急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。
全セリフと全訳を用意しました。
=全セリフ=
=全訳1= =全訳2= =全訳3=
原型は、能の「安宅(あたか)」です。ほぼそのままの形で歌舞伎の舞台に移されております。
まず基本設定と簡単な流れを書きます。
源平の戦の直後です。
世の中は一応落ち着きますが、平家制圧に多大な貢献をしたはずの源義経(みなもとの よしつね)は、
政権掌握の野心を疑われて頼朝(よりとも)と仲違いし、兄の頼朝に命を狙われます。
義経は、武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)をはじめとする家来たちとともに山伏に化けて、
奥州平泉(おうしゅう ひらいずみ)に逃げようとします。
時しも頃は如月の、十日の夜。
義経一行は京の都を脱出、琵琶湖を北に渡って加賀(石川県)に入り、北陸道を北上すべく安宅の関(あたかの せき)
を通ろうとします。
義経一行が山伏に化けているらしいのはすでにバレているので、
山伏という時点で問答無用で通すまいとする関守の富樫左衛門(とがしの さえもん)。
あれこれ策を弄して「本物の山伏だい」と言ってムリクリ通ろうとする弁慶 。
で、弁慶は持ってもいない「勧進帳」をその場ででっち上げて山伏である証拠として読み上げ、関守の富樫をだまして
関所を通る、
というお芝居です。
「勧進帳」のでっちあげ、そしてその後の専門的な仏教知識を問う「山伏問答(やまぶしもんどう)」。
どちらも高度な仏教的知識を必要とします。
弁慶は、見た目は荒っぽい印象の男ですが、もともとは比叡山延暦寺で少、青年期をすごし、優秀な学僧として有名で
した。
「勧進帳」っぽい文章をでっちあげるのも、山伏問答で正確無比な答えを言うのも朝飯前なのです。
一度はだまされた関守の富樫ですが、
いちばん最後に関所を出ようとした強力(ごうりき、荷物持ちに雇われた下男)が義経さまに似ているのに気付きます
。
まさにその強力が義経さまです。ヤバい。ばれる。
弁慶、「ろくに荷物も持たないくせに、トラブルばかり起こして腹が立つ」と言って義経を散々に杖で打ます。
「いくらなんでも主君、というか天下の源義経をここまで殴らないだろう」と思わせる作戦です。
だまされた富樫は義経一行を通します。
少し離れた山の中、弁慶の機転に感謝する義経、泣いてわびる弁慶、
そこに富樫がまたやってきます。
あわてる一行ですが、富樫は「さっき失礼をしたおわびに」と酒や肴を持ってきたのです。
「わかった上で逃がしてくれるんだな」と悟った弁慶。
何食わぬ顔で酒を飲み、求められて舞を舞います。そのどさくさにまぎれて一行は出発します。
幕が引かれたあと、ひとり残った花道で、弁慶は富樫に深く一礼します。
そして先に逃げた義経たちを追って花道を飛び六法で豪快に引っ込みます。
以上です。
イラストは富樫です。十五代目市村羽左衛門です。美しい。
このかたの富樫は、最後の場面で弁慶とその一行が逃げて花道に出るまでの間、じっと見ているのも妙な話だというこ
とで軽く目を閉じていたそうです。
細かい演技だと思います。
さて、
お芝居の中に出てくる単語がわかりにくく、ストーリーの理解を妨げている気がするので、以下書きます。
・「勧進」(かんじん)
=寄付、主に寺、仏像の建立修理の資金集めを指します。
・「勧進帳」(かんじんちょう)
=寄付を集めるために、行く先々で口上を言います。りっぱならりっぱなほどありがたみが増すので効果的です。
というわけであらかじめ難しい言葉を並べて長めの文章を用意しておき、それをヒトビトの前で読み上げて寄付を募り
ました。
この「読み上げる用の原稿」が「勧進帳」です。ふつうはえらいお坊さんが作成します。
これを「その場ででっちあげて読む」という離れワザを弁慶がやってのけたからすごいのです。
・「山伏」(やまぶし)=「修験僧」(しゅげんそう)
=修験道の僧です。熊野と吉野にいました。
「修験道」は、平安後期から鎌倉にかけて流行った山岳信仰の一種です。神道と仏教が融合された独特の宗教です。
一応仏教にカテゴライズされますが、いわゆる「お釈迦様」ではなく「不動明王」を信仰の中心とするのが特徴です。
「真言(しんごん)」と呼ばれる、原語(サンスクリット語)のままのお経の文句、
これを呪文みたいに唱えながら山の中で苦行にはげむアヤシイ集団です。
しかし厳しい修行を行い、俗塵にまみれない山伏は当時たいへん尊敬されており、
旅行中も舟の渡し賃を払わなくていいなど優遇されていました。
さらに真言の呪文や仏に祈って行う「護法」には霊験があると信じられていました。
だから、「ホンモノの山伏を怒らせるのは仏罰が当たってやばい」という意識が関守の側にもあるのです。
ニセモノだったら殺すしかないが、本物を殺すのはまずい。そこがカケヒキです。
義経一行が山伏に化けたのも、「聖職者」「仏罰」をタテに無理が言えるという計算があるのです。
あと多人数で帯刀して旅行して不自然でないのは山伏だけ、という理由もあります。
・「大檀那」だいだんな
=大旦那ともいいます。
「檀那」「旦那」は「ご主人」というイミではなくて、もとは仏教用語で「寄付する人」のイミです。
今は「檀家(だんか)」という単語にその痕跡が残っています。
・「南都東大寺(なんと とうだいじ)」
=「何と!!東大寺」と聞こえて混乱するのですが、「南都」は「奈良の都」の意味です。 奈良の東大寺です。
治承3年、清盛が奈良の興福寺を攻めさせたとき、興福寺とともに東大寺も大仏も焼いてしまいました。バチあたり。
平家滅亡はこの祟りともされます。
これを再建(さいこん)するための「勧進」(寄付金)集めの旅をしている。という設定なのです。
勧進帳の中の文句でも「俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)」が勅命を受けて寄付を集めている、
というようなことを言っていますが、これは史実です。
・あと、舞台の義経一行は5人ですが、実際は(「義経記(ぎけいぎ)」によれば)十数人+お付き、の多人数です。
この人数で刀持ってうろつけばアヤシイに決まっています。山伏に化ける以外の選択肢はないのです。でもやっぱりバ
レバレです。
というところを押さえれば、あとはわかりにくいところはないかなと思います。
後半、富樫が一行の後を追ってきて弁慶に酒をふるまう場面、
弁慶が普通の杯で飲まず、葛桶(かずらおけ)のフタ(大きい)で飲む動きが楽しいので
みなさんそこに夢中ですが、
あ、蔓桶というのは中世には普通に使われていた入れ物です。
蔓のつるで編んで作り、上に漆を塗ったものですが、とくに蔓で作っていなくても同じ形状のものは「蔓桶」と呼んだ
と思います。
フタをお盆のように使ったりもします。
で、
この部分の長唄は
「人の情けの杯を 受けて心を 留むとかや
今は昔の 語りぐさ
あら 恥ずかしの わがこころ
一度 まみえし 女さえ 迷いの道の 関越えて
今またここに 越えかぬる」
と名文句&節で、聞かせどころなのです。
コミカルな動きも見どころなのですが、ちょっと唄も聞いてみてくださいね。
あと、最後の方の弁慶の謡(うたい)に
「あれなる山水の 落ちて巌(いわお)にひびくこそ」
というのがあります。
これはこのまま長唄の
「鳴るは滝の水 なるは滝の水」という、謡曲の定番のおめでたい文句に続くのですが、
このフレーズは、「義経ひとり生きて逃がしさえすれば、いつか大軍を起こして国をひっくり返す」
というような信念が見える部分だと思います。
だからこそ頼朝も義経を、何が何でも殺そうとしたのだと思います。
ところで、
この「勧進帳」という作品は、というか原型である能の「安宅(あたか)」がそうなのですが、
能ですからそれほど緻密なストーリーがあるわけではないとはいえ、
内容の細かい部分がかなりあやふやというか、いいかげんなのです。
前半で「陸奥に至るまでにいくつも関所がある」と言いながら、後半では「この安宅の関さえ通ってしまえばもう大丈
夫」、というような話になってしまっている部分がもっとも変です。
これは、この作品のイメージの根幹にある「義経記(ぎけいぎ)」を読むと、なんとなく理解できます。
「義経記」は「平家物語」「源平盛衰記」と並ぶ中世軍記物語のひとつであり、義経の誕生、成長から頼朝との仲たが
い、逃避行、陸奥で死ぬまでを緻密に描いた作品です。名文です。
ちなみに歴史資料としての信憑性は、全然ないです。
「義経記」だと佐藤忠信(源九郎忠信)はものすごく目立ってかっこいいです。
「義経千本桜」の中で佐藤忠信が何故あんなにオイシイ役どころなのか、これを読むとよ
くわかります。
「義経記」後半で、逃避行中の義経一行はいくつもの関を通り、渡し守に怪しめられ、土地の役人(富樫の直接のモデ
ルはこれ)とすれ違ってバレそうになったり、取り囲まれて笈(「おい」、荷物ですよ)の中身を見られそうになって
あれこれごまかしたり。
じつに色々な苦難を乗り越えます。
そういう数々の名場面のエッセンスを凝縮したのが、この「勧進帳」、というか、能の「安宅」です。
読み比べると「安宅(勧進帳)」は細かい描写やエピソードについて、かなり濃く「義経記」の影響下にあるのがわか
りますよ。
「義経記」も、他の戦記ものと同様「語り物文芸」としての側面を持っていますから、ひとびとは、先に「義経記」の
いろいろな場面を演芸として聞いて知っていたでしょう。
その上で「安宅」を見て「あ、あのシーンをここで使っている。あのかっこいい舞の場面がここに入っている」という
ように喜んだのだと思います。
「義経記の後半部分リミックス」として見たとき、「勧進帳」の作品の方向性が非常にわかりやすくなるように思いま
す。
=全セリフ=
=全訳1=
=全訳2=
=全訳3=
=50音索引に戻る=
全セリフと全訳を用意しました。
=全セリフ=
=全訳1= =全訳2= =全訳3=
原型は、能の「安宅(あたか)」です。ほぼそのままの形で歌舞伎の舞台に移されております。
まず基本設定と簡単な流れを書きます。
源平の戦の直後です。
世の中は一応落ち着きますが、平家制圧に多大な貢献をしたはずの源義経(みなもとの よしつね)は、
政権掌握の野心を疑われて頼朝(よりとも)と仲違いし、兄の頼朝に命を狙われます。
義経は、武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)をはじめとする家来たちとともに山伏に化けて、
奥州平泉(おうしゅう ひらいずみ)に逃げようとします。
時しも頃は如月の、十日の夜。
義経一行は京の都を脱出、琵琶湖を北に渡って加賀(石川県)に入り、北陸道を北上すべく安宅の関(あたかの せき)
を通ろうとします。
義経一行が山伏に化けているらしいのはすでにバレているので、
山伏という時点で問答無用で通すまいとする関守の富樫左衛門(とがしの さえもん)。
あれこれ策を弄して「本物の山伏だい」と言ってムリクリ通ろうとする弁慶 。
で、弁慶は持ってもいない「勧進帳」をその場ででっち上げて山伏である証拠として読み上げ、関守の富樫をだまして
関所を通る、
というお芝居です。
「勧進帳」のでっちあげ、そしてその後の専門的な仏教知識を問う「山伏問答(やまぶしもんどう)」。
どちらも高度な仏教的知識を必要とします。
弁慶は、見た目は荒っぽい印象の男ですが、もともとは比叡山延暦寺で少、青年期をすごし、優秀な学僧として有名で
した。
「勧進帳」っぽい文章をでっちあげるのも、山伏問答で正確無比な答えを言うのも朝飯前なのです。
一度はだまされた関守の富樫ですが、
いちばん最後に関所を出ようとした強力(ごうりき、荷物持ちに雇われた下男)が義経さまに似ているのに気付きます
。
まさにその強力が義経さまです。ヤバい。ばれる。
弁慶、「ろくに荷物も持たないくせに、トラブルばかり起こして腹が立つ」と言って義経を散々に杖で打ます。
「いくらなんでも主君、というか天下の源義経をここまで殴らないだろう」と思わせる作戦です。
だまされた富樫は義経一行を通します。
少し離れた山の中、弁慶の機転に感謝する義経、泣いてわびる弁慶、
そこに富樫がまたやってきます。
あわてる一行ですが、富樫は「さっき失礼をしたおわびに」と酒や肴を持ってきたのです。
「わかった上で逃がしてくれるんだな」と悟った弁慶。
何食わぬ顔で酒を飲み、求められて舞を舞います。そのどさくさにまぎれて一行は出発します。
幕が引かれたあと、ひとり残った花道で、弁慶は富樫に深く一礼します。
そして先に逃げた義経たちを追って花道を飛び六法で豪快に引っ込みます。
以上です。
イラストは富樫です。十五代目市村羽左衛門です。美しい。
このかたの富樫は、最後の場面で弁慶とその一行が逃げて花道に出るまでの間、じっと見ているのも妙な話だというこ
とで軽く目を閉じていたそうです。
細かい演技だと思います。
さて、
お芝居の中に出てくる単語がわかりにくく、ストーリーの理解を妨げている気がするので、以下書きます。
・「勧進」(かんじん)
=寄付、主に寺、仏像の建立修理の資金集めを指します。
・「勧進帳」(かんじんちょう)
=寄付を集めるために、行く先々で口上を言います。りっぱならりっぱなほどありがたみが増すので効果的です。
というわけであらかじめ難しい言葉を並べて長めの文章を用意しておき、それをヒトビトの前で読み上げて寄付を募り
ました。
この「読み上げる用の原稿」が「勧進帳」です。ふつうはえらいお坊さんが作成します。
これを「その場ででっちあげて読む」という離れワザを弁慶がやってのけたからすごいのです。
・「山伏」(やまぶし)=「修験僧」(しゅげんそう)
=修験道の僧です。熊野と吉野にいました。
「修験道」は、平安後期から鎌倉にかけて流行った山岳信仰の一種です。神道と仏教が融合された独特の宗教です。
一応仏教にカテゴライズされますが、いわゆる「お釈迦様」ではなく「不動明王」を信仰の中心とするのが特徴です。
「真言(しんごん)」と呼ばれる、原語(サンスクリット語)のままのお経の文句、
これを呪文みたいに唱えながら山の中で苦行にはげむアヤシイ集団です。
しかし厳しい修行を行い、俗塵にまみれない山伏は当時たいへん尊敬されており、
旅行中も舟の渡し賃を払わなくていいなど優遇されていました。
さらに真言の呪文や仏に祈って行う「護法」には霊験があると信じられていました。
だから、「ホンモノの山伏を怒らせるのは仏罰が当たってやばい」という意識が関守の側にもあるのです。
ニセモノだったら殺すしかないが、本物を殺すのはまずい。そこがカケヒキです。
義経一行が山伏に化けたのも、「聖職者」「仏罰」をタテに無理が言えるという計算があるのです。
あと多人数で帯刀して旅行して不自然でないのは山伏だけ、という理由もあります。
・「大檀那」だいだんな
=大旦那ともいいます。
「檀那」「旦那」は「ご主人」というイミではなくて、もとは仏教用語で「寄付する人」のイミです。
今は「檀家(だんか)」という単語にその痕跡が残っています。
・「南都東大寺(なんと とうだいじ)」
=「何と!!東大寺」と聞こえて混乱するのですが、「南都」は「奈良の都」の意味です。 奈良の東大寺です。
治承3年、清盛が奈良の興福寺を攻めさせたとき、興福寺とともに東大寺も大仏も焼いてしまいました。バチあたり。
平家滅亡はこの祟りともされます。
これを再建(さいこん)するための「勧進」(寄付金)集めの旅をしている。という設定なのです。
勧進帳の中の文句でも「俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)」が勅命を受けて寄付を集めている、
というようなことを言っていますが、これは史実です。
・あと、舞台の義経一行は5人ですが、実際は(「義経記(ぎけいぎ)」によれば)十数人+お付き、の多人数です。
この人数で刀持ってうろつけばアヤシイに決まっています。山伏に化ける以外の選択肢はないのです。でもやっぱりバ
レバレです。
というところを押さえれば、あとはわかりにくいところはないかなと思います。
後半、富樫が一行の後を追ってきて弁慶に酒をふるまう場面、
弁慶が普通の杯で飲まず、葛桶(かずらおけ)のフタ(大きい)で飲む動きが楽しいので
みなさんそこに夢中ですが、
あ、蔓桶というのは中世には普通に使われていた入れ物です。
蔓のつるで編んで作り、上に漆を塗ったものですが、とくに蔓で作っていなくても同じ形状のものは「蔓桶」と呼んだ
と思います。
フタをお盆のように使ったりもします。
で、
この部分の長唄は
「人の情けの杯を 受けて心を 留むとかや
今は昔の 語りぐさ
あら 恥ずかしの わがこころ
一度 まみえし 女さえ 迷いの道の 関越えて
今またここに 越えかぬる」
と名文句&節で、聞かせどころなのです。
コミカルな動きも見どころなのですが、ちょっと唄も聞いてみてくださいね。
あと、最後の方の弁慶の謡(うたい)に
「あれなる山水の 落ちて巌(いわお)にひびくこそ」
というのがあります。
これはこのまま長唄の
「鳴るは滝の水 なるは滝の水」という、謡曲の定番のおめでたい文句に続くのですが、
このフレーズは、「義経ひとり生きて逃がしさえすれば、いつか大軍を起こして国をひっくり返す」
というような信念が見える部分だと思います。
だからこそ頼朝も義経を、何が何でも殺そうとしたのだと思います。
ところで、
この「勧進帳」という作品は、というか原型である能の「安宅(あたか)」がそうなのですが、
能ですからそれほど緻密なストーリーがあるわけではないとはいえ、
内容の細かい部分がかなりあやふやというか、いいかげんなのです。
前半で「陸奥に至るまでにいくつも関所がある」と言いながら、後半では「この安宅の関さえ通ってしまえばもう大丈
夫」、というような話になってしまっている部分がもっとも変です。
これは、この作品のイメージの根幹にある「義経記(ぎけいぎ)」を読むと、なんとなく理解できます。
「義経記」は「平家物語」「源平盛衰記」と並ぶ中世軍記物語のひとつであり、義経の誕生、成長から頼朝との仲たが
い、逃避行、陸奥で死ぬまでを緻密に描いた作品です。名文です。
ちなみに歴史資料としての信憑性は、全然ないです。
「義経記」だと佐藤忠信(源九郎忠信)はものすごく目立ってかっこいいです。
「義経千本桜」の中で佐藤忠信が何故あんなにオイシイ役どころなのか、これを読むとよ
くわかります。
「義経記」後半で、逃避行中の義経一行はいくつもの関を通り、渡し守に怪しめられ、土地の役人(富樫の直接のモデ
ルはこれ)とすれ違ってバレそうになったり、取り囲まれて笈(「おい」、荷物ですよ)の中身を見られそうになって
あれこれごまかしたり。
じつに色々な苦難を乗り越えます。
そういう数々の名場面のエッセンスを凝縮したのが、この「勧進帳」、というか、能の「安宅」です。
読み比べると「安宅(勧進帳)」は細かい描写やエピソードについて、かなり濃く「義経記」の影響下にあるのがわか
りますよ。
「義経記」も、他の戦記ものと同様「語り物文芸」としての側面を持っていますから、ひとびとは、先に「義経記」の
いろいろな場面を演芸として聞いて知っていたでしょう。
その上で「安宅」を見て「あ、あのシーンをここで使っている。あのかっこいい舞の場面がここに入っている」という
ように喜んだのだと思います。
「義経記の後半部分リミックス」として見たとき、「勧進帳」の作品の方向性が非常にわかりやすくなるように思いま
す。
=全セリフ=
=全訳1=
=全訳2=
=全訳3=
=50音索引に戻る=
今回スカパーで歌舞伎を見るょうになって、改めてこの「歌舞伎のお供を」みて楽しんでいます。
大体分かるのですが、
これを見てもっとよく分かりました。
ありがとうございます☆
私の一番好きな場面は、
弁慶が勧進帳を高らかに歌い上げる所と
認めてもらうために義経を叩く場面です。
共感してもらえるとうれしいです!