと文楽版にはありません。

平次の部屋の場面になります。
腰元たちは平次の部屋にはやってきましたが、平次を無視してみんなで百人一首をして遊んでいます。
いらだつ平次。

腰元の「千鳥(ちどり)」ちゃんがが薬を持って来ます。
現行上演だと千鳥ちゃんはここではじめて出ると思います。主人公の「梶原源太(かじわらげんた)」の恋人です。

平次は、ほかの腰元たちを追い払って千鳥ちゃんを口説きはじめます。
もともと千鳥を口説きたくて病気だとウソを言って戦に行かなかったのです。

千鳥ちゃんは、お屋敷の坊っちゃんとエッチしたらクビになっちゃいますーと言い訳して逃げようとするのですが、
じつはすでに兄の源太と恋仲なのでこの言い訳は無効です。

一応細かく言うと、浪人している父親のためのコネクション作りのためにここで働いているのでクビになるのは困る、
とかの事情もあるのですが、
このへんはこの段には無関係なので聞き流していいです。

力ずくで口説こうとする平次と千鳥がもみあっていると、
さっきの軍内と順斎がやってきます。逃げる千鳥。

ジャマが入ったと思う平次ですが、軍内は平次にいい知らせを持ってきたのです、
上の説明でも書いたようなことです。
兄の源太は戦で失敗して父親の平三さまを怒らせた。都から鎌倉に戻された。もうすぐこっちに着く。
たぶん切腹になるはず。
そうなったら家督は弟の平次のもの!! やった!!

そんな話をします。
細かい打ち合わせをするために3人は退場します。

ここで、軍内と順斎のふたりが平次に媚びるのに、順番に同じセリフを言い、同じ動きをします。
自由な魂を持たない凡庸な小悪人の雰囲気がよく出た場面です。
また、同じ小物の悪人でも、
「軍内」は「端敵(はがたき)」という、コミカルながら一応「敵役(かたきやく)」の一種で、
茶坊主の「順斎」のほうは、完全に「道化(どうけ)」です。
ふたつの役柄の、お芝居の中での役割の違いもよくわかる場面です。

さて、主人公の「梶原源太景季(かじわら げんた かげすえ)」が登場します。
「梶原源太(かじわら げんた)」は江戸時代は「いい男」の代表だったひとで、遊女の「梅が枝(うめがえ)」との恋愛模様でも有名です。

はっきり言って、一応このあともお話はあるわけですが、
ここで華やかな烏帽子大紋の衣装をゆったりと着て
「鎌倉一の風流男」と浄瑠璃が語る、そのとおりのイメージで源太が登場する、
ここを見るのがこのお芝居のいちばん大事なところです。ある意味ここがクライマックスです。

ようするに「源太さまかっこいいー!! きゃー!! 」
これがこのお芝居の全てです。あとはおまけです(断言)。

いそいそと出迎える母の「延寿(えんじゅ)」さん。
折り目正しいあいさつがあり、
弟の平次とその手下。そして千鳥ちゃんも来て、登場人物が全員そろいます。

平次が、兄の源太に「先陣争いをしたそうだが」と切り出します。
手柄をたてたそうだが、聞かせてくれと、源太がじつは失敗したのを知っていて言います。
セリフで「高名(こうみょう)なされた」とか言っているのが「手柄をたてた」という意味です。

源太はしかし「うむ高名いたした」と言い切り、堂々とその様子を語り始めます。

実際は失敗したのに「手柄を立てた」と言い切った理由は、
源太には相応の理由があって自分はりっぱな行いをしたという自信があるからで、
そのへんはあとで説明します。

さて、源太は座り直してそのときの様子を語ります。
これは「物語(ものがたり)」と呼ばれる、文字通りそのときの様子を「ものがたる」、
一種の劇中劇です。
こういう見せ場なのです。

語られる「宇治川先陣争い」の様子は「平家物語」の内容をほぼ踏襲していますが、
ここは「平家物語」のなかでも屈指の名場面です。
それを源太がかっこよく「ものがたる」のですから非常に楽しい場面なのですが、
…おそらく現代日本人には何を言っているのかほとんどわからないだろうと思います。
ざっくり内容を書いておきます。

源太は宇治川を渡るべく駒を進めます。ちょっと遅れて佐々木高綱が続きます。
どちらもとてもいい馬に乗っています。
対岸には京の都に立てこもる木曽義仲の大群。

このへんまで源太がかっこよく語ります。
次の部分を、千鳥ちゃんが語ります。

宇治川の川幅は広く、川中には罠が張ってあるのですが源太は余裕で回避します。

もちろんその場にはいなかったのですが、想像で「見てきたかのように」語ります。
これは目先を変えるための演出です。

このあとは、平次がうれしそうに語ります。すでに聞いて知っているので得意満面です。

佐々木高綱が、「馬の腹帯が緩んでいるぞ」と声をかけます。
源太は馬をとめて腹帯を締め直します。
馬の腹帯というのは、馬の鞍(くら)をしっかり固定するために馬の胴に巻きつけてある布です。

そして、じつは腹帯は緩んでいなかったのでした、高綱の計略でした。
源太が腹帯を締め直している間に高綱は源太を追い越して向こう岸に渡り、堂々と名乗りを上げました。

というかんじで、平次は嬉しそうに源太の失敗を語り、源太はだまってしまいます。

「手柄をたてた」と言い切ってそのときの話をすれば、最後はこうなるに決まっていますからやめとけばいいわけですが、
ではなぜこいういう不自然な流れになっているかというと、
源太が手柄をたてたかのようにかっこよくふるまう場面があったほうが、演出上楽しい。
という理由だと思います。
サービスシーンなのです。リクツではないのです。
もちろん、最初はいばっていて、最後立場が悪くなっていじめられるほうが、より落差が大きくていじめられるシーンが楽しい、
という黒い理由もあります。

なので、「あああ、後半立場が悪くなるのに」とか心配なさらず、
かっこいい場面はかっこいい場面で割りきってお楽しみください。

源太は切腹させられるのだろうと、喜んで母親が持っている手紙を見ようとする弟の平次ですが、
母親がはねつけます。

しかし手紙には切腹しろと書いてあります。困る母親。

もう切腹したことにして自分が首を切ってやろうと、平次は調子に乗って刀を抜きますが、
源太のほうが強いので投げ飛ばされます。平次に斬られるいわれはありません。

平次退場。

源太は千鳥も下がらせて、母親に、事情を話します。
ここから台詞だけの展開になるのでちょっとつらいですがついていってください。

佐々木高綱に勝ちをゆずったのはわざとなのです。

かいつまんで書くと、全段通したときの序段で、
父親の梶原平三が非常によけいな事をやらかして義経の機嫌をそこねる場面があります(詳細割愛)。
かなりの大失敗で完全に切腹ものだったのですが、佐々木高綱がうまいこととりなしてくれたのです。
源太はその場におらず、お礼を言いそびれたのですが、高綱は親の命の恩人です。
あの状況で高綱に勝つわけにはいかなかったのです。

しかし、この言い訳をすると高綱の手柄は台無しですから、誰にも言うことはできません。
源太ははじめから責任をとって死ぬ覚悟です。

細かい部分は聞き取れなくても「ワザとなのね」「お礼なのね」ということさえわかっていれば大丈夫だと思います。

切腹しようとする源太を母親が止めます。
親のために死ぬのはわかった。孝行は大事だ。しかし、忠義はどうなる。
そして、源太の親は梶原平三だけではないと言います。

父親は「平三」、弟は「平次」。梶原の一族は代々名前に「平」を付けます。
「源太」だけに「源」の字が付いているのは、
以前、父親が源頼朝さまのために手柄をたてたときのご褒美に、頼朝さまが長男の源太に名前を付けてくれたからです。
しかもそのとき、「産衣(うぶぎぬ)」という名前のついたりっぱな鎧(よろい)までいただきました。
舞台に飾ってあるのがそれです。

つまり、頼朝さまは源太の名付け親です。
その頼朝さまという親への恩はどうなる、と母親は叱ります。
死ねばいいというものではない。ここは恥をしのんで生きて、また手柄をたてるのが頼朝さまへの恩返しであり忠義です。

ここに平次の子分の「軍内」がやってきます。
軍内は父親の梶原平三の送った使いです。源太の切腹を見届ける「検死役」でもあります。
さっさと切腹させろと言いに来た軍内なのですが、母親は切腹はさせません。
もっと思い罰をあたえる、と言って「阿呆払い」にします。

「あほうばらい」と音で聞くとわかりにくいかもしれませんが、
「阿呆だからこの家にいる資格はない」ということで家から追い出すのです。
命は助かりますが非常な屈辱です。
刀も取り上げられ、服も古い汚いものに取り替えられます。

ジャマなアニキが情けないことになったので、弟の「平次」は喜んで図に乗ってこれを手伝っていじめます。
このへんは動きのあるシーンが続いて楽しいです。
あまり深刻にならず、わ~いもっといじめろーという感じでご覧ください。
役者さんもノリノリでなさるようなところだと思います。

母親の延寿さんは苦しい気持ちを隠して、弟の平次に、お前はしっかり手柄をたてろ、と言います。
しかしそれは弟に言っているようにみせかけて、源太に言っているのです。
母の言葉を胸に刻み、決意を固める源太です。

平次が思い通りにならない千鳥と源太のことを母親の延寿さんに言いつけます。
ここで「ちんちん鴨鴨(かもかも)入れ食い」と言うのは歌舞伎の入れ事ですが、すごい台詞だなと思いますが楽しいです。

母親は、おしおきすると言って千鳥を連れて奥に引っ込みます。

誰もいなくなったのを幸いに、平次たちは確実に源太を殺そうと斬り付けます。
ここで手下の「順斎」が平次に「千鳥を思い切れ」と言うのが、「思い切れ」→「切れ」→「源太を切れ」という謎なのです。

しかし源太は強いので余裕でかわし、逆に順斎の刀を奪って斬り殺します。
平次も殺せるのですが、前のほうで母親の延寿さんが「悪い子でも捨てられぬ(というのに)」と言う場面があって、
これは平次のことなので、
母親に免じて平次は助けます。
一応全段出すと、最後のほうで平次は「一の谷の合戦」には出て、父親と一緒にまじめに戦っています。

もうひとりの手下の「軍内」なのですが、
こいつは家来なのですが、今の立場は「父親の梶原平三の使者」なのです。なのでちょっと殺しにくいです。
源太は軍内の刀を取り、「自分の刀で自分を斬るのは自業自得だ」と言って殺します。
ここの
「源太は殺さぬ。手ばかり(手だけが)動く」という台詞は有名です。

屋敷内の不穏分子も一掃したところで、改めて出ていこうとする源太ですが、
奥のふすまを開けて母親の延寿さんが出てきます。

今日は源太の誕生日なので座敷にはずっと源太の鎧(よろい)と兜(かぶと)が飾ってあります。
頼朝さまからいただいたりっぱなものです。

これは源太のものです。
勘当はしましたが、鎧兜の所有権は源太にあります。
自分のものを持っていくだけだから何の問題もない。持っていけ。
いらないなら捨てちゃうぞ 
と延寿さんが言います。
母心です。

感謝しながら源太が鎧を持ち上げると、
台になっている鎧櫃(よろいびつ、鎧を入れる箱)の中に、千鳥ちゃんがいます。
おしおきに箱に入れられた。どこにでも出て行けと言われた、という千鳥ちゃん。
一緒に行きなさいという意味です。

感謝しながら旅立つ源太カップル。次の戦で手柄を立てる決意を固めます。

さらに延寿さんが出てきてふたりのためにお金を渡す場面がありますが、ここも歌舞伎の入れ事のはずです。

この幕おわりです。


全体に、
戦で下手打っても、勘当されてボロボロの衣装にされても、いい男はいい男。ということで、
気楽に源太を眺めて楽しむお芝居です。


このあとのお話は、
源太は浪人します。千鳥は遊女になって「梅が枝」と名乗ります。

文楽を全段通すと源太が農村で農民をうまいことだましてお金を集める場面があります。
楽しい場面ですが、絶対出ません。

その後、源太の鎧兜が質に入っているのを請け出すために梅が枝が苦しむ「無間の鐘(むごんのかね)」の場面になります。
ここもときどき出るので、出たら書こうと思います。

最後に平家との「一ノ谷の合戦」になり、
どうにか装備を整えた源太はここに参戦して大暴れし、それを見た父親の梶原平三も源太の勘当を許します。

源太のものがたりはこれでおわりです。

「ひらかな盛衰記」は、全段通すと「木曽義仲(きそ よしなか)」の滅亡と、その後日譚が中心ですが、
この「梶原源太」というキレイなお兄さんのものがたりは、それとはあまり関係なく挿入されています。

「義仲」系のストーリーでは「逆櫓」がよく出ます。
お芝居自体が通しで出ることは殆ど全くありません。

二段目の巴御前のものがたりがワタクシは好きですが、絶対に上演されません。そんなもん。

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