歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「一条大蔵譚」 いちじょうおおくら ものがたり

2015年09月29日 | 歌舞伎
「鬼一法眼三略巻(きいちほうげん さんりゃくのまき)」というお芝居の四段目にあたります。
三段目の「菊畑」は=こちら=です。

三段目のほうは有名ですし、ご覧になったかたもいるかと思いますが、
四段目と三段目はまったく関係ない物語なので、三段目は忘れて鑑賞して大丈夫です。登場人物は一人もカブりません。

平治の乱のちょっと後の時代、平家全盛の京の都が舞台です。
源氏再興を目指して源氏派のひとたちががあれこれ暗躍する、というのがが全段通しての基本設定です。

全段通しての主人公は、吉岡鬼一、鬼次郎、鬼三太(きいち きじろう きさんだ)、の3兄弟です。
それぞれがいろいろな社会的ポジションで、いろいろな方法で源氏を応援しています。
この段では次男の「吉岡 鬼次郎 幸胤(よしおか きじろう さちたね)」が活躍します。

とはいえこの段の主人公は「鬼次郎(きじろう)」ではなく、
「一条大蔵卿(いちじょう おおくらきょう)」というかたになります。
「京都の一条に住んでる大蔵省の長官」という意味です。
正式には「一条大蔵長成(いちじょう おおくら ながなり)」と言います。常盤御前を妻にしたのは史実です。

大蔵省の長官というとすごくえらいように思えますが、仕事は朝廷のお蔵の中身の管理という実務なので
官位も従四位と控えめです。

このかたは「阿呆」です。なので都中の笑いものになっています。
阿呆なのに長官なのかと思ってしまいますが、お芝居設定なので気にしないでください。

さて大蔵卿は最近奥さんをもらいました。「常磐御前(ときわ ごぜん」)という美女です。
「常盤御前」は「平清盛(たいらの きよもり)」のお妾さんだったのが、この大蔵卿に下げ渡しになりました。
美女と結婚できて大蔵卿は大喜びですが、
「清盛のお下がり、食べ残しをもらって喜んでいるよ」と都のひとびとはみんな笑っています。
というのが基本設定です。

ところで、都の人もみんな知っていることですが、
この「常磐御前」は、平治の乱を起こして負けて死んだ、「源義朝(みなもとの よしとも」)の奥さんです。
「源義経(みなもとの よしつね)」の母親にもあたります。

平治の乱で義朝が死んだあと、「常盤御前」は敵である「平清盛(たいらの きよもり)」に捕らえられ、
そのまま夫を殺した敵である平清盛のお妾になります。
まだ小さかった義経たちを守るために仕方がなかったのですが、女は二夫にまみえず、が美徳の時代ですから大ヒンシュクです。
さらにそのあと、この「大蔵卿」に払い下げられてもふつうに結婚生活を送っているのです。

周囲からしたら「何考えてるんだ、はじめの夫の事は忘れたのか」と思われても仕方ない状態です。
しかも常磐御前は、夫のことなど忘れたように毎晩夜更かしして遊んでばかりです。

というわけで、鬼次郎とその妻のお京さん(弁慶のお姉ちゃんという設定)が、ツテをたよって大蔵卿に召し抱えられて、
その真意をさぐるべく、常磐御前に近づこうとする。
というのがストーリーの骨子です。


・檜垣(ひがき)茶屋の場

「檜垣茶屋(ひがきぢゃや)」は御所の前にある仮設の出店です。田舎の人も見物に来るくらい有名な店という設定です。
「与一」というおじさんがやっています。この人は特にストーリーには関係ありません。
御所でお能があるたびに、この「与一」さんが呼ばれて門の横に茶屋の店を出します。

「檜垣茶屋」という名前の意味なのですが、
「与一さんが白川に住んでいてそこから水をくんでくるので檜垣茶屋と呼ばれる」と、セリフで言っています。
なぜ「白川」だと「檜垣」なのか論理が飛躍してわかりにくいのですが、
「檜垣(桧垣)」という有名な能の作品があるからだと思います。これが九州、熊本ですが「白川」という場所が舞台なのです。
そこからの連想だと思います。

お芝居に意識を戻します。

おきまりなかんじで「白張(はくちょう 染めてない服を着た下っ端の家来のみなさん」がご主人のウワサをしています。
清盛様が帝を別の場所に幽閉してしまってえらい権勢だとか、今日もお能見物の会だとか、だいたいそんな話をしています。
定番の状況説明の技法です。
セリフで「王様(おうさま)」と言っていますが、これが天皇のことです。

ここに、この段の主人公の「鬼次郎(きじろう)」と、奥さんの「お京」さんが登場します。
鬼次郎は田舎から来たお侍、お京さんは熊野から来た女狂言師ということになっています。
鬼次郎は門前の茶屋の亭主に、↑のようなことを聞き出します。
設定がわかっていればここのセリフは聞き取れなくても大丈夫です。

ほかには、本来は宮中のお能は年に2回だったのが、清盛のワガママで月に何度もやっているとか、
今日は大蔵卿夫妻も呼ばれて来たのだが、奥様は病気だとかで来ていない。
などと話しています。
よく聞くとセリフのところどころがお茶用語のだじゃれになっているので楽しいです。

お京さんが何とかして大蔵卿に召し抱えられて、常磐御前に近づくという計画がここで語られます。
常盤御前が夫の義朝や源氏のことを忘れていないのなら、どうにかして屋敷から連れ出す計画です。
連れ出してどうするかは語られていませんが、一緒に源氏が挙兵する準備をするのでしょう。
「あとの工夫は我が胸にあり」とだけ言っています。

さて主人公の「大蔵卿」が登場します。
奥様の「常盤御前」が来ないので、かわりに家老の奥様の「鳴瀬(なるせ)」さまが来ています。
この「鳴瀬(なるせ)」さんの取りなしでお京さんは、「狂言師」として大蔵卿に首尾よく召し抱えられます。

重厚な「謡(うたい)」に乗ってゆるやかに舞う「能」にたいして、
「狂言(きょうげん)」はセリフや動きも多く、コミカルな内容です。
屋敷でいつでも狂言が見られることになり、しかもお京さんは美女。
大蔵卿は大喜びです。

一応、「鳴瀬」さんとお京さんは先に一度会っていて、ここで大蔵卿に会わせる段取りをしている設定なのですが
この打ち合わせ部分は存在しません。

鳴瀬さんはべつに鬼次郎たちの味方というわけではなく、
狂言は大名や主人側の人が愚かものなストーリーが多いので、それを見て大蔵卿が少し自覚を持ってくれればと思っているのです。

大蔵卿の希望で、お京さんはその場でちょっと舞います。
能や狂言というか、長唄で舞います。唄の文句はわかるのですが、
ちょっと、演目がわかりません申し訳ありません。オリジナルかもしれません。

大蔵卿が上機嫌で引っ込みます。
最後のほうでチラっとマトモそうな地を見せますが、気付かないフリをしてご覧になって大丈夫です。

この幕おわりです。
セリフで説明する部分が多いので設定がわからないと把握しにくいかと思いますが、
そういう流れです。


曲舞(くせまい)(剣の舞)の場

「曲舞(くせまい)」というのは本来は中世から近世にかけての芸能の一種で、
「舞」といいつつほとんど動かない語りもの芸なのですが、
ここでの「曲舞」というのは、能の中で、「曲舞」の影響を受けた節付けの曲で踊る部分を言います。

そしてここは現行上演カットが多いです、ありえねー。ここがなかったらこのお芝居はあまり意味がない気がします。

大蔵卿のお屋敷です。

腰元たちがうわさ話をしています。
大蔵卿は、お京さんが気に入って、自分も狂言を一緒にやろうとして
毎日練習しています。
しかし阿呆なので全然覚えません、周囲もたいへんです。みたいな。

ここでセリフで「今様(いまよう)」と言っているのが「狂言」のことなのですが、これはほかにあまり見ない使い方です。
歌舞伎用語として「今様」に「劇中劇」「小劇」みたいな意味があるそうなので、
ここでは狂言を劇ととらえて、劇の練習ばかりしている、と言っているのだと解釈します。

というわけで家老の「八剣勘解由(やつるぎ かげゆ)」も狂言(今様)のの練習相手をさせられて困っています。

この「八剣勘解由(やつるぎ かげゆ)」は、前幕で出た「鳴瀬(なるせ)」さんの夫ですが、
じつは平家に内通している悪人です。
ご家老様で、かつ悪役なわりに、この役は安っぽい役です。

ここに「播磨大掾広盛(はりまのだいじょう ひろもり)」というひとがやってきます。
正式名は「平広盛(たいらの ひろもり)」と言います。お芝居全体を通しての悪役になります。
しかし歴史上はほぼ名前が出ないかたで、源平の戦が始まる前に若死にしたようです。
なぜこのかたを使ったのかよくわかりません。お芝居上も何がしたいのかよくわからない役でもあります。

このふたりは、さすがに常盤御前を疑っています。本当に源氏に内通していないのかよく見張らなくてはなりません。

それはそれとして、大蔵卿を殺す相談もしています。
大蔵卿が死ねば、勘解由はこの家を乗っ取るつもりです。美しい常盤御前も手に入れる予定です。

大蔵卿が出てきます。狂言を見せると言って聞きません。
めんどくさいので断りたい広盛なのですが、勘解由が、「踊りにまぎらわせて斬ってしまえ」と合図します。

踊るのは真剣を持って舞う曲舞(くせまい)、「剣の舞」です。
一緒に舞うふりをしてスキを見て斬りかかる悪ものと、阿呆っぽく踊っているふりをしながらそれを見事によける大蔵卿
というのが見せ場です。
ここで「大蔵卿じつは阿呆じゃないじゃん」というのをチラっと見せておくと後の幕が引き立ちます。
あと、お屋敷の中の油断のならない雰囲気も伝わるので後半に説得力が出ます。
カットですかそうですか。

ここで踊るのはセリフでは「今様靱猿(いまよう うつぼざる)」と言っている演目ですが、
今だと「三升猿曲舞(しかくばしら さるのくせまい)」と呼ばれているものです。単独で出ます。
解説書いてません申し訳ありません。こんど書きます。
後半が立ち回り仕立ての所作(しょさ、踊りね)になっているので、その部分が「剣の舞」になります。

この幕おわります。


奥殿(おくでん)

最初に、うまいこと召抱えられたお京さんの手引きで、主人公の鬼次郎がお屋敷に忍び込む、「門外の場」という場が付きます。
常盤御前の様子を観察していたお京さんですが、毎晩「楊弓(ようきゅう)」で遊んでいるだけで
何も考えていないようにしか見えません。

「楊弓」については下に詳しく書きますが。今で言うとダーツで遊んでいるようなかんじです。

手紙でそれを知った鬼次郎は、がっかりしてお京さんを連れて帰ることにします。潜入捜査も危険だし。
しかし最後に一度会って、説教することにします。

夜です。
楊弓あそびにウツツをぬかす常磐御前のところに、鬼次郎とお京がやってきます。
清盛が憎くくはないのか、夫の義朝の敵を討つ気はないのか。ふたりが文句言ってものらりくらりの常磐御前です。

怒った鬼次郎がついに、弓で常磐御前を叩きます。
鬼次郎の怒りっぷりに、本当に源氏を思う真情を感じ取った常磐御前は、やっと真実を語ります。

平家への恨みは忘れていないが、幼い義経を守るためにはしかたがなかった。
清盛の相手をしているときは、毎晩おふとんの上で地獄の責め苦のような苦痛に耐えていた。

時期が時期だから誰が敵か味方かわからない。今まで誰にも真情は明かしたことがなかったが、
毎晩遅くに楊弓あそびと称して弓を射ているのは、
じつは弓の的の後ろに清盛の絵姿が隠してある。毎晩こうやって清盛を「調伏(ぢょうぶく 呪うこと)」しているのだ。
「調伏」というのはもともと真言密教で護摩を焚いてあれこれ願い事をすることですが、
ここでは「相手を殺すために呪う」という意味です。
「ぢょうぶく」と読むのが正しいです。「ちょうぶく」と役者さんが言っていたらそれは間違いです。
断じて「ちょうふく」ではないです。

深夜にやっているのは「丑の刻(うしのこく)」にやりたいから。「丑の刻」というのは今の午前2時前後です。
息子の「牛若丸(うしわかまる)」を思ってこの時刻にしている。
「牛若丸」は、出家する約束で命を助けられて今は鞍馬のお寺にいます。後の「義経」さまです。

と、悪人の「八剣勘解由(やつるぎ かげゆ)」がここまでの会話を立ち聞きしていました。
本当に油断なりません。今までがんばって誰にも話さずにいて正解です。
勘解由(かげゆ)は常盤御前の本心を清盛に知らせようとして駆け出します。
というか、前の幕を出さない現行上演のやりかたですと、ここではじめてこのひとが出るので
「誰こいつ!? 」となると思います。
平家がたのスパイが紛れ込んでいたんだ、というかんじでご覧ください。

で、行かせまいとする鬼次郎と勘解由が戦っていると、後ろの御簾(みす、スダレの豪華なやつ)の影から誰かが勘解由を刺します。
勘解由は倒れます。

このへんも、ただ見ているとわかりにくいと思います。

というか「曲舞」の幕がない状態で予備知識なしで見ると、
急に誰だかわからないおっさんが出てきて何か叫んで走りだし、主人公とバタバタしていたら急に倒れた。 
としか見えないと思います。

悪人が影で聞いていてボスに知らせようと走りだすあたりから、歌舞伎の時代物ではかなり定番な展開なのです。
「あ、出てきた。走るな。ああ、斬られるな。あ、斬られた」というかんじで見て下さい。
花道まで走ったところで舞台から刃物を投げつけられて死ぬパターンもあります。

御簾(みす)が上がると、斬ったのは、前の幕からはうって変わって凛々しいかんじの大蔵卿です。

大蔵卿は本当は源氏に心を寄せているのです。
清盛はいろいろと家臣に無理難題を言いますので、うるさいこと言われないために若い頃からずっと「作り阿呆」をしていたのです。
清盛に言われるままに常磐御前をめとったのも、清盛からお救い申したい一心。もちろん指一本触れていません。

でも今は時節じゃないので、しばらくはお互い正体を隠してこのままで。と鬼次郎を諭す大蔵卿です。
そして和歌を書いた短冊を、伊豆に幽閉されている頼朝に渡すようにと鬼次郎に託します。

子の日さす(子の日する) 野辺に小松の なかりせば
千代のためしに 何をかしかまじ(何を引かまし)

かっこ内は壬生忠岑(みぶの ただみね)が詠んだ元の和歌です。ビミョウに違いますが気にしなくていいです。
「子の日(ねのひ)というのは、当時は年だけでなく、日にも「ね、うし、とら、う」と干支(えと)を割り振っていましたので、
新年の最初の「子の日」という意味です。

新年の子の日(ねのひ)に野山にでてまだ小さい松を引いて抜いて遊ぶ。松の長寿に例えてこの時代が千年も続くように祝うのだが、
野辺にもしも小松がなかったとしたら、何を例えにしてこの時代を祝えばいいのだろうか。
それくらい子の日の小松はすばらしいものだし、もちろん小松がなくなることはないから千代の世も安泰なのだ

そんなような意味です。訳すと長かった。
載っているのは拾遺集です。古い歌です。

ここでは「子の日」の部分はあまり関係なく、「小松がなければ」「この時代は長くない」というように解釈します。
暗に「小松の左大臣」と呼ばれる「平重盛」たいらのしげもり)が死ぬまで待て、と言っているのです。

「平重盛」は「平清盛」の長男にあたり、小松御殿に住んでいたので「小松殿(こまつどの)」と呼ばれます。
重盛は長男ですが、嫡男ではありません。そして清盛と年も近いこともあり、実質的な政敵だったようです。

ただし、「平家物語」をはじめとする全ての古典作品では、
「横暴な清盛の暴走を人格者で親孝行な小松殿が必死でいさめる。小松殿がいなかったら清盛はとっくに自滅している」
というふうに描かれます。
この作品でもその認識をふまえて、「小松殿が死ぬまで源氏の決起は待て」と言っているのです。

常盤御前は鬼次郎たちに連れられて屋敷を立ち退き、源氏の再興に備えます。

あと大蔵卿は義経(牛若丸)に、源氏の名刀である「友切丸(ともきりまる)」を送ります。

あとは、一幕目に出てきたお女中の「鳴瀬(なるせ)」さんは、悪人の八剣勘解由の奥さんなのですが、
「ワタクシは平家方じゃありません」と潔白を証明するために自害したりとかがありますが、
カットかもしれません。

そんなこんなで幕です。
最後の方で、大蔵卿が素でかっこよかったり、阿呆にもどったりするコントラストも楽しいです。

全体にストーリーを楽しむというよりは、現行上演では大蔵卿の作り阿呆ぶりや、
出れば剣の舞を楽しむお芝居かなと思います。

常磐御前はなんというか、身分の高い役なので、それなりのりっぱさや格ももちろん必要なのですが、
同時に女としての美しさや色気、危なっかしさなんかが漂っているほうが、当然お芝居としてはおもしろいわけで、
そういう役者さんだといいかんじです。


途中でもちらっと書きましたが、この主人公の一条大蔵長成(藤原長成)は実在の人物で、
じっさい、義経を陰でかなり応援していたようです。
常盤御前との間に2子がおり、男の子は「藤原長忠(ふじわらの ながただ)」という名前で
このかたは実際に義経と行動を共にしていた時期もあるようです。
常盤御前も、源平の戦のあとくらいまで長成のところで暮らしていたはずです。

なんというか、源平の戦のあの時代にあっても、実際に政務を執り行っていたのは「藤原摂関家」なのですが、
この時代の「藤原氏」というものの立場の強さみたいなものを感じます。

「楊弓(ようきゅう)」の説明もちょっと書きます。
小型の競技用の弓矢です。昔は柳の木で作ったのでこの名前があります。
当時は、というか江戸までずっと、弓矢遊びはチマタの一大娯楽でした。座って射る小型の「楊弓」と、立って射るふつうの弓があります。
100本とか射て、何本当たったかハイスコアを競ったり、的に当たった位置や回数に応じて景品をもらったりします。
江戸時代は「矢場」があちこちにあり、キレイなお姉さんの従業員もいて遊び好きの若者のたまり場でした。
あれです、ゲーセンでシューティングゲームやるようなもんです。そういうイメージで。
ダーツバーにも近いです。

お侍は三十三間堂などの距離のある場所に的を作って、本格的に矢を射て腕を競いました。
誰それの九百何十何本の記録がいついつ破られたとかがちょっとした事件として扱われ、記録にも残っています。


以下、あまり関係ない話です↓

今の歌六さんが、襲名披露でこの「一条大蔵」をなさったときなので昔の話ですが、
叔父さんにあたる先代勘三郎が、「お祝いに」ということでわざわざ端敵である八剣勘解由で出ました。
この役というのが後ろ向きで「死んでも褒美の金が欲しい」と言って死ぬのですが、
そのとき評論家のかたが
「ご祝儀で襲名披露に出るならちゃんとした役で出ろ。顔が見えない、客も勘三郎だと気付けないような役で出るのは、シャレにしても不真面目すぎる」と怒っていたのを覚えています。
昔は評論家のかたも言うことは言った時代です。
そのとき、六代目菊五郎が「十六夜清心」の船頭で出て「出ますよ」と言った有名な逸話にも触れてあり、
あのときも「お道楽がすぎる」と評判は悪かったんだ、と書いてありました。
今では、六代目の「出ますよ」は、彼の名優ならではのエピソードみたいに持ち上げられてますが、
あれはあのかたが舞台でやらかした幾多の悪ふざけの一つにすぎません。

チナミに、たまに「ごちそう」の例にこの「出ますよ」が出てくるのですが、ちょっとそれはまちがいです。
若手のために用意されたそこそこの「儲け役」をいい役者さんが取って演ってしまうのを「ごちそう」というのです。オイシイとこ取り。
遊びでああいう端役に出るのを「ごちそう」というのではありません。

もしかしたら「六代目」も「出ますよ」も、すでに追憶の彼方で今はあまり通じない話題かもしれません。いちおう書いておきます。



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4 コメント

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新春浅草歌舞伎で観てきました。 (june)
2009-01-18 23:18:09
いつもお世話になってます。
昨日、新春浅草歌舞伎で観てきました。
亀治郎さんが、一條大蔵卿をやってるのですが、曲舞での踊りがものすっごくよかったです。
作り阿呆というのは難しい役なんじゃないかと思うんですが、(あまり下品に阿呆を表現すると、なんだか馬鹿にされたようないやな気分になると思うんですけども)
亀治郎さんは、踊りもうまいし、とってもよかったです。もう1回観に行きたいなと思ってます。
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明日拝見します (小枝)
2011-10-23 22:35:51
初めまして。
吉例顔見世の昼の部を鑑賞しに参ります。そこで下調べしていたところ、こちらへたどり着きました。
「曲舞の場」はこちらを読んだだけで端折って欲しくない!と思う場面ですね。
吉右衛門さまの大蔵卿ともなると、瞬きすら勿体ない気がします。
単語などの解説を書いて下さっているので、片隅に入れて観てきたいです。
ありがとうございました。
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Unknown (ゆみ)
2015-11-29 04:09:31
一条長成の息子は一条良成ですよ。
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長唄の曲名 (m4m4)
2018-04-09 13:03:58
いつもわかりやすくて、楽しい解説をありがとうございます。
平成30年2月歌舞伎座 2018/3/25放送のものを見ました。長唄の曲は「鶴亀」でした。
これが他の曲になったりすることもあるのでしょうか?
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