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歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「すし屋」 すしや (「義経千本桜」)

2012年01月31日 | 歌舞伎
義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」 という長いお芝居の三段目の後半部分です。
ここだけ出ることは絶対ないので、前半部分の=「木の実・小金吾討死」=と一緒にお読み下さい

というわけで、源平の戦がおわった直後です。
平家の残党として「若葉の内侍(わかばの ないし)」と「六代君(ろくだいぎみ)」の母子は追われております。
ふたりは、夫の「三位中将維盛(さんみのちゅうじょう これもり)」、つまり「平維盛(たいらの これもり)」さまに会いたくて、探して旅をしている途中です。

「平維盛(たいらの これもり)」さまは奈良の高野山(こうやざん)の金剛峰寺(こんごうぶじ)に行って出家したというウワサなのですが、
どうもまだ下界にいるらしいという話もあり、鎌倉幕府は維盛の捜索も始めました。

お芝居の中でセリフで「詮議(せんぎ)」と言っているのが「捜索」のことです。
テレビの時代劇などですと、「捕まえた犯人の取調べ」を「詮議」と言いますが、お芝居では「あちこち調べて探す」ことを[詮議」と言います。

・すし屋の場

舞台は吉野山のふもと、下市村にある「釣瓶鮨(つるべずし)」というすし屋さんの見世先です。

すしは、江戸では「握りずし」が主流でしたが上方では「押し鮨」が普通です。こっちのほうがおすしの本来の形です。
もともとの「すし」は、桶にごはんと魚を入れて醗酵させて鮨にします。なので見世先には鮨を作るための手桶がいくつも並んでいます。

お店では娘の「お里(おさと)」ちゃんが、母親と一緒に一生懸命働いています。いなかの村娘ですが素直なかわいい子です。
お客さんがもうひとりの息子のウワサをします。勘当された「いがみの権太(ごんた)」です。
前の=「木の実・小金吾討死」=に出てきた男です。
前のページにも書きましたが「いがみ」というのは「いがみ合う→ケンカする」みたいな暴力的な意味ではなく、
「ゆがみ」という意味です。性格のゆがんだ悪党、というニュアンスで使っています。

それはそうと最近、このお店には新しい使用人が住み着きました。「弥助(やすけ)」と呼ばれる若い色男です。なかなか真面目に働きます。
お里ちゃんはこの弥助にベタ惚れです。
お父さんの「弥左衛門(やざえもん)」さんが、「今晩ふたりを結婚させる」と言ったので、お里ちゃんはおおろよこびです。
お父さんと、お使いに行った弥助の帰りを待ちわびています。

弥助が帰ってきます。
じつは、この弥助が、問題の「平維盛(たいらの これもり)」さまなのです。弥左衛門さんがこっそりかくまっているのです。
というわけで、鮨桶をたくさん担いだお仕事スタイルですが、弱々しさと、お里ちゃん以上の色気と、持って生まれた品のよさがあふれ出ていないといけない役です。
弥助は空の桶を回収して来たところなので担いでいる桶は空なのですが、力がないので空の桶すら重く、休みながら帰ってきます。
入り口を入ったところですっかり疲れてふっとため息をつくところの風情がたいせつです。

もう女房気取りのお里ちゃんがあれこれ世話を焼きます。
結婚後の練習をしようと言い、「お里さま」と言わずに「これ、女房どものお里」と呼ぶ練習をさせたりして楽しいです。
「女房ども」というのは、「女房」を複数形にしているのではなく、相手をちょっと見下して言うときに使う接尾語です。「○○ら」というのもあります。今は使用人の弥助ですが、結婚したら夫になるんだからもっといばって、ということです。

ふたりがいいムードのところに、権太がやってきます。ちっジャマな。
ここで権太が何か紙に描いた絵を出して、弥助と見比べるシーンがありますが、わかりにくいので今カットかもしれません。
権太が母ちゃんを呼べというので、ふたりは引っ込みます。

母親と権太との会話になります。
お母さんは原作の文楽ではでは役名がないのですが。今は役名が付くかもしれません。

勘当したのに、何で家に来るんだ。どうせ金の無心だろう、と警戒心丸出しの母親にたいして、権太は騙しのテクニックで応戦します。
まず「死ななくてはならないのでお別れに来ました」と脅かします。つかみはオッケーです。
セリフで「遠いところに行かねばなりまぬ」と言うのが、「死ぬ」という意味です。

泥棒にあって年貢の金を取られた。代官所のおとがめがあるだろうから、もう死ぬしかない。
年貢を未納しても牢には入りますが死罪にはならないでしょうから、いいかげんなでっち上げだと思いますが、母親はあっさりだまされてオロオロします。
しかも、「死のうと覚悟を決めるとはりっぱなものだ」と何故か息子に感心します。ダメ親の典型です。昔も今も、ダメ男にダメ親ありです。
母親は夫に隠して持っていたヘソクリの三貫目をこっそり権太にやります。
ヘソクリが入っている戸棚の鍵がかかっていて開かないのですが、権太がこじ開けます。
盗人の技ですが「器用な子じゃのう」と喜ぶ母。ダメすぎです。

現代人になじみが深いお金の単位は「両」ですが、「両」は金の単位です。「貫目」は銀の単位です。
正確にはどちらも貴金属としての重さを表示しています。
一両は、6~7万円、一貫目は100万円くらいと思って間違いないかと思います。

権太は前の幕で「若葉の内侍」から二十両をだまし取っています。これは130万円くらいになります。
いま権太が持っている額は130万円+3000万円くらいです。大金です。

=江戸時代の貨幣価値=

権太はさっさとお金を持って帰ろうとしたのですが、父親の弥左衛門が帰って来るのが見えます。ヤバい。今出たらハチ合わせです。
権太は手近にあった鮨の空き桶にとりあえずお金を隠して、自分は奥に隠れます。

権太は、東京でこのお芝居を見るとけっこう垢抜けた、江戸の街にいそうな小悪党として描かれます。
これはもう、これで決まった形なのでそのまま楽しめばいいのです。
しかしもともとはこれは上方で作られた文楽の作品ですから、上方の生活感が出ています。
京阪の感覚で「吉野の下市村」と言えば、すごいイナカの農村なのです。
そういう閉じた村落共同体に、かならず一人はいた、あぶれものの嫌われ者の悪党、それが権太です。

上方の文楽作品の、田舎の家を舞台にした「世話場(せわば)」には、役の軽重はありますが、こういう「あぶれもの」が必ず出てきます。権太はその典型的な役柄だったのです。
江戸歌舞伎に移入されて、権太以上にイメージが変わってしまいましたが、「忠臣蔵五段目」の「定九郎」も、もともとはそういうかんじの「地域社会のあぶれ者」的な役です。

さて、父親の弥左衛門(やざえもん)が帰宅しました。風呂敷包みを持って、なんだかあわてています。
この包みを、権太がお金を隠したのの隣りの桶に隠します。ここが後半にむけてとても大切な部分になります。

使用人の弥助が迎えに出ます。
お里と母親が奥の部屋にいるのを確認して、弥左衛門さんは弥助を上座に置いて、頭を下げます。
とくに衣装は変わらなくても、この瞬間「弥助」は「維盛さま」に見えなくてはなりませんから難しい役です。

弥助はじつは平維盛さまである。
身分を偽って使用人にみせかけてかくまっている。娘のお里と結婚させるのも、本当は宮仕えさせるような気持ちで、嫁入りとは思っていない。
頼朝の家来の「梶原平三(かじわら へいぞう)」が維盛を探しに来ている。この家にいるのも感づいている。逃げなくては。
明日朝イチで、お里と一緒に隣の村の自分の隠居所に逃げるように。
とかそんなかんじの事を言います。

なぜ弥左衛門が危険を犯してまで維盛さまのめんどうを見るかと言うと、維盛さまの父親の「平重盛(たいらの しげもり)」さまに恩があるからです。

平家の全盛のころのことです。
平重盛は信心深いので中国のお寺に寄付しようと思い、三千両の寄付金(セリフで「祠堂金(しどうきん)」と言っているのがそれ)を船で贈ろうとしました。
その船頭が弥左衛門さんでした。弥左衛門さんは仲間といっしょにそのお金を横領したのです。そして捕まりました。
もちろん死罪ものですが、重盛さまは情け深い人でした。
「日本のお金を唐土に送ろうとした自分のほうが間違っていた、むしろ日本に対して自分のした事こそドロボウだ。盗まれても金が日本にあるほうが望ましい」と言って船頭たちを許したのです。
という大恩があるので、弥左衛門さんは命に替えても維盛を助けようと思っています。

お里ちゃんが登場します。もう新婚初夜に向けてスタンバイオッケー、やる気まんまんというかんじで枕を持っています。てか、枕!! 直球!!

弥左衛門さんも「あとは若いもん同士で」と引っ込みます。

お里ちゃんは「近所の家はみんな寝た、お月様も寝た、わたしも眠いー」とかわいらしい事を言って、屏風の影のおふとんに寝てしまいます。
いわゆる据え膳です。

しかし、維盛さまには、都に残した妻子がいるのです。
というわけで夫婦として暮らすのはかまわないが、妻子を裏切ることになるのでエッチはできません。困る維盛さま。

というところに、戸口に道に迷った旅人がやってきます。
出てみたら、なんと、奥さんの「若葉の内侍(わかばの ないし)」と息子の「六代君(ろくだいぎみ)」くんではないですか。
対面を喜ぶ3人、今の状況とかをお互い話し合います。

寝ていたと思っていたお里ちゃんがこれを全部聞いていて、泣き出します。
なら先言ってよ!! 知っていたら、こんな身分違いの恋なんてしなかったのに!! 
かわいそうです。

というところに、お役人がやってきます。
梶原平三と家来たちがが今から維盛さまがここにいないか調べに来るというのです。あわてる一同。 
とりあえずお里ちゃんはてきぱきと3人をさっき話題に出ていた隣村のお父さんの隠居所に逃がします。

ここに、奥の部屋で全てを聞いていた権太が出てきます。
維盛さま一家を追いかけて捕まえて、梶原に差し出せば金になる!! と言って張り切って駆け出します。
しかし一度戻ってきて、さっき母親からもらったお金を隠した桶を持って行きます。
何個か並んだ桶の、どれに入れたか忘れたので、いくつか持ってみて重さで見分けます。重いやつを持って行きます。

ええ、間違った桶(首入り)を持って行って行きます。
一貫は3.75Kgなので三貫は11キロくらいですから、重さは近いと思います。
権太は花道をいっさんに走って退場します。

この、権太が退場する場面の花道での見得が、特に江戸演出ではお芝居の見せ場のひとつですので楽しみにご覧下さい。
歌舞伎なのでどんどんネタばらしをしますと、権太はこの時点で維盛さまを助ける気持ちでいます。
持って行こうとしているお金も、維盛さまに渡すつもりです。
なので、悪役として荒々しく引っ込む権太なのですが、気持ちの上では正義のヒーローなのです。
そういう部分も含めてご覧ください。

2階と3階の席だと花道は見えないと思いますが、さまざまな効果音や義太夫(語り)が舞台を盛り上げています。
雰囲気を楽しみながら優雅に心の目で見るのです。のびあがるのはご遠慮ください。

残された一家があわてているうちに梶原平三が登場します。
梶原平三は、「石切梶原(いしきり かじわら)」という例外的なお芝居を除いて、出るたび悪役です。決まり事になっています。

問い詰められた弥左衛門さん、「じつは、もうごまかせないと思ったから維盛さまはすでに首切ってある。」と言います。
そしてさっき、妙な風呂敷包みを隠した桶を開けて見せようとします。

そこには権太にやったお金が隠してあるはず!!とあわてる母親。母親と弥左衛門さんがモメていると
花道から声がします。
権太が維盛さま一家を討ち取って連れて来たのです。

若葉の内侍と六代君を縛って、維盛さまの首を持ってやってきた権太。荒々しくふたりを梶原に引き渡します。

喜んで、ほうびに頼朝さまのものだという陣羽織を置いて、梶原は帰って行きます。都に持って行けばこれと引き換えに金銀をくれるのです。
権太はうれしそうに梶原を見送ります。

さて、権太はいきおいこんで家に入ります。
今は「親父殿!!」とセリフが入ることが多いです。文楽の原作にはないセリフです。権太の気持ちが伝わるいいセリフだと思います。

その瞬間、父親が権太を刺します。
弥左衛門さんは、せっかく命に代えて守るつもりだった維盛さまとその家族を、金のために裏切って殺した権太がどうしても許せなかったのです。

刺された権太は、、しかし怒りも、驚きもせずに、事情を話しはじめます。
「おいたわしや 親父殿」

弥左衛門さんは、前の幕で道で死んでいた「小金吾(こきんご)」の首を切って持ってきて、「維盛さまです」と言って渡すつもりでした。
権太はさっき、その首を間違えて持って行ってしまったので、そのまま、梶原に小金吾の首を渡したのです。
維盛さまは無事です。

小金吾は「前髪」のある、元服前の若者でしたから、弥左衛門さんはその前髪を使って、小金吾の髪を貴族風の総髪に結い直してごまかすつもりでした。
でも、そりゃ浅知恵です。「維盛さまが町人風の髪型で使用人に化けている」という情報を梶原が知らないわけがないのです。
なので権太は、小金吾の前髪を剃って、町人風の髪型にしてから渡したのです。

俺がしっかりしていれば、親父どのも事前に俺に相談してもっとうまくやれたろうに。一人で悩んでかわいそうに、いたわしい。

悪人だった権太がなぜ急にこんないい事をしたかというと、
現行上演では、もともと親を苦しめるのを心苦しく思ってはいた権太、
お金と間違えて首を持ってきてしまったので、「これも運命、今が性根の直し時」と思った、となっています。

文楽の原作では、前幕で小金吾の荷物を持っていったとき、中に重盛さまの高貴な絵姿が入っていた。
自分の一家が重盛さまに恩がある事は知っている。聞けばその息子の維盛さまが困っているらしいので「今が性根の(略)」と助けることにした。母親からもらったお金も維盛さまに路銀として渡すつもりだった。
というかんじです。まあどっちでも筋は通ると思います。

さらに、若葉の内侍と六代君に見せかけて縛って渡したのは、権太の妻と息子、おせんさんと善太くんだったのです。
ふたりは、権太が改心できるならと、自分から縄をかけてくれと言ったのです。
泣きながら、血を吐きながらふたりを縛ったと言う権太。

そんなこととは知らずに弥左衛門さんは怒りにまかせて権太を刺してしまいました。
もう半年、ひと月早く改心すればこんな無残な事にはならなかったのにと泣く両親。

維盛さまと家族も登場します。これもぜんぶ源氏、というか梶原平三のせいです。みんなで梶原を恨みます。
こういう場合、梶原だけを悪者にします。頼朝は江戸幕府へとつながる封建制度の創始者ですから神格化されており、悪者にはできないのです。

とりあえず梶原が置いていった陣羽織を恨みを込めて引き裂こうとしたら、中から短冊が出て来ます。

 内やゆかしき 内ぞゆかしき

という歌の文句が書いてあります。

以下、一応意味を書きますが、本筋とは関係ねえっちゃねえので読まなくてもいいです。

これの元歌は、陽成院がもう年をとった小野小町に送った歌で

 雲の上は ありし昔に変わらねど
 見し玉簾(たまだれ)の 内やゆかしき

というものです。
「雲の上」は、宮中のことです。「玉簾(たまだれ)の内」は、帝の玉座の簾(すだれ)の内側を指しています。「や+已然形」で、反語や疑問を表します。
なのでこの歌は

(あなたが出仕しなくなってからも)、宮中の様子はあなたがご存知の昔の様子と変わらないですが、とはいえ、昔見た玉座のそばの華やかな様子が恋しいのではないですか?

みたいな意味です。なんかイヤミな歌です。
これに、小町はほぼそのままの歌で返歌をします。

 雲の上は ありし昔に変わらねど 見し玉簾の 内ぞ恋しき

「や」が「ぞ」になっただけですが、「や」だと疑問系ですが、「ぞ」だと「強意」です。

 玉簾の内側にいらしていつもお会いしていたかた(帝)恋しいことですよ。

一文字変えただけですが、歌全体の印象も意味もまったく変わります。 かっこいいです。

歌の説明おわりです。

というやりとりから取って、「内やゆかしき 内ぞゆかしき」と書いてあるのですが、元の歌と以降の内容は無関係です。

どういう意味だろう、「陣羽織の内側に何があるのか見てみたいものだ」と言う意味かな?
というわけで、陣羽織の縫い目をほどいてみたら、中から袈裟と衣、出家アイテムが出て来ます。数珠もそろっています。
「命は助けるから出家しなさい」 と暗に言っています。

頼朝は平家の手ぬるい政策のおかげで命拾いして、結果として平家を滅ぼすことができました。
そのとき命を助けてくれたのが、維盛の父親の重盛でした。 
その恩があるので、頼朝は平家一門の中で、重盛の子である維盛だけは助けるつもりだったのです。

うまく梶原をだましたと思ったら、だまされていたのか!! おかげで父親を怒らせて命を落とす事になってしまった。 
人を騙してばかりで生きてきたから、その報いで最後の最後に命をだまし取られてしまったなあ 
と悲しむ権太。

無常を悟った維盛は、髷を切って出家します。
若葉の内侍とお里は一緒に行きたいと言いますが、それぞれ、六代君と年取った母親のめんどうをみなくてはなりません、と維盛は突き放します。

権太が死ぬところは見ていられないので、ギリギリ生きているうちに急いで旅立つ、という義太夫(語り)での弥左衛門さんのセリフは歌舞伎ではカットです。
まあ最後のほうは長いし聞き取れないとは思います。

それぞれ旅立つもの、残るもの、悲しい気持ちで、幕です。


チナミに、平家物語では維盛は平家の滅亡前に入水して果てます。
それを聞いた頼朝は、「出家したならべつに生かしておいてあげたのに」と言います。
そのへんをもとにこのお話は作られたのだと思います。

ただし、出家して命を助けられた六代君は、平家物語によれば大人になってから結局殺されます。
維盛だって出家したからって助かったとは限りませんー。


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2 コメント

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やはり (こまじぇ)
2012-02-23 06:33:45
いつも楽しく拝見させて頂いています。
大阪松竹座花形公演で初めて「すし屋」を単独で鑑賞しました。「すし屋」自体は過去25年間で6~7回観ていますが、単独は初めてでした。やはり「木の実」と「小金吾」ないと最後の愁嘆場が苦しいですね。二つのすり替えがあってこそのお芝居だと思いました。それとこの芝居は上方型の方が断然いいですね。これからもよろしくお願いします
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観てきました (ぱるまま)
2013-10-14 10:47:41
このサイトのおかげで、すっかり歌舞伎ファンになりました。有り難いことでございます。今回も、もちろん予習復習いたしました。
13日、仁左衛門さんの権太でした。お怪我を押しながらのご出演でしたが、父親と夫と息子とを素晴らしく演じ分けられていらっしゃって、感動しました。表情もしぐさも本当に素晴らしい。小金吾のりりしい一途な若武者ぶりとも相まって、初めてこの場面を見ましたが、お話としてもとても面白かったです。
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