歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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歌舞伎十八番の説明:なぜ完全な形で残っていないのか

2013年03月21日 | 歌舞伎の周辺
「歌舞伎十八番」そのものの説明をまず書きます。
他サイトや書籍でも見られると思いますので、ご存知のかたは飛ばしてください。

設定したのは江戸後期の名優、七代目市川団十郎(いちかわ だんじゅうろう)になります。
演目は

・「不破」(ふわ)
「鳴神(なるかみ)」
「暫(しばらく)」
・「不動(ふどう)」
・「象引(ぞうひき)」
「勧進帳(かんじんちょう)」
・「嫐(うわなり)」
「助六(すけろく)」
・「押戻(おしもどし)」
「外郎売(ういろううり)」
「矢の根(やのね)」
・「関羽(かんう)」
・「七つ面(ななつめん)」
「毛抜(けぬき)」
・「解脱(げだつ)」
・「蛇柳(じゃやなぎ)」
「鎌髭(かまひげ)」
「景清(かげきよ)」

の18作品です。
イラストは「象引」です。
リンクがない作品のだいたいの内容は下に書きます。

今一般的に上演されているのは「鳴神(なるかみ)」「暫(しばらく)」「勧進帳(かんじんちょう)」「助六(すけろく)」「外郎売(ういろううり)」「矢の根(やのね)」「毛抜(けぬき)」です。
たまに国立劇場などで「象引(ぞうひき)」、「不動(ふどう)」、「鎌髭(かまひげ)」「景清(かげきよ)」などが出ます。
これらは一度廃れて消滅したものの復活上演です。
ほかは、ぶっちゃけ現存しないか、そもそも独立した演目ではありません。

多くは初代と二代目の団十郎による、古い作品です。だいたい元禄から享保にかけて、1688年~1716年ごろの人気作品でした。
江戸後期、1800年代に、一部はすでに廃れていたのですが、七代目団十郎が「市川団十郎の伝統的な家の芸」として、「歌舞伎十八番」という形にまとめました。
さらに明治から昭和にかけて、九代目、十代目(死後贈)の団十郎が、古い資料を探しながら内容や演出に改良を重ねながら復活上演します。
むろん、先代の十一代目や亡くなった当代、十二代目団十郎もその補修、再演、改良に尽力しました。
初演時とまったく同じ形で上演されている作品はありません。


・どんなお芝居だったのか

「江戸荒事(えどあらごと)」と呼ばれる、単純で乱暴な筋に、動きのあるメリハリのある演出を加えたものです。
主人公の男性の強さやかっこよさを楽しむものが多いです。
「団十郎」が主演することが前提となっています。
「団十郎」は、「江戸荒事」のために作られた役者です。
初演時の、荒唐無稽かつ単純明快な雰囲気がもっとも残っていると思われるのが「暫(しばらく)」です。
また、十八番には関係ありませんが
「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」の序盤に今上演されている「金平問答諍(こんぴらもんどう あらそい)」が、
江戸荒事の古体な雰囲気をよく伝えていると思います。


・作られた時期

天保年間(1830~1844)につくられました。
制定したのは江戸後半期の名優、七代目市川団十郎です。
一応、天保三年(1832)に「歌舞伎十八番を制定する」という発表がされて演目が並べられていたようなので、これを成立の年代と見てもいいかもしれません。
当時も18本全てを上演したわけではありません。
すでに存在せず、名前しかわからない、いわば「伝説の作品」も含めて、
「歌舞伎十八番」という形で並べました。
じっさいに残っている人気作品を「十八番のうち、○○」という形で何度も上演することで、「十八番」というイメージを定着させ、
同時に上演する作品の権威を高めたのです。
そして、天保十一年(1840年)に「勧進帳」が上演されて、一応「十八番」は完結します。


・何のために作られたのか

七代目団十郎がまだ若い時期、文化、文政のころ(1800年代序盤)ですが、
父親の六代目団十郎が早く亡くなったためもあり、当時は団十郎は歌舞伎界で影が薄かったのです。
そもそも10歳で団十郎を襲名しています。ムリがあります。
しかも当時は実力派のライバルぞろい。
リアルな生世話ものの名手の三代目菊五郎は「四谷怪談」で有名な鶴屋南北と組んで大人気。
上方からきた三代目歌右衛門は浄瑠璃原作の時代物を得意として重厚な演技で客をうならせました。
立ち役の大立者(おおだてもの)、三代目坂東三津五郎の圧倒的な存在感も見過ごせません。
とくに、菊五郎は文政2年(1819年)に団十郎の専売特許である「助六」を勝手に上演。
これはひどい!! 怒り狂う団十郎。

というように文化、文政期には古典的な「江戸歌舞伎」の雰囲気は消え、団十郎の歌舞伎界での求心力も低くなっていました。
むろんこれは、歌舞伎ができて100年以上たち、客の目が肥えて複雑な内容やリアルな演技を喜ぶようになったことも大きいのですが、
団十郎は江戸歌舞伎の本来の姿である、おおらかでわかりやすい、華やかでエネルギッシュな「荒事(あらごと)」が廃れることを危惧しました。
「荒事」なくして江戸歌舞伎の魅力はないと考えたのです。

天保(1830~1844)のころになると七代目団十郎も40代、
その実力は誰もが認めるところになっており、すでに歌舞伎界の第一人者の地位を取り戻してはいましたが、
団十郎は、「江戸荒事」の象徴である歴代団十郎のお芝居を「歌舞伎十八番」として復活、定着させ、さらに権威付けることによって、
将来的にも「市川団十郎」ひいては「市川家」の地位を磐石にしようとしたのだと思います。


・なぜ完全な形で残っていないのか

「歌舞伎十八番」の一部が残っていないのは、まあ、古すぎるというのもあるのですが、
同時期からずっと発行されていた「役者評判記」は全て残っていますから、
その本体の歌舞伎の台本がまったく残っていないのも不思議な話です。
文化文政期の巨匠、鶴屋南北(つるや なんぼく)や江戸末期の天才、河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の作品はさすがに残っていますが、
同時代でもそれ以外の作品は台本が散逸したものが多いです。

正確に言うと、文楽由来の「丸本もの(まるほんもの)」と呼ばれる歌舞伎作品があり、これは歌舞伎上演作品の半分以上を占めますが、
こちらは近松門左衛門の時代から、一字一句欠けずに残っています。
純粋に「歌舞伎作品」として書き下ろされた作品のみ、散逸して原本資料がないのです。

その理由を書いてみます。
当時のお芝居の作り方の説明にもなります。

まず、歌舞伎の台本というのは、今のように役者さんのぶんを人数分まるまる刷って全員に渡したわけではないのです。
・作者がまず一冊台本を書きます。
・今なら、これをそのまま何冊も印刷して役者さんたちに配るのですが、
当時はそれを役ごとに、その役のセリフだけを抜き書きしました。これを「書き抜き」と言います。
役の数だけ、それぞれの分の「書き抜き」が作られます。
・役者さんに渡されるのはこの「書き抜き」です。
・「書き抜き」には表紙が付いていて、お芝居のタイトルと役名が書いてあります。「書き抜きをもらう」=「役をもらう」なのです。
・それぞれの「書き抜き」を持った役者さんたちがお稽古場に集まります。
・作者かお弟子さんが、完全版の脚本を一度読み上げます。役者さんが、もらったセリフの前後関係を理解するのはこの段階です。
・お稽古します。

という流れで役者さんはセリフを覚えます。
完成稿は一冊だけです。作者が持っています。
これがなくなってしまうと終わりなのです。

しかも、昔のお芝居の場合、同じ演目を違う役者さんで出すとき、役者さんに合わせて内容をてきとうに変えます。
さらに複数のお芝居のストーリーを「ないまぜ」に混ぜたりもします。長いお芝居の途中に、全然関係ない物語を入れ子状にはめこんだりもします。
このときに、前使った原稿に直接手を入れるのです。どんどん変えていくので古い原本は残りません。
さらに紙自体が貴重ですから、使わなくなった本や書き抜きは、「反故紙(ほごがみ)」としてリサイクル用に屑屋さんに売られてしまいます。
年に何度もこういう作業をやりますので、古い本は消えてしまうのです。火事も多かったですし。

では、どのように残っていない作品を再現して再演するかというと、
まず最大の資料は、「役者評判記」です。
江戸時代を通じてお芝居の新作が出るごとに、きちんと毎回発行され続けた劇評本です。
演目ごとの役者さんの演技のよしあしを細かく評価しています。
あらすじがきちんと書かれているわけではないのですが、どんな役が出ていたのか、どんな場面があったのか、ある程度知ることができるのです。
また、浮世絵も非常にいい資料です。
江戸末期ですと役者さんの書いた本も残っており、当時の舞台の様子を知ることができます。

これらの資料から、台本が残っていない作品の内容を我々は想像することができるのです。

もちろん、今は残っていない古い作品の内容や演出様式が、今の歌舞伎、とくに荒事の演出に多大な影響を与えていることは間違いのないことです。


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・リンクのない十八番の作品の簡単な内容を一応書きます。

・「不破(ふわ)」
主人公の「不破 伴左衛門(ふわ はんざえもん)」と、色男系の「名護屋 山三(なごや さんぞう)」は主君の盗まれた家宝を探す仲間でした。
「名護屋山三」と遊女の「葛城(かつらぎ)」が恋人同士でです。
「葛城」が名護屋をだましていないか確かめに会いにいった不破は、ついうっかり葛城に惚れてしまい、名護屋に非難されて草履で打たれたりして、自分を恥じて自害します。
見どころは、序盤の不破と名護屋の言い争い(イケメンふたり)、不破が葛城に惚れてしまう色っぽい場面、不破の草履打ち、などです。
「参会名護屋(さんかい なごや)」という古いお芝居が原型になっています。「参会名護屋」の資料は奇跡的にかなり残っています。
「不破」と「名護屋」はどちらもかっこいいので人気があり、
今も「鞘当(さやあて)」や、南北の「浮世柄比翼稲妻(うきよのがら ひよくのいなずま)」などのお芝居に、設定とキャラクターは生き残っています。

・「不動(ふどう)」
今もよく出る「鳴神(なるかみ)」「毛抜(けぬき)」のふたつは、「鳴神不動北山桜(なるかみふどう きたやまざくら)」という長いお芝居の一部なのですが、
この「不動」は、その最後の部分です。込み入ったストーリーの最後に「不動明王」があらわれて、全てを強引に解決します。
ギリシア悲劇のデウス・エクス・マキーナと同じ方向性です。
江戸期の市川団十郎は「不動明王の化身」として一種神格化されていましたので、
実際に不動明王と化した団十郎を眺めて楽しむだけの幕だと思います。

・「象引(ぞうひき)」
大化の改新を舞台にしています。異国の動物である象さんが出てくるので、古い風俗のほうが似合うのでしょう。
「曽我 入鹿(そがの いるか)」が象さんをあやつって暴れさせています。
主人公の「山上 源内左衛門(やまのうえ げんないざえもん)」と曽我の入鹿が象さんを引っ張りあう力強い場面が見どころです。
象さんは源内左衛門になついておとなしくなり、
源内左衛門は、象の牙を持って花道を引っ込みます。
象さんがかわいいです。

・「景清(かげきよ)」
「平家物語」にも出てくる「平 景清(たいらの かげきよ)」、通称「悪七兵衛 景清(あくしちびょうえ かげきよ)」が主人公です。
源平の戦が終わって平家が負けたあとも源氏を恨み続け、頼朝をつけ狙いう景清。ついにつかまって牢に入れられます。
景清は平家の残した重宝の隠し場所を知っているので、白状させたい源氏側。
景清の恋人の遊女の「阿古屋(あこや)」や娘の「人丸(ひとまる)」を使って精神的苦痛を与えて拷問します。
いろいろあってキレた景清が、牢屋をやぶって大暴れするところが最大の見どころです。
「阿古屋」を責める場面は「壇ノ浦兜軍記(だんのうら かぶとのぐんき)」、通称「阿古屋(あこや)」というお芝居になっています。今はこっちのほうがよく出ます。


・「嫐(うわなり)」
・「押戻(おしもどし)」
・「解脱(げだつ)」
・「鎌髭(かまひげ)」
この4つは、「暫(しばらく)」「外郎売(ういろううり)」とともに、お芝居というよりは、ひとつの「場面」です。
一定のシチュエーションを満たしていさえすれば、登場人物や細かいセリフは毎回違うのが本来の姿です。
・「嫐(うわなり)」は、女ふたりが色男を間にはさんで争う、というそれだけの場面です。
華やかで楽しい場面です。
たとえば、今残っている安永二年(1773年)の顔見世の「御贔屓勧進帳(ごひいき かんじんちょう)」にもまさにそういう場面があります。当然「顔見世」なので「暫」の場面もあります。
このように、お約束の場面としてお芝居の中に組み込まれたのです。
・「押戻(おしもどし)」は、「京鹿子娘道成寺(きょうがのこ むすめどうじょうじ)」の最後に出てくるものが有名です。
モノノケが舞台に出て暴れるストーリーの場合、
このモノノケが花道を通って外=現実世界に出るのは、たいへん危険なことだという意識が客の側にあったのです。
なので、ストーリーとは関係なく強そうなお兄さんが出てきて、花道のモノノケを舞台に「押し戻し」ます。
このシチュエーションであれば、すべて「押戻」です。
今は「道成寺」にしか出てきませんが、
「鳴神(なるかみ)」の「鳴神上人(なるかみしょうにん)」も、もとは荒れて花道から外に出ようとして「押し戻される」場面がついていました。
・「解脱げだつ)」は、一応上にも出ている「平 景清(たいらの かげきよ)」の物語ですが、
景清が、最後に景清が源氏への恨みを忘れて仏道に入り、解脱する、という筋でありさえすれば、細かい内容は何でもいいようです。
・「鎌髭(かまひげ)」も、
鎌のように上に反り返ったりっぱなヒゲを持つ主人公と、その家来がおり、
主人公は反体制側のボス、家来は実は政権側の回し者、
家来が、髭の手入れにかこつけて鎌で主人の首をかき切ろうとするのですが、
主人公は不死身なので、首を切っても切っても死にませんよ。
という場面が、緊張感とおかしみを持って描かれる。
という条件さえ満たせば、登場人物は誰でもいいようです。
近年の復活上演時は、「平将門(たいらの まさかど)」と「俵 小藤太(たわらの ことうた)」でしたが、
昔は誰でもよかったらしいです。

・「七つ面(ななつめん)」
面打ち(お面をつくる人)の赤右衛門(あかえもん)というひとが、実はお侍で、敵をあざむくために、いろいろのお面を使って踊る、
というだけの内容、らしいです。
これも、お面を使って踊り分ける、という趣向が大切なのであって、登場人物は誰でもいいのだと思います。

・「関羽(かんう)」
「関羽」と、ライバルの「張飛」が出てきます。中国風でかっこいいですが、このままだと感情移入できないので、
じつは、それぞれ正体は「畠山 重忠(はたけやま しげただ)」「平 景清(たいらの かげきよ)」ということになっています。
畠山さまは、江戸時代を通じて正義の味方の「できるお侍」の代表ですので、
張飛が、じつは平家の残党である景清だと見破ります。
おわりです。
つまりこれも一応「景清もの」です。が、
おそらく関羽と張飛が出さえすれば、もともとは中の人は誰でもいいのだとは思います。


・「蛇柳(じゃやなぎ)」
京鹿子娘道成寺(きょうがのこ むすめどうじょうじ)」にも出てくる「清姫(きよひめ)」の霊が、丹波の助太郎という道化役に乗り移って暴れます。
この暴れる様子が見どころです。
前半の助太郎の道化の様子も面白かったようですが、まったく残っていません。
お笑いだけはどうにも再現不可能です。
天明四年(1784)に「双面水照月(ふたおもて みずにてるつき)」という所作が作られました。
男の霊と女の霊が合体して男踊りとお姫様の踊りを交互にする、という趣向の作品です。
立役の役者さんが、道成寺風の所作(しょさ、踊りね)をやりたくて作りました。
この「蛇柳」も、立役であった団十郎が「道成寺」風の所作をやるために作った踊りであろうと思います。
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