歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「鉢木」はちのき(謡曲)について

2013年12月21日 | 歌舞伎の周辺
謡曲の「鉢木(はちのき)」の説明ですが、
この曲の一部が「仮名手本忠臣蔵(かなでほん ちゅううしんぐら)」の九段目、「山科閑居の場」で
使われております。

かなりパロディ化してあり、しかも下ネタです。
説明が長くなる上にお芝居の内容とはあまり関係がないので、
詳しくは書かずに「もとネタが高級すぎて伝わりにくい下ネタ」とだけ説明していたのですが、
正確な内容が知りたいというご要望がありましたので、
別項として書きます。

少々ややこしい上に、何度もいいまずがここわからなくてもお芝居の理解には支障ありません。
さらに言うと、当該のセリフの場面が最近カットされます。



まず、「鉢木」の内容をざくっと書きます。
「鉢の木」というのは、鉢に植えられた木、つまり盆栽です。


   ***
上野(こうずけ)の国、今の群馬県の佐野地方が舞台です。大雪の山の中です。
旅の修行僧が雪に困って、山中の一軒家に宿をもとめます。
貧乏な家で何もないので、一度は断った家の主人ですが、
仏道にいるものと縁を結ぶこと自体が功徳になるだろうという妻の言葉で気持ちを変えて、
雪の中で道に迷い、途方にくれる僧を呼び戻します。
夫婦はわずかしかない粟飯を僧に振る舞ってもてなしますが、囲炉裏にくべる薪がありません。
仕方ないので庭にある「鉢の木」、つまり盆栽の木を切り割って薪としてくべることにします。

家の主人は以前は人並みにりっぱに暮らしており、盆栽もたくさん持っていましたが、
いまは没落しています。 盆栽もほとんどはひとにあげてしまいました。
食べるものにも事欠く今の暮らしでは盆栽は無用のぜいたく品なのですが、
それでも、梅、桜、松のこの3鉢だけは手放せずにずっと大切に世話をしてきました。
しかし、無用なものです。
旅の僧をもてなすのに火にくべるならば惜しくはないと夫婦は考えます。
とはいえ、何年も世話した美しい盆栽です。悲しい思いを振り払って主人は木々を囲炉裏にくべます。

盆栽をいとおしむ雅な様子にただならぬものを感じた僧は、主人に名前をたずねます。
主人は、土地の有名な豪族である佐野源左衛門尉常世(さのの げんざえもんのじょう つねよ)であると名乗ります。
親類に不法な手段で裏切られて所領を失ってしまいました。

鎌倉時代のお話なので、不法について訴えるときは鎌倉幕府に行きます。
なぜ鎌倉に訴えないのかと問う僧ですが、
時の執権の北条時頼(ほうじょう ときより)は名君として有名だったひとなのですが、
出家してしまい、いま鎌倉にいないのです。
時頼さまがいないのだから、訴えても無駄だと答える主人。

主人は、自分はこんな貧苦の中にいるが、
武具と武器、痩せてはいるが、馬一頭を今も持っているといいます。
「いざ鎌倉」のときが来て諸侯が集まるときには、自分も行くつもりだ。
痩せた馬にみすぼらしい武器だが、
誰よりも早く出陣して将軍のために討ち死にする覚悟だと語ります。

その話を聞いた僧は深く感じ入り、
そのまま急に出立します。

にわかに周囲がさわがしくなり、
諸侯たちが鎌倉に向かって出立していきます。鎌倉幕府の号令があったのです。
あわてて佐野源左衛門も、やせた馬とすりきれた武具でむかいます。

そこにいた執権の北条時頼は、あの日家に泊めた旅の僧でした。

時頼は源左衛門がだまし取られた所領を返し与えた上で
そのときのもてなしの礼を言い、梅、桜、松の名のついた所領を与えるのでした。
   ***


というわけで、
冒頭、没落した豪族である主人公の佐野源左衛門が、雪の中、家に戻ってくる場面で、
問題のせりふを言います。
一度書きます。

 ああ 降ったる雪かな 如何に世にある人の面白う候ふらん
 それ雪は鵞毛に似て飛んで散乱し 人は鶴しょうを着て立って徘徊すと言へり
 されば今ふる雪も もと見し雪にかはらねども 我は鶴氅(かくしょう)を着て立って徘徊すべき
 袂も朽ちて袖せばき 細布衣陸奥の けふの寒さを如何にせん
 あら面白からずの雪の日やな


「鶴氅」(かくしょう)は、鶴の羽毛で織った衣をいいます。
「氅(しょう)」は環境によっては表示されないかもしれません。


さて、このせりふ自体が二重構造ですので、
先に最初のもとネタである漢詩について書きます。


 雪似鵞毛飛散乱    雪は鵞毛に似て、飛びて散乱し
 人被鶴氅立徘徊    人は鶴氅(かくしょう)を着て、立ちて徘徊す
 鄒生枚叟非無興    鄒生(すうせい)枚叟(ばいそう)、興無きにあらず
 唯待梁王召即来    唯だ梁王(りょうおう)を待ちて、召(よ)ばば即ち来たらん

白居易の詩です。
雪の日に、白居易は庇護者であったえらいひとのところに行かなかったので
お叱りの手紙をもらいました。
それへの返事です。
後半は、相手の庇護者と自分を、古代の文君である「梁王(りょうおう)とその家来の鄒生(すうせい)と枚叟(ばいそう)に例えて、
「呼ばれれば行ったのに、こんな美しい日に自分を呼ばないあなたも悪い」とか言っている部分で、
詩としてはとくに文学的ではありません。
前半が、雪景色を墨絵のように描いた部分です。たいへん美しいです。ここが有名です。


 雪は鵞鳥の羽に似ていて白く軽く、飛んであたりを舞う。
 人々の上にも雪は積もり、服も真っ白で、鶴の羽毛で織った白い衣を着ているようだ。
 その美しい衣を着て人々は、舞う雪の中を歩き回っている。

というかんじです。


これを引用して、佐野源左衛門が、佐野の里に降りしきる雪について語ります。
もう一度書くと、


 ああ 降ったる雪かな 如何に世にある人の面白う候ふらん
 それ雪は鵞毛に似て飛んで散乱し 人は鶴しょうを着て立って徘徊すと言へり
 されば今ふる雪も もと見し雪にかはらねども 我は鶴しょうを着て立って徘徊すべき
 袂も朽ちて袖せばき 細布衣陸奥の けふの寒さを如何にせん
 あら面白からずの雪の日やな


「世にある人」というのは、この世にいる人、という意味ではなく、
この世間で表舞台にいて一人前にりっぱにやっているひとを言います。
今で言うと「勝ち組」です。
雪景色を楽しめるのは、りっぱな家にいて庭の景色をながめていられる一部の「世にある人」だけで、
不遇に生きる人々にとっては、雪はつらいだけのものです。

 世間でうまく行っているひとたちはさぞこの雪は楽しんでいることだろうな。それに引き換え

と、主人公は自分の境遇を嘆きます。

さらに、上記の白居易の漢詩を引用し、

 中国でも文人たちは、このように雪をめでて楽しんだのだな

と嘆息します。

さて、上記の説明に書いたようにこの「鶴しょう」というのは、
雪まみれで白い通行人の服が「鶴しょう」のように見える、という比ゆなのですが、
ここではりっぱで暖かい羽毛の服を着て雪の中で楽しむ様と解釈されています。

 以前は自分もりっぱなあたたかい衣服を着て雪を見て楽しんだものだ。
 今降る雪も、そのとき雪と同じ雪ではあるが、
 この雪の中で、自分は昔のような羽毛の服で歩き回れるだろうか(いやできない)。
 今は貧しいくらしで労働もつらく、
 着るものはすり減って袂(たもと)は切れてしまって、
 昔のゆったりとした袖とは違って細い袖の、幅の狭いそまつな布で作ったつるつるてんの服を着ている。
 このような充分に体を覆えないような衣服で、
 この、みちのく地方の冬の寒さをどうやって耐えればいいのだろうか。本当につらい。
 ああほんとうに、(昔とは違って)楽しくもなんともない雪の日であることだよ。


だいたいこんな意味です。


「鉢木」の説明は以上です。
以下「九段目」との関係です。

当該部分のセリフは以下になります。
九段目の冒頭部分です。雪が降っています。
京都祇園の遊郭で遊んでいた大星由良之助(おおぼし ゆらのすけ、大石内蔵助のことです)が、
京都のはずれ、山科にある隠居宅に戻ってきた場面でのセリフです。

 ああ 降ったる雪かな 如何に世にある人の面白う候ふらん
 それ雪は鵞毛に似て飛んで散乱し 人は鶴しょうを着て立って徘徊すと言へり

これをもじって


 アアアア 降ったる雪かな いかによその和郎(わろ)たちが さぞ悋気(りんき)とや見給うらん
 それ雪は打綿に似て 飛んで中入りとなり、奥はかか様と言えば とっと世帯じむと言えり
 加賀の二布(ふたの)へ お見舞いの 遅いはご用捨(ようしゃ) 
 伊勢海老と盃 穴の稲荷の玉垣は 朱(あか)うなければ信がさめると 言うようなものかい

というセリフと言います。現代かな使いにしてあります。

後ろ2行は「鉢木」に関係ないですが、
ここまでひとまとめの文章が下ネタですので、
いちおう全部説明します。

「和郎(わろ)」というのは、昔はよく使った単語で
本来は「男の子」を意味する多少乱暴なことばです。
ただ、ここでは「男の子」ではなく、「野郎ども」みたいな意味です。
「悋気(りんき)」は嫉妬のことです。妻が夫に嫉妬するパターンが多いです。

 ああ、よく降った雪であることだ。
 どんなにか、よそからこの家庭を見ているやつらは、
 さぞ妻が遊び歩く自分に嫉妬しているだろうと想像しているでしょう。

ここで雪の話と妻の嫉妬の話に関連性がありません。
元ネタにあわせててきとうに言っているのかもしれませんが、
「ゆき」と「りんき」で一応ごろ合わせなのかもしれません(苦しい)。

「打綿(うちわた)」は、綿を棒状のもので打ってふわふわにした、その綿です。多くは「打ち直し」をしたちょっと安い綿です。
布団に入れます。
雪を鳥の羽に例えると、天上世界のようで優雅ですが、
わざと、打綿作業の現場で飛び散る優雅とはいいがたい綿ホコリに例えます。
「中入り」というのは、ふとんの中身になる、ということです。現実的です。
「奥」は妻のことです。「奥様」の「奥」です。

 
 このように雪は鳥の羽根というよりは打綿で飛び散る綿に似ており、飛び散ったあと布団の中味になる。そして
 奥(妻)は、「奥様」といえばりっぱに聞こえるが、これを「かかさま」と呼ぶと、急に世帯じみた雰囲気になる、

というような文章です。
表面上はお堅い武家の夫婦も、プライベートではくだけた愛情表現をしているものだよ、というようなニュアンスです。
「布団」が出てきていますので、
全体として、夫婦の布団の中での生活を連想させる部分です。

まったく原文と違う意味になってはいますが、
やはり、理不尽な理由で所領を失って浪々としている日陰の身の気持ちを、
もとの「鉢木」になぞらえていると思います。
それを隠すために派手な下ネタにしている、
というような心情を汲み取ってもいい部分だと思います。


後半です。
「加賀」というのは、加賀絹です。
直前の「かか」と「加賀」とを、かけていると思います。

「二布(ふたの)」は、腰巻のことです。
布を2枚つなげて作ったのでこう呼びます。
当時は腰巻の下にはなにも付けていませんから、
今で言うと、パンツです。「加賀絹」の「二布」ですから、シルクのパンツ!!
しかもぴらっとめくると中身が見えるあやういものです。
この時点で下ネタ度が上がってきます。

つまり、この部分は

 布団の中で、かかァの加賀絹の下着にお見舞い(お目にかかりにいく)=妻の下着をめくってあれこれする、
 をしなければならないのだが、
 これが遊郭で遊んでいて遅くなっていることについては、お許しねがいたい(今行きますよ)


くらいの意味でしょう。

さらに
「伊勢海老」と「杯」
これはどちらも赤いものです。
後ろの「朱うなければ」のために、赤いものとして並べられています。
「穴の稲荷」は、ええと、
「穴の稲荷」は、今だと上野にあるのが有名ですが、ご神体部分が祠になっている稲荷神社であれば「穴の稲荷」ですから、
一般名詞と見ていいと思います。
しかし、
このシチュエーションで「穴」と来た時点で、女性器を意味します。
「稲荷」が付くのは、そのまま「穴」と書くと直接的すぎて色気がないことと、女性器自体を神格化していること。
そしてうしろの「玉垣」を引き出すためです。
「玉垣」は、神社を囲う垣根ですから、この場合、女性器の周囲のもりあがりその他をさします。
これが赤い状態は、つまり、臨戦態勢ということになるでしょう。
だんだんミもフタもない表現になってきていますが、
つまり、

 女性のその部分が赤くなっていなかったら「信心がさめる」、つまり、やる気がなくなる
 (女性にもその気になっていてもらわないと楽しめない)。
 (自分の気持ちも、世間一般の気持ちも)そういうようなものであろうかな


と言っています。
前述の「伊勢海老」と「杯」も、赤いものの例でもありますが、
おそらく形状的にも男性器と女性器を連想させていると思います。


というような
高級下ネタです。


歌舞伎だと、いまはこの部分は意味わからなすぎるのか、カットなことも多いようです。
由良之介が駕籠に乗せられたまま庭を通って屋敷の奥に運び込まれてしまい、そもそも前半は出てこない演出もあります


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