急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。
所作(しょさ、踊りね)です。人気演目です。
「かのこ」というのは「鹿子絞り」の布のことです。今は布全体に絞り模様を付けた「総絞り」と「鹿子絞り」と言いますが、もともとは鹿のマダラのようにまばらな「絞り」を「鹿子絞り」と言ったようです。余談です。
とにかく、染め物は京都が本場、質のいいキレイな色の「京鹿子」を着たきれいな娘さんの踊り、みたいな意味で「京鹿子」は付いていると思います。
「鐘に恨みは数々ござる」というわけで、有名な「安珍」と「清姫」の道成寺伝説を下敷きにした踊りです。
一応元ネタを書きます。
三河の地方豪族の娘であった「清姫(きよひめ)」が、旅の若い修行僧の「安珍(あんちん)」に恋をします。
安珍は仏門に入った身なので清姫の相手はできません。しかし激しくアタックしてくる清姫。
困った安珍ですが、すぐに気が変わるだろうと思い、今は旅の途中なので、帰りにお心に沿いましょうとその場しのぎの嘘を言って旅立ちます。
旅から戻る途中の安珍は、清姫の心が変わっていないのに気づいて逃げます。追う清姫。
安珍は道成寺に逃げて、お寺の鐘の中に隠してもらいます。
清姫は執着心からヘビになり、鐘に巻き付いて安珍を焼き殺します。
作品はこの伝説をふまえ、それから何十年もたった時代の道成寺を舞台にしています。
問題の鐘の追善供養が行われるところから舞台がはじまります。
まずお寺の所化(しょけ、若いお坊さん)が並んでコミカルに会話します。
ここで「般若湯(はんにゃとう)」というのは酒のことです。
「天蓋」と言っているのはタコの隠語です。
「天蓋(てんがい)」というのはお寺で仏像の上とかに吊ってある傘型の布の飾りのことです。周囲に房飾りがたくさん付いています。で、カタチが似ているのでタコに例えるのです。
お寺では殺生は禁止ですのでタコを食べてはいけません。もちろん酒も御法度です。
そんなこんなでヌルい感じに所化さんたちはさわいでいます。
ここに、キレイなお姉さんがやってきて鐘を見せてくれと言います。
お姉さんは「白拍子(しらびょうし)」という、平安末期に流行った女流舞踏家です。
本当は女人禁制なのですが、鐘は見せてやるから踊って見せろ所化たちが言います。
娯楽に飢えてます。
というわけで、お姉さんが踊りはじめます。
という内容です。
7回も「引き抜き」で衣装が変わるのでわりと退屈しません。
で、お寺とはあまり関係ない、素人娘や遊女や、いろいろな恋の様子を描いた有名な長唄で踊ります。あれこれ小道具も使うので楽しいです。
じつはこの白拍子は蛇になった清姫の化身だったのです。
まだ鐘への執着は消えていなかったのです。
スキをみて鐘に飛び込み、蛇の精となって鐘の上にあらわれる清姫。
ふつうはここでおしまいです。踊りですのでオチはとくにはありません。キレイなおねえさんが踊るのを楽しむ舞台です。
最後までていねいに出すと「押し戻し」というのが付きます。これが出るときは要チェックです。レアです。
「押し戻し」というのは、舞台にいるモノノケが花道を通って外に出ようとしたとき、力の強い男があらわれてそれを文字通り舞台に「押し戻す」動きをいいます。
昔は舞台上の役者さんが扮するモノノケ(今回だと蛇の精)にもやばいエネルギーは宿っていると考えられていました。
それらは舞台という一種の結界の中にいるから安全なのであって、花道から外(現実世界)に出たら、実体化して危険なのです。
気を付けて見ると、歌舞伎の「モノノケ系」は、どんな舞台でも絶対花道に引っ込みません。
昔は芝居は「まつり」の一種としてかなり呪術的な目で見られていたと思います。
団十郎の「吉例でにらむ」のもそうですし、毎年春芝居に「曽我もの」を出したのもそうでしょう。
というわけで「押し戻し」は劇場における「舞台」「花道」「現実世界」という「場」を使った、一種の儀式なので、ストーリー上の整合性はありません。
だから「何で脈絡なくこんな派手なお兄さんがが出てくるの?」とか思うとわけわからなくてつまらないですが、
あまり考えずに、「押し戻し」にあたったときは「面白いことやってる」のを楽しんでください。
関係ないですが、この「押し戻し」の強いお兄さん「大館左馬五郎(おおだて さまごろう)」の衣装は「国姓爺合戦」の和籐内の衣装と同じです。これは江戸時代、衣装をてきとうに使い回したなごりです。
今はこの作品は、時間も長く、大作なこともあって、かなり格調の高い舞台として上演されますが、
江戸時代は長いお芝居の、所作(しょさ、踊りね)の場面として挿入されていたものでした。
お芝居の内容はいろいろなのですが、だいたい娘が嫉妬に狂って死に、
そのあとにこの踊りが入りました。
なので、お寺は道成寺なのですが、役名はそのときどきの死んだ娘の名前だったのです。
道成寺もそれほど大きいお寺という設定ではなく、所化(おぼうさん)も2人くらいしか出ませんでした。
そういう使われ方をしていた時代は、派手できれいではありましたが、もっと気楽な演目であったのだろうと思います。
あと
見どころではないのですが、チェックポイント、というか個人的に気になる部分ですが、
道成寺には所化(お坊さん)がたくさん出て踊りますが、これが傘持って踊るのです。
さて、和傘というものは、柄の一番下ギリギリを持つことになっております。これはべつに形式的なお約束ではなく、和傘はそうしないとバランス悪くて持ちにくいのです。
「洋傘は持ち手の中程を持つ」のは誰に強制されなくても誰でもそうするように、和傘は柄の尻を持つものなのです。
で、並んだ所化のかたがたのうち、何人かは必ず尻をはみ出させて洋傘風に傘を持っているのです。所化の衣は黒いので、客席から見て衣と傘の柄が重なったとき、とてもよく見えます、目立ちます。
しかも、当然ですが、間違った位置で持った傘は、バランスが悪いので左右にブレます。
こういう細かいことを「どうでもいい」と思わず、徹底させてこそ、いい舞台になるのだと思います。
「道成寺」のバリエーションいろいろです。↓
=「二人道成寺 (ににんどうじょうじ)」=
=「男女道成寺(めおと どうじょうじ)」=
=「奴道成寺」(やっこどうじょうじ)」=
=「豊後道成寺(ぶんごどうじょうじ)」=
=「大津絵道成寺(おおつえどうじょうじ)」=
=50音索引に戻る=
所作(しょさ、踊りね)です。人気演目です。
「かのこ」というのは「鹿子絞り」の布のことです。今は布全体に絞り模様を付けた「総絞り」と「鹿子絞り」と言いますが、もともとは鹿のマダラのようにまばらな「絞り」を「鹿子絞り」と言ったようです。余談です。
とにかく、染め物は京都が本場、質のいいキレイな色の「京鹿子」を着たきれいな娘さんの踊り、みたいな意味で「京鹿子」は付いていると思います。
「鐘に恨みは数々ござる」というわけで、有名な「安珍」と「清姫」の道成寺伝説を下敷きにした踊りです。
一応元ネタを書きます。
三河の地方豪族の娘であった「清姫(きよひめ)」が、旅の若い修行僧の「安珍(あんちん)」に恋をします。
安珍は仏門に入った身なので清姫の相手はできません。しかし激しくアタックしてくる清姫。
困った安珍ですが、すぐに気が変わるだろうと思い、今は旅の途中なので、帰りにお心に沿いましょうとその場しのぎの嘘を言って旅立ちます。
旅から戻る途中の安珍は、清姫の心が変わっていないのに気づいて逃げます。追う清姫。
安珍は道成寺に逃げて、お寺の鐘の中に隠してもらいます。
清姫は執着心からヘビになり、鐘に巻き付いて安珍を焼き殺します。
作品はこの伝説をふまえ、それから何十年もたった時代の道成寺を舞台にしています。
問題の鐘の追善供養が行われるところから舞台がはじまります。
まずお寺の所化(しょけ、若いお坊さん)が並んでコミカルに会話します。
ここで「般若湯(はんにゃとう)」というのは酒のことです。
「天蓋」と言っているのはタコの隠語です。
「天蓋(てんがい)」というのはお寺で仏像の上とかに吊ってある傘型の布の飾りのことです。周囲に房飾りがたくさん付いています。で、カタチが似ているのでタコに例えるのです。
お寺では殺生は禁止ですのでタコを食べてはいけません。もちろん酒も御法度です。
そんなこんなでヌルい感じに所化さんたちはさわいでいます。
ここに、キレイなお姉さんがやってきて鐘を見せてくれと言います。
お姉さんは「白拍子(しらびょうし)」という、平安末期に流行った女流舞踏家です。
本当は女人禁制なのですが、鐘は見せてやるから踊って見せろ所化たちが言います。
娯楽に飢えてます。
というわけで、お姉さんが踊りはじめます。
という内容です。
7回も「引き抜き」で衣装が変わるのでわりと退屈しません。
で、お寺とはあまり関係ない、素人娘や遊女や、いろいろな恋の様子を描いた有名な長唄で踊ります。あれこれ小道具も使うので楽しいです。
じつはこの白拍子は蛇になった清姫の化身だったのです。
まだ鐘への執着は消えていなかったのです。
スキをみて鐘に飛び込み、蛇の精となって鐘の上にあらわれる清姫。
ふつうはここでおしまいです。踊りですのでオチはとくにはありません。キレイなおねえさんが踊るのを楽しむ舞台です。
最後までていねいに出すと「押し戻し」というのが付きます。これが出るときは要チェックです。レアです。
「押し戻し」というのは、舞台にいるモノノケが花道を通って外に出ようとしたとき、力の強い男があらわれてそれを文字通り舞台に「押し戻す」動きをいいます。
昔は舞台上の役者さんが扮するモノノケ(今回だと蛇の精)にもやばいエネルギーは宿っていると考えられていました。
それらは舞台という一種の結界の中にいるから安全なのであって、花道から外(現実世界)に出たら、実体化して危険なのです。
気を付けて見ると、歌舞伎の「モノノケ系」は、どんな舞台でも絶対花道に引っ込みません。
昔は芝居は「まつり」の一種としてかなり呪術的な目で見られていたと思います。
団十郎の「吉例でにらむ」のもそうですし、毎年春芝居に「曽我もの」を出したのもそうでしょう。
というわけで「押し戻し」は劇場における「舞台」「花道」「現実世界」という「場」を使った、一種の儀式なので、ストーリー上の整合性はありません。
だから「何で脈絡なくこんな派手なお兄さんがが出てくるの?」とか思うとわけわからなくてつまらないですが、
あまり考えずに、「押し戻し」にあたったときは「面白いことやってる」のを楽しんでください。
関係ないですが、この「押し戻し」の強いお兄さん「大館左馬五郎(おおだて さまごろう)」の衣装は「国姓爺合戦」の和籐内の衣装と同じです。これは江戸時代、衣装をてきとうに使い回したなごりです。
今はこの作品は、時間も長く、大作なこともあって、かなり格調の高い舞台として上演されますが、
江戸時代は長いお芝居の、所作(しょさ、踊りね)の場面として挿入されていたものでした。
お芝居の内容はいろいろなのですが、だいたい娘が嫉妬に狂って死に、
そのあとにこの踊りが入りました。
なので、お寺は道成寺なのですが、役名はそのときどきの死んだ娘の名前だったのです。
道成寺もそれほど大きいお寺という設定ではなく、所化(おぼうさん)も2人くらいしか出ませんでした。
そういう使われ方をしていた時代は、派手できれいではありましたが、もっと気楽な演目であったのだろうと思います。
あと
見どころではないのですが、チェックポイント、というか個人的に気になる部分ですが、
道成寺には所化(お坊さん)がたくさん出て踊りますが、これが傘持って踊るのです。
さて、和傘というものは、柄の一番下ギリギリを持つことになっております。これはべつに形式的なお約束ではなく、和傘はそうしないとバランス悪くて持ちにくいのです。
「洋傘は持ち手の中程を持つ」のは誰に強制されなくても誰でもそうするように、和傘は柄の尻を持つものなのです。
で、並んだ所化のかたがたのうち、何人かは必ず尻をはみ出させて洋傘風に傘を持っているのです。所化の衣は黒いので、客席から見て衣と傘の柄が重なったとき、とてもよく見えます、目立ちます。
しかも、当然ですが、間違った位置で持った傘は、バランスが悪いので左右にブレます。
こういう細かいことを「どうでもいい」と思わず、徹底させてこそ、いい舞台になるのだと思います。
「道成寺」のバリエーションいろいろです。↓
=「二人道成寺 (ににんどうじょうじ)」=
=「男女道成寺(めおと どうじょうじ)」=
=「奴道成寺」(やっこどうじょうじ)」=
=「豊後道成寺(ぶんごどうじょうじ)」=
=「大津絵道成寺(おおつえどうじょうじ)」=
=50音索引に戻る=
玉さま、菊さまの…二人道成寺を観ました
歌舞伎は…初心者です お友達が、歌舞伎・
座長公演が…大好きで…初心者にはお勧めだと…言う事で…観ました。
衣装も…さることではすが…綺麗て(*U+263B-U+263B*)綺麗! 映画も面白かったです。
又、遊びにきますね!
お勉強になるお話が… テンコ盛り! 楽しい記事で為になります!
せっかく1列目で見てたのに。
手拭いも恥ずかしくて手が出せず。
それにしても玉三郎さんと菊之助さん絶品でした。
惚れ惚れしてしまいました。
もう一回見に行きます。でも今度は三階席です。
今度こそ傘をチェックしようと思いますが、またお二人に舞い上がって忘れてしまうかも。
こういうコネタ大好きです♪